ここからの物語は、結構な独自路線で展開していきます。
といっても、基本は本編の筋道です。多分。多分ね?
高い場所に設えられたバルコニーの奥には、テーブルが一つ。雪のように白いクロスが掛けられ、そこに並べられたティーセットやスイーツの数々が、やわらかな照明の下で静かな輝きを放っていた。
視線をさらに奥へ走らせれば、夜に沈みゆく学園都市の塔が幾つもそびえ、尖塔や大時計が幻想的な影を落とす。いくつもの窓から漏れる灯りが、星空と相まってささやかな光の海を作り出し、バルコニーを支える円柱は高く、まるで大聖堂の柱のように荘厳で、外気を取り込む開放感と荘麗な建築美が同居している。
遠くからは微かに風が流れ込んでくるのだろう、テーブルに飾られた小さな薔薇や菓子のパティシエ細工が、風に合わせて揺れていた。
夜空は深い群青色に染まりつつも、街の人工光が淡く反射して、まるでどこかの別世界の空気を纏ったかのようだ。冷たい静寂の中に宿るのは、静謐と優美が溶け合った、夜の学園都市ならではの風情。
椅子は数脚だけが置かれていて、まるで限られた人しか立ち入れない特別な時間を過ごすために用意された席のように見える。
そこにあるのは、夜の静寂と、甘い香り。
そんな場所でふと息をつけば、すべてが止まったかのような静謐を感じつつも、都市の鼓動をしんと耳にするような、不思議な錯覚を覚えるだろう。
ティーパーティの席の一つ。空席だったその席に座る影が一つ。
傍らにはアンティークなオルゴールが添えられており、まるで夢の狭間で踊る鳥のように奏でられるその音は、夢の中で夢を見続ける事を選んだ者が儚い希望の余韻を楽しむかのようだった。
「やぁダンテ先生、空いている席に座ってごらん。ここから見える景色は──美しいよ」
彼女の誘いに導かれ、席に座り込む彼。
「初めましてかな。私の名前は百合園セイア。急にこんな形で来訪してすまない」
白を基調とした衣装を纏った少女が、そっと佇んでいる。
腰まで伸びた長い髪は淡い金色に染まり、月夜を映すかのように、やわらかな光をまとっていた。
ひときわ目を引くのは、頭上にある大きな狐耳。緊張しているのか、天まで向かうその狐耳は、一向に姿勢を崩さずに聳えている。
衣装には細やかな金の刺繍が施され、袖口や裾にはふんわりとしたレースの装飾が見られた。
どこか儀式めいた雰囲気もありながら、優美で可憐。胸元には学園の紋章がさりげなくあしらわれているようだが、その存在はあまり強調されず、むしろ彼女の神秘的な雰囲気を一層深めている。
彼女の横顔は穏やかで、瞳は少しだけ伏せ気味。
恥じらいにも似た柔らかな微笑みは、夜空に浮かぶ星のかすかな輝きのように静かで控えめ。その様子から察するに、緊張はしていても警戒はしていない様子であった。
華やかな背景さえもかすませるほど、彼女自身が持つ幻想的な存在感が周囲の空気を染め上げる。まるでこの場所そのものが、彼女を引き立てるために用意された舞台のように思えてならない。
「その……私ではなく、景色なのだが……」
「無理があるだろ。どっからどう見ても異物はお前だけだ」
「異物……か、間違いではない。先生の夢に潜り込むのは困難を極めたからね。この世界において私は邪魔者。折角作ったミカとの思い出を振り返ろうとしていたのだろう?」
「……まぁな」
「すまない、悪気があって来た訳ではないんだ。ただ、私はそこまで自由に動ける身ではないからね。こうでもしないとあなたに出会えなかった。新しくシャーレに赴任した……ダンテ。補習授業部との日々、そしてあのミカ相手に舞台でも滅多に見れない演武。見事だった」
「そりゃどーも。で? 確かティーパーティの三人目だったっけか? 俺になんか用か? このゆりかごで子守唄でも歌ってやろうか?」
ダンテの言葉に返答もせず、セイアは止まりかけのオルゴールのねじを目一杯回し始めた、また振り出しに戻すようにオルゴールが奏でられると、真正面に彼を捉え、真剣な眼差し。
「先生、私はこの世界では異分子だが、あなたはキヴォトスにおいて異分子。本来存在するはずの先生がここにおらず、どうしてかあなたがいる。これは──物語が書き換わっているのだよ」
「へぇ、面白そうな話じゃねぇか。俺もおかしいって思ってぜ。最初に目覚めた時からな」
「ふむ、物語の主人公が、初手からこれから歩む物語に違和感を覚える。メタフィクション小説としてはありかもしれないね。それかタイムリープ、パラノーマルかもしれない。でも……これはノンフィクションだ」
「の割には、メタフィクションみたいな話し方をするじゃねぇか」
「勿論だとも。私には──未来が見える。完璧ではなく、抽象的だがね。それと、夢を通じて外の世界を見渡す事も出来る。どこでこの力を得たのかははっきりしないが、昔から使えてね」
「じゃあ、来週の天気でも占って貰うか」
「良いとも。その日は──晴れ、時々雨と雨粒の様な銃弾。そして硝煙の匂いと黒煙の匂い。ミサイル。大切な生徒の涙と、人を殺す爆弾」
