ダンテ先生概念   作:3ご

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私達の物語

 瓦礫の山がひしめき合う廃墟の上を、阿慈谷ヒフミは頼りない足取りで歩き続けていた。

 ユスティナ聖徒会の影を何度もやり過ごしながら、行方のわからない友を求めて彷徨う彼女の胸中には、言いようのない孤独と焦燥が煮え立っていた。

 降り注ぐ雨は戦場の匂いを搔き消すことなく、所々から湧き出る硝煙の匂いに、思わず眉をひそめた。まだどこかで戦っている正義実現委員会の生徒や、ゲヘナの生徒がいる。もしかしたら両者間で争いが起きているかもしれない。

 トリニティはゲヘナが嫌いだ。そしてゲヘナもトリニティが嫌いだ。

 そんな無意味な憎しみ合い利用され、結果的に互いが傷つき、憎悪は臨界点を迎えようとしている。

 

 彼女はアズサから聞いたアリウスの話を思い出す。そこにも救われない苦しみがあった。それなのに、何故誰も差し伸べるべき手を差し伸べないのか。孤独の闇に取り残された人を、なぜ世界は放置し続けるのか。答えのない問いが、ヒフミの心をじわじわと苛む。激しく打ちつける雨は、まるでこの苦悶を嘲笑うかのように冷たい。

 

「あう……もう……足が」

 

 深夜からの捜索が響き始め、足の震えを抑えることができなくなった。車を使う余裕もなく、ひたすら走り回った疲労がいよいよ限界へと近づいている。ヒフミは崩れた壁の陰に身体を滑り込ませ、がらくたと化した瓦礫に腰を下ろした。シャツに染み込む雨水が冷たく、その冷たさが不安を煽るように胸を締めつける。

 

「もう……本当に逢えないのでしょうか」

 

 ヒフミにとって、本当に気の合う友人というのは、実は補習授業部が初めてなのかもしれない。常に笑顔を振りまき、人の悩みをよく打ち明けられよく相談に乗る彼女は、周りからも信頼されて一見愛される存在のようにも見える。ティーパーティーからの偏愛を受けている影響か、近寄り易い反面、親密さを求めていてもどこか距離を置くクラスメイト達。放課後はいつも一人でふらりと自身の居場所や好きな物を探し彷徨い、満たされない空虚な心を埋めようと地面を眺めながらとぼとぼと歩く。

 

 アズサとの記憶が脳裏に浮かぶ。

 ──地味だと思っていた空の青さが、あんなにも尊い色だったなんて。

 それを知ったのは、アズサを連れて海へ出かけたあの日からだ。あの太陽のまぶしさを、あの潮風の匂いを、まるで昨日のことのように思い出す。日常の光にこんなにも胸が揺さぶられるなんて、ヒフミは自分でも驚いた。

 

 この時ほど、奇跡を意識したことはない。

 

 補習授業部は、仮面を被った自身ではなく、ありのままの姿をさらけ出せる数少ない場であった。

 実はちょっぴり仕切りたがりで、でも人の努力を応援するのが好き。一緒に泣いたり笑ったり、時には危険な事もあったり。自分の好きな物のアピールを流されるのではなく、シンプルに嫌悪感を出されるのも正直な反応で面白く、悲しいは悲しいが、それが互いを理解すること。

 けど、アズサだけは自分の好きな物を好きと言ってくれた。それは偽りのない瞳で、純粋に無垢に自身に興味を持ってくれたのだ。それはヒフミにとっても初めての体験で、胸が高鳴った。

 彼女の事をもっと知りたい。もっと知って、歩み寄りたい。

 

「ダメです。私が諦めたら、誰が──」

 

 ────ッ!

