鉄の棒が、踊りながら宙を舞う。
まるで意思を持つ鳥の羽ばたきはブーメランの弧を描くと、最前列にいたアリウスの生徒達は一人残らず地面に伏し、事切れた人形を真似るが如く力なくだらりと倒れる。
当然だが、世の中には物理法則というものが働いている。
だが、そんな常識的な知識はこの男の前では無力同然。鉄の棒は円を描いた通りに男の前へと戻り、これまた一ミリのズレも無く持ち手に収まる。
──ただ、肩を引き、腕を投げ飛ばすように横払い。その一撃から放たれた攻撃が、10人ものアリウスの生徒を戦闘不能にするとは、この場にいる誰もが予想していなかった状況であった。
「まさかこれでへばるか? はっ、大したことねぇ奴らだ。そのままそいつらみたいに床にキスするならこのまま見逃してやってもいいぜ」
目の前でニヒルに口元を曲げる男の挑発に我に返ったアリウス達は、本能的な危機感を感じながらも、己が任務を思い出す。
ここで引けば、マダムに何をされるか分かったものじゃない。彼女の怒りに身を任せた行動は目の前の男から出る恐怖など比じゃなく、これまでの様々な暴虐が浮かぶ。物を壊すだけには飽き足らず、忠誠心の高い生徒を使って他の生徒に暴行の限りを尽くし、何日も飲まず食わずの生活を続けられ、衰弱寸前まで追い込むその姿は──悪魔そのもだ。
もし、ここでなんの成果も挙げられず、撤退を余儀なくされでもしたら。
──あの、翼を千切られた生徒と同じ目に遭ってしまう。
──歩けなくされ、生きる手段さえ奪われてしまう。
一人を除いた他全員のアリウスの生徒達の脳内に、浸食する恐怖。
彼女達の手に、煮えたぎる憎悪の炎が宿り始めた。それは身体にも浸食し、そのまま胸の中央へ、そして脊髄を伝わって瞳へ、思考へ。
恐怖はさらに大きな恐怖で掻き消え、心に残ったのは任務を遂行するという意思だけ。その為には目の前にいる先生と呼ばれる謎の敵を倒さなければならない。
マガジンの残弾数を確認し、装着。バンドルを引きリアサイトで狙いを定めると、赤の腕章を付けた生徒は周りに合図を送らずに、引き金に指を添えた。
──あまりにも自然で、弾速は音を置き去りにする。
それが戦闘の合図。以心伝心した他のアリウスの生徒達は散開し、ダンテを囲むように陣取り、一人、また一人と彼に向かって正確無比な射撃を撃ち込む。だが、当然結果は同じだ。目にも止まらぬ速さで鉄の棒を振り回したダンテは、自身の身に降りかかる銃弾だけを弾き飛ばし、その余波は他のアリウスの生徒達を巻き添えにした。
「まだだ!!!」
銃で傷を付けられないならと、手榴弾の引き金を引き、爆発ぎりぎりまで引き付け寸前の所でダンテに向かって投げ込む。鉄の棒に弾かれた瞬間爆発した手榴弾は確かに彼の意表を突いたが、座標軸を動かしただけで服に傷の一つもない。
「爆弾だ!! 爆弾で攻めろ!!!」
赤の腕章の生徒が号令を挙げると、他の生徒達も習って腰にぶら下げている手榴弾の引き金を一斉に引き抜き、彼がいる所まで一斉に投げ込む。
何十個と宙を舞う手榴弾。しかも戦闘に卓越した者達が投げ込んだからか、避けようにも四方八方塞がり、どこにも逃げ場はない。だが、それでも彼の口元はニヒルに曲がったままで、避ける意思など微塵も感じないのだ。
それを負け惜しみと判断する程、アリウスの生徒達は油断などしてはいない。──この男は、まだ何かを隠している筈だ。
一つ目の手榴弾が爆発すると、連鎖的に他の手榴弾も衝撃で爆発。余波は余波を産み、まるでロケットランチャーでも撃ち込まれたみたいな大爆発を起こすと、その衝撃で床は千切れ宙に舞い、またしても大きな粉塵が巻き起こった。
──確かな手ごたえ。
強靭な生徒でも気絶どころか、後遺症があってもおかしくはない威力。