目の前の彼女は穏やかな表情を浮かべながらも、その瞳の奥には、何か確信めいたものが宿っている。まるで、自分が語る未来が疑う余地のない事実であるかのように。
「先生、アリウスは知っているかい? 白洲アズサが在籍していた学校。彼女達は時期にトリニティに攻めてくる。ずっと作戦を練っていたのだろう。多くの生徒は傷つき、多くの生徒は絶望し、多くの生徒は果敢に立ち向かう」
「それが分かってんならこっちも対策すりゃいいじゃねぇか。荒くれ者とも争いは大歓迎だが、無益な争いはごめんだ」
「ああ、恐らく先生にならそれが出来るのだろう。私は未だあなたの正体は掴めてないが……」
「俺の正体なんざどうでもいいだろ? ここはキヴォトスだ。その物語に則っていきゃいいのさ」
「ふむ、確かにそうではあるね。角度を変えれば、私達は圧倒的な味方を手に入れたことになる。だが……問題が出たんだ」
セイアは立ち上がり、バルコニーの花壇まで歩くと、青々と照らす月を眺めた。
「最初は、キヴォトスの滅亡。しかし、それは変質したのだよ。どこからともなく現れたその力は、キヴォトスの神性を吸い込み、巨大になる。そこには永遠の絶望と苦しみが待っていた」
「どっちにしろ終わりだな」
「……いや、まだ滅亡の方が幾分かましだったよ。永遠の絶望と苦しみなんて、あの世に行ったとしても味わいたくないからね」
「よくわかんねーな。結局問題はなんだ?」
「……問題は、何故未来が変質したのか、だよ。その答えはアリウスにある。まだ私が観測していない領域。──いや、阻まれて観測出来ない領域だね。あまりにも歪で、あまりにも歪んで、あまりにも悪意があるその領域。……結局、彼女達も被害者なんだ。でも、その結論に達する為の情報がどうにも得られなくてね」
──だから。
セイアは彼の足元まで歩き、彼の手を取り両手で包み込んだ。
「先生、アリウスを救ってくれ。勿論、最初はトリニティから救う事になるだろう。でも、ただ暴力で解決するのではダメだ。生徒との絆、そして心の底からの救済が……きっとこの世界を正す」
「そうは言っても、俺は先生なんて向いてねーからな」
「うぅ……。今このタイミングでその返答は……病人をいたわるという事を知らないのかい?」
「どっちにしろ、結局今のお前は未来が分からないんだろ? 大まかな概要を把握しているだけで、事の詳細になるとてんでお手上げってやつだ。んなら、結局俺がやる事は変わらねぇ。結局俺がキヴォトスに来た理由も、使命すらも未だ不明のままだ」
「……この物語の最後には、あなたはきっと自身の使命を思い出す。そんな気がする」
「ダメだ、これじゃあ占い師として稼げないぜ? 商売上がったりだな」
「……先生、私に少し厳しくないか? もしかして怪しんでいるのかい?」
「慣れない事して、折角ぐっすり眠ろうとしている中、夢の中でさえ子守をしなきゃなんねーなんて聞いてないからな」
「……すまない。どうしてもタイミングが合わないんだ。何故ならば、先生の精神はとても強固で、すぐに弾かれてしまう。やっとの思いで到達したのだよ」
若干潤んだセイアの瞳を無碍にすることなど出来ず、ダンテは彼女の両脇を抱え、椅子に座り直させる。
その行為が、一抹の不安を払拭させ、彼女の顔に仄かな笑みを生み出すのだった。
「まぁ、結局は先生は自分の思い通りに動けばいい。ただ、アリウスを救う事も忘れないでくれ。要はそれだけさ」
「手は出すかもな」
「……ふむ、キヴォトスで舞い散る噂は本当なのかもしれないな。でも、先生はミカをとても大切にしてくれた。それはどうしてだい?」
「そんな所まで見てんのかよ。……ま、罪人をただ叩けばいいだなんて、時代でもないしな。それに……違和感も感じる」
「成程。その違和感はきっと、私の欲しい答えと直結しているのかもしれないね。まずは──ありがとう。彼女はとても脆い人間なんだ。心の隅に少しでも救いがなければ、隙間風で崩れ去る」
「お前が起きて、話し合いでもしてくれりゃ、それが一番なんだけどな」
「……もう少しだけ、時間が必要なんだ。あぁ……ダメだ、また弾き飛ばされる。でも、伝えたい事は伝えた。私は……」
──先生を、信じてみるよ。
朝日の差し込む光が、先程までの常世の星空を消し、──意識が浮上する。
ぼんやりとした感覚の中で、肌に触れる柔らかな感触を覚えた。ゆっくりと目を開けると、視界には薄明かりに照らされた天井が広がっている。
「……夢か」
呟きながら、彼は静かに息を吐いた。ベッドの上だった。窓から差し込む朝の光が、白いシーツの上に長い影を落とす。
額に手を当て、思い返す。確かに話していた。確かに目の前にいた。だが、それはあまりにも現実離れしていて──目を閉じれば、今もまだセイアの声が耳の奥に残っている気がした。
──先生を、信じてみるよ。
どこか寂しげで、それでも確かな意志を宿した言葉。
そして、彼女が消える直前に見せた微かな笑み。
現実か、夢か。
どちらでも構わない。
「……面倒なことになりそうだな。……とりあえず二度寝するか」