「来ちゃった☆」
両手のピースサインを側頭部に添え、ウィンクの奥に潜む悪戯な光。唇の端に滲む微かな微笑みと、無邪気に覗かせた舌先が、まるで罪の意識など微塵もないかのように天真爛漫な空気を纏わせる。
その無防備な仕草が、まるでこちらの認識こそが間違いなのではないかと錯覚させるほど、無垢だった。
仮にも学園そのものにクーデター紛いの事をしでかし、剰えアズサを利用し、罪を被せようとした狡猾さを思い出す。今回もその手合いかと疑いの目を向けたが、それでも彼女は自身のスタンスを崩さず、「来ちゃった☆」のポーズを崩そうとせず、ただ彼の反応を待つのみ。
まずは状況の整理と、ダンテはもう一度紅茶を含み、先週の出来事を思い出す。
ー
──あの日、ミカは檻の中に入れられた。
試験の合格発表の数日後、様々な面々が彼女の面談に訪れた。本来なら地下深くに幽閉する所を、ナギサの加護のおかげで、まるで来賓でももてなすかのような部屋へ移送されることになった。
ナギサ曰く、彼女はこの状況でもいつもと同じ振る舞いをしている。尋問を受けて話すべきことはすべて話したが、それでもどこか違和感を感じた。そう歯切れ悪く喋るナギサを見て、思わず会話を止める。
幼馴染の親友がこんな大きな事件を起こしてショックもあるのだろう。落ち着いてから話せと会話を止めると、ナギサの震える指先は次第に静かになり、また会いましょうとその場を後にすることになる。
その後、シスターフッドにいるハナコと顔を交わし、これまでのミカの行動について議論を交わした。
そもそも、彼女は本当にセイアを殺したかったのだろうか。これは否だ。セイアが生きている知らせを受け、ほっと胸を撫で下ろした姿は紛れもなく本物の彼女。あれが演技だとしたら誰も彼女の真実を見極める事など不可能だろう。
シンプルな目的、それはエデン条約を破壊しようとしたこと。
間違いない事実だろう。彼女はゲヘナを大層憎んでいた。一貫してその姿勢は崩さず、今回の事件の起因とも呼べる目的だ。だからこそホストであるナギサを攫おうとした。ここまでは辻褄があっている。
自身がホストに成り上がり、権力を得て白紙に戻す。単純だが一番の近道だ。
では、アリウスとの和解はどうだろうか。これも正解だ。トリニティの公的な武力になるというのは些か疑問だが、アズサを無理やり編入させるという行動を起こし、アリウスとの関係も継続していたことから、これも間違いではない。尋問官曰く、エデン条約が締結したらその分アリウスとの和解が難しくなると話していたそうだった。
──ここで、疑問が浮かびます。
アリウスとの和解の為にエデン条約の締結を阻止したいのか、それとも心底ゲヘナが嫌いだからエデン条約を阻止したいのか。真意が見えない。
動機を深く掘り下げていくと、そもそも何故エデン条約の阻止がアリウスとの決裂に繋がるのか。セイアの死の情報はきっと彼女の行動を加速させたのだろう。元々殺すつもりはなかった彼女は、突き進むしかなかった。だからこそあの場面で己の利を捨ててナギサを攫おうとした。セイアの時の様に殺させない為に。
ハナコは続ける。
幼馴染を幽閉し、親友のセイアまで裏切ろうとする程の憎悪を、ミカはどこで手に入れたのだろう。
直接的ないざこざがあったのかもしれないが、そんな話は聞かない。
そもそも、ゲヘナが嫌いなのだろうか。これ程までの事件を起こす程の憎悪をどこで手に入れたのか。学園の歴史から見れば過去からの積もりに積もった因果かもしれないが、にしては感情が大きすぎる。
それこそどこかの拍子に作られたのだとしたら。
──誰か、裏で糸を引いてる者がいるのか。
それがアリウススクワッドのサオリかもしれないし、別の人物かもしれない。
今の所推理出来るのはそれだけだ。これでこの事件はおしまい。彼女は幽閉され、トリニティの表舞台から消え去るだろう。
ハナコ自身も、違和感が拭えない様子だった。
あまりにも突拍子もない彼女の行動。上っ面の彼女の行動や心情は推理出来ても、本心が掴めない。
ともかく時間を掛けないと解決しないと、議論は一旦お開きとなった。
ー
来ちゃった☆ の姿勢を見続けて3口目の紅茶を口に含むタイミングで、とうとう彼女は根を上げそうに、じりじりと眉は下がり次第に表情に暗雲が立ち込める。それでもダンテはお構いなしに焼き上がりで香ばしいクッキーをぼりぼりと咀嚼し淡々と朝のティータイムを済ませようとした。
背筋を伸ばし、丁度丸テーブルに放置していたスマートフォンの画面を覗くと、いくつかのメッセージがウィジェットに浮かぶ。
ー先生、合格……おめでとう、ございます。合格祝いとかしませんか?