 

 叫びが、聞こえた。

 

 それは亡霊の叫びではなく、雨音に潜む滲む声。およそ人の叫び声とは思えない、獣の声。

 野犬でも駆け回っているのだろうかと、普段なら気にも留めないが、その声から僅かながらに聞きなれた声質が耳に入り込んだ。

 聞き間違いかもしれない、ただの幻聴だ。そんな自身に湧き出た疑問に答えるまでもなく、彼女は立ち上がり、更に耳を澄ませる。

 銃弾の響く音と、爆発音。

 これはアズサの物ではないが、確実にそこで戦闘を行っている者がいる。それがアリウスなのかは分からない。けど、あまりにも手掛かりが掛けていた彼女は、意を決してその音がする方へと足を動かした。

 

ーー

ーー

 

「くそっ! 前よりスピードが上がっているぞ!! ヒヨリ!! 援護を!!」

「はいっ!!!」

 

 ヒヨリの銃口から火花が飛び散り、銃弾は真っ直ぐにその獣に降り注いだ。

 獣は身体を捻りその攻撃を華麗に交わすと、その背後でロケットランチャーを今にも発射しそうなミサキに駆け上がり、右腕の銃身を振り下ろす。その尋常ではないスピードにミサキは反応が追い付かず、ロケットランチャーで受け止めるが、力の流れに敵わず身体ごと思いっきり吹き飛ばされた。

 視界が歪む。空を舞う。

 地面へと叩きつけられる寸前、ミサキは理解した。この獣は、もはやアズサではない。

 腕と同化した異形の銃身が、鈍い光を反射しながら脈打つように震える。

 まるで獣の鼓動と同調するかのように。

 口から漏れるのは、人の言葉ではない。

 低く、濁った咆哮。

 それは理性を失い、ただ暴力の衝動に従う獣の雄叫び。

 

 肌は青白く変色し、生命を宿しているとは思えない冷たさを放っている。

 それとは対照的に、深紅の瞳は燃え盛る狂気を滲ませ、すべてを貪る捕食者の眼光を放っていた。

 

 まるで──

 

 物語に出てくる悪魔そのものだ。

 

 背中から崩れ落ちるように倒れたミサキの姿を見つめ、サオリは眉をひそめた。

 冷たい静寂が戦場を包み込む。銃声すらも、亡霊たちの唸り声さえも、まるで別の世界の出来事のように遠のいていく。

 その視線の先には、もはや人ではない異形と化したアズサ。そして、微動だにしないミサキ。

 

 彼女は、心のどこかで願っていた。

 あの獣を倒すのではなく、元に戻すこと。

 暴走したアズサを止め、その意識を取り戻させ、再び自分たちの元へと引き戻すこと。

 だが──その淡い希望は、今、ミサキの沈黙と共に、霧散した。

 

「なんなんだ……これは。マダムは私達に何をさせたいんだ。トリニティを地図から消す事、アリウスの恨みを晴らすのに、どうしてアズサがあんな姿になる。一体……一体私達に何を」

 

 胸の奥が冷たく沈んでいく。

 絶望と共に、鋼のような決意がそこに生まれる。

 

「アズサ……苦しいんだな。私じゃお前を……救えない。だからせめて、苦しまない方法で、楽にしてやるから」

 

 ──もう、迷う理由はない。

 

 サオリは拳を固く握りしめた。

 今、目の前にいるのは、アズサではない。ならば、救う方法はひとつしかない。

 

 トリガーを引くための準備は整った。

 それでも、ほんの僅かに残った感情が、最後の一線を踏み出すことを躊躇させる。

 

 その時──肩に柔らかな温もりが触れた。

 

 「……大丈夫、私もいる」

 

 アツコだった。

 静かな声と共に寄せられたその肩は、サオリの決断を支えるように、そっと寄り添う。

 

 サオリは目を伏せた。

 アツコが何を言いたいのか、理解していた。

 一人で背負うな──そういうことだろう。

 

 そして、深く息を吸う。

 

 「……行くぞ」

 

 次の瞬間、戦場に再び火が灯る。

 獣と化したアズサの前に、サオリが銃口を向けた。

 

「アズサちゃん!!!!」

 

