「じゃあ行きますね──えいっ!」
それは健やかな朝の時間。
風に揺られる落ち葉のように、ふわりと軽やかに跳ねるシャトルが宙を舞う。パコンっ、とガットの表面から鳴る音は語尾にハートマークが付きそうなほど柔らかく、それに釣られてフリルの付いたスカートは踊るように靡き、太ももからお尻のラインが見え隠れするその動きに、ギャラリーにいる正義実現委員会の赤点担当は思わず頬を染める。
一見、平和を象徴するような透き通った空気。キャッキャウフフと無邪気な鳥の様な声が体育館を反響し、仄かに熱気を帯びたその空間は、学び舎での青春の一場面だ。
しかし──相対する男がその聖なる空気を切り刻む。
鼻から大きく息を吸い込んだと思ったら、両足で地面を蹴り飛ばし、自身の身体を突き飛ばす。
胴体を軸に宙で半回転させてその反動を利用し、シャトルに向かって一直線。遠心力は苛烈に極まり、巻き込まれた空気は風となり、風圧を産む。
細長いバトミントンのラケットから滲む音は鞭を超え、風を切り裂くかまいたちを仄かに発生させた。
鮮やかな弧を描いたシャトルの頂点。降下するタイミングでラケットを大きく振りかぶり、突風と共にその柔らかなシャトルを思いっきり打ち返す。
──リボルバー。
それは、氷の眷属から得た武器の一振り。
ドゴォッ!!
まさかの爆音。羽根つきのはずのシャトルが、とんでもない速度でコート床に突き刺さる。衝撃で床が少し凹み、シャトルは「強く打ち過ぎじゃない……?」と言わんばかりに白い羽根を震わせている。
「な……な……!?」
──見えなかった。
浦和ハナコは驚愕する。
およそスポーツで出して良い速度ではない。
それは人体を貫く力だ。
ハナコは思わず仰け反り、ラケットを落としかける。せっかくの「キャッキャウフフ」バドミントンが、戦場のごとき破壊力で台無しだ。けれど、彼の満面の笑みはまったく揺らがない。むしろ、してやった感で溢れているからタチが悪い。
「せ……先生?」
ネットの向こう側で、にやりとほくそ笑んでいる大人が一人。
ダンテは挑発的に口を尖らせ、顎を傾け玉の催促を促す。勿論、彼は一ポイント奪取。カウント係のヒフミはバタバタと大慌てでスコア表をめくり、油性ペンがカサカサした音を立てて記入している。
「い、今のはさすがにカッコいいを通り越して、恐怖しか覚えないのですが……先生、床に穴開いてるの見えてますか?」
ハナコが若干涙目で抗議すると、ダンテは悪戯っぽくウインクしてみせる。
「バドミントンはシャトルを打ち合うスポーツだろ? 俺は最高の打ち返しを狙っただけさ。気にすんな、次は俺のサーブの番だな」
「……それじゃ次のサーブいくわよ~」
コハルが新しいシャトルを差し出し、ヒフミがカウント表を持って構え、アズサは少し離れたところで冷静に状況を観察していた。とはいえ、次に何か起こったら床だけでなく天井まで破壊されるんじゃないかと、ほんのり心配そうだ。
「ま、サーブくらいはゆっくり打ってやるさ。それ」
再び宙へ放たれたシャトルがくるりと回る。その瞬間、ヒフミとコハル、そしてアズサは一気に息を呑んだ。サーブですら超常現象じみた凄まじいスピードで飛んでくるかもしれない。楽しみと恐怖が入り混じる中、皆がその行方を見守る。
「あ♡ これならぁ♡」
パコォンッ♡
風に揺られる落ち葉のように、ふわりと軽やかに跳ねるシャトルが宙を舞う。パコンっ、とガットの表面から鳴る音は語尾にハートマークが付きそうなほど柔らかく、それに釣られてフリルの付いたスカートは踊るように靡き、太ももからお尻のラインが見え隠れするその動きに、ギャラリーにいるコハルは再び頬を染めた。
ハナコがコートの隅へ駆け出す姿は、まるでお嬢様がうずうずしていた子ども心を解放しているようにすら映った。日頃は背筋を伸ばした優雅な立ち振る舞いを心がけているのだろうが(?)、いまはしがらみも外聞も忘れ、ひたすら放たれるシャトルを待つ。縺れそうな足取りをステップさせ、軽く汗ばんだ頬に笑みを浮かべる様子は、どこか神秘的と言っていいほど素の彼女を垣間見せていた。
それもこれも、全ては補習授業部の仲間達に出会い、共に過ごしてきたからだろう。
ヒフミもアズサも、そんなハナコの姿に思わず口元を緩ませる。なんでもそつなくこなす端麗な彼女の印象とは正反対の無邪気な一面。
そんな彼女の顔が見れたのなら、今回の遊びは成功と言って良いだろう。
だが──ダンテはそんな青春の一コマなどに瞳を奪われる程、安い男ではない。
再び地面を大きく蹴ったその体は、前方へと大きく体を回転させる。
遠心力を巧みに操り、飛翔の勢いを殺さずに宙を舞うその姿は、相対する者の恐怖心をさらに煽るだろう。ラケットの軌跡が曲線を描き、その表面がシャトルに当たると、再び弾丸の速度でシャトルは突進し、突風を巻き起こした。
──月輪脚。
それは、彼の兄が魅せた技である。
そしてその技をバドミントンで魅せたのは、彼が世界初であろう。
ドゴォッ!!
