「トリニティの政治はめんどくせーしおっかねーな。そう思わねぇかアロナ?」
ミカとの話が終わり、その夜。
ただでさえ詳しくもないキヴォトスの世界。その中でも大きな組織であるトリニティの政治を理解するのは至難の業だ。そもそもダンテは細かい読み合いや世間の喧騒など興味が薄い。それよりも悪魔がどこにいるか、そいつが強力な存在なのか。それが重要だった。
キヴォトスに呼ばれてからという物の、ダンテは初めて俗事に身を置くことになった。
悪魔の気配は微塵も無く、その代わり神秘的な力を持った「生徒」の相手をすることになってから、世間での自分の評価を気にせざるを得ない状況に陥っている。
生徒を攻撃すればやれ暴力野郎だとか、抑えつければやれセクハラだとか散々な言われようだ。
大衆の目に晒され慣れてない彼にとって、キヴォトスでの生活には未だ慣れというのが到来しておらず、苦労を重ねている。
だが、それは逆の意味でも同じ。
キヴォトスにとっても、ダンテ、基シャーレという存在は初めての出来事であるのだ。
彼が来るまでのキヴォトスは、簡単に言うと膠着状態。トリニティとゲヘナのにらみ合いは臨界点まで登りに上り詰め、まさに一触即発。一寸の針が触れただけでも風船が破裂するように均衡は崩壊し、果ての無い戦いが繰り広げられると言っても過言ではない。その大きさはこの世界全てを染め、まさにキヴォトスを巻き込む大戦争と言った所。
その戦いを避ける為、ある一人の人物が立ち上がる。
現在の連邦捜査部シャーレを作り、キヴォトスを管理する連邦生徒会の長にして超人と謳われた存在。連邦生徒会長。
彼女はこの不毛な戦いを避けるためにエデン条約という案をトリニティとゲヘナに提示する。それは基本的には不可侵条約。互いの地域で起きた紛争を互いの力で解決。まさに互いのトラブルを互いの手を取り合って解決するという一見平和的な条項だ。
「なぁアロナ、聞いてるのか?」
ミカ曰く、それは半分正解で半分間違いらしい。
確かに表面上はそう捉えるだろう。だが、実際に生まれるのはトリニティとゲヘナの武力を合わせた超巨大組織。そのトップに君臨するのがナギサであり、他ゲヘナのメンバーだ。
ミカはそこの部分に懸念を抱いていた。もし、一個人がキヴォトスを脅かせる程の強大な力を持ったら? 今回の補習授業部の様に邪魔者はまとめて掃き捨てるか、百合園セイアの様にヘイローを破壊されるかのどちらかになるだろうと。
ヘイロー。生徒の上にあるうっすら光っている天使の輪。ダンテもはっきりは見えないが、存在は認識していた。
だが、そのヘイローが壊せる事を知らなかったダンテは、ミカに質問を重ねる。
「……すやぁ。だんてぇ、すとろべりーさんでーはひとくちもあげませぇん……すやぁ」
ヘイローの崩壊。それは即ち「死」。
「聞いちゃいねぇか。起こす……のはやめておくか」
タブレットを閉じ、ベッドに寝転がるタイミングで扉からノックの音が響いた。この控えめな音量はヒフミだと察したダンテは、上体を起こしベッドから起き上がり、音を立てないようにゆっくりとドアを開く。最近、彼女は夜にこうやって自身の悩みをダンテに相談しに来る事が多くなった。たいがいの事情は面倒だと切り捨てる性格の彼だが、ヒフミに頼られるとどこか嬉しく、満更でもない様子である。
「おう、入って──」
「こんばんは、先生」
「おま、お前……なんで水着なんだよ」
そこには、少し頬を紅に染めたハナコの姿があった。
勿論、そこにハナコがただ立ってるだけでは動揺などするはずもない。ダンテの声が若干上澄ったのは、ハナコの肉体の曲線をこれでもかと浮かび上がらせるスクール水着だったからだ。
いくらダンテといえども年下の、しかも女学生の水着なんぞには一ミリも興味はない。だが、彼は出るとこが出てるスタイルの女の子には滅法弱い部分があった。しかもハナコは美貌も兼ね備えている、花に花を添えられたような稀有な存在。
(まずい……!」
「後半言葉漏れていますよ。ふむ、恐らくまずいって言っていますね。ちなみに何がまずいのでしょう……はっ!? ドアを開けた瞬間ダンテは如何にも待ってましたと言わんばかりの台詞を吐こうとしていました。それの意味する所はつまり、補習授業部内にダンテが○○しようとしていた人物がいると。で、今日はその決行日だったという事ですね!?」
