ダンテ先生概念   作:3ご

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ホシノの話です
対策委員会3章の後の展開です。


麗き星の夢灯り

 カーテンから差し込む日差しと、ゆったりめな調律を催す音楽から始まる、朝の到来。眠気まなこを擦りながらふわふわとした口を大きく広げ、ボサノバを奏でるスマートフォンの画面をタップすると部屋に静寂が戻る。

 足元をフローリングの床に添え、カーテンの僅かな隙間から窓をほんの少し開くと、朝の気配が鼻腔をくすぶった。隙間風は瞬く間に部屋中を駆け巡り、淡い桃色に染まった長い髪をゆらゆらと奏でる。

 本来なら二度寝する時間なのだが、今日は大切な用事があると、久しぶりに深い眠りに落ちて重たくなった体を無理やり動かし、掛け布団を畳む。

 

 睫毛に絡まった重たい瞼を薄らと開け、シャワー室へと向かい、少しダボついたパジャマを上からではなく下に向かって脱ぎ始める。肩のサイズが合っていないのは成長の希望と節約した結果選ばれた物であるが、見定めていた未来は到来を過ぎ、現実に残ったのはちょっぴり大きめのパジャマが一つ。

 

 気温の高さで火照った体を冷やす為にまずは冷水から頭部を冷やし、次第に身体中にじんわりと冷気を広げていく。

 温度差が堪らない快感を決め、先日の疲れが嘘のように搔き消されると、今度は少しずつ温度を調節して浴び心地の良い状態のまま放置。鳴き声に近いあくびを数度かますと同時にシャンプーの蓋を二度三度と押し込み、長い髪の頭部から広げていく。

 半目を開けて俯く。髪からお湯が滴り落ちるたび、夢の中で見上げた、海の底まで差し込む青い星の光を思い出していた。

 

 夢を見た。

 

 それはいつもの悪夢ではなく、ただ静かで穏やかな夢だった。

 青白い光が夜空を彷徨い、ふと鮮やかに輝きを放ったかと思えば、次の瞬間には儚くしぼんで闇に溶けていく。その光が何を意味するのか、彼女にはまるで分からない。ただの夢にすぎないのだから。

 夢なんて、いつだってそうだ。意味なんてない。けれど、その無意味さこそが、今の彼女には救いだった。何も考えず、ただその光を追いかけた夢の記憶は、口元に小さな微笑みを残していた。

 嬉しかった。だって海は好きだから。

 深い海の底から見上げる先は水面ではなく、境界線の無い空。周りに浮かんだいくつもの光芒はどこから来ているのかさえ理解は出来ない。そんなに難しい話じゃない、つまりは──前へ進めたという意味だ。

 

 滴ったお湯がおでこを伝い、シャンプーが目元まで流れ込む。反射的に瞼を閉じると、その暗闇の向こうに広がったのは深い青の空。そこに浮かぶ微かな光が、まるで記憶の底から掬い上げられたかのように揺れていた。

 

 ──お前なら大丈夫だ。俺は信じてるぜ、ホシノのこと。

 

 シャワーの熱とは別の部分から熱気が込み上げ、思わず温度のレバーの冷たい方へとほんの少し上げる。呆けた頭を掻きむしるように素早く髪を洗い体を洗い、頭にタオルを巻き、颯爽とシャワー室から飛び出る。

 洗面所の鏡に映る顔は、瞼が半分閉じたまま、ぼやけた視線がかすかに揺れていた。眠気の残滓がまだ意識を覆っているのがはっきりと分かった。

 いつもならその顔のまま家を出て登校する彼女。理由は簡単だ。どうせ学校でも如何なる理由を付けてさぼり、校内のどこかでお昼寝をするから。だが、今回は少し……いや、今回からはっきりと気持ちの移り変わりがあり、今までの顔ではなく新しい顔を見せたい。そんな微小な乙女心は記憶によって増幅させられ、彼女の中でコントロールが効かなくなっていた。

