──並ぶ不吉な赤い光。
セイアの言葉を聞いた瞬間、ダンテは無意識に眉を顰めた。これまで幾度となく魔界の覇王や名だたる上級悪魔と対峙してきたが、赤い光とひとまとめに呼べる存在など、限りなく絞られる。それも、最悪の一体。
そう──魔界の帝王「ムンドゥス」
かつてマレット島で繰り広げた死闘が、ダンテの意識にありありと甦る。敬虔な宮殿の奥に鎮座していた神をも連想させる石像。崩れゆく岩肌、血と硝煙が交じり合った焦げ臭い空気。圧倒的な魔力と威圧感。それらすべてが生々しく、今なお瞼の裏に焼き付いている。
一度目は、魔剣スパーダの力を借り、最終的にはトリッシュの力を仮りて次元の狭間へと封印した。
二度目は並行世界ではあるが、己の悪魔の力を解放せずとも、魔剣リベリオンと愛銃エボニー&アイボリーだけで討ち倒すことが出来た。
「ふっ、まさかキヴォトスに逃げ込んでいたとはな……」
思わず息を吐き出し、ダンテはホルスターにある補習授業部から贈られた双銃をちらりと確認する。以前の武器が無くとも戦略は全て記憶してあり、二度も渡り合ってきた相手だ。いくらキヴォトスに来て魔力の大部分が消失しているとも言っても、打ち勝つ自信しかない。だが、もし本当に自身が知っているマレットのムンドゥスが関わっているのだとしたら……奴も馬鹿ではない。確実な勝算を持ち動くはずだ。
彼の瞳に宿るのは、かつての苦い記憶が呼び起こす憎しみと、己を奮い立たせる闘志だ。胸の奥底に残るザラついた感情が、ふつふつと熱を帯び始める。
一方で、セイアは表情を曇らせながらも、それでも淡々と現状を報告しようと努めていた。彼女がなぜこんな不可解な情報を掴んだのか。ダンテにとってもその背景を聞く必要があるが、今はとにかく赤い光というワードが頭の中を支配し、落ち着かせる暇さえ与えてくれない。
「ムンドゥス……か」
ダンテが口の中でそっと反復したその名は、耳にするだけで神経が研ぎ澄まされる。もし奴がこの世界を己の物にする算段を整えてるとしたら──キヴォトスや生徒たちを巻き込む前に、必ず阻止しなければならない。いや、既にどこかで奴の手が伸びていると思うと、居ても立ってもいられず拳を握りしめる。
彼が今いるのは、どこまでも青空が広がる学園都市。悪魔の蠢く魔界の景観とはまったく異なる、ある意味で平和に満ちた世界。その平和が無惨に蹂躙されていく未来など、想像するだけでも胸糞が悪い。
懐かしいようで忌々しい記憶──崩れゆくマレット島の残響。そこから逃れるように、背筋を伸ばし、ふっと目を細めた。
「いいだろう、何度だって相手になってやるさ。やることは一つ……奴をぶっ倒すだけだ」
かつての死闘を経て、ダンテは自身がどれほど傷ついても構わないと覚悟している。それこそが、スパーダの息子としての使命なのだから。濁った赤い光が支配する闇を、再び切り裂く──その決意は、マレット島の最期の瞬間から何ひとつ変わっていない。
「……先生は、その存在に心当たりがあるようだね」
淡々とした声色には、明らかに探るような響きが混じっていた。視線を向けられたダンテは、口を引き結ぶだけで答えようとしない。けれど、その沈黙こそが何よりも雄弁に真実を語っている。
「まぁな。だがセイア、夢の中だろうが絶対にそいつの近くに寄ったりするなよ? 好奇心を刺激されたとしても絶対にだ。そいつに関わると碌な結果にならねぇ」
セイアはそんなダンテの様子を見て、ぽつりと言葉を零した。
「私にはさっぱりだよ。でも、先生程の人がそう言うんだ。忠告は素直に受け取っておこう。だが、これだけは伝えさせて欲しい。その不吉な赤い光は、アリウス地区から発せられた物だ」
「アリウス? そうか──じゃぁ、アズサが悪魔に変わっちまったのもそいつが原因かもな。まぁ、あいつなら造作もねえだろ」
セイアは息を深く吐き、ソファの背もたれにぐったりと体を預けた。
「……すまない、もうそろそろ限界みたいだ。数時間起きて数時間眠るこの生活は何かと不便だね。先生、もし手を貸して貰えるなら、ベッドまで私を運んではくれないかい?」
