エデン条約の調印式を目前に控え、トリニティとゲヘナ、二つの学園の未来を決定づけるその瞬間を待つ人々の視線が、ファミレスの壁に掛けられたテレビ画面へと集まっていた。
店内は、昼下がりの穏やかな日差しが大きな窓から差し込み、木目調のテーブルと赤いソファ席を柔らかく照らしている。天井の吊り下げランプが心地よい光を落とし、カウンターの上には色とりどりのメニューが並び、コーヒーマシンが低い唸りを上げながら稼働していた。店の奥では、店員がオーダーを取りながら忙しなく動き回る。しかし、今、店内の客のほとんどは食事を忘れ、テレビの報道に釘付けになっている。
補習授業部一行は、今まさに補習授業部の卒業パーティの会を開き、青春の夢の一つであった無限ドリンクバー編を堪能している最中だ。
お腹がたぷたぷになるまでドリンクとデザートを楽しんだ後は、夜が更けるまでバッティングセンターで体を酷使。飽きたら卓球やビリヤード、そしてカラオケ大会を開催。その後は夏の夜の肝試しと、ブラックマーケットを散策し、日の出を拝むまであの闇の市場で如何にトラブルに巻き込まれないかを試す。
正に青春の修羅。それを今日この日に詰め込んだ一行は、飽くなきお喋りに身を投じている真っ最中だ。
「あの先生も来ればよかったのに! ブラックマーケットって用心棒いなくても平気なのかしら」
「あはは、大丈夫ですよコハルちゃん! 私も何度か行ったことありますけど、顔なじみになれば気さくに声を掛けてくれる方達ばかりです! 行きつけのお店は日が出るまで空いてますから、まずはそこに行きましょう!」
「ん……? ヒフミはよく行っているのか? それなら肝試しにならないな。やっぱりここは近くの神社がいいと思う」
「ダメですよアズサちゃん! あそこは本当に出るんですって! まだブラックマーケットの方が安全ですよ!!」
「ヒフミちゃん……やはり平凡は自称でしたか」
大型のテレビの画面が切り替わると、映し出されたのはリポーターの「川流シノン」。
クロノスジャーナリズムスクールの生徒だ。
──皆様、等々この日がやって参りました!
本日はついに締結される、ゲヘナ学園とトリニティ総合学園の「エデン条約」の調印式。その現場に来ております!
私は今、「通攻の古聖堂」の前にいるのですが……
すでに現場は緊張がこもっており、互いに譲るまいと張り詰めた空気になっております!
聖堂前の広場に、二色の旗が翻る。
一方は純白に金の装飾が施されたトリニティの旗。もう一方は、燃え上がる炎を思わせる深紅のゲヘナの旗。今日、この二つの旗は並び立ち、互いに絡み合うように風に揺れていた。空には紙吹雪が舞い、群衆の歓声が響く。調印の瞬間が近づき、誰もが歴史の転換点を目の当たりにしようとしていた。
しかし、その場に立つ生徒たちの表情は、決して喜びに満ちたものではなかった。
トリニティの生徒たちは、上品な微笑みを浮かべつつも、その目には冷え切った光が宿っている。これは「平和」ではない。「必要な譲歩」でしかないのだ。目の前の相手を友とは認められない。ただ、戦争の終結という形を取っただけの、長い不干渉の始まりに過ぎなかった。
ゲヘナの生徒たちは、整列しながらもどこか落ち着かず、視線を斜めにそらし、唇を噛んでいる者もいた。まるで呪いの言葉を飲み込むかのように、黙している。旗を握る手に無意識の力が入り、その動きが制服の袖をわずかに震わせている。
──こんなもの、ただの見せかけだ。
互いにそう思いながらも、口には出さない。
なぜなら、それを認めることは、今この場で決められた「平和」を自ら否定することにほかならないからだ。
交わるはずのない者たちが、交わらなければならなくなった日。
トリニティの生徒は、誇り高く旗を掲げながら、心の奥底で敵意を隠し、ゲヘナの生徒は、屈辱に耐えながら、拳を握る。
空を舞う紙吹雪だけが、その場の誰よりも自由に、無邪気に、この「偽りの祝祭」を彩っていた。
──誰かが一歩間違えれば、この場が大惨事になりそうなほどの雰囲気です!感じられますでしょうか、この空気!
犬猿の仲とでも言いましょうか、呉越同舟と言いましょうか!私たちの良く知るトリニティとゲヘナの様相です!