 

「うへ……、もっとしゃっきりしないと」

 

 シャーレの当番なんて、何度も行ってきた筈の彼女。当然、シャーレの先生にはいつもの顔を見られているし、寝顔だって見られている。それは理解している筈なのに、あの戦いが終わって以来ずっと感情のコントロールが効かない部分があり、まだ一度も面と向かってお礼を言う事が出来ていない。

 元々は学校の教室で対策委員会の皆と一緒にお詫びをする予定だったのだが、急な用事が入ったからと、先生は早急にアビドスから去ってしまったそうだった。その時にゲヘナの風紀委員長と保健室でうたた寝していたのを見られたという事実。そして抱きかかえられベッドに添えられたという展開に、彼女の顔にさらに熱を帯びさせる。

 

「んもー、どうしてあそこで寝ちゃったんだろう……」

 

 それからというもの、モモトークに送られる当番の誘いを何度も断ってしまった。

 用事があるから、時間がないから、急に体調不良になったから。

 メールが来る度に息苦しくなる胸を抑え、いつもの調子で返事を返す。

 「今日は代わりにノノミちゃんが行くね」「アヤネちゃんがついでに予算の相談をしたいんだって」「シロコちゃんが今日こそあっち向いてホイをしてもらうんだって!」「セリカちゃん機嫌悪そうだからそっちに当番行かせていい!?」

 

 幾度と無いやり取りの中、段々と自身への催促のメールが無くなり、ほっと胸を撫で下ろしていたのも束の間。

 いつも通り対策委員会の教室へ出向くと、そこには何やらニヒルに口元を曲げる四人の姿。シロコに至っては椅子に片足を乗せ、傘を肩に乗せ前髪を鼻まで垂らし、顎を上向かせてどこかの誰かさんの真似をしながらホシノを教室に迎え入れる。

 一体何を企んでいるのだろうと彼女は勘繰るが、答えはきっと決まっていると息を深く吐く。

 背筋を曲げ、いつもの席に座ると、今かと待ち構えていたノノミが席に近寄り早速声をかけてきた。内容は予想通りシャーレに当番についてだ。今回も何かと言い草を重ねて策を弄し、シロコ辺りに向かってもらおうと考えた彼女なのだが、なんとその日は全員同じ用事があるそうでアビドスに残っているのはホシノだけだと言う。

 

 地元のロードレース。

 参加人数は五人で、なんと優勝賞金は10万円。

 それこそ対策委員会全員で参加すればいいだけの事だが、別の世界のもう一人のシロコからの依頼らしく、誰を外そうと考えた結果、いつも腰を気に掛けてる体の弱いおじさんをスタメンから外す事になったそうだ。

 相談もされせずに勝手にレギュラー落ちしたという事実に、ぐったりと机に上体を溶かすホシノ。そんな弱り切ったダメなおじさんに、ノノミは追撃の一手を放つ。

 ──先生落ち込んでましたよ? 俺、ホシノに嫌われてるんだって。いじけて公園の池に石投げてましたからね? ……あの、もしかして本当に嫌いだったりします?

 

 ノノミの意地悪な質問は、ホシノがいつも迎える朝の静けさを壊すのには十分な威力であった。思わず大きな声で「嫌いになる訳ないでしょ!」と両腕を机に突っ張り、ノノミに向かって前のめりになる。

 突然の彼女の行動に驚いたノノミは瞳を真ん丸に見開くが、やはり段々とさっきみたいなニヒルな顔に戻り、揶揄うように段取りをし始めた。当日の電車の時刻に、当番で使うソフトウェアのインストール。経費はシャーレで落ちるからと、簡易的な予算の作成。

 思わず彼女の術中にはまってしまったと、頭を抱えてうへぇと項垂れるホシノだが、その動作は勿論、胸の高鳴りを抑える為の道化に過ぎない。

 