その言葉にはどこか遠慮がちな響きが混じっていたが、ダンテは無言のまま了承し、すぐに腰を上げる。彼女のもとへ近づく足取りは、いつもの軽薄な仕草に似合わず慎重だ。セイアに触れる際、ほんの一瞬ためらいを見せたものの、首筋をそっと支え、肩を抱きかかえるようにして膝の裏をすくい上げる。そしてゆっくり、パイプベッドへと運んだ。
彼の腕の中、セイアは恥じらいなのか、あるいは本当に疲労が臨界に達しているのか、か細い息を漏らしながら身をゆだねる。淡い照明の下、カーテン越しに差し込む外の光が、彼女の白い頬をわずかに照らす。まつげがかすかに震え、痛々しいほどの疲労を訴えていた。
「悪いね先生」
「このぐらいどうってことねぇよ。それより、しっかり休め」
まるで扱い慣れた荷物を下ろすように丁寧に、ダンテはセイアの体をベッドへ下ろす。シーツが柔らかく受け止め、彼女の身体がはだけないようにサッと掛け布を引き寄せた。
セイアは、うっすらと目を開けてダンテを見つめる。そこには、こうした日常とはかけ離れた幾多の死闘をくぐり抜けてきた面影はあるが、不思議と安心感も同居していた。彼女は薄い笑みをこぼし、御礼をと小さく口を動かす。
「そういえばお前、ミカには会ったのか?」
「ミカ? ……まだだよ。面会に来るようにと何度か伝えている筈だけど、彼女は来てくれないんだ」
「じゃあ、俺が呼んでくるか。何、タイミングを計って来るさ。仲良くしろよ?」
「……すまないね。でも、彼女の事情は推し量って知ることなど容易さ。そう簡単に私に会いに来るとは思えないが……先生の言葉なら届くかもしれないね」
ーー
ーー
地下深くの牢獄とは思えないほど、そこは美しく飾り立てられていた。柔らかなランプの明かりに照らされる壁は、磨き抜かれた石造り。豪奢な織物がふわりと垂れ下がり、ふと足元を見るとふかふかの絨毯まで敷き詰められている。まるで貴賓をもてなす客間としか思えないが、これでも牢獄だというのなら、人はそこを天国と呼ぶかもしれない。かすかに立ち上る甘い紅茶の香りが、さらにその錯覚を深くするようだった。
そんな空間の中央には、捕らわれの天使──ミカが、ただひとり。鉄格子の向こうには小さな小石が転がっているが、不自然なその存在など彼女の瞳には映っていないのだろう。膝をつき、両手の指を互いに絡ませ、天へと祈りを捧げるように額を垂れている。
──悪魔の罪深き声が聞こえたら
──いつも背中を向けるんだ
耳を澄ませば、誰かの歌声が地の底から湧き上がるように響いてくる。混ざり合う空気や石壁の反響が、どこからともなくその音色を運び、やがてミカの胸にしみ込んでいった。彼女はそっと薄く瞼を閉じ、まるで手招きされるように自然と口元を動かす。
しん、と張り詰めた牢獄の空気が、ひとつの透明な波紋になって拡がっていく。
ミカが口ずさむ旋律は、聴く者をまるで聖堂の最前列へ導くような、崇高で清浄な響きを放っていた。潤んだ瞳をすっと伏せ、オペラ歌手さながらの声。心の底に深く染み渡るような優しささえ感じさせる。
まるで、悪魔の足音など一切届かない高み。天界をそのまま地上へ落とし込んだかのよう。祈りの姿勢で歌う彼女の横顔には、小さな後悔も、悲しみも、迷いも見当たらなかった。微かなライトに照らされている白い頬は、安らぎの光に淡く染まり、牢獄に似つかわしくない幻想的な雰囲気を際立たせている。
──もしここへ悪魔が踏み込んできても、かの声に惑わされることはない。いつも背中を向けて、ただの祈りに全てを捧げる。
その決意を象徴するように、ミカの唇から紡がれる調べは、甘い紅茶の香りとともに牢獄全体を包み込んだ。甘く、そして限りなく透き通る歌声が、豪華絢爛な地下の空間を癒やしているかのようでもあった。
「あ、先生来てたんだ」
「たった今な。いい歌声だ。俺と一緒にロックミュージシャンでも目指さねーか?」
「今のどこがロックなの!?」
鉄格子の扉を開き、ソファにもたれ掛かると、目の前にある丸テーブルの上に一杯の紅茶が差し出された。
