──IN 補習授業部
ーダンテ先生、ミカさんが脱走しました! 今トリニティでは大騒ぎになっています! 先生お外に出掛けてるのでしたら今すぐ戻れないでしょうか!?
ーあはは……どうも壁に穴を開けて抜け出したみたいです。
ーんもぉっ! さっきから正義実現委員会は厳戒態勢よ!
ーダンテ、もしかして私を狙いにくるかもしれない。私が囮になるから、その隙に捕まえるのはどうだろう。
ー駄目ですよアズサちゃん! まだ一緒に見たいペロロ様グッズが沢山あるんですから……。
ーいくらミカさんでも、そこまで単純な思考ではありませんよ。私の見立てではアリウスの所に逃げ込んでいるかもしれません。
ーちょっと、それって下手したらアリウスが攻めてくる可能性もあるってことよね!? あわわ、ハスミ先輩に伝えなきゃ。
ーそれなら尚更私の出番だ。私なら……戻れる。道は分からないけど、きっと手招きしてくれるはずだ。
ーアズサちゃん、そんなの嫌ですよ。行くなら私も一緒に行きます! 怖いですが……。
ー何よそれ!? 私だって一緒に行くもん!
ー皆さん、それは大変危険な行為です。まずはミカさんの足取りから追い、確実に証拠から集めないと。
ーミカなら俺の隣にいる。
ーはい!?
ーなに!?
ー本当ですか!?
ー死刑!?
ー大丈夫だ。夜には戻る。
モモトークメッセージを閉じ、更衣室の前にいる事数分。
彼の「もういいか」という声に、上ずった声を重ねるミカ。
「こ、こんな服着た事ないじゃんね……けど、新しい扉が開きそう。うう~恥ずかしい。でも先生の好みなら……!」
勇気を振り絞った声で彼女はカーテンを開く。そこには僅かに瞼を開き、あっけからんとする顔の先生が一人。てっきり笑われるかと思った彼女は頬を染めながらも「似合ってる……?」と前髪で瞳を隠しながら訪ねる。
「ばっちりだぜミカ。俺の予測通りだ。普段から気取った格好をしているからな。恥ずかしさも相まって満点をくれてやる」
「気取ってなんかいないもん! でも……初めてかも。うん、よく見たら似合ってるかも! えへへ」
「もう慣れたのか? マイナス5点だな」
「どういうことなの!?」
キャップのつばを指先でそっと押さえながら、彼女は俯きがちに視線を彷徨わせる。普段の制服姿とはまるで違う、ストリート感あふれるスタイル。
オーバーサイズのTシャツは肩のラインを曖昧にし、少しダボついた裾が腰元で揺れる。袖口から覗く華奢な手首と、身を縮めるような仕草が、服のゆるさと対照的に彼女の控えめな反応を際立たせていた。
ボトムスはワイドシルエットのカーゴパンツ。大きめのポケットが特徴的なそれは、ストリートの空気を纏っているものの、本人の立ち振る舞いと相まって、どこかぎこちないアンバランスさを生み出している。
足元はスニーカー、白いソールが軽快に跳ねるようなデザインだが、彼女の動きはどこか落ち着かない。
「……似合ってる?」
照れくさそうに頬を染め、キャップのつばをさらに深く引き下げる彼女。その仕草が、いつもの彼女らしさを損なわずに、この新しいスタイルとの絶妙なギャップを演出していた。
「後はサングラスだな。ミカは肌が白いから、こういったのが似合いそうだぜ」
彼が手にしたのは、ゴールドのフレームが上品に輝くラグジュアリーなサングラス。
大ぶりのレンズは、淡いグラデーションのパープルとピンクに染まり、光の加減で優雅に色を変える。洗練されたデザインのメタルブリッジが両レンズを繋ぎ、フレームのエッジにはさりげないアクセントが施されていた。頬まで軽く被さるレンズの大きさに、ミカは思わず瞬きが止まらない。
透けるようなカラーレンズ越しに映る世界は、ほんのり甘美なニュアンスを帯び、まるで夢の中の光景を現実のフィルターに差し替えた景色。
全体の雰囲気は、モダンでありながらフェミニン。まるで都会の午後を優雅に歩く大人の女性のように、彼女のスタイルを一層引き立てていた。
「ついでにこのアクセサリで完成だな」
小さな十字架が彩るは、燦々と降り注ぐ日光を反射した桃色の煌き。
細長いチェーンの先に繋がれた十字架の大きさは彼女の首の細さを際立たせ、カジュアルストリートとは正反対の静謐さを醸し出す。芯の強さを持った反逆者は声で世界に思いを伝える分、己の守る心の世界を自身に言い聞かせる形像。
「YO! YO! って言ってそうだね。先生はこんな子が好み?」
「いや、特に」
「じゃあなんで着せたの!?」
「ミカと正反対のスタイルはこれだって思ったんだよ。ほら、値札全部もう切ったんだから会計済ますぞ。店から出てろって」
「もぉ~仕方ないなぁ」
──IN 補習授業部
ーうふふ♡ 先生、流石にこれはまずいかもしれませんよ? でも、二人での逃避行だなんて……!
