ぷしゅーと頭部から湯気を晒し台に突っ伏すその姿は、彼女を知っている者からすればとても珍しい光景だろう。たまにお茶目な顔も曝け出すことはあるが、知恵熱でうなされてる子供みたいな呻き声を上げる場面などレア中のレアだ。
そんな彼女の事など露知らず、画面から効果音が鳴り響くと同時に現れたメッセージウィンドウ。既に20コイン……昼飯二日分を消費し為す術を失った彼女は、ただただその画面を見つめて大きな溜息を漏らす。
──サンドバッグの練習かい。これじゃ肩慣らしにもならねぇな。
挑発メッセージは二十通目。ネルは顔を真っ赤にして銃口を天へ向け撃ち放とうと立ち上がる──が、忘れていた足の痛みが脛から脳天まで突き抜け、呻きながら椅子に崩れ落ちた。
「……はぁ、もういい」
松葉杖をつかみ足を引きずりながら立ち去る背中を、スケバン三人組が慌てて追いかける。
「はぁ~ぁ、こうも負けが続くとテンション下がっちまう」
「なんだよネル、やられっぱなしでいいのかよ! あそこまで挑発されて引き下がるなんてお前らしくねーぞ!」
「いいんだよ、所詮はゲームだ」
とはいうものの、背中を丸くしてげんなりする彼女を見て放っておく気持ちになれなかったスケバン達。
いつも顔を見合わせてはいがみ合い、文句の代わりに銃弾が飛び交う間柄だが、それはネルだったからこそだ。そこら辺の品行方正な生徒と違い、己の主義主張を貫く彼女だからこそ喧嘩で負けても恥と何も感じなかった。不良にとってネルに喧嘩で負けるとは一種の勲章だ。勇気を持ったと見栄を張り合い、己より強い人間がいる世界で己の生きる道を模索する為の肝試し。
だから──また元気になって欲しいなんて優しい言葉は掛けずに、不器用ながらも気持ちを伝えようと必死になる……「しょぼくれるな」って唇をまごつかせながら。
「もう晩飯の時間だな。どうだネル、ファミレスで奢ってやろうか?」
「んだと……? へっ、今日はやけに優しいじゃねーか。奇襲の算段でも立てていやがんのか?」
「そうだとも、影から仲間が奇襲するぜ。それともビビってんのか?」
「ハッ! 誰がビビるっつったか? 受けてやろうじゃねえか」
夜の帷が降りそうな、ネオンの光が輝き増す時間帯。
意地っ張りな女の子と不器用な彼女達の青春の一コマを向かい側の台から見守る二つの影。彼女達がゲームセンターの自動ドアを抜けると同時に影は大きく両腕を天に掲げながら身体を伸ばす。
一人は蛍光色が煌びやかに反射した銀色の髪を気怠くかき上げ、もう一人は床まで伸びそうな長い黒髪を束ねバランスを取りながら背中を伸ばすと、充実した面持ちで彼に向かって満面の笑みを浮かべた。
「先生、どうして挨拶されなかったのでしょうか? 互いの拳を交差した者は友情が芽生えるとモモイが言っていましたが……」
「あんだけ挑発してたら喧嘩になっちまうだろ」
「ですが、拳を交わした仲で──!」
「レバガチャしてただけだ……」
キヴォトス人らしい猪突猛進をやんわりと抑えつつ、再度コインを入れNPCと対戦する傍ら、アリスは両手の拳を握りしめたまま駄々を捏ね始める。「うわーん! ジャックポッドするんですー!!」という主義主張をどういなせばよいか頭を悩ませているのも束の間、ポケットのスマートフォンから着信音が鳴り響く。
アリスを膝の合間に座らせ抑えながら、片手でレバー操作を続けながら端末を耳に当てた。スピーカー越しに弾むユウカの声……元気が良すぎるほどの呼びかけが、雑踏の電子音を突き抜けて耳奥に届いた。
今夜の獲物は先日と同じ、ミレニアムに巣くう犯罪者集団の相手だそうだ。さっさと聖遺物を全て回収すればよいのだが……脱出地点や証拠の隠滅など後方支援の作業が想定していたよりも時間が掛かってるらしく、どうせならとミレニアムの裏事を任されているシャーレの先生。刺激があって退屈はしない内容だが、基本的に悪さをしているのは思春期真っ只中の少女達。出来るだけ傷を付けないように抑えめに対処はしているが、彼女達の神秘を纏った銃弾は確実に彼にダメージを与える為か、手加減の匙加減が難しい状況だ。
「今日は同じセミナーの書記、ノアが先生の担当になります。私も業務が山積みじゃなければ先生の支援を行いたいのですが……」
「無理すんなよ。で、そのノアってのは色々把握してるんだな?」
「はい、ノアも知悉しています。……先生、信じてますからね!」
ぷつり、と通話が切れると同時に、筐体の画面に真っ赤なLOSEの文字が弾けた。丁度いい区切りだと椅子から立ち上がり、まだ名残惜しげに振り返るアリスの手を取る。