辺りを見回しても彼の姿は無い。いつの間にか背後に周っている事も、隅に退避している訳でもない。ただ確実にその大爆発の中心にいるはずだ。
どうして、何故。アリウスの生徒達は疑問を浮かべる。あの先生のスピードならこれくらい避けていてもおかしくはない。その予測の元にワザと外した場所に手榴弾を投げ込んだりもしたのに、どうしてかその位置に先生の姿が見当たらないのだ。
つまり、その場から一歩も動いていないという事。
隙間風が粉塵を掠め取る。
足元の大きなドラゴンブーツは埃に塗れ、深紅に染まったジャケットは灰になり、黒のクルーネックから見える身体の輪郭は男性的で強き生物を思わせる風貌。銀色の髪は青白い月の光を仄かに反射しており、どこか穏やか。片腕は前腕を縦に、もう片方の腕は腰の位置に置き、拳を握り込む。その姿はさながら武闘家の構え。
「そ……そんな馬鹿な」
険しい顔の筈の武闘家とは違い、彼の曲がった口元はさらに笑みを浮かべ、目元はまるでおもちゃを手に入れた無邪気な子供そのもの。瞳を合わせた生徒はただ怯えることした出来ずにいた。まるで壁の高い要塞を相手にしていると錯覚する程、男は無傷で、底知れぬ実力に絶望する。
「いつか──誰かが言ってたな。この技を……ロイヤルガードだと」
ダンテは握り込んだ拳をさらに引き、構えた前腕を水平にし、狙いを定める。
「んで、これがジャストガードのリリースだ。覚悟しろよ?」
内側に積もった衝撃を魔力へと昇華し、その流れを一点へと集約する。赤い燐光が煙のように舞い上がり、まるで天をさまよう流星の如く揺らめいたかと思うと、瞬く間に彼の腕へと収束していった。凝縮された赤光は、まるで自らの行き場を求めるかのように彼の腕を軌道とし、暴れ回る。
大気が震え、空間が歪む。捻じれた光が深淵へと引き込まれるような錯覚を生み、辺りには異様な圧力が満ち始めた。
そして、彼は静かに前腕を掲げ、標的に向けて水平に構える。
指が弾かれる。
鋭い破裂音が響いた瞬間——
──世界が弾け飛んだ。
だが、これはあくまでも錯覚だ。
その力の対象として捕捉されたアリウスの生徒達が感じた、錯覚。
魔力がどれだけ大きいとか、目の前の個体がどれだけのエネルギーを持っているかだとか、当然そんなことは感じるはずもない。
ただ、そんな感覚さえ持たない彼女達でも、捩れ切った歪な力場を見れば、そう考えざるを得なかった。
この時程、退避という号令が無意味だったことはないだろう。
撤退の合図は要は損切りだ、被害の拡大を防ぐための戦略。身体を捻る瞬間さえも遮られ、シールドで防ごうにも紙切れ同然。まるで爆発が意思でも持ったかのような衝撃と範囲、精度は優に彼女達の認識を超えてしまっているのだ。
「……ちょっとやりすぎちまったか。にしても、お前達は本当に頑丈だな。そのマスクもどうなってる? リリースしたのが半分ほどの力だったとはいえだ」
今まで隙間風しか入り込んでいなかった体育館は、ステージ側の半分は吹き飛んで粉々になっており、夜風が粉塵を舞い上がらせた。
アリウスの生徒達はそれぞれ気絶をしているのか、瓦礫の隙間にもたれかかるように体は埋まり、生徒達は全員戦闘不能。
──かと思えば、一人だけ立ち上がり、ライフルを片手に持ちダンテに切りかかる生徒が一人。
赤の腕章を付けた生徒ではなく、ただの下っ端だ。ガスマスクの半分は崩れ、素顔が半分丸見えになっている。
パーマがかった癖のある赤毛に、輝度が高い琥珀色の瞳。長いまつ毛にからまったその目はまるで宝石だが、今はとにかく任務を達成しなければと狂気に飲み込まれている。