ーちょっと先生!? ハスミ先輩激切れしてるんだけど!? でもツルギ先輩は大人しい……それに頬染めてる。どうして?
ーダンテが一緒なら何も問題ないな。ふぅ……二度寝しよう。
ー駄目ですよアズサちゃん! 後一時間したら一緒にペロロミュージアムに行く約束じゃないですか!?
ーでも先生、恐らくトリニティ学園の近くにはそういったホテルはありませんので、出来るだけ領外近くの場所が良いかもしれません。
ーホテル?
ーええ、私の調べにはなりますけど、どうせならお嬢様系にデザインされた部屋が良いと思います。あと彼女は力が強いですから、シーツも破る可能性が高い。なので、するなら立ったままがいいかと。
ーちょっと先生死刑よそれは!? 生徒に手を出すなんて信じられない!
ー……まぁ、ダンテは強いからな。きっと彼女を制御出来るのはダンテくらいかも。でも、優しくしないとダメだ。
ーダンテ先生ダメです!? 流石に手が早すぎます!! ダメな物は駄目なんです!!!
ーおい、集団リンチはやめろ。別にそんなんじゃないさ。ま、牢屋生活が窮屈だったんだろ。しでかした内容から見れば今すぐ牢屋に放り込むのが正解だろうが、話くらいは聞いてやってもいいだろ?
ーふーむ、違いましたか。
ーハナコも変に誘導するのはやめろ。お前の言葉は突発的なのに妙に人を説得する力がありやがる。
ー私とも遊んでくれるなら辞めます!
「とか言って、ガード硬い癖によ」。とぽつりとつぶやき、一旦モモトークを閉じ、会計を済ませる。
これは極悪な脱走犯を取り押さえる為の──いわば仕事だ。仕事で使うお金は経費という二文字に変換される。つまり、これもシャーレの経費にしても問題はない。
ありありです! と小さくタブレットから声が漏れ出ていたが、そんな都合の悪い事は聞こえないダンテ。颯爽と領収書を切り、外で待っているミカの元へと急ぐ。
「待たせたなミカ……ミカ?」
てっきりはしゃいでいるものかと思われた彼女の背中は、予想していたよりも大人しく、ただ呆けながら待行く人々を眺めていた。
何か考え事をしていたのか、それとも久しぶりの日光に充てられているのか。ストリート系の服装から漏れる気品と佇まいは、頭が空っぽになっている彼女でも隠し切れず、人々は目線で視認しながらも、目を合わせずに歩く速度を変えない。
「ミカ、それじゃダメだ」
「へ?」
彼女の肩に手を置き、そのまま額のおでこまで指を滑らせる。
「まず、眉を下げろ。……そうだ、睨むようにな。で、今度は顎を引っ込めるんだ」
「む、難しい……!」
「両手はポケットに突っ込め。その後背筋を曲げろ」
「こ、こう?」
「いい感じだ。口は尖らせて、視線は世の中を斜に見てるイメージだな」
「なんか不良みたいだね!」
サングラスの奥から見える殺気の籠った瞳に、人々はついに視線を合わせなくなる。ただ立ち振る舞いを変えただけだというのに、こうも人目を避ける術があるとは思わなかった彼女は、折角作ったばかりの振る舞いが消し飛ぶような笑顔を彼に向かって見せた。その無垢な顔に思わず頬を掻き、居心地悪そうに肩を竦むと、とりあえずはと、飲み物を買って近くのベンチに座り込む。
「すごいすごい! 恰好を変えただけで誰も私を私と認識しないよ!? どんなマジック!?」
「普段がオーラがありすぎなんだよ」
「なるほどね! 確かに今の私は普段の私のイメージと正反対! わぁ……これでどこでも行けるなぁ」
「どこか行きたい所あるか? 俺は土地勘が無いからな」
「ふふふ、あるんだよね行きたい所!」
ーー
ーー
騒音、騒音。ひたすらに騒音。
