「エンジニア部は……どこだ?」
ユウカは忙しいからと、何度も未練に苛まれながら彼と別れた。
振り返ると目と目が合ったが、その展開を計算していなかった彼女は合わせる度に赤面し、そっぽを向く。そしてもう二歩三歩と歩みを進めて再び振り返るも、その度に彼とまたまた目が合い、再び赤面。
艶やかな照れ顔があまりにも可愛らしく、思わずひっそりと背後に立ってみようかと画策した彼だが、これ以上は思春期の乙女としての許容を超えてしまうと、あくまで紳士に振る舞った。
そしてミレニアムのロビーに躍り出て、階層の案内図から目的地の場所を探しだす。二階からユウカが顔を覗かせていたが、気づかない振り。
トレーニング部に野球部……謎のヴェリタスという部活から、ゲーム開発部まで。トリニティとは違い、あくまでも常識的な範囲の部活が多い。
科学技術が異様に発展はしているが、それは生徒が目の前の課題に真摯に取り組んだ結果であり、学内政治などにかまけている暇はないということ。それぞれが己の探求したい事に全力疾走。ここに来てやっと彼の知識にある学校っぽい場所に出くわしたと、ほっとすると同時に、刺激的な出来事が少ないと暇になるなと、頭を捻る。
だが、その平穏も束の間だ。
確実に悪の手がこの学校に舞い降りようとしているという話。ユウカからの説明を何度も頭の中で反復。
相手が企業なら、一人一人は力を持たない一般人だ。その相手に己の力を全力でぶつける訳にもいかない。前と違って今は先生。理知的な対応を求められる場面にだって出くわすだろう。
駆け引きや小賢しい場面は……正直苦手な部類だ。今までは圧倒的な悪意との戦いが多かったが、このキヴォトスに来てからというもの、より事情が込み入る戦闘ばかりで迂闊に殺意など出せない。
「あ、危ない──!」
声が反響する刹那。背後から迫りし異様な気配の物体を目視せず軽々と避ける。
背中越しに飛び越えてきたその黒い影。細い足の四足歩行。一見動きは流暢に見えるが、一歩一歩しっかりと地面を踏みしめる様子から、生命体とは思えない。
まるで犬に擬態した物体の塊を見て、理解するのに数秒掛かった。
「ふー……セーフ」
全く持ってセーフでは無かったが、当たらなかったのは事実。
機械の前に躍り出た少女は、機械のお腹の下辺りに手を入れカチッとスイッチを押すと、その犬型の機械は動きを停止し、点灯していたアイセンサーから光が消える。
うんともすんとも言わなくなった機械を抱えた彼女は、無表情で小走りに彼の足元へと駆け寄りった。
「すまない。怪我はなかったか?」
艶のある黒髪を腰下までまっすぐ垂らし、額の上でティアラ型のヘッドバンドがきらりと光る。肌は褐色で、琥珀色の瞳が鋭く光を捉え、見る者を正面から射抜く。見た事のあるメイド服は、きっとC&Cの者だろう。漆黒のワンピースに、胸元とエプロンの純白フリルが強いコントラストを描き、ターコイズブルーのラインが袖やスカート裾を飾る。
アスナに負けず劣らずの抜群のプロポーション。赴くままに足元から頭の先まで視線を這わせると、少女の顔が段々と渋くなり、我に返る。
褐色とは正反対の瞳の色に、数秒沈黙の回答が疼いた。
「ま、いつもの事だ。気にすんな」
いつもなら「誘ってんのか」の軽口の一つでも出る筈なのだが……キヴォトスに来てからというもの、相手の殆どが麗しき少女達。しかも己は先生だ。ただ先生になったのではなく、崇高な魂から託された願い。それ相応の振る舞いをしなければといつも念頭にはあるのだが、長年の癖が壁となって立ちはだかる。
「ほっ……よかった。実はこのロボ犬、脱走してて」
「ロボ犬が脱走ね」
「全部で三機いるはずなんだが、中々見つからなくて。もしよければ一緒に探してくれると嬉しいのだけど……」