 時間を掛け髪を乾かし、洗濯したばかりの衣服に身を包むと、今度はこの眠そうな顔との闘いだ。洗面所に並べられたスキンケアの製品と、お化粧道具が入っているポーチ。

 当然、普段は軽く乙女心を満たすだけの薄化粧。今までの当番に行くときでさえそうだったのだが、今日に限っては選択に悩む。いつもの製品か、それともノノミに貰った少しお高いのか。いつものじゃないのを付けて行くのは逆に何か意識しているみたいで恥ずかしく、だからといって普段の味気ないのを使うのも今の心情に合わない。

 

 とはいえ、あの先生がそんな些細な変化に気付くかと言うと微妙な範囲。だが、変化させるには気付いて欲しい。でも変化に気付いて意図に気付かれるのは恥ずかしく溜まらない。この二つの矛盾を解決する手段などこの世に存在するのか。

 そこである事を思い出す。

 以前、シロコが当番に行った時に「ん、先生から香水を褒められた」と喜んでいた。この香水だよと身を近くされて嗅いだ香りは、苺系統の甘くフルーティな香り。そういえばあの先生の好物はピザとストロベリーサンデーだったと、彼女は記憶を掘り起こした。

 

 棚に飾られている香水一覧に視線を集中させる。

 フローラル、フルーティ、シトラス。そこまで香りに強いこだわりがない生活だったせいか、乙女にしては貧相なラインナップしか持ち合わせておらず、溜息一つ。

 こんな事なら愛好家に近いノノミの意見をもっと聞いておくべきだったと、悔しさに思わず口を尖らせてしまう。

 

 そうこう悩んでいる内に出発の時刻まで迫っている事に気付いた彼女は、スキンケアを終え、お化粧はいつも通りに行い、香水だけ普段は付けないフルーティな香りを選択。

 それは一種のリスクマネジメント。

 もしお化粧を変えて気付いて貰えれば嬉しいが、気付いて貰えなかった時の反動が大きい。それはつまり、自分に対して興味が薄いかもしれないという仮説が出てきてしまうからだ。だが、香水なら話は別。仲間内でも気づかない場合があるし、もし気付いてくれたのなら、その人の脳内では自分の存在は限りなく大きいと仮説が出来るからだ。

 証拠に、対策委員会の中では圧倒的にシロコが気付く。顔を合わせて数秒以内に。

 

「うへぇ、急げ急げ」

 

 準備を終え、最後にバッグの中に必要な荷物を入れ込む。

 お手伝い用の予備のパソコンに、筆記用具。お財布に銃、スマートフォン。そして最後に、「アビドス復興案」と書かれた一枚のチラシ。彼女が夢見た未来への希望。

 元々、対策委員会の皆でシャーレに出向き、様々な学校に協力してもらえるような策を会議する機会を考えていた彼女。だが案は案のままで、未だ仲間内にも話せていない極秘事項。どちらにしろシャーレの力が必要だからと、まずは先生に相談しようとしていた議題だ。どうにかこうにかスケジュールを合わせて実行する機会を伺ってはいたが、無情にも時は過ぎていくばかり。

 

「……先生に会ってから相談しよう。ふわ~ぁ……もう、こんな時くらい我慢出来ないかなぁ」

 

 当番という良い機会だからと、昨晩まで練りに練っていた結果、少し寝不足になってしまっておりあくびが止まらない。いつも通りとは言え、折角綺麗に化粧したのだ。再び数秒ほど鏡で顔を見直し、確認してから静かに家を出る。

 

 

 時刻は午前10時。

 外郭地区とは言えシャーレ近辺にはビルが多く、その中にはこ洒落た小物を置いてある雑貨屋さんや、レンガ調に仕立て上げてある秘密基地みたいなカフェ。美味しそうな香りを風に乗せるパン屋さんや、きっと夜に開店するであろう準備中の屋台。