ネオンライトが天井から無数に降り注ぎ、床に反射した光がカラフルなモザイク模様を描く。ゲーム機から放たれる電子音が、歓声と混じり合いながら絶え間なく響き渡る。
リズムゲームの筐体の前では、足を素早く動かしながら画面を凝視するプレイヤーたちが、まるでダンスを踊るようにステップを刻み、奥では格闘ゲームの対戦台を囲む人々が、勝敗の瞬間ごとに歓声を上げ、あるいは天を仰いで悔しがる。
クレーンゲームのガラスケースには、ふわふわの狂い咲きした鳥のぬいぐるみや、きらびやかな景品が並び、腕を組んで真剣に景品の位置を見極める挑戦者の姿がある。
硬貨が落ちる音、スティックを叩く音、ボタンを連打する音が入り混じるこの空間は、ただの遊び場ではなく、誰もが一瞬のドラマを体験できる場所だ。
少し隅に目を向ければ、レトロなアーケード機が静かに佇み、年季の入ったスピーカーから、かすれた8bitのBGMを流している。
新しいゲームと古いゲームが共存するこの世界は、子どもから大人まで、誰もが心を躍らせる時間を過ごすことのできる、まさにもう一つの。
──戦場!!
「うーん! この人めちゃくちゃ強くて歯が立たないよ! もう2000円も使ってるのに一回もダメージ減らせないし……ズルだズル!」
「まぁ、中には猛者もいるだろ」
「そうかぁ……って、この人ずっとランキング一位にいる人じゃんね!? そりゃ素人の私なんかじゃコテンパンにやられてもしかたないじゃんね!」
──K.O
WINNER UZQueen!!
最後に至っては地上にすら落として貰えず、ずっと空中コンボの中ゴリゴリにHPを削られ、惨敗。
席から立ち、天に向かって思い切り背伸びをすると、彼女はどこかやり切ったすっきりした顔だ。
結果は散々だが、初めての経験に心震える。どの景色も斬新で、その中に写る鏡の中も未だ視線が重なる他人に見える時があるのだ。思わず胸が高鳴り、鏡に近づいて新しい姿の自分を凝視。
そんな中、騒音をかき消すような震えた声が館内のスピーカーから鳴り響いた。
お腹まで響くその音量に、好奇心を隠し切れないミカ。
──さぁ始まります! 今日のメインイベント!! 最上?天上?気分上々!! ゴリラ決定戦!!! 自身のある強者はスペースまでお越しください!!!!
「なになに!?」
「行ってみるか」
ゲーセンの片隅、無骨なフォルムのパンチングマシーンが堂々と鎮座していた。
赤と黒の配色が妙に威圧的で、中央のディスプレイには「1000kgを超えろ!」と煽るようなメッセージが点滅している。
その真下には、殴られるのを待ち構えるように黒いボール状のサンドバッグが垂れ下がっていた。
ギャラリーも多く、今月のゴリラは誰かと、周囲の人々は今か今かと新たな猛者の誕生の瞬間をそわそわと待っている。
──記録を抜けるか!? 挑戦者求む!!
「やるか?」
「えぇ~でもでもぉ、私乙女だし~」
壁ぶち抜いた奴がなに言ってんだとツッコミそうになったが、口は災いの元。
──皆様もご存知の通り、ゲーセン界隈で名を馳せるパンチングマシーンの猛者「AKEMI」。
今日こそ、今日こそ現れましょう! さぁさぁ!!!
マイクアナウンサーの人が周りを焚きつけ、盛り上がりの歓声は天井をも突き破ろうとしている。
そんな中、数人のさぼりの生徒がパンチングマシーンに挑むも、500、600とどこかぱっとしない記録だ。
「まぁやってみろよ。新しい扉が開くぜ?」
「う~ん、先生がそこまで言うなら……私がやる!」
片手を天まで突き上げたミカの宣言に、周囲のギャラリーからどよめきが生まれた。
華奢な体つきの少女がこの無骨なパンチングマシーンに挑むというのだから、それも当然だ。
ーおいおい、本気かよ?
ー拳痛めて半べそになっても知らねぇぞ?