「急な展開を押し付けてくるじゃねえか。俺、昨日ミレニアムに来たばかりなんだが、それでもいいのか?」
「大丈夫だ。スマートフォンに位置を送ろう。逃げ足が速い奴だから、視界に入り次第すぐに追いかけるといい。当然私も残りの三機を探す」
「ん? 残り二機だろ?」
「え? ……ぁ、ああそうだった。残り二機だ」
迷い犬ならぬ、迷いロボ犬。
どこか挙動不審な彼女だが、生徒の困りごとを無碍にする訳にもいかず、渋々引き受ける事となった。
「よろしく──角楯カリンだ。あなたは……先生だな?」
「よく知ってんな」
「ふっ、キヴォトスは噂が広まるのは早いから」
「どうせ禄でもない噂だろ。いいぜ、もう慣れっこだ」
じっと視線を外さないかと思いきや、瞬きが多くなる。
「黙るなよ。なんか言えよ」
ーー
ーー
「──監視カメラ、視界良好。コールサイン──ゼロツー、応答せよ」
「こちらコールサイン・ゼロツー。ターゲットと接触を図り誘導に成功した。次なる指令を待つ。オーバー」
「こちらコールサイン・ゼロスリー了解。指定ターゲット、作戦地域まで残り二分。ゼロスリーはそのままロビーで待機してください。何か不審な点は?」
「不審な点は見受けられなかったが、視界外との唐突な接触にも反応を示して──いや、避けていた」
「流石は”キヴォトスに舞い降りた悪魔”と名高いシャーレの先生です。これくらいでは動じ無いのですね。……ふふふ。では、コールサイン・ダブルオー。準備はよろしいですか?」
「あーはいはい準備は出来た。ったく、なんであたしがこんな」
耳元のインカムからけだるそうな声が響くと、その奥で金属がぶつかり合う音が響く。
「ダブルオー、全てはコールサイン・ゼロワンの為です」
「うるせぇな……ち、分かってるよ。ったく」
「む! ターゲットが射程圏内に入った。トラップを起動する!」
彼女のスマートフォンに映る監視映像。長い廊下を大柄な男が悠然と歩くのを捉えた瞬間、天井に仕掛けたリモート機関銃が作動した。
装填はゴム弾。威力は骨折寸前だが、学外者、しかも先生に鉛弾を撃ち込むわけにはいかない──それがC&Cの最低限の倫理だ。
「さて……どう動く?」
指先でズームを固定した刹那、視界から男の姿が霧散した。まるで最初から存在しなかったように。
思わず抱えていたロボ犬が腕をすり抜け、タイルにカツンと落ちる。
彼女は急いで別角度のカメラに切り替えるが、モニターは無人の廊下を映すばかり。
「ゼロスリー、状況報告」
「こちらも同じ。ターゲット、映りません」
「赤外線トリップは反応中だ。掃射ログも生きてる。──どうやって消えたんだ?」
問いは空気を切り裂くが、返答はない。音声チャネルには機関銃の排莢音だけが乾いて残り、廊下のスプリンクラーが跳ねた弾の衝撃波で微かに揺れていた。
機関銃があらぬ方向に銃口を向けたその瞬間。天井の根本から銃本体を機械ごと引っこ抜く男の姿が急に現れたと思ったら、まるで雑草を抜くように機関銃を地面に叩きつけた後、たった一撃の踏み足が機械を霧散させていた。
「……ゼロツー、あのブーツには何か秘密でもあるのでしょうか」
「いや、私が見た時は何も不審な点は見られなかった」
「なるほど、これは想定外でしたね。銃弾の嵐を突破出来ずに迂回するかと思いましたが……。総員、これよりプランBに移ります。各自速やかに行動を」
「めんどくせーなー……」
監視カメラの中にいる男は、「あったあったこれか」と言いながら、俊敏に動きまくるロボ犬を片手で拾い上げると、その腹部分に目掛けて拳を貫通させていた。
あまりの躊躇いもない惨い光景に開いた口が塞がらなかったカリンは、やはり噂は本当なのではないかと口を堅く結ぶ。「スイッチはここか? よくわからねえし、機械だからいいか」という台詞を聞き逃さない。
「あの可愛いロボ犬を躊躇いもなく……!」