……はい?余計なことを言うな? 早く進めろ? 仕方ないですね、今日も画面外から飛んでくる言葉が拳に変わる前に、ちゃっちゃとお話を進めていきましょう!
白亜に染められし建造物が映し出された。
長い年月をこの世界と共にしたその聖堂は、節々の至る所が色褪せているが、全体としては小さな補修を何度も繰り返していたせいかまばらな色合いが多く、その在り方は年月を感じさせる。
──ものすごい威圧感ですね!ここが調印式の会場である、古聖堂の様子です!
「どうしてこの場所が選ばれたのか」ということにつきましては、どうやら或る筋の情報によりますと「ゲヘナの首脳部からの提案」のことです!これは意外!
ここがかつて、トリニティの「第一回公会議」が開催された歴史的な場所だからでしょうか?
いえいえ、そうではないようです。どうやらその理由は……「これほど大きなイベントなのだから、大きくて権威のある場所が良い」とのこと。
要するに、「デカい場所の方がカッコ良いだろうが!」とのことです!なるほど、分かりやすいですね!
少々話は変わりますが、先ほど申し上げた「第一回公会議」、そしてそこで定められた戒律は、当時の「ユスティナ聖徒会」という強力な集団が守り続けたと言われています。
果たしてそれが関連しているのでしょうか、本日はトリニティの「シスターフッド」もこの調印式に参加していることが確認されています!
これまで長い間、対外的な活動を自ら禁じていた「シスターフッド」……彼女たちがここに来て、なぜ登場したのでしょうか?
先ほどの「ユスティナ聖徒会」、今では歴史の中に消えたその組織の後身を自認する……そういった意味合いがあるのでしょうか?
さあ、トリニティ総合学園に吹き荒れる政治の嵐の行方は果たして……はい? 視聴率とアクセス数が落ちる?
政治もやってられませんが、デスクからの圧力もやってられませんね!しかし、私たちには言論の自由が──!
──現在回線の影響などにより、映像が乱れております。少々お待ちください。
……エデン条約が締結されるとその後、両学園の首脳部は古聖堂にて「エデン条約機構」の設立に同意することになります!
そうするとトリニティとゲヘナ……長年敵同士だったこの二つの学園は、お互いの間で行われる紛争について、共に解決するという義務を負うことになります!
この古聖堂で締結されるということもあり、神聖な戒律の守護に従い、その義務を誠実に果たすことが期待されるのではないでしょうか!
ややこしいですね、簡単に言いましょう!これまでいがみ合ってきたことで有名なこのキヴォトスの二つの巨大な学園が、ついに平和のため手を取り合おうとしているのです!
さあそんなタイミングで、我らが連邦生徒会は何をしているのでしょうか?
──昨日行われた、連邦生徒会による緊急記者会見の様子をご覧ください!
壇上には、純白の制服を纏った生徒たちが整然と並び、その中央に立つ代表が静かに口を開く。彼女の手には、これから語られる声明が書かれた紙が握られていた。会場全体に張りつめた空気が漂い、聴衆の目が壇上に集まる。
だが、その緊張感とは裏腹に、並ぶ生徒たちの様子は一様ではない。鋭い視線で場を見渡す者、静かに微笑みながらもどこか飄々とした態度の者、退屈そうに欠伸をかみ殺しながらスナック菓子をつまむ者までいる。そんな中、壇上の中央に立つ代表だけが、冷静に淡々と言葉を紡ぎ始めた。
「……以上で会見を終えます」
「ちょっと待ってください行政官! それはつまり、連邦生徒会長の行方はまだ分かっていないということですか?」
「要するにそうです」
「要約しなくてもよさそうでは!?」
──新しく立ち上げたシャーレという組織、そして先生について、世間の評価は厳しくなっています。この点についてはいかがでしょうか?