まさかの爆音。羽根つきのはずのシャトルが、とんでもない速度でコート床に突き刺さる。衝撃で床が少し凹み、シャトルは「強く打ち過ぎじゃない……?」と言わんばかりに白い羽根を震わせていたが、次第に力尽き、ぼろぼろに朽ちてしまうのであった。
「おおっと、ダンテ選手二点リード! 悪いなハナコ、俺は一人の大人としてガキに負ける訳にはいかねーんだ。ギャンブル以外でなら俺は無敵だ! わかったか!」
ネットの向こう側で、にやりとほくそ笑む大人が一人。
ダンテは挑発的に口を尖らせ、顎を傾け玉の催促を促す。勿論、彼は一ポイント奪取。カウント係のヒフミはバタバタと大慌てでスコア表をめくり、油性ペンがカサカサした音を立てて記入している。
あまりの玉の速度、そして身のこなしに勝ち目が無いと判断したハナコは、その場に膝を着く。
そして瞳を震わせ乞うような目線でダンテを見つめた後、震える唇で彼に向かって言葉を投げた。
「あのぉ……せめてラリーだけでもさせてくれませんか。これでは戦場と何も変わらないじゃないですか」
「何を言ってんだ。試合をしようって提案したのはハナコだぜ? しかも負けた方は罰ゲームで服を一枚脱ぐってルールでな。もし降参なら服を脱いで貰おうか。おら、いつもみたいに全裸間際になってみろよ」
ダンテは知っていた。ハナコという人物は自ら露出をすることを良しとするが、他人から強要されると恥じらいを感じる奴だということを。
そしてハナコは知らなかった。大人だから、最終的には子供である生徒に華を持たせてくれる。そんなストロベリーサンデーみたいな甘さなんてダンテが寸分も持ち合わせていないという事を。
「あのぉ、先生。私この下には一部に絆創膏を張ってるだけなのですが……」
「だからどうした?」
ネットの下を潜るのではなく、態々ネットを飛び越えてハナコの元へと着地するダンテ。その圧倒的な威圧感から逃れようとしたハナコの足元は絡まり、陥没した床に足先を引掛けコケてしまいそうになるも、瞬時にふわりとした感覚が身体中を駆け巡った。
「あ、す、すみませ──」
「このまま服を捲るか」
「はいぃ!?」
両手をばたつかせるが、腰に腕を回された彼女に逃れる術はない。
服の裾を指でつまみ若干体操服を浮かせると、思わず彼女は顔を真っ赤にし裾を抑える。だが、当然力では敵うはずもなく、段々とおへそ辺りが見え隠れする。
「変だな、いつもはもっと臆面もなく裾を捲ってた筈だぜ? 何を恥ずかしがってる?」
「うぅ……やぁん♡」
「逃げないでいいのか? どんどん捲れてるぜ?」
「あの……先生流石に……」
「ヒフミ、これは大人からの指導だ。こうやって痛い目に遭わないとこいつは何も学ばねぇ。大人の男は怖いんだぜってのを知るいい機会だ」
「いや……ですから……その」
「ハナコ、噓だな? 背中からの感触で分かるぜ。絆創膏だけとか言いながらしっかりと下着は付けてやがる。もっと力が強くなっちまうな。どうするハナコ?」
「あう……先生そんな無理やりだなんてぇ」
あの──!!
