──お近づきの証に。
シャーレに帰還する一日前のお昼頃。彼の最後の寝床になる部屋の中心のローテーブル。ぽつんと置かれた大きめのダンボールの天板に、そう書かれた紙は張り付けられてあった。
宛名は……黒服とだけ書かれ、その送り状主が偽名を使っているのか、そもそもふざけているのか今の所判別が出来ない彼は、とりあえずはと、その荷物に無造作に開ける。
既に荷物は送っている。だからだろう、彼の表情には僅かなめんどくささが灯るが、どこの誰だか知らない者から贈られたプレゼントに、若干心は浮ついていた。
「まさか補習授業部の奴らか? だが、今さらお近づきもクソもねえよな」
距離感などという言葉を出すのが憚られるくらい、近い。特にハナコとヒフミの距離感は他の生徒と比べ物にならないくらい、近い。零距離とまでは言わないが、そう言っても差し支えない程、近いのだ。
ハナコは性格上理解出来る範囲であるが、ヒフミがやたら最近、近い。トリニティから離れ、ミレニアムに行くかなければならないと、連邦生徒会の伝言を伝えてからというものの、その距離は日に日に近くなっていると感じる彼である。合体まで秒読みである。
特に、ヒフミはよく手を握ろうとしてくる。理由は定かではないが、暖かくて好きなのだそうだ。流石のダンテといえど、年端もいかぬ少女だとしても、あどけなさも魅力に映る美女にいきなり手を握られては本来シャイな性格の部分が露出し、居心地悪そうな顔を晒しだす。
とまぁ、そんなことは置いといて、だ。今はこの箱の中身が重要だ。
しっかりと固定されたガムテープをリベリオンの剣先で切り、蓋をそっと開く。
キャップの付いた瓶が1ダース。一本取り出し外観を確認するも、ラベルなどは貼られておらず、不信感が募る。
だが、眺めていては話が進まない。そのキャップを回し開け、瓶口に恐る恐る鼻を近づけたその瞬間──彼の頭の中に、一凛の花が咲き誇った。
「こりゃ……ジンじゃねえか。まじかよ」
ジン──それは即ち……酒である。
「へえ、粋の良い贈り物をする奴もいたもんだ。しかもチョイスがジンとなりゃ、俺の事を知ってる奴か? まぁ、そんな細かい事はどうでもいい。まだ昼間だが、一杯くらいひっかけてもハスミとかコハルには怒られねえだろ。というか、そもそも酒って何か知ってんのかなあいつら。キヴォトスには一滴も売ってねえからな。ま、何か言われたら消毒用アルコールの試飲とかごまかしときゃいいか」
あまりの興奮に出鱈目な言い訳を考え始めるダンテだが、勿論当の本人は気付くはずもなく。
「じゃあまずはグラスと氷だな。ストロベリーサンデーは……もう冷蔵庫も撤収しちまったし、用意出来ねえ。売店で焼きそばパンを買うか、それともナギサにピザの配達をお願いするかどちらかだ。って待てよ? 冷蔵庫が無いなら氷も用意出来ないじゃねえか」
キヴォトスに来て初めてのお酒。それはつまり、何か月も禁酒をしているという事だ。
彼は煙草は嫌うが、酒は好きだ。嗜好品として愛している側面も持ち合わせている。いつものお気に入りのつまみはストロベリーサンデー。豪快にかっ喰らった後、キンキンに冷えた口内にジンを流し込むのが定番である。
「緊急事態だぜ……この俺に冷や汗を掻かせるたぁ、この黒服って奴は策士かもしれねえな」
お酒に必要な贄、それはグラスに氷、そしてちょっとこじゃれた乾き物。
プラス、映画なんかあれば最の高であるし、若しくは騒ぎの中クールに一杯やるのも捨てがたい。このタイミングなら、補習授業部を読んで物を用意して貰おうと考えた彼だが、絶対に最終的に爆発オチが起こり、瓶が全滅してしまう可能性もある為、却下だ。
はてさてどうしたものかと、彼は頭を悩ませる。
食堂の場所など把握していないし、行った所で生徒の目が多い。未だ彼に懐疑的な生徒も多く、その中でそのセットを頼むとなると、また変な噂を立てられかねない。
コンコン。
そんな深淵の闇の中にいる彼の身体に光を当てるように、ドアからノックの音が響く──。
「ああ、先生こちらにいらしたのですね」
淡い髪を波打たせた少女が、静かに手を組んでいる。
猫耳を思わせる黒いフード付きベールと、修道服をモデルにした黒と白の衣装には、十字を象った金の装飾が随所に施され、胸元には淡いターコイズブルーのストール。左サイドの髪はゆるく三つ編みにまとめられ、耳元には白い小花と深緑の葉飾りが寄り添う。澄んだ水色の瞳とわずかに上気した頬が、穏やかな微笑みにやわらかな気品を添えている。
天使を思わせる風格。
そんな彼女の姿を見て、ダンテは心の拳を強く握りながら、この奉仕の女神が今このタイミングで舞い降りた事に、深く感謝を捧げそうになった。