それが恐怖なのか、それとも本人の意思なのかは判別できないが、少なくともダンテはその生徒から出るオーラに少し違和感を覚えた。他の生徒からは見えない崇高な魂。細い柱一本で何とか持ちこたえているのか、ぽっきりと折れてしまいそうな脆弱さ。
「くそ……くそっ!」
バットを振り回す要領で彼に切りかかるが、その程度の攻撃など当然当たる筈も無く、右へ斜めへと華麗に避けられ、振りかぶった勢いの体重にさらに拍車をかけるように背中を押されると、彼女はそのまま瓦礫の中へと倒れ込む。
もう、足腰だってまともに動かず、立っているのがやっと。
だが、彼女はそれでも立たなければいけなかった。既に任務は失敗だ。けど、それでも少しばかりの成果を持ち替えなれば、今日明日の食事にもありつく事など出来ない。
例え自分が食えなくとも、守らなければならない人がひもじい思いをするだけは、それだけはあってはならない未来だ。
恐怖を縛り、手に持っているライフルのグリップを握り締める。
震える足で地面を踏み、右足を軸に方向を定め、腰を低く構える。
空気の中で行われる鍔迫り合いは圧倒的に勝てず、どこから見ても隙のない大人に向かって、最後の力を振り絞った。
一歩、二歩、三歩。大きく足を広げ勢いよく前進し、最後の一歩で大きく飛翔。背骨を曲げ、ライフルを思いっきり天まで引くと、そのまま重力の力を借りて大人の顔に目掛けて振りかぶる。
「お前みたいな大人なんかに──邪魔されてたまるか!!!」
彼の頭に勢いよく振り下ろされたライフルは、脳内に広がる様々な展開の予想とは裏腹な結果に終わる。
渾身の一撃であったはずのその技は鉄の棒一つで止められ、その衝撃の余波は彼の足元の埃を舞い上がらせ、ボロボロになっていた深紅のジャケットはついに吹き飛び、風を靡かせる。
そのまま片方に揺られ、勢いよくライフルごと弾き飛ばされると、反射的に身を捻る間もなく、無防備なまま地面に叩きつけられ転がるように二度三度と地を打つ。背中を大きく打ってしまった彼女は眠るように気絶すると、辺りに静寂が沸き起こった。それはまさに戦闘終了の合図。彼は鉄の棒二本を地面に落とし、腕を組みさっきの生徒に綻んだ表情を向ける。
「中々にガッツがある奴だ。嫌いじゃないぜ」
──ダンテ先生!!
この声はハナコだ。しかも、歓喜の声ではなく、何かの危険信号を知らせる声。
背中に伝わる微かな電気信号。それは月夜が照らす青白い光ではなく、真っ赤に染め上がった闘争心剥き出しの狩人に贈られる、血沸き肉躍る紅蓮の警告。
彼はその舞踏会に呼応するように背後に振り返ると、彼女の拳は寸前まで伸びており、相手の勢いを消す事無くその一撃を受け止めた。ロイヤルガードを使わず、ただその片手だけで受けた一撃は、彼の体にはなんの影響も及ぼさなかったが、地面はその摩擦に耐えられず、思わず後ずさりする。
「わーお……ダンテ先生流石だね。もしかしてこの半壊した体育館も先生がやったのかな?」
「……ミカ。ってことは」
「うん、私が本当のトリニティの裏切者!」
飛びのき、後方に位置取りをしたミカに改めて向き直すと、そこには今までとは比較にならない程のアリウスの生徒達で埋め尽くされていた。更に体育館の入り口からぞろぞろと入り込む生徒達。大隊規模の数に思わず笑みがこぼれる。が、あくまでそれは彼一人で戦えた場合だ。
流石にまずいと思った彼は、急ぎ補習授業部の生徒達の前まで走り、背中で守るように彼女達に背を向ける。
「──黒幕登場☆ってところかな?」
人差し指を口に添え、微笑む姿はまさに天使そのもの。
煌びやかに靡くスカートの裏地は星々を思わせる刺繡が施され、桃色に染めた腰以上に伸びた長い髪は月夜を麗しく思わせる程美しく、反転幼げが残る顔立ちと表情はまさに天使を思わせる存在。