ヒフミの急な大声に、ダンテとハナコは思わず彼女の顔に視線を移す。
「マリーさんが来てます」
出入口へ顔を向けると、そこには光の無い瞳でただじっと彼らを見つめる少女が一人。
その足元にはいくつものペットボトルが散乱していた。水滴が纏わり付いていることから、恐らく誰かから本館の体育館でバドミントンをしているとの情報を得て、その差し入れとして買って来たのだろう。ダンテの推測は正しく、マリーは思いやりの心を持って体育館を訪ねたのだ。
だが、そこで行われていたことはおよそ「先生」の行動とはかけ離れた姿。
折角あのエデン条約の事件で、格好よくて強くて頼りになる大人という姿を見せていたダンテの評価は、ここに来て地に落ちる事となる。
「そうですか。先生──そういったのがお好きなのですね」
いつもの微笑みを浮かべ、彼女は床に落ちたペットボトルを一本ずつ拾い、隣にいたコハルに手渡すと、今度は両手を胸に添え、顎を上げ天に向かって祈りを捧げ始めた。
「どうか──先生の内なる悪魔が追い出されますように。どうか──先生の心が健やかでありますように。どうか──先生に雷が落ちますように」
ダンテはハナコの腰から手を解き、マリーに向かって一歩二歩と足を進めるが、その分マリーの足も一歩二歩と彼から遠ざかる。
「あの、お話をされたいのでしたらこの距離でも大丈夫ですよ」
「いや待てマリー。これは……誤解だ。お前は誤解している。なに、ちょっとした遊びってやつさ。なぁハナコ」
当の本人は床にぺたりとお尻を付け、両手で胸を隠しながら、憂いた瞳で頬を赤らめさせていた。
「……先生」
「どうした?」
「私……新しい何かに……目覚めたかもしれません」
「……そうか」
もう一度マリーの方へと振り向くと、彼女の瞼は細まり、微笑みの口元は真横に並び、眉間を目元に寄せ険しい表情に様変わり。
普段の彼女を知っている者ならば、あまりにもそのレアな顔に思わず写真を撮ってブラックマーケットに売り飛ばす展開まで思いつくだろう。だが、如何せんダンテはその顔を見慣れている為、希少価値であることなど脳裏に思い浮かび上がりもしない。
「先生、セイア様がお呼びになられてました」
「セイア? あぁ、ティーパーティーの一人だったか」
「あら? てっきりお会いされていたのかと。目覚めてすぐに先生の名前をお呼びしていたと聞いてましたから」
「ああ、会ったと言え会ったが……」
「ふぅん、そうですか。もう既に手を出されているのですね。流石です」
棘のある言葉を残し、背を向けその場を後にするマリー。
「おお、あのマリーさんが……! 先生に向ける視線だけ特別な何かを感じました! 流石ですね!」
「ヒフミ、あれは軽蔑っていうのよ!」
「うむ。間違いないな」
「あぁ……♡」
ーー
ーー
「やぁダンテ先生。夢の中以来だね。覚えているかい? ……どうしたんだい? 顔に疲れが出ているよ」
「気にするな。俺にも色々あるんだよ」
トリニティ学園の高層階、廊下の奥にある一室。
扉を開けた途端、まるで保健室のように清潔感溢れる光景が広がっている。そこは、セイアを保護するための専用施設だ。部屋いっぱいに淡い光が広がり、医療機器を思わせる機材の類も目に入るが、何より目を引くのは、橋に置かれたパイプベッドだった。
パイプベッドは常にシーツが変えられているのか、汚れの一つも見当たらず。部屋の隅にはコンパクトな空気清浄機が置かれ、規則的に小さな風を送り出している。浮かぶように柔らかなライトスタンドは、外の陽ざしが足りない夜間でも穏やかな照度を保ち、安らぎを与えてくれそうだ。
さらに視線を奥へ向けると、ソファが置かれているのが分かる。指令室などで見かけたソファとは違い、こちらは雲の上を連想させるほどの柔らかさを持った逸品らしい。厚く幾重にも重ねられたクッションは、腰かけるだけで思わず体を預けてしまいそうなほど。ひとたび座れば、ベッドの代わりとしても十分機能しそうな座り心地がイメージできる。
壁際には書類を収納している棚があり、トリニティ学園のエンブレムが配されたファイル類がきちんとまとめられている。ここでセイアに必要な情報や治療記録が整理されているのだろう。一方で、カーテンレールが設置されているあたりは、まさしく医療空間といった趣きだ。
「先生、見ての通り私は身体が弱い。だから単刀直入に情報を伝える」
「情報?」
「あぁ、情報さ。──私は視たんだ。均等に並ぶ……とても不吉な、三つの赤い光を」