ダンテ先生概念   作:3ご

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脱獄者の一日③

「なぁミカ、そうへそを曲げるなって。いいじゃなねーか、新記録だろ?」

 

 トリニティ領内の端で。

 

 テーブルに置かれたナプキンを無言でいじる彼女の姿が、どこか子供っぽい不機嫌さを滲ませていた。わざとらしくぷいっと顔をそらし、頬を膨らませたその表情には、「私はゴリラじゃないもん」というサインがこれでもかと刻まれている。可愛いのは内緒だ。

 

 店内には、どこか懐かしいクラシックな雰囲気が漂っていた。天井のファンがゆったりと回り、壁にはトリニティの田舎町を思わせる風景画がかかっている。淡いクリーム色の壁には、赤と緑のストライプがアクセントとして走り、カウンターの奥には大きな薪窯が堂々と鎮座していた。その口から時折、ピザを焼く香ばしい香りとわずかな煙が立ち昇る。薪がはぜる音が、微かに店内のざわめきに混じり、心地よいリズムを奏でていた。

 

 床は白と黒の市松模様のタイル。木製の椅子には、どこか年季の入った傷が刻まれているが、それがまたこの店の歴史を物語るようだった。テーブルの上にはチェック柄のクロスが敷かれ、中央には葡萄ボトルを改造したキャンドルホルダーが置かれている。そこに灯る炎が、ほのかに赤みを帯びた光を落とし、彼女の頬をかすかに照らしていた。

 

 彼女は無言のまま、ストローをくわえ、アイスレモネードの中のレモンスライスをぐるぐると回す。かと思えば、今度はスプーンでチーズがとろけたピザの端をちょんちょんとつつくだけで、一向に口にしようとはしない。その様子は、まるで拗ねた猫がエサの皿を見つめるかのようだった。

 

「食べないのか?」

 

 対面に座るダンテが、カット済みのピザをひと切れ持ち上げながら尋ねると、彼女はぴくりと肩を揺らし、しかしまだ視線を合わせようとはしない。

 

「……食べる」

 ぶっきらぼうな返事をしながらも、彼女は相変わらずピザをつつくだけ。とろりと溶けたモッツァレラチーズが、フォークの先でゆっくりと伸びる。その様子をしばらくぼんやり眺めたあと、ようやく小さく息をついて、ピザをそっと口元へ運んだ。

 一口かじる。

 パリッとした生地の感触が歯に心地よく、芳醇なとバジルの香りがふわりと鼻を抜ける。そこに絡み合うのは、じゅわっと舌の上で広がるトマトの酸味と、こんがりと焼けたチーズの濃厚な味わい。

 彼女の頬が、わずかに緩んだ気がした。

 

「……美味しい」

 

 彼女の手はすでに次の一切れに伸びている。ピザの耳の部分をつまみ、端を軽く揺らしてみると、とろけたチーズが糸を引く。その光景に、彼女の頬はふっと緩むが、すぐに気を取り直し、再びツーンと澄ました顔でレモネードに口をつけた。

 薪窯の前では、シェフが次のピザ生地を宙に放り投げ、軽やかな手つきでくるくると回しながら成形している。カウンター越しに見えるその光景を眺めながら、ダンテは再びピザをひと口。

 

「もしかしてバナナの方が良かったか?」

「絶対揶揄ってるよね!?」

 

 じっと見つめられると、彼女はふいっと横を向き、頬を膨らませる。しかし、その表情はさっきよりずいぶんと和らいでいた。

 ピザの香り、薪がはぜる音、チェック柄のテーブルクロス、アンティーク調の照明が落とす柔らかな光——そんなクラシックなピザ屋の空気に包まれながら、彼女の拗ねた表情は、徐々に溶けていくのだった。

 

 と、そんな素振りを見せるミカだが、実は緊張しているだけで別に機嫌が悪い訳ではない。

 普段、立場もあるからか、こういった店には足を運んだ事が無い彼女。常にトリニティの政治の中心にいたミカは友達という友達も殆どおらず、実は休日に誰かと気さくに飲食店に入るという経験は殆ど無いのだ。

 

「へぇ、ピザ屋で緊張する奴は初めて見た」

 

 胸中、とっくにバレバレである。

 ツンとした表情の中の瞳は、壁や椅子、そして窯を何度も往復し、ソワソワした雰囲気はどこか落ち着かない。

 だが、仕方のないことだった。

 常に誰かの視線を意識し、立ち居振る舞いに気を配らなければならない日常。そんな世界で生きてきた彼女が、心から落ち着けるのは、ティーパーティーでのおしゃべりだけ。

 口元にトマトソースの赤い跡が残ることも、指先にパン生地の細かな欠片がつくことも、彼女にとっては無意識のうちに気に留めてしまう問題だった。気を抜けば、すぐにだらしないと陰口を叩かれる。慎み深さと端正な所作を求められ続けたミカにとって、こうした無骨な食べ方を許容されるピザという食べ物は、ただ緊張を生み出す存在に過ぎなかったのだ。

 手づかみで食べるなど、幼少の頃に戒められて以来、ずっと避けてきた。フォークとナイフがないと落ち着かない。無意識に背筋を伸ばし、ナプキンを丁寧に畳み、指先を綺麗に拭う——そうしないと、どこか自分ではない気がしてしまうのだ。

 だからこそ、彼女はツーンと顔を背け、すました表情を崩さなかった。

 目の前のピザが熱々のチーズをとろりと滴らせ、香ばしいバジルの香りをふわりと漂わせても、心のどこかで「気軽にかぶりつく」ことへの抵抗が拭えなかった。

 

「うぅ、美味しいけどね。少し気を遣っちゃうかな」

「お前も大変だな。俺は主食がこれだから気にも留めねぇが」

「ピザが主食ってのもどうかと思うけど……!」

 