その口から出る「裏切り者」という言葉。思わず聞き返しそうになるが、彼女の笑みはどこか荒んだ姿を見せる。それは大勢のアリウスの生徒達が全滅させられたからなのか、それとも別の何かに急いでいるのか。
「というわけで、ナギちゃんをどこに隠したか教えてくれる? 私も時間がなくってさ。──まぁ、ここにいる全員を消し飛ばしてから、ゆっくり探しても良いんだけど」
ミカは改めてダンテの顔を一瞥した後、片手に持っているサブマシンガンを強く握りめる。
「うん、本当に強い人なんだね先生。その状態の先生とこうして向かい合うだけでも、私でも逃げ出したくなるくらい」
「ミカ、どうしてだ」
「んー? 聞きたい? 先生にそう言われたら仕方ないなぁ」
まるでティーパーティのお茶会と同じ声色で、彼女は続ける。
「それはね……ゲヘナが嫌いだからだよ。私は本当に、心から……ゲヘナが嫌い。そんな大嫌いなゲヘナとの平和条約? ナギちゃん狂っちゃったかと思ってさ。絶対裏切られるに決まってるじゃんね?」
ダンテにとって、キヴォトスの政治は未だ理解出来てない事が多い。
どうしてそこまで憎むのか、もしかしたら彼女の背景に何かあるのかと、勘ぐる。
「ナギちゃんもほんと、優しいっていうか優しすぎるっていうか……。創作の世界じゃないんだから、そんな都合の良い話なんて存在しないのに」
「その世界を叶えようとしてんだ。邪魔するなよ、ミカ」
「……キヴォトスに来たばかりの先生には分からないよ。この世界は優しい学園物語じゃないの。ま、そういう訳だからナギちゃんを渡してくれる? 大丈夫、痛い事はしないよ。残りの学園生活は檻の中かもしれないけどね」
「もしかしたら、仲良くなれるかもしれないぜ? 今ミカがそうやってアリウスの生徒と仲良くしてるようにな」
「それは……アリウスの生徒とは仲良くしたかったから。同じトリニティ同士なんだし。でも、ゲヘナは違うの。私はあいつらの角を見るだけで反吐が出る。アリウスの生徒達は凄いよ? 私達に勝るとも劣らない程純度の高い憎しみを持ってる。きっと、これからのトリニティの公的な武力として大活躍してくれること間違いなし」
ミカにとって、アリウスはクーデターの道具に過ぎなかった。
同じゲヘナを憎む同士、その志を共に手を取り合う。そして一緒に悪党たちをやっつけようと。
光芒が彼女に差し込む中、舞台役者がステージで舞うように、胸に手を当て自らの胸中をさらけ出す彼女。その姿はどこか懺悔をしているようにも見える。そう、どこか違和感を感じたダンテだが、彼女の言葉の矛盾点を言語化出来ず、黙って聞き入れるしかなかった。
それに、憎しみなど何も生まないなどと、彼は自分の口から出すのは間違いだと、憚る。
「お前ら、一応三つの派閥に別れてるんだろ? 他の派閥が黙ってないんじゃないか?」
「うん、そこもカバーしてるよ。だからこそ白洲アズサがいるんでしょ? 彼女はね……この事件のスケープゴートになって貰うんだ」
「……なんだと?」
「つまり、白洲アズサにはこの事件の犯人になって貰う訳! 罪を被る生贄がいるからこそ、みんながぐっすり安心して寝られるの。世の中ってそういうものでしょ?」
あまりにも身勝手なミカの言葉に、ダンテは思わず眉間に皺をよせ、睨みつけた。
アズサの裏切りも、そこで彼女が感じた青春も、全て亡き者にするとミカは言っているのだ。
「てめぇ、アズサを利用する気だったってことか」
ミカは初めて見たシャーレの先生のその顔に思わずたじろぐが、構わず続ける。
「わっ、びっくりした……! 先生そんな顔も出来るんだね。うん、説明が雑過ぎたね。もっと丁寧に説明したい所なんだけど……その余裕は無いみたい」
「当然だミカ、相手は俺だ」