 

 街路を歩く間、何度も窓ガラスに視線を合わせては、シルエットや髪のセットをちらちらと盗み見るように確認。誰が見ている訳ではなく、あくまで自分自身に対しての言い訳の延長だ。ちゃんと身だしなみは出来ている。抜かりはないぞと自身に言い聞かせる。

 彼に対して意識しているという意識をすればするほど、お腹の鳴りよりも頻度の多い胸の高鳴りを抑えることなんて出来ない。あの我を忘れる感覚は危険だ。思わず髪を触りたくなるから、今の内に触れる箇所を探しておかないとまた鏡を見たくなってしまう。

 

 そして歩き続けていると、通り過ぎようとしたのは見た目がピンクで固まってるスイーツショップ。以前、当番に行ったホシノの記憶の中に浮かんだのは、入りたくても入れないと愚痴をこぼしていた先生の姿。他にあるのにどうしてその店に行きたがるのかを尋ねた所、美食研究会が唯一爆破しなかった店だからという理由。

 

「あ、どうせお昼で外に出るかもだけど、お土産の一つでも買っていこっかな!」

 

 朝から仕事をしているから、きっと今の時間帯は小腹が空いているかもしれない。もしかしたら他の生徒がもう贈り物として買ってあげてるかもしれない。自分は一番じゃないかもしれないけど、喜んでくれるのならそれが一番だ。あの先生がたまに見せる、瞳を細めた無邪気な仔猫のような笑顔を見たくて、早足で店の中に駆け込み目的の物を注文する。

 

ーー

ーー

 

 いつも通り、いつも通り。

 何度も頭の中で立てたシュミレーション通りに扉を開け、大きな挨拶を出す。ただそれだけなのに、廊下になる扉の斜め前の位置で深呼吸を繰り返す。

 ここまで来たんだ。もうあとはやるだけ。当番の仕事を済ませ、今までと同じように会話をして、夜ご飯を一緒に食べて帰る。

 

「先生~来たよぉ~……ってあれ?」

 

 意を決して扉を開けると、そこには誰もおらず、電源が付けっぱなしになってるパソコンがあるだけだ。

 トイレかと思ったが、返事が無い。シャワーかと思ったが、音も聞こえない。もしかして仮眠室にいるのかと部屋を覗いたが、先生の香りがするだけで中には誰もいない。

 

「お出かけ中かなぁ。うへ……ストロベリーサンデー溶けちゃうよ。冷蔵庫に入れておこうっと」

 

 荷物を置き、冷蔵庫に買って来た飲み物などを色々入れ作業場になるデスクに向かうと、そこには一枚のメモ用紙がディスプレイの中心に張り付けられていた。宛名は自分宛だと、メモ用紙を手に取り目を通す。

 内容は至ってシンプルだ。急な予定が入りすぐにシャーレを出なきゃならない。すぐに戻るからここに居て欲しい。

 

「先生は忙しい人だなぁ~」

 

 ここ最近の彼の忙しさは激務を通り越して最早機械。リソースの概念などあったものではなく、朝起きてから夜までひたすらに稼働するのが日課になっていると、ホシノはノノミから聞いていた。

 週休6日を謳うシャーレでのぐうたらな生活が恋しいとアヤネに愚痴り、これも仕事だとシロコをサイクリングに連れ出し、パトロールと称してセリカのバイト先の神社にさぼりに赴く。

 

「先生は……忙しく……ない?」

 

 そう、ずっと当番に行けていないから、最近の彼のことは何も知らない。

 今さらになって胸の奥がずきりと痛む。あれだけ助けてもらったのに、何も返せていないのは自分だけだ。そう思うたびに、ため息が漏れてしまう。「どうして、もっと早く会いにいけなかったんだろう……」小さな後悔が、弱音に混じって溢れ出す。いざ来てみると、些細な勇気を振り絞るだけだった事に気付くが、時すでに遅しだ。

