ダンテ先生概念   作:3ご

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魔女

 ──想いは直接言葉で伝えないと後悔するもんだぜ。

 

 ミカの頭の中で反復するその言葉は、彼女の気持ちと重たくなった腰を奮い立たせ、瞳に力強さを取り戻させる。

 結果など、どうでもよいことなのだ。例え失敗しても、嫌われても退学になったとしても、その後も人生はずっと続いていく。あの時ああすれば──もっと細かくアリウスの動きを見ていれば、セイアを捕獲するのではなく、襲撃してヘイローを破壊するという作戦も防ぐことが出来た筈だった。

 

「……謝ろう。謝らなきゃ」

 

 自分の中では分かりきっていることだが、声に出して宣言しないと足は前に進まない。そもそも、謝罪だけで済む問題ではないのは重々承知している。それでも、この奮い立つ気持ちを抑えられず、彼女は備え付けの呼び鈴を鳴らした。

 

「あ、ごめんね急に呼んで。セイアちゃんからの通達読んだの。……うん? 二人っきり? ……うん、わかった」

 

 そのやり取りを終えた直後、鉄格子の蝶番が軋む音を立てて開く。年季の入った金属音は、まるでミカの罪悪感を深い闇へと引きずり戻そうとするかのようだ。彼女は一度深呼吸し、息を整えて感情の波を鎮めると、意を決して一歩を踏み出した。

 

 空気の通りが悪く、薄暗い照明が連なる細長い階段を一気に駆け上がる。そして勢いよく扉を開くと、そこには久しく感じていなかった眩しい陽光が広がっていた。目を細めるほどの眩しさを、ミカは煩わしくは思わない。むしろ、それは彼女にとって未来を指し示す光のようだった。花壇で育つ花の香りがほのかに漂い、その穏やかな空気感が先ほどまでの暗い影を嘘のように胸の奥へと追いやる。

 

「じゃぁ、連れて行ってくれる? セイアちゃんの所に」

 

ーー

ーー

 

「ゲホッ……ゲホゲホッゲホ……。う……く、だ、ダメだ。血が止まらない。い、意識が……」

 

 ──一体、何が起こっているんだ。あの赤い影は何者なんだ。

 恐ろしい、恐ろしいまでの悪意……あの力は……覚えがある。アリウスを観測しようとした時、阻まれたものだ。だとしたら、私はアリウスに入ったという事か? 

 白洲アズサの予知夢を見た時と……同じ力、感覚。つまりは──。

 

「だ、だれっ……か、は や 先生 に」

 

 ──始点だ。

 

 エデン条約の襲撃、そしてアリウス生徒の絶望と悲鳴。白洲アズサに飲ませた液体も、キヴォトスの終焉が書き換えられ、より凄惨な深紅の世界になっていたのも……。

 

「へ、変だ。今、予知夢が? ……これは、いつだ」

 

 な、なんだこの……夢は。

 あれは……アリウススクワッド? 三人が必死に戦って……でも……ぁあ、そんな。なんて残酷なことを。血を、血を啜って……肉を千切る。人間のやることではない。

 彼女達が生贄に捧げられようとしている。

 

 こいつが、こいつが始まりだったのか。

 

 この、女が──。

 

「目が覚めましたか?」

 

 高く聳える尖塔はとうに崩れ落ち、その名残を残す石柱たちが静かに立ち尽くしていた。足元には砕けた床石や瓦礫が無秩序に散らばり、歩を進めれば鈍い音とともに砂埃が舞い上がるだろう。正面には壮麗であったろうステンドグラスの大窓──しかし今はその大半が砕け、尖った破片がかすかな赤色の輝きを残している。

 その赤色の光源は、大窓の奥でひっそりと、まるで覗き込むようにセイアともうひとつの影を見つめていた。

 意思を感じないのにも関わらず、その赤の光から漏れ出る悪意に、セイアの足は震え上がり、眉を顰める。

 

「うぅ、ここは。……この建築様式はアリウスの──あれは……!」

 

