ダンテ先生のお家選び!
部屋中に響くシャワーの音が、冷たい部屋の空気を切り裂き、部室の壁を伝い、反響音を鳴り響かせる。
大きな窓から差し込む夕日が、入居時とはかけ離れた惨状の部屋を照らす。あるのは正方形の薄箱が10箱、20箱。下手したら一か月分の箱が積み重なられており、一番下の箱にはコバエが数匹たかる。応接間としての機能も兼ね備えた二つのソファと一つのテーブルは、だらしがない不摂生の男の性格を表すのには十分の出来だった。最も、キヴォトスにも掃除が苦手な者はいるが、ここまでの猛者はいない。
ダンテェェェェェェェェ。
ダンテェェェェェェェェィ。
廊下の奥から、こつりこつりと一つの足音と、まるで悪魔の囁きを連想させる漏声が、細菌の浸食のように部室の中まで入り込む。建物ものっしのっしと歩を進める彼女の圧に押されたのか、蛍光灯や消火栓、果ては別室の扉まで恐怖のラップ音を奏で始めた。ミシシィ、ミシィ。コツリミシィ。
不穏な気配を感じとった部屋の主。シャワーでほかほかに温まっているのに背中にぞくりと走る悪寒に、新鮮味と恐怖が入り混じる。彼ほどの猛者でも抗えない力があるという事実は、彼の長い人生においても数少ない大きな刺激になっていた。
そういえば面会の時間だったと、悪寒のついでに脳裏にスケジュール帳が浮かび上がる。今日は月末の締め日。これからの予算について冷酷な算術使いとそれは激しい議論を重ねる日。彼にとっては彼女と腰を据えてじっくり話せる楽しみな日なのだが、算術使いは完全仕事モード。下手な冗談など通じず、それは冷酷に経費を切り詰めてくるのだ。
ダンテェェェェェェェェィィィィ。
シャワーの蛇口を止め深呼吸していると壁越しでも聞こえてくる怨念。
すぐさま浴室から飛び出し、タオルを取り体を拭き上げる。
以前、部屋に来ると約束していた時刻を間違え、上半身裸でミレニアムから贈られたゲームを楽しんでいた所に突然出くわしてからは管理の徹底を追求されているダンテ。冷酷な算術使い曰く、他の子には絶対に見せてはいけない、見せたくないとのことであった。最後の言葉を上手く理解出来ないダンテだったが、とりあえず彼女の機嫌を取るに越したことはないと判断し、素直に言う事を聞く。
ダァァァァァンテェェェェェェェェィ!!!
ノックすら必要無いと即判断する程、彼女の怒りは頭部の天辺、いや、ヘイローの先端にまで達していた。彼女を止められるものなどいない。鍵の掛かった扉はマスターキーで無理やりこじ開け、いざ部屋に入り込む。
彼女の目に飛び込んできたのは、一週間前、口酸っぱく注意しまくっていた結果の惨状だった。
食べ物の空箱だけではない。無造作に倒れているオフィスチェアに、壁に刺さるはずもないダーツの矢。絶対に買うなと言ったビリヤードの台に、馬鹿が付く程大きい最新式のジュークボックス。ジュークボックスの音量は0だが僅かに音が漏れており、不良品を掴まされているのにも関わらず返品もしない彼の無頓着さに手に持っている領収書の束はミシミシと紙の悲鳴を上げ始めていた。
「どうしたユウカ? そんなどす黒い声なんて出してよ。いつもの可愛らしいワントーン上がった声を聞かせてくれよ」
ドライヤーを片手にソファに腰かけ、両足をテーブルに乗せながら髪を乾かすダンテ。
そんな彼を見て怒りを放とうと、ユウカ砲を炸裂する準備を整えてきたはずなのだが、今、部屋中に蔓延しているラズベリーの香りは以前彼女がプレゼントした贈り物。それをこうして自然に使ってくれている様子に年頃の彼女は心臓の高鳴りが抑えられないでいる。が、それだけでは彼女の怒りが収まる事はない。
「ダンテ、ドライヤー貸してください。私が乾かしてあげますね」
ダンテの返事などお構い無しに片手からドライヤーを奪い取り、微弱の温風で手櫛を使い、一本一本愛でるようにゆっくりと乾かしていく。
やはり、贈ったラズベリーのシャンプーとボディソープは正解だったと彼女は確信する。彼に似合うとか縁起が良いとかそのような話ではなく、ただ単純にその日好きな香りをダンテに贈ってみたのだ。