ー勿論だ。今回はお前たちにかなり助けられた。祝いと言うよりお礼をさせてくれ。
ーふむ、今宵の宴を彩るは、銀の軌跡を纏う銃士の叙事詩。闇夜に煌めくは燐光の弾丸、踊るは深紅の幻影。そのアーカイブ──実に興趣深い。
ーナツ、もっと普通の文は書けない訳!?
ーチョコミン島というお店があるのですが、そこでもいいですか?
ーアイリ私達の意見も聞きなさいよ!? チョコレートとミントが織りなす幻想の島へと足を踏み入れるは、四人の乙女と孤高の銃士。爽涼なる翡翠の大地に散らされる琥珀の欠片、その調和が奏でるは甘美なる饗宴か、あるいは倦怠の余韻か──。ってやかましいわよ!?
ーノリノリじゃねぇか。
ーおお、ヨシミも我がスイーツ文芸に絆されたか。うむ、苦しゅうない。
ーお店予約しててもいいですか!?
ー怖いのは倦怠の余韻だよね。アイリ、他のスイーツもあるお店にしようよ。
ーえぇ~。……ぇえ~。
ーア、アイリが抵抗を……?
ーカズサ、ここでキャスパリーグの力を見せつけてやるのよ!
ーヨシミ、帰ってからお仕置きしてあげる。
ー赤の銃士よ、今宵の月光は差し込むか?
ーいや、明日まで予定がありそうだ。世話しないといけない生徒がいるからな。
ーあ……そうですか。お好きなタイミングでお呼びしてくださいね。
ーそう落ち込まないでカズサちゃん。今からチョコミン党のイベント行くけど、一緒にいく?
ー……行く。
メッセージを閉じ、顔を上げると、そこにはじんわりと涙目のミカが彼の真横で見つめていた。
「ちょっと酷いじゃんね!? せめて椅子に座らしてくれてもいいと思うんだけど!?」
「……そうだな。まぁ寝起きだということで勘弁してくれ」
立ち上がり、ミカの肩に両手を添え、沈みこませる様に椅子に座らせる。
開口一番淹れたてのお茶を口に含むと「濃すぎたかも!」と舌先を覗かせクッキーを摘まもうとするが、残り一枚な事に気付き、眉をしかめるミカ。
おかしい、確かに6枚焼いたはずだ。通常考えても一人3枚の計算なのだが、現実の光景は残酷と言わざるを得ない。確実に──犯人はこの中にいる。
目の前の大人は「俺は5枚しか食ってないぜ」と自らの供述を吐露し、場の空気を凍り付かせた。トリニティでのティータイム、それは決してお気軽なランチでもなく、友人との仲を深めるものなどではない。あくまでも淑女の嗜みとして、己の静謐さを美徳として表現する場でもあるのだ。例え内側にある陰湿さを持ったとしても、表面上は取り繕う。
「先生食べ過ぎじゃんね!?」
「お前が突っ立ってるからだろ」
「でも……でもでも!!」
「美味かった。久しぶりにこんな美味いクッキーを食ったかもしれねぇな」
「へ!? えへへ……そ、そう言われると作った甲斐があるかも」
「さて……朝の準備を始めるか。シャワー浴びてくる。大人しくしとけよ?」
「うんっ!」
暗雲立ち込める犯人捜しはあっさりとした展開で終わり、最終的には彼女は上機嫌。
着替えを持ちシャワー室に入ると、どこからともなく聖歌のような鼻歌が聞こえだした。その透き通る声色はどこか心を落ち着かせ、朝の喧騒は嘘のように静まる。
ーー
ーー
「で、何してんだお前?」
いつもの服装に着替え再び丸テーブルの椅子に腰かけたダンテは、紅茶の残りをティーカップに流し込み、再び唇を滲ませる。
「暇だから抜け出してきちゃった!」
「抜け出すって、どうやってだよ」
「壁に穴を開けたよ☆」
「あぁ……まぁ出来てもおかしくはねーか」
あの時を夜を思い出す。
繰り出された拳は質量を完全に無視した威力を出し、確かな力で彼の体を後ずさりさせた。あれだけの腕力があれば壁の一枚や二枚、障害にすらならないだろう。
「ねぇ先生、私の事怒らないの? 先生の大事な生徒に罪を被せようとして、こうして勝手に牢屋から抜け出してきた私にさ」
「怒られたいのか?」
「んー、嫌かも」