 大窓の下で、三体の十字架がかすかな震えとともに影を揺らしている。そこに磔にされた人影は、両手と両足、さらに胴までを幾本もの槍で貫かれ、死か生かすら分からぬ状態で微かに呼吸を繰り返していた。機械的な吐息が断続的に響き、どこか人工的な呼吸器でも嵌められているかのように思える。

 あまりの惨状に、見た瞬間、思わず尻餅をついてしまう。血と痛みに支配された光景が網膜に焼き付いて離れず、意識の大半を恐怖が染め上げていくのが分かった。弱々しく震える足を引きずって後ずさろうとしたその刹那、背後からぬっと現れたもう一つの影が容赦なく首筋を鷲掴みにする。

 どくり、どくり、と血が耳の奥で脈打ち、力が抜けた腕が抗う間もなく宙に浮く。息が詰まり、視界に暗雲が漂う。飲み込まれるような恐怖と絶望の狭間で、十字架に磔の彼らの荒い吐息が、かすかな鐘の音のように耳鳴りの奥で響き続けていた。

 

 「予言の大天使……お久しぶりですねぇ。いや、この世界では初めましてが正しいのでしょうか?」

 

 妖艶な声が廃墟の大聖堂に響き渡る。まるで旧知の仲かのように緩やかに言葉を紡ぎながらも、その口調には侮蔑の色が滲んでいた。首筋を強引に掴まれたセイアは、息苦しさに耐えきれず、か細い声で問い返す。

 

 「い、一体何を……!! この場所は……!?」

 

 焦点の定まらない瞳が、十字架に磔にされた人影をかすめる。そこには残虐な現実が揺らぎ、扉を閉ざした恐怖が薄氷のようにひび割れる。ベアトリーチェと名乗る女は、興味を失ったかのように、セイアの身体をぞんざいに放り捨てた。

 

 「はぁ、まぁ良いでしょう。二度も説明するのは面倒ですが、御主の前です」

 

 骨ばった床に倒れ込んだセイアは、襟元を押さえたまま痛々しい咳を繰り返す。息を整えようとするが、彼女の苦しげな声がベアトリーチェには不愉快に聞こえたらしい。次の瞬間、躊躇なく繰り出された蹴りが、彼女の脇腹を容赦なく捉える。

 

 「っ……!」

 

 低いうめきが床に吸い込まれ、セイアの身体は大きく弧を描いて吹き飛ばされる。石畳の硬い衝撃をまともに受け、追い討ちのように沸き起こる痛みに視界が白く染まった。ベアトリーチェはそんな彼女に一瞥もくれず、まるで煩わしい蝿を払うかのように靴先を下ろす。

 

 「ここは──バシリカ。至高の御方が降臨なさる、神聖な場」

 

 どこまでも冷酷に響く声と、灰色の空気に溶けていくセイアの断末魔。痛みと絶望だけが、薄明の廃墟を支配していた。

 

「だ、誰の事だ」

「誰? ……誰と言ったか」

 

 途切れがちな声をもらすセイアの首元を、ベアトリーチェは容赦なく掴み上げる。ふらつく彼女の身体を無理やり引きずり、十字架に磔にされている三人の前へと放り出すように座らせた。

 傷だらけの三人は、半ば意識を失いかけているのか、あえぐような呼吸の合間に誰かの名を呟いている。熱に浮かされたようなその呻き声は、聴き取ろうとするセイアの耳に凍りつくような恐怖を呼び起こした。

 

「特別に、謁見の機会を与えましょう。さぁ御覧なさい。あの大窓の奥を──!」

 

 ベアトリーチェが嘲るように指し示した先には、大聖堂の大窓。そこからは三つの赤い光が、不気味に形作るように並んでいる。まるで三角形をなぞるかのごとく浮かび上がるその配置は、絶え間なく放電するかのような雷を伴っていた。

 赤い光の源から漏れ出す力は、言葉にしがたい闇と威圧感を孕み、セイアの胸を一瞬で軋ませる。脈打つ動悸が呼吸を乱し、脳裏には理解不能な恐怖が渦巻くばかりだ。十字架に縫い止められた三人が、かすれ声で訴えかける誰かの名と、三つの光から発せられる圧倒的な存在感。その相乗効果で、セイアの意識はますます混濁し、どうにもならない絶望に呑み込まれそうになる。