「お荷物は今日全部送り出しました。といっても、先生は荷物なんて殆ど持っていませんでしたが……」
もじもじと手を組みなおし、澄んだ瞳は上目遣いで彼を捉える。
「今日で……私のお世話係もおしまいです。ほんっと、色々ありましたが、ダンテ先生にはとてもお世話になりました。日常生活は殆ど壊滅でしたけど、トリニティと、そしてアリウスを救ってくださったのは事実。あの時の大聖堂の時だって、先生がいなければ私は大けがをしていました。どのような感謝の言葉を捧げても足りない程です。今日一日、私に出来る事があれば精いっぱいの奉仕を──」
そんな彼女のこそばゆい台詞を、両手で彼女の両肩を掴んで遮るダンテ。
何事かと目をまん丸くぱちぱちとさせているマリーは、彼の焦燥し切った表情を見て、やっと本当に彼の力になれる──。そんな淡い期待を胸に、いつもより距離が近い彼の身体に許可を出しながら、精いっぱい耳を傾けようとした。
「マリー、今日も可愛らしい顔してんな。お前がいりゃ、毎日が祝日みたいなもんだ」
「えええ!? そ、そうですかぁ?」
ド直球に見た目を褒められる準備など、こと静謐さが売りの彼女からすれば、あまりにも死角からのレバーブロー。
銃弾よりも強力なそれは、いとも容易く乙女の頬を紅葉の様に染め上げる。
「なぁ、俺は今困ってるんだ。お前の助けが必要だ……マリー」
「せ、先生ともあろう方が助けが必要な状況なのですね!?」
「んだよ、俺だって困ることくらいあるもんさ。理由は後で話すが、俺は今少し小ぶりのグラスと、沢山の氷が必要なんだ」
「へ? 氷? グラス……ですか?」
きょとんとした彼女の頭の中、どうも点と点が繋がりにくい単語が並べられる。
(普通に考えますと、何かを飲む準備とか? でもたったそれだけのことで私にあんな顔でお願いごとをするのでしょうか? ……ハッ! 私は何故疑いから始めているのでしょう。シスターとして、奉仕は当然であたりまえのこと。その人が何かをしたいとか関係がありません! 困っている人を助けるのがシスターの役目! 先生……あなたのおかげで私は少しだけ成長したのかもしれません)
「はい、グラスと氷ですね? 今すぐお持ち致します」
「ついでに何か食べ物があれば……嬉しい」
「はい、ピザは在庫が切れていますが、簡単な物はご用意出来ると思います。少しお待ちくださいね」
これまでは、溜息を吐きながら部屋の掃除をするのが日課だった彼女は、初めてと言っても差し支えない彼の願いに、思わず心が震え出した。
夕飯は何を用意すればいいと聞けば、スマートフォンを見ながら「ピザ」としか答えない態度の悪い先生。たまに舌打ちをしそうになるのをぐっと堪える日々。その先生が困り果てた顔で、あんな真っ直ぐにお願いごとをされたのだ。今までの奉仕の経験を活かし、全力で応えなければならない。
彼女は小走りしながら、部屋と食堂を往復する──。
ーー
ーー
「あの……あの……何をしているのですか?」
「見ても分からねーか。酒を飲んでんだよ。酒って知ってるか?」
「ええ、まぁ……。少し前まではキヴォトスにも一部扱っているお店がありましたが、問題も色々起きておりまして、今では完全に禁忌とされている飲み物です」
「へぇ、そりゃ勿体ないことしてくれるねぇ。こんなに美味えもんを。って、なんでそんな遠くに行ってんだ?」
「いや、その……あまり近づきたくないと思いまして。私はここで十分です」
ローテーブルの上にあるのは、こぶりのアイスボックス。そして無造作に開けられた瓶と、結露に塗れたグラスが一つ。
マリーが持って来た乾き物は彼の口と相性が良かったのか、珍しく口をもぐもぐさせながらジンのロックをこれでもかと喉に流し込んでいた。
そんな彼を見て、彼女の頬はぷんぷん丸を超えてムスっとぷんぷん丸に大変身! もっと特別なご奉仕があるかと思いきや、ただ酒の準備をさせられたことに若干腹が立っている事を、本人は意識しても認めない。シスターはこれくらいで怒りはしないからだ。
それよりも、こんな真昼間から、しかも学園で先生が酒盛りをしているという事実。
眉がさらに険しくなる。ジト目で彼を見つめるその表情は、まるで下水でも覗いているみたいだ。
「んだよ。なぁマリー、酒を美味しく飲む方法って知ってるか?」
「私が知る訳無いじゃないですか」
むすっとした顔で答える彼女を見て、彼は口角を浮つかせる。
「隣に美女が居て、話を聞いてくれりゃ、酒も美味くなるってもんさ!」
彼はすくりと立ち上がると、大股でマリーの座るソファへと近づいた。
目にも止まらぬ速さで彼女の腕を掴んだ彼は、そのまま膝を着き、見上げる形で彼女にお願いする。