「じゃぁ怒るか」
「嫌って言ったのに!?」
「そういえば、悪い事をしたら頬を叩くって約束してたよな。思い出してきたぜ」
「やっ! 変な事思い出さなくていーの!」
「それはそれとして、どうして脱走してここに来たんだ? もし抜け出したかったのなら俺が一番障害になると思うが」
「だって、先生全然面会に来てくれないし。尋問官にナギちゃんにハナコちゃんしか来ないから……」
「あぁ、そういや、一度も行ってねぇな。まぁ俺も忙しかったんだよ」
「へぇ、先生辞めるって言ってたのに仕事はきちんとするんだ。流石大人だね! ちなみにどんなお仕事をしてたの?」
「ん? ピザ食って寝て、ストロベリーサンデー食って寝て、たまに補習授業部の奴らと学内見学してたな。その後はピザ食って寝る」
「何もしてなくない!?」
「きちんと食って寝ないといざという時動けないだろ? 待機だよ待機。立派な仕事さ。だが、開幕一発目に大きな仕事が舞い込んで来たから、今日は大忙しかもな」
ダンテは立ち上がり、クローゼットの中を確認した後、再びミカに視線を合わせる。
「よし、ミカ、脱げ」
数秒の沈黙の後、ミカの顔はみるみるうちに赤く染まり、両手で胸元を隠し、身を片方へと捩じらせた。
年頃の少女にはあまりにも突然で手慣れていない言葉。わなわなと口元を震わせ何か言いたそうだが、こういった経験が無い彼女は自身の感情の言語化に悩む。
ただ、目の前の大人の言葉はあまりにもケダモノで、力が強いのをいいことに自身の体を蹂躙する気ではないかと、脳内に映像が過った。それに彼女自身は囚人だ。それもこのトリニティを脅かす程の大罪を犯している。抵抗出来なかったとして、味方をしてくれる人など一人もいないだろう。所謂格好の的というやつだ。
「悪ぃ、言い間違いだ。このジャージに着替えろミカ」
「酷い言い間違いだよ先生!? 最低、最低だよ!!」
ーー
ーー
お団子にまとめた髪の上に被さる野球帽、そして彼女の神聖なる制服とは真逆な芋っぽいジャージ。それでも隠し切れない清らかで美しい気品のあるオーラをかき消さんと、サングラスとマスクを顔に被せる。
「うぅ、顔が暑い」
「こんな感じでいいな」
「えっと、何する気?」
「んなもん、外に出るに決まってるだろ。俺もお前たちのせいでお気に入りのジャケットが灰になったからな」
「うーんと? 先生、私お金持ってないよ」
「丁度、シャーレの給料が出たばかりなんだ。ぱーっと使いたい所だぜ」
「おぉ……! 大人のお金の使い方少し興味あるかも!」
食費はシャーレの経費として落としまくっていた彼の懐には、ノーダメージのカードが一枚。この大事件の後、冷酷な算術使いに怒られまくるのは、また別の話である。
「まずは、服を買いに行くか。後は、俺はトリニティにそこまで詳しくねーからな。面白そうな所あったら教えてくれ」
「じゃあ私は案内係だね! 頑張っちゃう!」
時刻は午前8時。
平日の朝は学生が通学路で溢れるが、既にその時間は過ぎ、今は学内でせっせと青春の日々を過ごしている。
だからこそ都合が良かった。街中は今、一般の機械人や獣人、それかさぼっている学生か、警備に励んでいるヴァルキューレか、正義実現委員会しかいない。
例え自身の身がばれようと、このキヴォトスでは彼の評価は「危険人物」だ。話しかけてくる人もいなければ、関わろうとする人もいない。
「ミカ、どのルートを辿れば誰にも見つからず学内を抜け出せる?」
「壁壊すのが一番じゃんね!」
「俺が怒られるだろ」
「先生を怒る人っているの?」
「……コハルとかだな」
「成程、断罪の処刑人だね。最初先生を牢屋に入れたのもコハルちゃんだっけ? 確かに怒らせると怖そうだね!」
静かにドアノブに手を掛け、ゆっくりとドアを開け、顔だけ覗かせる。
「私に任せて! こっちだよこっち!」
ナツ構文難すぎわろた。
でもがんばってみた。