「うん、先生の強さにはびっくりした。それでも……守れる? この人数からその子達を」
ミカの背後にいたアリウスの生徒は散開し、今にも彼らを囲もうと画策中だ。
俺を舐めるな──そう言い放とうとした瞬間、背後にいた一人の生徒が、ダンテの横に並び銃を構えた。
残りの生徒も彼女の行動に焚きつけられたのか、同じように彼の横へと一直線に並び、同じく銃を構える。
その表情には必ずやり切るという強い意志と、目の前にいる理不尽な運命に抗わんとする確固たる姿勢が見えた。
思わず口元を曲げる彼は、先程捨てた鉄の棒を一本足で蹴り、舞い上がった棒は彼の手に吸い込まれるように落ち、手元に収まる。
「黙って聞いていれば、随分と勝ち誇った顔をしていますね。ミカさん」
「ふんっ! どっからでもかかってきなさい! 正義実現委員会としての力を見せてやるんだから!」
「ナギサ様は私の大切な友人です! 絶対に引き渡したりはしません!」
「ミカ……私は最後まで抗う。全ては虚しいものだけど──それが明日を諦める理由にはなり得ないから!」
アズサは自身の言葉で吠えると、懐から三つのスモークグレネードを出し、辺りを白煙に染める。その間にハナコは後方へと位置をずらし、煙の流れを把握すると、ライフルのスコープを覗きターゲットに照準を合わせ、銃弾を撃ち込む。アリウスの生徒達から悲鳴が漏れるも、お構い無しに撃ち続け、コハルの背後やヒフミの背後をカバーしながら立ち回り続けた。
コハルは持ち前の長物を構え腰を低く保ち、ヒフミの正面にいる敵に照準を合わせ続けた。時折彼女の腰にあるマガジンに手を伸ばし、マガジンが落下したタイミングですぐさまヒフミの手に渡し、銃撃の流れを途切れさせない。装弾が必要なタイミングで適当な場所に手榴弾を投げ敵を誘導し、更に段々と後方の瓦礫の影へとヒフミを誘導するその姿は、万年赤点の生徒とは思えない程の冷静さと頭も回転を見せていた。
一人、また一人とアリウスの生徒達が地面に伏す。
流石に焦った彼女達はこのままではいけないと、白煙に轟く影に向かって突撃し、銃を乱発。その銃撃を受けた影が床に倒れるのを確認し、急いでその場に向かって走り抜けるが、そこにあったのは変な顔をした鳥のデコイ。
──その隙を逃す程、ファウストは甘くない。
起爆スイッチを起動し、周囲に爆風をまき散らす。普段ならその場に倒れ段々と収縮するデコイだが、今回だけは特別仕様。折角のグッズをこんな所で壊してしまうのは言語道断……と、いつもの彼女なら思うのだろうが、今はそれ以上に、大切な友人がいわれなき罪を着せられようとしているという状況が、彼女の欲望に塗れた脳内に鋼の杭を打ち込んでいた。
「へぇ、やるじゃねぇかあいつら」
「……どうして」
「ん?」
「どうしてそこまで頑張れるの? この数を相手に。先生を信用しているから? きっと、先生が強い人だから……だから安心して背中を任せられるのかな」
「多分、俺がいなくても同じ選択をしたかもな。ミカ、お前にはないものをあいつらは持っているんだ」
「私には……無いもの」
「お前がナギサを信じていれば、そしてナギサもお前を信じていれば。もっと互いに腹を割って話していれば、あいつらみたいになれたかもな」
「ふぅん、でも、それでも……──私はもう行くところまで行くしかないの!!!」
──跳ねる。
真横に跳躍という、およそキヴォトス人でも類を見ない身体能力でミカは飛び掛かる。それだけではなく、サブマシンガンのトリガーを引き、補足させない為に体ごと回転させながらの突撃。シンプルながら対処が難しく、尚且つ習得困難な演武を意図も簡単に出せるのは、彼女だからだ。その威力は絶大で、分厚い壁すらも撃ち抜くその技は未だ誰も破ったことがない。