「ち、ちげーよ。勘違いするなっ!」
「遠慮しないでください。後、出来れば○○を目の前で見せて頂けないでしょうか。後学の為に教えて頂きたいのです。ああ……ダンテの○○がその女の子の○○を○○して、○○になると、○○が○○してそれを見た女の子は頬を染め、柔らかい瞳で○○を○○するので──」
有無を言わさずハナコの口を手で抑えると、やはりハナコは恍惚とした顔でダンテの行為を抵抗もせず受け入れていた。
そのまま扉へと誘導し部屋の外へと追い出そうとしたダンテだが、ハナコは己の探求を満たす為にその場に踏み留まろうと身体の重心を下へと下げる。その抵抗を何とか挫けさせようと足元を彼女の背中側まで回し、腕だけではなく体全体の圧迫感で押し通そうとする。ハナコはその作戦を読んでいたのか、寸での所でくるりと体をターンさせ、逆にダンテを扉側に背を向けさせようとした。が、それを素直に遂行させる程彼は甘くはない。力の流れを読んだダンテは口から外れた手を再び口元へと被せようと追いかけるが、慣れない動きで足を絡めてしまったハナコはベッドのフレームに躓きそのまま倒れ込む。
「きゃうんっ!」
「へ、もう逃げられねーぜ」
勢いを殺すことなくハナコに覆い被さる。腕を突っ張り棒にハナコの顔の横に手を置き口元に笑みを浮かべさせると、予想外の展開だったのか目の前の可憐な少女は瞳を大きく見開き、頬は真っ赤に染まり切っていた。赤面した額からはじんわりと汗が滲み出ており、ベッドの布へと滴る。瞳の焦点は彼の目元へと吸い寄せられており、魔法が掛かったように束縛されていた。
「どうした? いつもの軽口を聞かせてくれよ」
「ふわぁぁぁぁ……あの、その……うぅ、恥ずかしい」
「恥ずかしい? へぇ、いつもはもっと恥ずかしい言葉を臆面もなく吐いているお前がか? なぁハナコ、今の言葉もっと聞かせてくれよ。じゃないと──」
がちゃりと扉が開いた音を認識したのは、扉が閉まる音がしてから約五秒後のことであった。
あれおかしいなと背後を振り向くと、そこには唖然とした顔をしたヒフミが一人。目元をふるふると震えさせ、視界は定まらず如何にも慌てふためいているといった印象だ。
ダンテはまずベッドから体を浮かせ直立の姿勢に戻し、ヒフミの背後の扉をゆっくりと閉め、真横にある椅子に腰かけ「どうした」と一声。ヒフミは真っ赤っかになった顔しながらギコギコとロボットみたいに首を彼の元へと曲げると、脳内の演算が追い付いたのか、申し訳なさそうに叫ぶ。
「わあああああああすいませんすいませんすいません!!! え!? まさか二人がそんな関係だったなんて!? え!? いつからなんですかいつでもいいですよね!! すみませんすぐに部屋から出ていきますからダンテその手を離してくださいいいいいいいいい!!!」
「いやダメだ。今出られたらこの先一生弁明の機会を失うだろ? ほらハナコ、何か言ってやってくれよ」
「……凄かった」
「わああああああ本当にすみませんすみません!!! 水着なのもそういう理由なんですよね!? 変に出しゃばっていきなり部屋に来てすいませんでしたああああああ!」
その後、何とかヒフミに事情を話し理解してもらえた二人。
ハナコは水着姿なのを怒られ速攻で着替えて戻って来たが、ダンテに対してのお説教はそれなりに長く、夜も深くなるほど十分な時間が取られることになるのであった。
「待て、わざとじゃない。本当だぜ? ん? 今は言い訳する時じゃないだって? ……そうだな」
ーー
ーー
「なるほど、退学ですか。あの猫ちゃんも随分思い切った事をするのですね。で、そうならない為にダンテとヒフミちゃんはこうして夜な夜な相談と体を重ねていたと……」
「一文字多いぞ」
「そういえばハナコちゃん、本当は成績良いんですよね? 1年生の時に3年生の難しい試験まで全部満点でしたよね!? ……その、模試の為に昔のテストを探している最中にたまたま見つけてしまって……。どうして本来の実力を隠しているんですか?」