 だが、過去は過去だと割り切る。少しでも償いをするため、スマートフォンを開きメッセージを送信。「シャーレに着いた。先にお仕事始めてるね~」といったシンプルな文章だが、送信するまでに五分悩む。

 

 それから二時間後、そして四時間後。

 部屋の主である先生は一向に帰って来ず、モモトークで送ったメッセージは既読さえ付かない。もしかして変な事故に巻き込まれたのかもしれないと心配するが、例えどんな事があっても、ましてや軍隊に囲まれたとしても楽々に切り抜ける人だ。心配など杞憂。

 もしあるとすれば……それは別の生徒がトラブルに巻き込まれた場合。先生としての仕事で一番大事なのは、生徒を守る事。そんな台詞を聞いたのはいつ頃だっただろうかと、夕日を差し込む大窓を見ながら、呆ける。

 久しぶりに長時間没頭して作業したからと、椅子から立ち上がり背伸びをする。一瞬だけ意識が途切れ足元がふらつくが、それだけここの当番をさぼっていたという証拠だと反省。長時間のデスクワークは腰に来やすい。冷蔵庫からお茶を取りソファに座り込む、返信の無いスマートフォンを何度か点灯させる。

 

「お……なにこれ?」

 

 スマートフォンの先にあるローテーブルの下にある、少しはみ出した紙の束。気になって引っ張ってみると、一冊の雑誌が出てきた。題名は「ron-ro」と書かれてあり、それなりに古い。

 どうせ誰も見て無いしと思いパラパラとページを開くと、そこに写っていたのはやたらと布面積が少ない水着を着た女性や、様々な大人の情報が書かれてた文章。いきなりの展開に驚きが隠せないホシノだが、視線は釘付けになり離れない。

 

「んもぉ……先生はこういうのが好きなんだねぇ。うへ……私とは真逆だなぁ」

 

 自称する程の体付きと身長。きっと成長するからと背伸びして買ったパジャマも今朝の有様。年齢的にもこれからの成長など期待出来ないのは理解している。しているはずなのだが、こうして目の前に気になる人の好みの写真があり、それが自分と真逆だと思うと、心の中は少しばかりの曇り空。

 

「……いいなぁ」

 

 ぱらぱらと雑誌を捲る手を止め、横に置いてあるクジラのぬいぐるみを胸に抱え、そっと体を横に向ける。いつもの先生の香りが胸に広がると、思わず瞼が重くなった。

 無い物ねだりをしてても仕方ない。自分は自分の出来る事で勝負するしかない。そう、割り切って考えれる程彼女は年齢を重ねておらず、思春期の悩みはぐるぐると脳内を駆け巡る。

 先生は、皆の先生だ。

 独り占めしたいなんて欲望は贅沢。傍から見ていて格好良ければそれで良い。たまにお話ししてくれたり、たまに顔を出してくれるだけで十分なんだと、言い聞かせて蓋を閉じる。

 自分以外の皆もきっと同じ気持ちだ。強くて格好良くて優しいなんて卑怯だ。そんなのどんな女の子だってイチコロに決まってる。

 

 ──私みたいに。

 

 自問自答の末出た言語に不意に胸を突かれた彼女は、思わずぬいぐるみを抱きしめる力を強め、顔を埋める。お化粧が付着してしまうかもしれない、けど、今閉めた筈の蓋が急に開くなんて聞いてないし、最近はそんな不意の胸の鼓動がコントロール出来なくなって──辛い。痛い。苦しい。これ以上望んでいいのかな。私なんかが欲しがってもいいのかな。もしあの無邪気な笑顔が、自分にだけ向けられるなら──。

 