──そう、今日までは。
ダンテは瞬時に軌道を見切ると、背を垂直に曲げ避けると同時にマシンガンを掴み、そのまま体を半回転。勢いに任せてサブマシンガンごとミカを振り抜くと、彼女は遠心力に負けそのまま壁の隅まで吹き飛ばされる。
初手で技を見切られたミカは動揺しつつも、足元を壁の方へと姿勢を変え、衝撃を膝を曲げて吸収。身体が重力に身を任せようとする瞬間、今度はロケットのように足元を爆発させ、着地していた壁に大きな穴を開けた。
「まだまだ!!」
彼の手前で着地すると、今度は姿勢を腰まで下げ走り出す。
そのままマシンガンを上空に放り投げ、彼の目線が少しずれた瞬間、ミカはかかとを天に向かって撃ち抜くように振り上げた。が、例え視界に入っていなくても避ける彼である。ミカはそれも見越し、両手を使って地面を思いっきり突き放す。浮遊感に包まれたミカは天に掲げられたサブマシンガンを手に取り、今度はしっかりと彼に狙いを定め、弾倉の全てを撃ち込まんと口元に笑みを浮かべた。
「銃弾の雨、避けられるかな? ──あれ?」
いるはずの先生の姿が、どこにもいない。
思わず視線を辺りに移す。体育館の中に見えるのは、補習授業部の4人と、アリウスの生徒達。想像以上に劣勢で、このままでは全滅も在り得ると考えたミカは、照準を彼ではなく補習授業部に向ける。
「どこに向けてる?」
──嘘だ、ありえない。
だって、先に空中に居たのは自分だ。間違いなく飛んだ瞬間は捉えていた。それがこの一瞬で?
様々な疑問を浮かべる彼女の頭の中。処理が出来ずにアラート音が鳴り響く。
「少し痛いぜ。覚悟しておけ」
両手に持った鉄の棒を振り下ろし、優しくミカの腹部に添える。
星の重力とは無縁の技、それはただ垂直に真っ直ぐに体ごと打ち下ろす、破壊の一閃。
──ふっっ!!
息を吐くと同時に、彼は地面に向かって猛然と急降下した。その動きはまるで雷光が大気を引き裂くかのように速く、空気を断ち切る衝撃波が辺りを震わせる。
ミカは反射的に身を捻ろうとしたが、その圧倒的な速度の前では抗うことなど叶わない。
刹那、彼女の背中に炸裂する重圧。視界がぶれ、脳が揺れる。次の瞬間、彼女の体は凄まじい勢いで地面に叩きつけられた。
──轟音。
まるで大質量の隕石が落下したかのように、地面は陥没し、周囲には深いクレーターが刻まれる。
土煙が噴き上がり、衝撃波が半径十メートルにわたって吹き荒れると、アリウスの生徒たちは思わず息を呑んだ。
誰一人として、今の攻撃を視認できた者はいない。
ただ、一瞬前まで立っていた彼女が今や瓦礫に埋もれ、呻き声すら上げられずにいるという現実がそこにあるだけ。
「……悪魔だ」
誰かが低く呟いた。
その言葉に同調するかのように、アリウスの生徒たちは銃を構えた手を震わせる。
一歩でも動けば、自分たちも同じ運命を辿るのではないか──。そう思った瞬間、引き金を絞る指すら、まるで凍りついたかのように動かなくなっていた。
「あ……ぐっ」
ミカにとって、それは初めての体験である。
どんな生徒でも彼女に埃すら付ける事も叶わず、背筋が伸びた凛々しい姿は見る者にとっては悪魔の光景。時が経ち、誰も彼女に戦いを申し込もうなどと粋のある生徒は消え、残ったのは畏怖のみ。
そんな生活を送っていたからこそ、地面に叩きつけられ、身体中が埃塗れになるのは新鮮な体験であり、ナギサを攫った後の事など脳内から消え失せていた。
「えっへへ……先生は……強いね」
起き上がりなんとか両足で立とうとするが、膝が震え、再び地面に伏す。
──その瞬間、爆発音が鳴り響いた。