 勢いを留める声が、空間に響き渡る。

 

 サオリの視界の影から、突如として一人の生徒が駆け込んできた。

 風に巻き上げられた砂煙の中、白い制服がふわりと揺れ、金色の髪が夜の闇に輝くように光る。

 大きなリュックには鳥のマスコットが縫い付けられており、こんな戦場にはあまりにも似つかわしくない。

 

 突如として現れたその少女は、硝煙の匂いにも、無数の亡霊たちの咆哮にも動じることなく、まっすぐに獣と化したアズサを見据えていた。

 

「……誰だお前は。トリニティの生徒……だと?」

 

 アツコが銃口を向けながら問いかける。

 ヒフミは振り向かず、ただ獣の瞳を真っすぐに見つめていた。

 

「おい、待て!」

 

 サオリが警告する。

 だがヒフミは、足を止めなかった。

 

 目の前で牙を剥く異形の獣。

 その腕と同化した銃身が、獰猛にヒフミへと向けられる。

 次の瞬間、獣の体が跳躍し、ヒフミに向かって襲いかかった。

 

 普通なら、逃げる。

 それが本能だ。

 だがヒフミは、動かなかった。

 微笑みさえ浮かべ、震えながらも、確かに。

 

「アズサちゃん……ですか?」

 

 ──獣の動きが止まる。

 

 戦場の中、その静止は明らかに異常だった。

 その赤黒い瞳が微かに揺れる。一瞬だけ、理性がよぎったかのように。

 

 獣が飛び退き、荒れ果てた地面に頭を叩きつけた。

 骨が砕けるような鈍い音と共に、暗赤色の血しぶきが宙を舞う。しかし、それでも獣は怯まなかった。いや、むしろそれが追い風となったかのように、狂気をさらに増幅させたようだった。

 まるで自身を縛り付ける呪縛を振り払うかのように、獣は再び地を駆け巡る。爪を地面に食い込ませ、一瞬の間に壁を蹴り、旋回するように大きく飛翔。──その牙をヒフミに向けて剥いた。

 大きく振りかぶられた右腕の銃身。

 その先端は、確実にヒフミを捉えている。

 凶獣の本能に迷いは無く、赤黒く変色した瞳には狂気の輝きが宿り、たった数秒の間にすらその力はさらに増幅していた。

 

 刹那──戦場の空気が凍りつく。

 

  「ッ……!!」

 

 サオリは反応した。しかし、間に合わない。

 隣ににいたアツコは倒れているミサキの元へと走り抜き、起こる衝撃に備えた。

 スコープを覗くヒヨリの目は、その残酷な光景に顔を背ける。

 

 ──もう、間に合わない。

 

 絶望が戦場を支配する。

 運命は時として、あまりに残酷だ。ここでヒフミは、その純白の光を閉ざされる。物語の結末は、誰かが望んだハッピーエンドなどではない。この先に待ち受けるのは、より一層の地獄。

 そう──彼女たちは、そう結論付ける他なかった。

 

 ──たった一人の男を除いて。

 

 バイクのエンジン音と共に、轟音が世界を揺るがす。

 

 瞬間、何かが地を砕いた。

 

 音速の衝撃が、大気を引き裂く。

 

 獣の軌道が、一瞬にして狂わされ、身体は吹き飛ばされる。

 

 その運命を捻じ曲げるような歪な光景から、アリウススクワッドたちは目が離せないでいた。

 

 血旗の戦場に舞い降りる、大きな影を。

 

「ダンテ先生……!」

 

 獣の猛攻が、突如として遮られた。

 

 それを成したのは、信じがたい光景だった。

 バイクのハンドルを片手で握り締め、獣の強襲を真正面から受け止めている男。まるで玩具のように、力任せにバイクを振り回し、そのまま獣の勢いを押し返す。

 アリウスの面々は、その光景に言葉を失った。

 ただの怪力自慢ならば、今までに何度となく見てきた。だが、それは鍛え抜かれた身体の持ち主による、一か八かの抵抗にすぎない。

 しかし──目の前の男は違った。

 

 余裕すら漂わせながら、片腕でバイクを軽々と振るい、獣の進撃を止めたのだ。

 力がどうこうという次元ではない。理屈を無視し、世界の常識そのものをねじ伏せるかのように、現実離れした動きを見せる。

 

 サオリは無意識に拳を握り締めた。

 常軌を逸している。

 何者だ、この男は──。

 これが……シャーレの先生?