「でも、Out of Darknessだなんて、如何にも典型的! って感じがしない? 皆、誰しも内なる悪魔を持ってる。背中を向けろなんて簡単に言うけどさ」
「ミカの中に悪魔がいるとすれば結構強そうだ。百獣の王にでもなれるんじゃないか?」
「んもう! 先生、私は乙女なんだよ!」
「壁破壊する乙女がどこにいる──……ミカ、そのおでこの傷はなんだ?」
「え? あぁこれね。たまにいるんだ、セイア様を傷つけた魔女めーって檻の中に石を投げ込んでくる人がさ。私は抵抗しようがないし、トホホって感じだよ」
「どこのどいつだ? 今から鼻へし折って来てやるよ」
「いいの。……結果はどうであれ、私のやったことは消えないんだもん。それに、きっとこのまま退学だろうし」
退学という言葉を自身から発するミカの背中は、少し丸くなった。
「色々罪があるかもしれねぇが、セイアはお前に会いたがってたぜ」
「……うん、何度か通達が来たから知ってる。でも、でもね──もしセイアちゃんが私の罪を許してくれなかったら、その時は……いや、許されるべきじゃないんだよね、何を言ってるんだろう私」
「俺から見ても、セイアはそんなに気にしてなかったように見えたがな。でも……そうだな。恥ずかしくても辛くても、想いは直接言葉で伝えないと後悔するもんだぜ」
「先生も同じ事があったの?」
「まぁ色々な。年長者の言う事は聞いといて損はないと思うが、自身の問いに答えるのはミカだ。心の悪魔に背を向けるんだろ?」
紅茶を飲み干したダンテはそのまま腰を上げ立ち上がり、ミカの肩に手を数度乗せ、また来るからなと言葉を残しその場を後にする。
「……後悔、か。もしかしたら……でも。ううん、悩んでても仕方ないよね」
ーー
ーー
──では、ここからの展開は全て私にお任せください。偉大なる御主の降臨の為でもありますし、そもそもあなた達では私の足手纏いでしかありません。
(ここは……どこだ? 薄紅色の床に、白い円環。ああ、私はまた明晰夢の中にいるのか)
セイアにとって、そこには見た事のない影が四つ。
それぞれが不吉な影をちらつかせるが、特に、赤い肌の上に純白なドレスを身に纏っている人物からはおよそ人間とは思えぬ程の悪意を感じ取り、思わず体が震える。
──生贄に必要な素体は4人。あの液体を飲ませた一人の生徒はどうしてかその力を失いましたが、まだ錠前サオリが残っています。
──ベアトリーチェ、ひとつ伺いたい。その御主の降臨の為ならば、そもそもエデン条約襲撃など時間の無駄だったのでは?
──よい質問です。私の目的はただひとつ、ミメシスだったのですから。あの無限とも思わせる軍勢を従え、そして御主に献上する。キヴォトスを蹂躙するのにも数は必要ですから。くく……聖園ミカは良い仕事をしてくれました。彼女が居なければその憎しみは分散され、計画の意図に気付く者が現れたかもしれません。
(ミカ? 何故ミカの名前が出てくる。奴らは一体──)
──あぁ、素晴らしい。シャーレの先生の存在が無いとこうも簡単に計画が進むとは。
──シャーレの先生……ですか。クックック、確かに敵が居なければ悪役は世界を蹂躙し、跋扈する。ですがここはキヴォトス、最後まで油断なさらない方が良いのでは?
──黒服、あなたはまだ御主のお力をご理解されてないからそう言えるのです。キヴォトス最高の神秘を二人相手にし、大人のカードの力も簡単に破った私ですら、あの御方の前では頭を上げることすらおこがましい。いずれあなたにも理解出来る日が来るでしょう。
(シャーレの先生が……存在しない? ではあの先生は……? 彼女は何を言っている?)
──おや? あぁ、確かここら辺でネズミが入り込むのでしたね。喋り過ぎました。ですが、まぁ良いでしょう。トリニティの総戦力を以てしても、私を止める事の出来る力など存在しない。儀式は進み、生贄は血に変えられ糧となる。では、私はこれにて失礼します。
ーー
ーー
「はぁ……はぁ……。さ、先程の光景は一体……? あの赤い者、なんという殺気だ。あんなのが存在してよいものか……うぅ、ゲホッゲホゲホ……!」