潜在的な独占欲は日に日に増しており、最近は歯止めが効かなくなっているのを彼女は気付けていない。
当のダンテ本人は、ユウカとの穏やかなやりとりに心の安らぎを感じていた。他の生徒との戦場でのやりとりもゲームみたいで楽しんでいるが、時にはゆりかごみたいな空間で気を休めるのも人生には必要。
「ダンテ、覚えていますか?」
「何をだ?」
「私、ソファーでドライヤーはしないでくださいねって言いましたよね? 雫が飛び散ってお掃除が大変だからって」
「……いや、ユウカの身長考えたらこの高さの方がいいだろ? 俺は待っていたんだぜ」
「出鱈目を言わないでください。シャワー浴びていたのだって今日の予定を忘れていたからなんですよね?」
「おいおい、まさか俺がユウカとの約束を忘れる訳ないだろう? せっかくなら身を綺麗にしようとな……おい、同じ所当て続けるな熱いだろ」
「たまには身体的な罰則も必要だと思いまして。10円ハゲとかお似合いだと思うのですが」
と、ごまかす彼女だが、ただ単純にダンテの銀色の髪の毛に目を奪われていただけである。
キヴォトスにおいて銀色の髪の毛は特段珍しくもない色だが、どうしてかユウカにとってダンテの髪色は特別に感じているのである。それが魔力を帯びているからか、それとも別の理由からなのか。彼女はまだ自分の気持ちに気付くことなく彼と過ごすことになる。傍から見ればどこか特別な関係に見える筈なのだが、当の二人は全く気付いておらず、鈍感だ。
「ダンテ、私とクイズをしませんか?」
柔らかい手で撫でられる頭皮の感覚に眠気が襲いそうになる頃合い、ユウカからの突然の提案に瞼を開くダンテ。もし反応しなければ、また包み込むような囁き声を耳に通せると一瞬だけ口を開くのを躊躇うダンテだが、ここで反応しなければ頭部への鉄槌もありえる展開。仕方なく声を出す。
「いいぜ、楽しそうだ」
「では、ピザって10回言ってください」
「ピザ? いいぜ。ピザピザピザピザピザピザピザピザピザピザ……」
「じゃあこの領収書の束は?」
手荒に、しかも投げ込むようにダンテの目の前の空箱の上に無造作に置かれる紙の束。
「ピ……ピ……」
「正解! そう、ピザの束です」
「ピ……」
「私言いましたよね。自分の食費を領収書で切るなって。しかも私の所まで来るってことは一度経理の稟議は通っているということなんですよ。でも、最後の認証は私が管理していますからバレバレなんですよね。あ、もしかしてバレないとでも思っていました? あいつならどうせ気付かないとでも? ダンテ、ちなみに今月ピザに幾ら使ったか覚えていますか?」
ドライヤーを切り、最後の仕上げと、さらに手櫛で髪を整えるユウカ。
存分にラズベリーの香りを嗅いだ後、さらに耳元で追撃の囁きを響かせる。
「248000円です。一日に二回ピザを注文していますよね。しかもLLサイズの一番大きいの。単価は4000円。あとそれだけ金額積んでるのにいつもオリーブ抜きなのはかなりの贅沢だと思うんですよ。人間好き嫌いはあってもいいと思いますが、ダンテは一応先生ですよね? 大人ですよね? 恥ずかしいと思いませんか? よろしければ私が食べさせてあげましょうか。大丈夫です安心してください、食後はきちんとストロベリーサンデーも用意してあげますから。ダンテ大好きですもんね? おっと忘れてました、こちらの領収書も見てください」
領収書の上にさらに乗せられる領収書の束。
ダンテの額から冷や汗が滲み出てくる。必死に言い訳を考えている間、彼の瞳は小刻みに震え、口をへの字に曲げるのであった。
「こちらはストロベリーサンデーの領収書です。解ります、気持ちはとても解ります。あのお店のストロベリーサンデーは絶品ですからね。美食研究会も絶賛してましたし、ダンテが夢中になるのも理解出来ます。でも、でもですよ? 冷蔵庫に常に10個ストックしてるのはどうかと思いますよ? こちらは一日に三回食べてますよね。金額は一個当たり1500円。これに31を掛けてください」
「……む、難しい計算を要求してくるな」
「答えは139500円です。ではここで問題です。この莫大で無頓着な食費はシャーレの経費で落とす事は出来るのでしょうか?」