 

 バイクが地面に叩きつけられた衝撃で、粉々になった鉄片が四散する。

 荒れ果てた戦場の空気が、一瞬だけ沈黙する。

 誰もが理解した。

 

 この場の「力の均衡」が、完全に崩れ去ったことを。

 

「ヒフミ……心配させやがって」

 

 振り飛ばされた獣は。それを軽々とその巨体を躱し、改めてダンテの正面へと向かい合った。

 

「はっ……こんな展開かよ。結局、神様なんていやしねぇ。なぁ、そう思わねぇかアズサ?」

 

 彼の懇願するような、どこか物悲し気な声に、アズサは呼応する。

 それはただの獣の本能なのか、それとも彼女自身の願いなのかは分からない。ただ、アズサの標的は今しがたこの中で一番強く、信頼していた大人に切り替わった。

 

(くそ……こりゃ、エンツォの時みてーに片腕を切り落とすだけじゃ解決しないぜ。俺はまた、同じ過ちを踏んじまったってのか?)

 

 どうして。

 何故──アズサが悪魔になっている?

 

 答えの出ない疑問が胸の中に渦を産む。

 だがその代わりに、彼は自身がしなければならない事を思い出した。それは彼の使命であり、生き様。最強の魔剣士として影で生きてきた男の、最良の方法。

 

 ホルスターから二丁の銃を取り出し、構える。

 

 それは、アズサが諸々のお礼にと、彼に贈られた銃。

 一日中彼女の我儘に付き合った。ショッピングモールにゲームセンター、そしてファンシーなぬいぐるみ屋さん。トリニティへの正式な転校のお祝いにと、彼女にそこでモモフレンズのグッズを贈った彼は、そのまま銃火器店に連れていかれる。

 そこにあったのは、オーダーメイドのガバメント。

 特別な装飾が施されたわけではない、だが、無駄のない設計と、それを組み上げるために選び抜かれた最高のパーツ。

 そして何よりも──彼女と補習授業部の仲間が、こっそりとおこづかいを出し合い、用意したものだと知った時の、あの気恥ずかしさ。

 それを手渡された時の彼の表情に、アズサはいたずらっぽく笑った。戦場を駆け巡る顔ではなく、一人の等身大の少女らしさを醸し出しながら。

 「やはり先生はこれが似合う」と、まるで誇らしげに。

 

 そんな記憶が、今も鮮明に蘇る。

 忘れるはずがない。

 だが──。

 

 その銃口を、今はアズサに向けなければならない。

 最悪の皮肉だ。

 かつて彼女の無邪気な笑顔が祝福するように贈られたこの銃が、今、彼女自身を止めるために使われようとしている。

 

 ──そして、その意味を、ヒフミは理解してしまった。

 彼の背後で、彼女は震える瞳をこちらへ向けていた。

 その奥には、抗えぬ悲しみと、揺らぐ絶望が混ざっていた。

 

 「ヒフミ、下がってろ」

 

 その言葉は、決して命令ではなかった。

 それは懇願であり、嘆願であり、願いだった。

 

 「……嫌です」

 

 彼の背中に向かって、震える声が返る。

 短い一言。だが、そこには確固たる意思が宿っていた。

 

 「頼む、下がっててくれ」

 

 彼の声に、わずかな迷いが滲んだ。

 ヒフミの頬を流れる涙が、銃を構えた手の震えよりも雄弁に、この状況の悲劇を物語る。

 