「俺と一緒に飲んでくれないか? 困ってんだ」
真剣な顔を知っているからこそ、その憂いを帯びた瞳に、思わず心臓が締まりそうになる彼女。
そんな彼の頼みなど、シスターである以前にマリーとして断る訳にもいかず、思わず手を重ねてしまうのであった。
「仕方ありません……!」
ついでに取ってきた瓶のぶどうジュースを片手に、彼のソファと同席する彼女。
仄かに香るアルコールの匂いに興味を惹かれながらも、悪魔の誘惑に目を逸らす彼女を見て、さらに口角が上がる彼。
「マリーか。おつかれさん。ほら、一杯──」
差し出されたのは彼が口にしていたグラス。
マリーは両手をぶんぶん振って上体を後ずさる。
「と、とんでもありません! 私は未成年ですし、飲酒はキヴォトスでは犯罪です!」
「未成年? じゃあそのぶどうジュースにぶち込むか」
「ダメです! いいですか先生! キヴォトスでお酒というのは──」
勢いあまって説教モードに入りかけたマリーの前で、ダンテはカップをくるりと回し、首を傾けて香りを嗅いだ。
「……じゃあ、代わりに祈りでも捧げてくれよ。ほら、酔っぱらいが明日を無事に迎えられるように、ってさ」
「それは……まあ、祈りならお安い御用ですが……」
マリーが胸元で指を組み、敬虔な面持ちで目を閉じた瞬間──
「その祈り、受けて立とう」
ダンテがニッと笑って乾杯し、ゴクリと一気に流し込もうとするが……中身はからから音を奏でる氷だけである。
「マリー、お酌してくれよ」
「はい?」
「俺のグラスに酒を注いでくれって意味さ」
「ええ……」
先生が、真昼間から、学園で、生徒に酒のお酌をさせようとしている。
その当事者である彼女は溜息を吐くが、それでもこの先生の功績はとんでもない。
だからといって好き放題するのは訳が違うのであるが……!
ここで彼女は、ある事に気付いた。
(んもぉ、どうしてこんな……ハッ! 先生はあの事件以降、誰かに労われたりしたのでしょうか? 最近皆さんどこも忙しいばたばたの状態でしたから、囁かなおもてなしさえ……していないのではないでしょうか!? そもそも、学園を救ったのにも関わらず、見送り会などの話しも聞きませんし……。これはあんまりです! 確かに問題がある人なのは間違いはありませんが、だからと言って何もせずに去るなど、ありえないことです! つまり、先生は寂しい……のですね、きっと。お酒というのは、本来は特別な日に飲む物。自身を慰める為、こんな部屋で酒盛りをすることを選ばれたのですね。ああ、なんて可哀そう。……私が、私が労わなくては)
「お酌……したことはありませんが、やってみます!」
慣れない手つきで無造作に瓶を取り、慎重に傾けていく。
あまりにも慎重すぎて、自身の身体ごと傾けている事にさえ気づかない彼女の姿に思わず苦笑する彼だが、敢えて口と閉ざした。
「おっとっと、これくらいでしょうか?」
「へえ。結構罪深い量入れてくるな。シスターとは思えねえぜ」
並々に注がれたジンを、これまたぐいっと喉に流し込み、量を半分にした。
流石の彼でも、久しぶりに飲んだ影響なのか、仄かに世界が歪んで見え始める。が、横にいるのは絶世の可愛い子ちゃん。思わず肩に手を添え身体に寄せると、彼女は目を真ん丸に開き、頬を染めながらもその行為に抗おうとせず、受け入れる。
「今までありがとなマリー」
「きゅ、急に何を言い出すのですか! ……その、シャーレには当番制というものがあるのですよね? お呼びしてくだされば……私で良ければ行きます」
「ああ、なんか連邦生徒会がそういう制度を作ってたな。じゃあ、住み込みで来てくれるか?」
「え!? わ、私は他の生徒にも奉仕を……ごにょごにょ」
「ふ、冗談だ。まぁ沢山呼ぶかもな」
軽く澄ました笑いを響かせる彼の顔にムッとしたマリーは、グラスにさらにお酒を注ぎ込む。
「是非とも、今日は酔いつぶれてください。先生」
「いいねぇ。だが、俺が本気で酔ったらお前なんてひとたまりもないぜ?」
──あの、何をしていらっしゃるのですか?
ドアの方に顔を振り向かせる。
そこに立っていたのは、シスター・サクラコと、シスター・ヒナタ。
「へ!? サクラコ様にヒナタさん!? えっとこれは違うんです! 先生がどうしてもと……! ね!? 先生も何か言ってやって……って何寝てるんですか!? 起きてください!! 先生、先生! あと早く肩に掴んでるその手を離してください! サクラコ様……? ヒナタさん……? 笑わないでください! これは違うんです! え? そんなに身を寄せ合ってるのに……ですか? こ、これは先生がどうしてもと……。あ、今写真を撮りましたね? 消してください」