「まあ仕方ないんじゃん?」
「不確定な情報につきましては、現段階でのコメントは差し控えさせていただきます」
「不確定もクソもあるものか! タレコミだが、ティーパーティの一人を孕ませたと情報が入っている! 生徒に手を出し剰え弄ぶなど教師の風上にもおけない!」
「……え。……こほんっ、出所不明な情報をさも真実のように語るなど、それこそ不躾というものではないでしょうか。正確な情報が入り次第、シャーレ公式サイトの連絡用アドレスからご連絡ください。返答はその後に」
──なんと、皆様聞かれましたでしょうか!? 私達が追っているシャーレの先生、最近はトリニティ学園に入り、大人しくしているとの情報でしたが、しっかりと悪事に手を染めていたようです!!! とんでもない──え? 関係ない話はするなって? ぐぬぬ──。で、では改めまして、このエデン条約に参加する各学園の主要人物につきまして──。
ざわざわと喧騒を高めるファミレスの中で、メニュー表でひっそりと顔を隠し、こしょこしょ話をする4人。
シャーレは評判が悪いとは聞いていたが、まさかここまで出鱈目な噂を流す人がいる事に、4人は憤りを覚える。
「騒がしいな」
「先生はそんな事をする人じゃありません!」
「一体誰がそのような適当な事を……」
「割とあんたのせいだと思うんだけど!?」
ハナコは立ち上がり、微笑みながら無言でグラスを持ちドリンクバーまで歩く。
先ほど、ココアとエナジードリンクを混ぜてオリジナルジュースと称し、一口だけだからと無理やり口も持ってかれたコハルは今度は同じ過ちを犯さないと、監視の意味を込めてハナコの後を付いていく。
──IN ダンテ
ー先生! 先生に関してあらぬ疑いが全国に放送されてます!
ーさっき見たぜ。横にいるマリーとの距離が遠くなった。
ーあらら……。マリーちゃんはどことなく先生の事苦手そうでしたから……。
ーあんた今エナジードリンクに何を足したの!? 恍惚な顔しないの!! 私の出したエナジードリンクってどういう意味よ!?
ーそっちは楽しそうでいいな。俺は退屈で死にそうだ。
ーダンテは今どこにいるんだ?
ーテレビに映ってる古聖堂の中だ。カビくせぇ。
ーマリーちゃんや他のシスターフッドがそれなりに手入れをしている所ですが、年季には勝てないのでしょう。
ーああ、あいつらが管理してたのかよここ。通りでくせぇっつったらマリーの頬が膨れる訳だ。
ーちょっと先生もシスターフッドをいじめないの!! お祈り中もずっと足組んでスマホ弄ってたって、どうしてか正義実現委員会に通報が来たんだから!
ーうぅ……先生の評判が落ちる一方です。……ここは皆で案を考えましょう! どうすればもっと評判が良くなるのかを!
ハナコとコハルが席に座ると、それぞれ会議の姿勢でスマートフォンを覗き込む。
ー円満なハッピーエンドに向けて……補習授業部、動きます!!
ーヒフミ、ハッピーエンドというのはどんなものなんだ?
ーそれは……仲間達と力を合わせて悪を砕き、共に苦難を乗り越え、最後には皆笑顔で終わる。最近出たペロロ様のアニメはとても感動的でした! 先生もこれに倣えばきっと皆が認める大先生になるかもしれません!
ーちょっとありきたりじゃない? そもそも先生が笑顔で仲間と手を取り合ってる画が想像出来ないんだけど!
ーふふっ、確かにその通りですね。喘いで失神している生徒を背に、けだるそうな面持ちで服を着て、颯爽と路地裏から出る。先生はそんなイメージです!
ーそんなのあんただけよ!? あとなんで路地裏なのよ!?
ー先生、火の無い所に煙は立たぬ。という言葉もある。どう頑張った所で真実は変わりはしない、それがこの世界だ。頑張る方向性を変えるのも一つの案。大丈夫、先生の良い所は私達はよく知っているから。
ーそもそも火なんて立ってねーぞ? あと勝手に真実にするんじゃねぇ。
ーうふふ♡ 先生の受難は続きますねぇ。
ーうぅ……先生、力不足ですみません。私達に出来ることなんて……!
ー違うぞヒフミ、私達が諦めたらダメなんだ。ペロロだって最後まで諦めなかった。あのエンディングを、現実に持って来よう!
ーアズサちゃん!? もしかして……おすすめしたの観てくれたのですか!?
ー勿論だ。ヒフミがお勧めしてくれるのなら絶対面白いはずだし、本当に面白かった。たまにはああいうのに触れるのも良いかもしれないな。
「アズサちゃーーーん!」
スマートフォンを投げ、隣にいるアズサに覆い被さるように抱きしめるヒフミ。その笑顔にアズサは頬を染める。
その一連の画を動画として撮影していたハナコはグループトークに投下した後、そっとスマートフォンを閉じ現実の世界を楽しむようにもう一度席を立つと、改めてドリンクバーの方向へと歩き出した。
和気あいあいとした、青春のひと光。
彼女達が掴み取った、奇跡の様なハッピーエンド。
誰もが笑顔で、誰もが胸をときめくその日常の光景の中に。
音を置き去りにする一つの影が、雲を切り裂き彼女達の青春の世界に舞い込もうとしていた。