 

 静寂を切り裂くかのように、雷が鋭い稲光を走らせるたびに、大窓を映すその赤い光がさらに明滅を増していた。

 

「ぁぁ……やだっやめろ!!!!!!!! 離せっ!!! こ、来ないでくれっ! 私の中にっ。くっ、うぅ、あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああ」

 

ーー

ーー

 

「ふぅー……大丈夫、大丈夫。まずは謝って、それから……それからどうしよう。ううん、なんとかなるよ!」

 

 胸に手を添え、大きく息を膨らませる。そのままゆっくりと吐き出す吐息に耳を澄ませ、自身の心理を素直に受け止めると、心音が収まった。

 トリニティ上階にある、学内でも重要人物しか立ち入ることのできないその空間は、彼女の心情をさらに圧迫させる。事件を起こす前でもあまり立ち入らなかった場所だった。

 ドアノブに手を掛け、ゆっくりと扉を開くと、開幕一番に薬品の匂いが漂う。保健室に置いてあるガーゼのような匂いと、セイアが好きな芳香剤の香り。まさしく、中に彼女がいる証拠だ。

 前まではその匂いに鬱陶しさを感じてたミカ。だが、今の彼女にとってその匂いは、セイアが確実に生きているという安心を呼び寄せる。

 

「やっほーっ! セイアちゃん、沢山お手紙来たから顔を見せに来たよ! ……ありゃ?」

 

 付き人の話ならば、この時間帯はいつも起きている。

 だが、どこにもセイアの姿は無く、あるのは揺らめくカーテンと、隙間から零れるお日様の光。

 

「あれー? いないじゃんね」

 

 一歩、二歩と足を動かす。

 ベッド横のマグカップは横に倒れ、中にある飲み物は床にこぼれ水滴を床に垂らし、花瓶の入っていた花はその花弁が全て毟り取られ、およそ役割を果たしていない。

 

「セイアちゃん……? あれ? そんな所で何をしているの?」

 

 ベッドの向かい側。カーテンの下でうずくまり、小刻みに体を震えさせる彼女を姿を見て、ミカは眉を顰める。

 その異様な光景。初めて見るセイアの姿に戸惑う彼女だったが、その背中があまりにも怯えており、手を差し伸ばす以外選択肢が思い浮かばない。

 ゆっくりと足音を立てない様に歩き、セイアの名前を呼びながらゆっくりと手を伸ばす。そして肩に触れそうな距離まで近づいたその瞬間。

 

 ──触れるなっ!!!!

 

 怒声とも読み取れる大きな声が、部屋中に響く。

 

「ちょっとセイアちゃん? 呼び出しておいてそれはあんまりかなーって! ほら、私今銃も没収されてるし、何も怖い物なんて持ってないよ?」

「く……来るな、来ないでくれ……やだ、やだ……ぁ」

 

  ミカはそっと膝を折り、セイアと視線を同じ高さに合わせるようにして、その顔を覗き込んだ。そこには言葉で語るにはあまりにも痛々しい、引き攣った表情があった。視線は合わず、虚空をじっと凝視している。唇は震え、かすかに歯軋りを立てているのが分かる。

 まるで──見えないお化けに怯えている子どものようだった。

 

 「セイアちゃん……?」

 

 呼びかける声に反応は薄く、彼女はまるで自分の世界に閉じこもったままだ。ミカは視線だけを動かし、周囲をそっと見渡す。どこかの椅子に座らせて落ち着かせられれば、と頭を巡らせるが、どうしてこんな状態に陥っているのか、さっぱり見当がつかない。

 

 ──もしかしたら。

 

 そんな考えが脳裏をかすめる。思わずミカは、自分がここへ来るまでの行動の数々を振り返った。いくら行き違いがあったとしても、セイアから見れば自分は殺人者同然なのではないか。ミカの知らぬ間にセイアの中で、いくつもの恐怖や疑念が膨れ上がってしまったのかもしれない。