 蓋から溢れる止め処がない水は海を作り、足元を覆う。

 乾ききった心象に恵の雨が降ったのはいい物の、地面を湿らす程度だった水は段々と膝まで登り、次第に体全部を覆い始めた。

 天空に輝く太陽と月は混在するのが当然のように互いを照らし、穏やかな朝焼けを作っていたが、水はさらに天空へと舞い上がり世界の全てを満たしていく。

 ふわふわと宇宙を彷徨う宇宙飛行士のように、世界は重力の無い柔らかさで包まれる。

 乾いた世界は己を責めた。けど、満たされた世界は息が少し苦しいくらいで、とても心地よい。

 

 ──ノ。

 

 昨夜の夢と同じ光景。

 差し込んだ光芒は今度は己を差し、ふわふわと浮かんでいる体をさらに溶かす。

 初めは眩しすぎると思った光が、次第に肌に馴染む温もりに変わり、光芒は粒子に変わり胸に吸い込まれていった。

 波のように揺れ動く光の筋は、胸の奥深くへと滑り込んでいく。どこか懐かしく、どこか新しい。そうして、自分の中の乾ききった砂漠を、少しずつ花園へと変えていく。

 砂漠から海へ、そして花園へ。

 

──シノ。

 

 つまりは、成長したという事だ。

 自分が信じる人に背中を押されて、思いのまま生きていいと。

 もう、言葉を伝えれないのは嫌だ。だから、もう一度自分の背中を押す。

 

──ホシノ、風邪引くぜ?

「う……うにゃぁ?」

「可愛い寝覚めだな。熟睡してたから起こすのも迷ったが」

「うへぇ……? あれ、いつのまに眠ってたのぉ!? って先生いつから!?」

「ついさっきだ。くたくたで帰ったら可愛い寝顔があるなんてな。おかげで疲れが吹き飛んだぜ」

「……また先生はそうやって……! んもぉ~!」

 

 頬を膨らましながら両手で顔を覆い、恥ずかしくなった表情を隠しながら思いっきり立ち上がり、トイレへと走る。が、急な寝起きと会いたかった顔が目の前に現れたものだから心の整理が追い付かず、それは足元まで伝染したのか、両足がもつれ合い、そのまま地面へと倒れ込む。

 受け身を上手く取ることが出来ずに衝撃に身を備えたが、いつまで経っても痛みは来ないどころか、体は宙に停止したまま。まるで夢の中の水の中のようにふわりと持ち上げられると、また目の前に気になる人の顔があった。

 

「寝ぼけてないか? お前がこけるなんて珍しい」

「うへ……へ~……先生降ろしてよぉ」

「すまねぇな。でも気を付けろよ?」

 

 そのまま振り返らずトイレに入り、洗面所の鏡を見る。

 口元から顎にかけて涎の跡が伸びており、如何に情けない顔で眠っていたかを物語るその顔に落胆の色を隠せない。

 

「もう、私は本当に──はぁ……」

 

ーー

ーー

 

「えっと、つまり雷帝の遺産はもう大丈夫ってこと?」

「ああ、以前ホシノも立ち会っただろ? それで全部かと思ったら、なんかそこら辺で動いてる商人だかなんだかが残ってるのを見つけてしまったらしくてな。急いで飛んで行った訳だ」

「うへぇ、そうだったんだ。それ、壊したの?」

「ああ。先に見つけた所有権だなんだ言ってたが問答無用で全部破壊しといたぜ」

「わぁー……やっぱり先生流石だなぁ。えへへ」

「それはそうと、まさかあの店のストロベリーサンデーを買ってきてくれて、しかも仕事まで全部終わらせといてくれたなんてな。助かるぜ」

「いいよいいよ、美味しかったし」

「じゃあ、後は──」

 

 容器を片付けると、彼はホシノの傍へと歩み寄り、腰を下ろした。

 思わぬ展開に体を固める彼女の肩に素早く両手を乗せ、身動きが出来なくなるホシノ。そんな彼女を真っ直ぐ見つめるダンテの碧眼に吸い寄せられるようにホシノは視線を合わせると、抑えていたはずの頬に再び熱が帯び始める。