「ヒフミ、俺は……俺はあいつらを狩って生きてきた。今まで何千、何万という奴らを葬ってきたんだ。その中で、元の姿に戻れた奴なんて――一人もいない」

 

 湿った夜気の中で、ダンテの声が沈んで響く。

 その言葉は、ひどく乾いていた。

 事実を突きつける冷徹さと、どうしようもない現実への苦悩が、彼の背中を通して伝わってくる。

 

「違……違います。また、一緒に歩むんです。絶対に絶対に……!」

 

 ヒフミの声は震えていた。

 それでも、彼女の目にはまだ消えていない光がある。

 けれど──。

 

「このまま放置していたら、あいつは必ず人を殺し、笑みを浮かべる。お前も……そんなアズサの姿、見たくないだろ」

 

 振り向きたくなかった。 彼女の悲しむ顔なんて、見たくない。見せたくない。

 

 だから、ダンテは前だけを見据えた。

 

 目の前、獣の姿をしたアズサが、獰猛な唸りを上げながら疾駆する。

 一瞬の隙を突き、肉を裂く鋭い爪を、ダンテの懐へと突き立てるように跳び込んできた。

 

 だが──。

 

 それを迎え撃つのに、ダンテは一瞬の迷いもなかった。

 身を低くし、地面に手をつき、獣の動きを見極める。そして、その勢いを利用し、鋼のような脚で蹴り上げた。

 アズサの身体は、弧を描いて夜空へと弾き飛ばされる。

 いつもなら、ここで火を吹くはずの銃が出せない。彼は──追撃の一手を出す事が出来ない。

 

(畜生……何か、何か方法はねぇのかよ……)

 

 握った銃が重い。

 これまで、幾度となく悪魔を仕留めてきたその指が、今は引き金にかけられずにいる。

 その重さの正体は、彼女達がくれた青春の光。

 

 それが、心を縛る鎖となっていた。

 

 ──もう、終わりだ。

 

 ヒフミの耳に、低く鈍い声が響いた。

 それは、この事件の首謀者。そして、アズサが止めようとしていた者の声。

 

「所詮、この世界は残酷だ。あらゆる努力は無駄で……足掻こうとしても何の意味もない」

 

 冷たい雨を貫くその声は、まるで世の理そのもののように錯覚させた。まるで、希望なんて存在しないと宣告するように。

 

 ──違います!!!

 

 絶望の闇に沈もうとする刹那、空気を震わせる声が響く。ヒフミは反射的に振り向いた。そこには──ハナコとコハル。彼女達の姿があった。

 

「ちょっと先生! 何諦めた顔をしてるのさ! いつもの澄ました表情はどこ行ったのよ!?」

 

 コハルの強い瞳が、ダンテをまっすぐに捉えていた。

 

「まさか、諦めるなんて言わないでしょうね!?」

「そうです! アズサちゃんを傷つけたら、さすがの私も怒りますよ!!」

 

 ハナコとコハルの声は、ただの焦りではない。

 いつも冷静で飄々としたダンテの表情が、今この瞬間、かすかに歪んでいるのを見逃さなかった。

 

 ──そんなの、先生じゃない。

 

 二人の胸を締めつけたのは、目の前の彼が見せた、わずかに滲んだ苦悩だった。

 

 ダンテは、常に笑っていた。

 それがどんな状況であろうと、どれほどの強敵を前にしようと、まるで余裕を楽しむように野次を飛ばし、飄々とした態度を崩すことはなかった。

 だが、今の彼は違う。

 言葉がない。表情にはかすかな陰りが落ち、かつての揺るぎない自信は、そこにはなかった。

 迷いがある。戸惑いがある。

 どうしていいか分からず、出口を探しあぐねる子供のように、ただ黙っている。

 そんなダンテの姿を、二人は見たくなかった。

 そして、見てはいけないと思った。

 

「先生にはそれだけの力があるじゃないですか! ヒフミさんもそう思いませんか!?」

 