 セイアはとても優しい子だ。必要以上に人を責め立てず、むしろ何とかして許そうと振る舞おうとする。きっと今回も、難しい言葉や理屈を並べて、どうにか面会できるよう精神を奮い立たせていたのだろう。けれど、実際にミカの姿を目の当たりにしてみれば、今まで押し込めていた感情がお化けのように湧き出し──それが、彼女を恐怖へと追いやっている。

 

「せ、セイアちゃんっ! ほら、恐くないってば! いつもの私だよ? ねぇってば!」

 

 あれだけ沢山の手紙を出しておいて、この仕打ちは──だが、それがセイアの答えなのだろう。

 ミカの中で、ある結論が結び付けられる。

 

「セイアちゃん、私もう行くね? ……その、勇気を振り絞ってくれてありがとう」

 

 最後に、一度だけ触れたい。

 そう告げる声は、どこか微妙に震えていた。ミカは立ち上がって一度だけセイアの方を振り返ると、そっと彼女の肩に手を置いて撫でる。

 だが──。

 

「うわぁぁぁぁぁぁぁああああ!!!」

 

 セイアは悲鳴に近い叫び声を上げ、反射的に飛び退る。逃げようとした拍子にパイプベッドの足元を思い切り押し倒してしまい、甲高い金属音が病室に鳴り響いた。まるで流れるように、宙に浮いたセイアの身体は受け身を取る事無く、床に叩きつけられる。

 

「だ、だれか……だ れ か。たす、たすけ──」

 

 セイアの声は途中で詰まるように途切れ、再び苦しげな息の音だけが聞こえる。目の焦点が合わないまま、こちらに縋るような仕草を見せる様子は、あまりにも痛ましかった。

 次の瞬間、セイアの背中がどくりと脈打つのが分かったかと思うと、勢いよく唇から赤い液体があふれ出して床を濡らしていく。

 

「あ──ぅ──」

 

 白目を剥き、項垂れるようにぴくりとも動かなくなったセイアの元にミカが駆け寄る。

 

「セイアちゃん!?」

 

 声を上げたそのとき、廊下から慌ただしい足音が近づいた。あまりに大きな物音と悲鳴に不審を抱いたのか、付き人らしき人物が飛び込んできた。

 

「セイア様!? 一体これは!?」

 

 治療部屋とは思えないほど散乱した光景に、駆け込んできた生徒は目を疑った。転倒したパイプベッド、床一面に広がる血液。そして、その中心には口から血を吐き昏倒しかけているセイアがいた。どこか生気のない瞳を翻したまま、呼びかけにも応えられない。

 それだけなら、単なる事故かもしれない。だが、その横には、自分たちが魔女と呼ぶ憎むべき存在が立ち尽くしている。殺人者、聖園ミカ。それを見た生徒達の表情は、いっそう強張った。

 

「まって、違うのこれは──」

 

 ミカは必死に言葉を紡ぎ出すが、誰にも届かない。先ほどの凄惨な光景とセイアの惨状を前にしては、その言い訳すら疑わしいものとしてしか映らないのだろう。生徒達の瞳に浮かぶのは、蒼白な恐怖と、怒りに似た憎悪。視線は容赦なくミカを追いつめるように注がれる。

 

「あ、あ、あなた!!! 誰か!! 正義実現委員会と救護騎士団を呼んできてください!!! 魔女が、魔女がまたセイア様を殺そうとしています!!!」

 

 一人の生徒が悲鳴じみた声を上げると、周囲の何人かが慌ただしく廊下へと走り出す。ミカは唖然としたまま口を開きかけるが、ぴたりと言葉が続かない。弁解を重ねたい気持ちと、凄惨な現状を前に呆然とする現実が、ちぐはぐなまま頭の中でぶつかり合っている。

 

 「私は──そんな……」

 

 声にならないつぶやきが、崩れ落ちたベッドのパイプと、床に広がる血に吸い込まれていく。生徒たちの鋭い視線はまるでナイフのようにミカを貫き、さらに強い怒号が飛んだ。

 

 ──この……魔女めっ!!!

 

 

 

 

 

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