 

「ホシノ!!」

「ひゃ、ひゃい!?」

「その……悪かったよ」

「へ……へぇ?」

「俺の事ずっと避けてただろ? ……何か気に障ることでもしちまったかと思ってさ。それなら謝らせてくれないか?」

「ちょちょちょっと先生っ!? そんなことないよ!? り、理由があって……」

「いや、今回は俺もずかずかと行き過ぎたかもしれねぇと思ってさ。心の問題ってのはあまり他人が深く入るべきじゃねぇし、ホシノも嫌だったんじゃないかって」

「違っ──!! 違うよ先生! その……私は、先生や皆の声が聞こえて嬉しかった……かなぁ」

「そうなのか? じゃあどうしてずっと来てくれなかったんだ? 心配してたんだぜ」

「うへ……えっとぉ、それは……うーんとぉ」

 

ーー

ーー

 

 シャーレから出て20分程歩くと、並木に囲まれた小さな公園。たまの散歩や息抜きに赴くその場所は、夜の時間帯になると地面に埋め込まれた暖色の明かりが仄かに周囲を照らし、木々の間を優しく浮かび上がらせる。

 その中心で7色の光を浮かび上がらせている人影が二人。一人は上空にロケット花火。もう一人は手持ち花火で空に弧を描く。

 

「成程ねぇ。アビドスの催しを増やす……か。確かに花火はいいかもしれねーな」

「でしょー? 空に向かって打ち上げるだけだから砂嵐の影響は小さいだろうし、調達もしやすいからいいかなぁと思ってさ!」

「悪くねぇな。じゃあまた今度手伝いに行って……まぁ、機会を見計らうか」

 

 散々はぐらかされた挙句、肩が痛いから手を離してと言われた彼は渋々問いを諦めると、ホシノはバッグから一枚の紙を取り出し見せた。

 アビドス復興案と書かれたその紙の中に、空が広いから花火が似合う旨の内容が書かれてあった。この案はどうだと彼女の案を受けたダンテは、とりあえず試しにと、コンビニで花火を買い公園でひたすらに試すことにする。

 

「うへ……来てくれないの?」

「行ってもいいのか?」

「えへへ、勿論だよぉ」

 

 最後に噴出花火に火を灯す。

 様々な色の火花が空に向かって舞い上がり、夜の静けさも相まってかその風景はちょっぴり幻想的だ。

 ホシノはきっと花火に視線を集めているだろうからと、彼の顔を盗み見るように視線をなぞる。が、彼は色とりどりの花火よりも、光に照らされた彼女の憂いた表情に釘付けだった。そんな二人の視線が重なるのは当然の結果で、またもや頬に熱を帯びたホシノが先に視線を逸らすと、ダンテは深い息を吐いた。

 

「ホシノ、言いたい事があるんなら言って良いんだぜ? 俺は先生だぞ? 何だっていい」

「……本当に? バカにしない? 揶揄わない?」

「当たり前だろ?」

 

 その言葉に、ホシノは短く息を吸い込む。そして、ほんの少しだけ目を伏せながら、意を決したように囁いた。

 

「……じゃぁ……うん、次会う時は、もう少し時間を置いてもいい?」

 

 ダンテが首を傾げようとしたその瞬間、ホシノがぽつりと続ける。

 

「だって……今の先生、凄く格好良く見えちゃうんだもの。これじゃあ心がもたないよぉ」

 

 ホシノの胸の中で、再び大きな花火が打ち上がったような気がした。ふわりと柔らかな暖かさが、彼女の心を満たしていく。

 

 夜空を彩った最後の花火の光がゆっくりと消えていく。その残り火が、二人の影を静かに夜の中へ溶け込ませた。

 

 

 

 

 




たまにはこんな感じのも書くのもいいね。
ほぼ一万字で草。
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