 じめじめした空気が、一気に吹き飛ぶ。

 どこか冷えていた心が、少しだけ温かさを取り戻す。

 まるで、いつもの日常的なやり取り。一瞬の合間に崩れ去った日常の再起。

 

 ヒフミは、思わず涙をこぼしそうになった。

 このまま終わらせるなんて、そんなこと──許されるはずがない。

 まだ、終わりじゃない。

 彼女は再び獣のように変わり果てたアズサへと目を向けた。

 

「お別れだなんて、最後だなんて言わないでください。努力が無駄なんて……どうしてそんな事が言えるんですか? どうしてすぐに諦めてしまうんですか? 例えアズサちゃんが何者かになったとしても」

 

  それでも私は。

 

 ”──静かに、歩き出した”

 

 アズサちゃんが人殺しになるのは嫌です。

 そんな暗くて憂鬱なお話、私は嫌なんです。

 それが真実だって、この世界の本質だって言われても、私は好きじゃないんです!

 

 ”──まるで、駄々を捏ねる子供の様に”

 

 私には、好きなものがあります(補習授業部)

 平凡で、大した個性もない私ですが……自分が好きなもの(補習授業部)については、絶対に譲れません!

 友情で苦難を乗り越え、努力がきちんと報われて。

 辛いことは慰めて、お友達と慰め合って……!

 

 ”──彼女は走り出す!”

 

 苦しいことがあっても、誰もが最後は、笑顔になれるような!

 

 そんなハッピーエンドが、私は好きなんです!!

 

 ”──光を帯びた巨大な翼は、彼女を天高く飛翔させ”

 

 誰が何と言おうとも、何度だって言い続けてみせます!

 私たちの描くお話は、私たちが決めるんです!

 終わりになんてさせません、まだまだ続けていくんです!

 

 私達の物語を!

 

 彼女の声が、魂を震わせるように響いた。

 決して折れない意志が、稲妻のようにその場の空気を切り裂く。

 光を孕んだその翼は、吹き荒れる絶望の嵐をも振り払うように広がり。

 

 ”──そして、獣と化したアズサを、そっと包み込んだ”

 

 アズサを抱え地に足を着けたヒフミは、自身の変貌した翼になど興味も抱かなかった。

 それよりも、この場を支配する冷酷な運命の空気──それが当然であるかのように振る舞う者たちの視線が、何よりも許せなかった。

 

 「あなたたちは……殺し合いしか能が無いのですか(殺し合うな)!!」

 

 張り詰めた空気を裂くように、ヒフミの声が響いた。

 青白い閃光が翼の周囲に迸り、その背丈を優に超える巨大な翼が、大気を震わせるように広がる。

 彼女の瞳には怒りと悲しみが入り混じり、今にも涙をこぼしそうなほどだった。

 

 「他にいくらでも方法があるはずです(他に方法があるだろ)!!」

 

 翼の影に包まれたアズサは、意識が朦朧としながらも、その温かさに微かに身を寄せた。

 それが、かつて自分が知っていたヒフミの温もりであることを、どこかで理解しているかのように。

 

 「悪魔であっても、アリウスであっても……アズサちゃんは……私が死なせません!!」

 

 決意とともに、ヒフミは力強く宣言する。

 それは誰に向けたものでもなく、この世界に対する誓いだった。

 

 「この戦いも、罪も、何もかも消してみせます(私がこのクソ喧嘩を止める)!!」

 

 巨大な翼が風を切り裂く。

 地を這う絶望を振り払い、ヒフミはアズサを片翼に包むと、再び天へと舞い上がった。

 青白い光が彼女の軌跡を描き、残された者たちの視界に焼き付く。

 

 「文句があるなら……相手になります(文句あるか?)!!!」

 

 雷鳴のごとく響くその声に、誰もが息を呑んだ。

 それは、たった一人の少女が放った、世界を変えるための咆哮だった。

 

 

 

 

 

 

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