ヒフミの純粋な瞳を直視できないハナコは、視線を彷徨わせるようにしながら、思わず顎を引いて上体を左に逸らした。言葉が喉の奥で詰まり、しばらく沈黙が場を支配する。胸の内に渦巻く感情を整理する時間を稼ぐかのように、ただ静かにその場に佇む。内側に実った罪悪感を抑えきれる訳でもなく、彼女はまず謝罪の言葉で口を開いた。
「ごめんなさい、知らなかったんです。まさか落第を超えていきなり退学だなんて……。知らなかったじゃ済まされませんね。私はヒフミちゃんやコハルちゃん、アズサちゃんやダンテ先生にまで嘘を吐いてたということになります。本当に……本当にごめんなさい」
ハナコのあまりにもしおらしい態度に面を食らったダンテとヒフミは互いに顔を見合わせ、困りましたと言わんばかりの顔だ。いつも飄々として、周りを自分のペースに巻き込む彼女だからこそ、瞳を伏せて落ち込むなんて予想外。ダンテもヒフミを言葉を選びあぐねていたが、それを悟ったハナコは申し訳なさそうに口角を上げ、「らしくないですね。ごめんなさい、気にしないで」と頬を掻く。
「ヒフミちゃんの言った通り、私のあの点数はわざとです。その理由ですが……ごめんなさい、これはまだ言えません。すごく個人的な事ですので」
「ハナコちゃん……」
「安心してください、次からは皆さんに迷惑が掛からないように配慮しますので。ふふ、私は本当にダメな人間ですね」
「ハナコ……」
「ダンテ先生、私は嘘を吐いた悪い子です。そんな悪い子にはお仕置きが必要だと、そうは思いませんか?」
「急にノリが戻ってきやがったな」
「ふふ、私に出来る事なんて裸で手を繋ぐことくらいですが……それ以上の要求をされると言うのでしたら、覚悟を決めます」
「お前さっきベッドに押し倒されて身動き出来なかったじゃねーか。本当にできんのか?」
「やっぱり押し倒したんですか!? 不慮の事故じゃなくて!?」
言葉のあやだと説明するも、頭部から汽笛の音が響いてるみたいに再び激しく問い詰めてくるヒフミ。
いつものジョークさとなんとか追撃を避け、本題に戻る。
「理解しました……はい。この状況と退学というワード。推察するに、補習授業部というものはエデン条約を邪魔しようとする者の集いということでしょうか。危険因子は関係の無い赤の他人にすることによって、トラブルの責任を逃れると同時に邪魔者を排除しよう。こんな所ですかね。ただの猫ちゃんだと思ってましたがこうも狡猾なやり方をしてきますか」
ハナコの急な模範解答に瞳を真ん丸にして驚くヒフミ。
「ダンテ先生も利用されたということですね。シャーレの権限を使うというのは確かに得策です。が……そこにある変数を侮るなんて、よっぽど切羽詰まっていると見えます」
「変数?」
「はい、ヒフミちゃんもしっかり理解していると思いますよ? この圧倒的な変数を。所で、アズサちゃんは経歴がおかしく、コハルちゃんは正義実現委員会の盾になっているのは分かりますが、ヒフミちゃんはどうして補習授業部に来ているんですか? だってヒフミちゃんも退学になっちゃいますよね?」
「うええ! やっぱり私も疑われているのでしょうか……」
「真偽は定かではありません。まだ材料は揃ってませんから。とにかく、今やるべきことは試験ですね。ヒフミちゃん、私も全力を尽くします!! ふふ、深夜の密会で結束を固める三人。なんだか良い響きですね」
ーー
ーー
二人が部屋に戻ってから、ダンテはミカとの会話を思い出していた。
それは、4人がどうして補習授業部に選ばれたかというもの。
コハルはさっきハナコが語った通り、正義実現委員会の暴走の盾として。ハナコは持ち前の能力の高さと、不安定な精神と行動。ヒフミはまさかの犯罪者疑惑。
そしてアズサに関しては、ミカとナギサで見解の相違……いや、思惑の相違があり、事情はもっと複雑だ。
ナギサにとってはただ単純な危険因子。だが、ミカにとっては過去にトリニティと因縁のある「アリウス」と手を取り合うための策であるとのことであった。
「片方は疑心暗鬼、もう片方は内緒話ね。トリニティの政治は面倒だな。そう思わねぇかアロナ?」
「すぃーふゅう~……えへへぇ、だんてぇ、おりーぶをくちにはこびますねぇ~……くぴー」
「はぁ、そうかよ」