実はエンジニア部から借りてきた備品なのは内緒の話だ。きっと、C&C経由で部費の催促が来るだろう。これまたセミナーの冷酷な算術使いにどやされると思うと、溜息が漏れた。
ーー
ーー
「ターゲット発見。教室に現れました。準備はよろしいですか?」
「こちらゼロツー了解。リーダーも準備はいいか?」
「はいはい了解了解」
横引の戸をまさかの蹴破りながらの登場は驚いたが、作戦の遂行に支障はない。
すぐさまスマートフォンの画面をタップし、罠を発動させる。
粘着性のあるネットと、地雷仕掛けのスモークグレネード。ロボ犬の手前に設置したそれは、常人ならば絶対に気付かれない様にカモフラージュをしている。
「なぁ、今さら聞くのもあれだが、これでどうやってあの先生の真意を見抜くんだ?」
「例えどんな機械でも、扱いによっては人間性を垣間見ることは出来ます。それは普段の日常ではなく、突発的な出来事が起きた時にその面が見えるというものです。そうですね......普段のリーダーがその例だと」
「喧嘩売ってんのかお前!?」
「二人共落ち着いて。ロボ犬の方に向かってる。罠まですぐだ」
教室の四隅に追い込まれているロボ犬。左右交互に首を振るも、逃げる様子もなく彼を見つめ続ける。
その様子に不信感を抱きながらも、彼は一歩……また一歩とロボ犬に近寄り、罠へと足を踏み込もうとした瞬間──。
「あ! ご主人様だ!」
静寂を打ち破る甲高くも可愛らしい無邪気な声。彼女達はその声をインカム越しに耳に入れると、そういえば今日はどこをほっつき歩いていたのかと、一番マークしなければならない人物を思い出す。
ネルとの約束で暫くはミレニアム周辺から出ないように警告はしていた。だから大丈夫だろうと勝手な憶測は完全に失態である。
ドア口に現れたアスナは、満面の笑みで弓なりに身を反らせる。おなじみの発射角だ。ところが彼は罠から半歩退き、腕を胸の前で水平に広げて制止の構え。──校内では跳びつくな。と釘を刺したはずだからだ。
が、監視カメラ陣営はそんな彼の事情などお構いなし。監視モニターを見つめるカリンは、その動きをてっきり「抱きとめ体勢」と、先生に対しての印象を更に積み重ねる。
「お前、ここで何してんだ?」
「それはご主人様もでしょ? タレットの騒音が聞こえてきたから、もしかしてご主人様はここかなーって! 本当にいるんだもん。ラッキーだね!」
「俺はカリンって奴から、このロボ犬を捕まえてくれって頼まれたんだよ。にしてもミレニアムも物騒だな、いきなりタレットが掃射してくるなんざ、おちおち散歩もできやしねえ」
「え? そんなことないよ? あ、分かった! きっとタレットもご主人様に飛び込みたいんだよ!」
「……願い下げだ」
アスナは小走りにロボ犬へと近づく。
そんな彼女を彼が止める筈もなく、腕を組み目で追うだけだ。
ここで慌てるのは監視カメラ陣営。カリンは思わず画面に向かい声を出すが、当然聞こえる筈もない。
カチっ。
乾いたプラスチックの音が教室に響くと、四方八方からいくつもの煙幕が飛び出し、教室内を白く染め上げる。
一体全体何事かと慌てるが、そこで彼はユウカからの言葉を思い出していた。
ミレニアム生徒を襲撃する悪の存在。そして今回は遂にC&Cのアスナを襲撃し誘拐しようと画策した事。
地面の亀裂からワイヤー彼らを取り巻くように飛び出し、また更にその下から網目状の捕獲縄が飛び出してきたことから、推測は確信に変わる。
「危ねえ!!!」
同じく俊敏に反応した彼女だが、足が縺れ、地面に倒れ込んだ。捕獲縄はそんな彼女の眼前に迫っているが、ひとつの大きな影が彼女を覆い、蹲る。
「ターゲット確保!! さぁここからどう出るのでしょうか!」
「どうしてターゲットを確保してるんだよ!? 大体煙幕だけじゃなかったのかよ!? あたしはあんなもん用意してねえぞ!?」