沈黙が流れる。
ダンテの両肩に手を置き、親指を首下に添え、筋肉の筋に強めの刺激を与え続けるユウカ。
ダンテは思わずユウカがどんな顔をしているか確かめようと首を傾けようとするが、それはずるいからダメですと、背後から頬に手を添え角度を固定される。
「答えは……! ユウカが頑張ってくれてる、だな」
「正解!! ご褒美に頭をなでなでしてあげますね。後、その頑張ってる私との約束、もう一つ思い出しませんか?」
「約束?」
ユウカに掴まれているダンテの肩から、ミシミシと肉を握りつぶす音がこだまする。
「部 屋 は 綺 麗 に し ろ って──言いましたよね!!!」
ーー
ーー
翌朝。早朝の8時。シャーレ部室から数キロ離れた繁華街。
外郭地区とは言え、人もそれなりに住んでいることから、ひとつの街として栄えている部分もあり、たまに学生も遊びに来る事もある。基本はオフィスや住宅、工業を担う土地ではあるが、住みやすさを理念とした設計思想も織り交ぜている顔もある為、公園や自然も豊富だ。
その繁華街手前の公園のベンチにポツンと佇む二人の影。
背中を丸め、真横に座っている少女にぼそぼそと話しかけている様は、デビルハンターとしての顔を知っている者から見れば驚愕と哀愁の瞳を浮かべるだろう。それほどまでに彼は落ち込んでおり、ユウカのお説教の内容を脳内で反復していた。
結論、ダンテの今までの無頓着食費は経費として全て却下され、ユウカが所属するセミナーから借金を借りるという形で落ち着く事となった。金利や期限は設定しなかった物の、財布のひもを完全に握られる形となってしまった為、これからは無駄なお金を使う事も出来ない。折角豪勢なピザ生活を送れると思ったのにと、溜息を吐きながら真横にいる少女に再度口を開いた。
「アリス、俺が悪いのか?」
「はい! ダンテが悪いです!!」
思考する暇も無く元気よく返事をするアリス。お前だけは俺の味方だと思ってたのにといじけるダンテに、メイド服を着た黒髪の少女は追撃を加える。
「アリス知ってます! ダンテみたいな人はだらしがないと言うんです! この前アリスとユウカと二人で一生懸命お掃除したのにもう散らかっているなんてびっくりしました! やりがいはありましたが……虫がたかるまで放置するのは流石のユウカもぷんぷん丸です!」
「だからって居住区から締め出すのはひどくないか? そもそもシャーレに関してはユウカに権限なんて……待て、この前リンちゃんが何か指名してたのを思い出した。……別の家を持てって言われてもよ、シャーレの給料なんて雀の涙程しかねぇのによ」
「違います! ダンテはお金の使い方が下手なだけです! ふふん、今日はアリスがダンテに上手なお金の使い方をレクチャーしちゃいます!」
クリーニングしたばかりのメイド服。膝下まで隠した大きなスカートをたなびかせ、楽しそうな笑顔を隠せないでいるアリス。
よりにもよって自分と同じ世間知らずのアリスかと、鼻で笑うダンテに彼女の瞳は熱く燃え上がる。
「ダンテ今笑いましたね! そう思っていられるのも今の内なのです! アリスはユウカからトップシークレットなクエストを受注し、しかも前知識もばっちりなのですから!」
「なに? アリスだけずるくないか? おーけーアリス、公平にやろう。公平だ。ゲームには必要だろう?」
「確かにダンテの言う通りです!」
「ユウカはなんて言ってたんだ?」
「家賃は3万までって言ってました! 6畳も贅沢って言ってました! あとダンテが勝手に契約しても変更出来るように、指定したお店しか行かないように指示を受けました!」
つまるところ、アリスは見張り役を請け負ったという話になっていた。
「……は!? 全部喋ってしまってます!? うわーん! ダンテは汚い大人です! 騙しましたね! ……もう、ユウカに報告するしか手はありません」
「ちょーっと待て待てアリス。俺を信用してみないか? 何も失敗した訳じゃないんだぜ? 俺に繁華街を案内してくれよ。……たまには真面目にやってみるのも悪くねえ。な?」