ー姉さんの記録に挑むなんざ百年早ぇんだよ。
マスクをした不良たちが次々とミカにガンを飛ばす中、彼女は一切動じることなく、すっと背筋を伸ばした。
まるでどこかの王宮の舞踏会にでも赴くかのような優雅さと、戦場へと向かう騎士のような凛々しさを纏いながら、パンチングマシーンへと歩を進める。
機械の真ん前に立つと、ゆっくりと腕を捲り、手慣れた仕草でグローブを手にはめる。
小さな指先がしっかりと拳を握り込み、薄い布の中に収まった。
一瞬、静寂が訪れる。
ゲームセンターの喧騒すら遠のいたかのような錯覚。
ミカは深く息を吸い込み、視線を真っすぐにサンドバッグへと据えた。
この瞬間、彼女の周囲には誰もいない。敵も、味方も、観客さえも存在せず、ただこの一撃にすべてを懸けるのみ。
──さぁ! ゴリラチャレンジ開始です!! では思う存分殴ってください!! ぷくく。
左手は前方に突き出し、腰を捻る。そして突き出す右肩を限界まで引いた後、もう一度拳を握りしめ、標的を捉えた。
不敵な笑みを浮かべ、彼女は静かに拳を突き出す——。
屋内だというのに、突風が舞い散る。
拳が捉えたパンチングボールは弾け、およそパンチとは言い難く、銃弾の弾ける音が館内に響いた。
まさか、そんな。周りからどよめきが聞こえる。それもそのはず、拳とパンチングボールが重なった瞬間、火花が散るとは誰も思わなかったのだ。
──さ、さ、さ、……3000? へ?
スピーカーから漏れる声に、さらなるどよめきが巻き起こった。
ゲーセンの歴史を変えた張本人は、キャップのツバを下げ、どこぞの大人の真似をするように口元をニヒルに曲げながら、彼とハイタッチ。
さっきまでガンをつけてた不良たちは蜘蛛の子散らすようにその場から逃げ出し、残るのは歓喜の声を今にも爆発させようとしている群衆。
「でも、先生ならもっといくんじゃない? 私、ゴリラなんて向いてないし」
「へっ、そうだな。任せておけ」
左手を前方へ突き出し、腰を大きく捻る。
右肩を限界まで引き、もう一度拳を強く握りしめると、視線はただ一つの標的を捉えていた。
──静寂。
その一瞬、彼の周囲から雑音が消え、ただ拳とパンチングボールだけがこの世界に存在しているかのようだった。
呼吸を整え、僅かに口角を上げる。
不敵な笑みを浮かべながら、彼は静かに拳を突き出した。
「おらっ!」
バチンッ!!
鋭くも軽やかな音が館内に響く。
しかし、次に訪れたのは歓声でも驚愕でもなく──静寂だった。
観衆の期待は、まるで風船が針で突かれたかのように萎んでいく。何が起きたのか理解できないまま、ただ呆然と目の前の光景を見つめる。
あまりにも普通。
あまりにも日常的。
あの少女の不敵な笑みは何だったのか?
開いた口を閉じることすら忘れた彼女の表情に、観客は思わず首をひねる。
──ええっと、500ですね。はい、お疲れ様でした。
淡々とした音声が、あまりにも冷酷に響く。
その数字が示すのは……凡庸。決して低くはないが、期待していた「怪物の記録」には程遠い。
「あー、やっぱお前には敵わねぇか」
「ちょっとちょっと、マジ!? 絶対手を抜いたでしょ!?」
「さてね、なんのことやら」
「うそうそ!! 絶対嘘だもん!!」
そんな軽口が交わされる中、先ほどまで静まり返っていた観客たちが、次第にどよめき始める。
そして、やがて……。
──今ここに、新たなゴリラが誕生しました!!! 皆様、盛大な拍手を、声を!!!!
突如響き渡るマイクのアナウンス。
観客たちの沈黙は一瞬にして破られ、歓声が館内を震えさせた。手を叩く者、野次を飛ばす者、そして肩を震わせて新たな猛者称える者。
その場は、瞬く間に騒然となった。
……新たなゴリラの称号。それは彼にではなく、ミカに贈られる。
「よかったじゃねぇか」
目の前の少女が、盛大に頬をふくらませ、心の底からの抗議を込めた拳を振り上げ、両手でぽかぽかと彼の肩を叩くのであった。