ーー

ーー

 

 ピザ屋の扉を開けると、昼下がりの陽光がふわりと降り注いだ。

 焼き立てのピザの香ばしさがまだ鼻腔に残る中、ミカは大きく伸びをしながら空を見上げる。

 先ほどまでのツーンとした表情はどこへやら、まるで太陽のように輝く笑顔が戻っていた。

 

「ねぇねぇ先生、次はあそこ行ってみたいかも!」

 

 はしゃぐように手を振りながら、彼女の指先が示したのは、ビルの隙間から仄かに覗く巨大な観覧車。光を受けてキラキラと輝くゴンドラがゆっくりと回転し、遠くの歓声が微かに風に乗って届いてくる。

 

「遊園地か……」

 

 ダンテは腕を組みながら観覧車を眺め、僅かに眉をひそめた。自分の人生の中で遊園地というものに行く機会など、限りなく0に近い。

 そもそも、こんな真昼間から遊園地などという場所に足を踏み入れるのは、人生初かもしれない。

 

「そういえや、全く行ったことねぇなかもな」

 

 半ば呆れたようにそう呟くと、ミカは目を丸くし、次の瞬間には頬を膨らませていた。

 

「えぇっ!? 先生、遊園地行ったことないの!? ウソでしょ!?」

「悪いかよ。ガキの頃からそんな暇はなかったんでな」

「へぇぇ〜……あんなに面白いところに行ったことないなんて……。もしかして、遊園地の楽しさも知らないとか?」

「さぁな」

 

 ダンテは肩をすくめるが、ミカは何かを思いついたように、ニヤリと笑った。

 

「ふふん、じゃあ決まりだね!」

「何がだ」

「私が初めての遊園地を案内してあげる!」

 

 どこか得意げな表情で胸を張るミカ。その瞳はキラキラと輝き、まるで今すぐにでも走り出しそうな勢いだった。

 

「ほらほら、早く行こうよ! あっ、チケットって買うの? それとも先生が手品みたいに出してくれるの?」

「出るわけねぇだろ。まぁ、俺が出してやるから心配すんな」

「やったー!」

 

 ミカは無邪気に跳ねるように歩き出し、その後ろ姿を見ながら、ダンテはゆっくりと後を追う。

 こんな真昼間から遊園地に向かうなど、これまでの人生では考えもしなかったが、不思議と、悪くない気がしていた。

 

ーー

ーー

 

 トリニティの市街地を抜け、石畳の道を進むと、視界に広がるのは壮麗な遊園地の光景だった。

 「トリニティ・ワンダーランド」

 ──この学園都市の格式を受け継ぎながらも、人々に夢と安らぎを提供するために造られた、トリニティらしい由緒ある遊園地である。

 

 入り口にそびえるのは、ゴシック様式の白亜のアーチゲート。扉の中央には、トリニティ学園の象徴である紋章が刻まれ、荘厳な雰囲気を漂わせていた。門の左右には年代物のガス灯が並び、夜になれば暖かな光が辺りを照らすことだろう。

 

 門をくぐると、パークエリアが広がる。

 レンガ造りの建物には、紅茶専門のティールームや老舗の洋菓子店が並び、通りには手押しのアイスクリームワゴンが愛らしい姿で佇んでいる。

 広場では、ストリートパフォーマンスが繰り広げられ、燕尾服姿のマジシャンや、クラシックな衣装を纏ったバイオリン奏者が、訪れた人々を楽しませていた。

 

 空を見上げれば、パークのシンボルとも言える巨大な観覧車が、悠然と回転している。

 エボニーとアイボリーの鉄骨が交差するその外観は、エレガントでありながらも壮大な印象を与え、受付の看板にはトリニティ全域を一望できると書かれていた。

 その周囲には、クラシックなメリーゴーランドや、蒸気機関車が走るミニ鉄道、そして巨大な歯車が動く時計塔が配され、まるで物語の中に迷い込んだかのような錯覚を覚える。

 

「わぁ……! やっぱりわくわくするね!」

 

 ミカは目を輝かせ、観覧車の方へと駆け出しそうになったが、すぐに立ち止まり、興奮を抑えるように振り返った。

 

「ねぇ先生、どこから回る? 先にアトラクション? それともお茶する?」

 

「どこでもいいが、やけにテンション高いな」

「だって先生、こんな遊園地に来たことないんでしょ? せっかくだから、ちゃんと楽しんでもらわなきゃ!」

 

 ミカは満面の笑みを浮かべ、ダンテの腕をぐいっと引っ張る。

 賑やかなアトラクションの音楽、ほのかに甘い香りが漂うティールーム、そして、遠くから聞こえる観覧車のゴンドラが軋む音──。

 今日の遊園地は、彼にとっても特別な場所になりそうだった。

 

 最初は外に連れ出して彼女を引っ張るつもりだったが、いつの間にかミカはダンテを引っ張る形で背中を見せる。

 これまでミカは無邪気で、明るくて、天真爛漫な笑顔を幾たびも見せた。その様子から想像が出来なかった。「何故彼女みたいなのがあの事件を起こしたのだろう」という疑問。

 

 ──違和感が拭えない。

 

 ハナコの「一体彼女は、これほどの憎しみをどこで得たのでしょう」という言葉が頭から離れなかった。

 考え得る結論はやはり、──背後で、糸を引いている者がいる。

 

「せんせ? どうしたのぼーっとして」

「ん? あぁいや、喧騒に慣れてないからな。ミカは来た事あるのか?」

「ふぅん、でも今日は結構空いてるみたいだからね! 私も来るのかなり久しぶりだから新鮮な気持ちだし、楽しみ〜!」

 

 

 

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