「仕掛けたのは私だ。煙幕だけじゃ、きっとあの先生は確保出来ないと思ったから」
「趣旨が変わってるじゃねえか!? ぶっ飛ばすぞお前ら!?」
ネルの恫喝を無視しつつ、食い入るようにそれぞれ監視カメラに目線を釘付けた。
白い煙がゆっくり晴れると、網に包まれた二人の姿が鮮明になった。
「ご、ご主人様……急に近い……」
しおらしく赤面した彼女の顔と、警戒心を抱いた彼の瞳は……吐息が被る程近い。
すぐそばで見上げる彼の凛々しい顔立ち、それはあまりにも年頃の少女には刺激的すぎる色気だ。
大好きなご主人様がこんなにも近い──なんて無邪気な思考は霧の中に隠れ、己の内側から出た選択は、照れと焦燥が入り混じった感情。思わず隠してしまいたくなる衝動の結果は、自身の顔を彼から背けさせることだった。
「そういや、ミレニアムもキヴォトスだったな。油断したぜ」
ダンテはため息交じりにぼやくと、収縮を続けるネットのワイヤーを片腕で引きちぎる。切れた繊維がぱらりと舞い、拘束はあっさり消滅。立ち上がった彼は手を差し伸べ、まだ頬を染めたまま固まっているアスナに向かって軽く顔を動かす。
アスナは数秒だけ呆け……やがて何も言わず、その手をそっと握り返した。
「……カリンなら知ってるよ。同じC&Cだもん」
顔を俯かせながらそう返すと、彼女は足元で不安そうに耳を伏せていたロボ犬を抱き上げた。腹部のメンテナンスハッチに指を差し込み、カチッとスイッチを押すと、機械の尻尾が小さく振動する。「行こっ」──それだけ告げ、踵を返して教室を後にした。振り向くことはなく、軽い足取りのまま廊下の曲がり角へ消えていった。
「──読めました」
監視モニターの白い光がアカネの眼鏡に鋭いハイライトを落とす。真横ではネルが呆れ顔で横目を送るが、アカネの視線は画面に釘づけだ。
映像の中でダンテは肩を落とし、げんなりしたまま俯いている。そのわずかな呼吸のリズムと身体の角度を秒単位で解析し、彼女は瞬時に答えを導いた。
「アスナ先輩を華麗に救出する場面でしたのに、出た行動は覆い被さるだけ。きっと欲を我慢出来なかったのでしょう。ラッキー的なのを期待していたはずが、腰が引いてしまったのでしょうね!」
「いや……ただ代わりに罠を受けただけだと思うが」
「そしてアスナ先輩の反応はというと、きっと幻滅したのでしょう。緊急事態を良い事にあれやこれやと考える大人など、信用足りえないと判断したのでしょうね」
「どうしてそう解釈出来るんだよ!!! 国語0点かお前!?」
「どちらにしろ、私達の作戦は大成功です。これでC&Cの危機は免れたと言っても良いでしょう」
「あーあーはいはい、もうどうなっても知らねーぞ」
ーー
ーー
ロビーで待ち構えていたカリンの元へ、アスナが辿り着くと同時に、ダンテもその後ろでカリンに合図を送った。
とりあえず捕まえてきたと報告する所だが、アスナはカリンの手を取り、振り返らずにその場から急いで去っていってしまった。
どこか慌てふためいたその様子と、あらぬ展開からの誤解に言葉を交わしたかったが、思春期のパーソナルスペースを一気に踏み抜いてしまったのは事実。
「咄嗟とは言え、やっちまったか。……ふぅ」
彼は小さく嘆息し、気持ちを切り替える。今度こそ真面目に用件を済ませねば──そう考え、壁際の案内図へ視線を移した。
地図上でエンジニア部・部室の文字を見つけると、指先で軽く叩き、歩き出す。背後から聞こえる少女たちの足音は、もう角を二つほど曲がった先へ消えていた。
──胸の鼓動が、どうしても静まらないの。
ぽつりと漏れた先輩の告白に、カリンは一瞬返事を失った。廊下の隅で膝を抱えて座り込むアスナの横顔を、ただじっと見つめる。頬に残る微かな朱と、指先のかすかな震えが、言葉以上に……すべてを物語っていた。