爆風は勢いに乗り、アズサが巻いた白煙を一斉に吹き飛ばす。するとそこには、この場には似つかわしくない出で立ちの者がぞろぞろと体育館になだれ込んで来た。
「けほっ、今日も平和と安寧がみなさんと共にありますように……けほっ」
「す、すみません。お邪魔します……」
「シスターフッド、これまでの慣習に反することではありますが……ティーパーティの内紛に……って、もう終わってませんか?」
ーー
ーー
「どこからズレちゃったんだろ」
両腕を縛り上げられ、シスター達に連れられる寸前、彼女は最後の力を振り絞り、ダンテの前で歩みを止めた。
「……ぁぁ、一番大きい変数を見落としてたね。私ね、どうせ本気を出せばなんとかなるって思ってたの。でも、桁違いだった。あなたを連れてきた時点で私の負け。いや、その前からかな。セイアちゃんを襲撃した時から間違えてたのかもね。……今となっては、どうでもいいことだけど」
縄を引っ張り無理やり連れて行こうとしたシスターに片手を上げた彼を見て、「先生は優しいね。話を聞いてくれるんだ」とミカが返した。
「セイアを襲撃したのはお前だったのか」
「うん、でもね、殺すつもりじゃなかったの。言い訳にしか聞こえないけど……」
「セイアは無事みたいだぜ」
「……え?」
彼の口から放たれた言葉に、彼女は思わず瞼を大きく広げる。
「俺も事情は知らねぇが、身を隠してた、だそうだ。救護騎士団の団長が付きっ切りで看病してたみたいだな」
──
その瞬間のミカは、まるで堕天の淵からすくい上げられた天使のようだった。
おぼつかない足取りは力を失い、膝が崩れ落ちる。
差し込む光芒は、闇を祓うかのように優しく彼女を包み込み、どこか救済のように感じられた。
ずっと燻っていた蝋燭の火──わずかな希望にしがみついていた心は、ゆっくりと温かな陽光に照らされる。
そして、長らく抑圧されていた感情が、ついに解き放たれようとしていた。
「……良かったぁ」
──
ーー
ーー
「で、ででででは、第三次学力試験の結果発表を行いたいと思います!!!」
「ヒフミ、緊張しすぎた。もっと肩の力抜こうぜ? 退学しても一緒に遊べばいいさ」
「ちょっと!? どうして退学前提なのよ!!」
「うふふ♡ それも一興ですね。みなさんと一緒でしたら海でも温泉でもホテルでも、どこへでも怖いものなしです」
「どうして全部服が脱ぎやすい場所なんだ。ハナコは暑がりなのか?」
ヒフミはぎゅっと閉じていた瞼を勢いよく開くと、震える指先でスマートフォンの画面をスクロールし、結果発表のサイトへと飛んだ。
数秒の沈黙。
鼓動の高鳴りを抑えきれないまま、彼女はそっと顔を上げる。
次第に瞳の奥に宿る光が輝きを増し──、目の前の光景に心を震わせる。
新しく出来た友達。そしてトリニティの抱える問題と、必死に机に齧り付き、目の前の課題を皆で切磋琢磨しながら汗を流す日々。
時にはゲヘナへと赴き背中を預け、時には小さな部屋で胸中を明かし、ドキドキしながら深夜の街を徘徊し、最後には友達の為に銃を握りしめた。
辛く無かった──と言えば噓になる。でも、それらの全てが美しい思い出になるのならば、辛いと言えば噓になる。
「よかったな」
ニヒルとは程遠い、あまり見慣れない微笑んだ彼の姿に胸が高鳴り、それを聞いた友人たちは、それぞれ歓喜の声を上げた。
「補習授業部、全員合格です!!!」
──次の瞬間、ヒフミは満面の笑みを浮かべ、視界に映る仲間たちへと迷うことなく飛び込んだ。
歓声が弾ける。
抱きしめ合い、じゃれ合い、互いの温もりを確かめ合う彼女たちの瞳は、感動の色を帯びてそっと揺らめいていた。
それは、紛れもなく青春の輝き。
眩しいほどの光景に、彼は思わず口元を緩める。
──らしくもなく、胸の奥がふっと温かくなるのを感じながら。