──小銭と電子音の渦を背に、二人は沈み切った夕暮れの残響が包む街に繰り出した。
空を見上げると、そこには無数の窓の光がそれぞれ輝きを増し始め、道行く人々の顔は様々な色の花を咲かせる。決意を帯びたスーツ姿の機械人に、仲良さそうに集団でスマートフォンを片手にカフェで談笑するミレニアムの生徒達。
賑やかで華やかな街並みにニヒルとは程遠い笑みを浮かべながら、彼はアリスに視線を落とした。
「そういえば、お前はこの三日間どこで寝泊まりしてたんだ?」
「アリスはモモイとミドリの寮にお忍びで寝泊まりしてます! 先日は部室でお泊りパーティを開きました!」
「んなら、何も心配しなくていいな」
彼はそっと膝をつき、彼女と視線を合わせる。先日預けたスマートフォンを取り出し、地図アプリで目的地を再確認。電子マネーの残高は十分──無駄遣いの痕跡もない。安心を胸に、彼女の瞳を見つめながら笑みを浮かべた。
「ミレニアムタワーとは正反対の場所だな。アリス、一人で帰れるか?」
「はい! そのクエストは何度もクリア済みです! 難易度の調整をした方が良いかもしれません!」
「それじゃクエストの条件は満たせないぜ。ただ真っすぐ帰るだけでいい」
ーー
ーー
ミレニアムタワーの上階。己の部屋の扉を開くと、そこには見慣れない人物が待っていたと言わんばかりに顔を上げ彼を見つめていた。
雪解け水を思わせる艶やかな銀髪が腰の下までさらりと流れ、柔らかなラベンダーの瞳が理知的な光を宿す。肩に掛かる白の上衣は、ミレニアム特有のクリーンな科学者然としたデザインで、縁取りのコバルトブルーが潔く走っている。ポケットにぶら下がるアクリルのIDカードが揺れ、首元から覗く細いネクタイが凛とした印象を添える。
プリーツスカートと漆黒のタイツが生むコントラストが、長い脚の線をより端正に際立て、足元のホワイトブーツは踵だけが群青色に染められていて、さりげなく制服のアクセントを拾っていた。左手には薄型のメモ帳。全身から漂うのは研究員のような冷静さと、生徒らしい初々しさが同居した独特の気品──まるで最先端の実験室から突然、静かな空に降り立ったかのような存在感だった。
「ダンテ先生ですね? 初めまして、生塩ノアと申します。ユウカちゃんがいつもお世話になってます」
「そう畏まるなよ。フランクに接してくれればいいさ」
声を掛けた途端、彼女は抱えていたメモ帳を素早く開き、ペン先で数行を走り書く。ページを閉じると満足そうに息をつき、柔らかな微笑みを彼へ向けた。
「……何を書いた?」
「私の本職は書記です先生。書記は客観的に、そして中立的に起きた出来事を記録するのが仕事ですから。気にされないでください!」
──またひと癖ありそうなのが来たな。肩をすくめた彼は、冷蔵庫から缶ジュースを引き抜きプシュと音を立てて開け、そのままソファへどさりと腰を落とす。対面の彼女は膝に広げたメモ帳へさらさらとペンを滑らせ、端に小さく印をつけると、満足げな笑みを返した。
「で、今のは何を記録したんだ?」
「読み上げても?」
「構わんさ」
「こほんっ! では……19時15分51秒、先生はローテーブルの上に飲みかけのペットボトルのジュースがあるのにも関わらず、冷蔵庫を開きお気に入りのカフェインたっぷりの缶ジュースを開封。目の前にいる書記担当の生徒を見る中、確実に視界に入っているであろう積み上げられたピザの箱を見ても片付けようとはせず、生塩ノアに何を記録したと質問を重ねた」
「……メモ帳取り上げるぞ」
「19時16分51秒、生徒の忌憚のない報告に眉をしかめた先生はその記録された生徒のメモ帳を取り上げると宣言。解決方法が武力行使……これがシャーレの先生なのですね」
「ああもう好きにしやがれってんだ」
「うっふふ、冗談ですよ冗談。それでは──先生、もうそろそろ任務の時間帯です」
やれやれと両手を広げ立ち上がると、既にクリーニングを終えたハンガーラックに吊り下げられている衣装を手に取る。
「世間の注目は既にレッドグレイブに集まっています。ユウカちゃんの作戦通り、以前に比べカイザーの動きが弱まっていますね。先生が登場して三日目、カイザーによる犯罪件数が如実に減っていることからやはり首謀者は彼ら……」
「で、その聖遺物を集めたら何故世界を掌握出来るか解明出来ているのか?」
「未だ解明は出来ていませんが、ユウカちゃんが頑張って調べてくれています。……ヒマリ部長の所在さえ掴めれば良いのですが」
「襲われて身を隠してるらしいな。何故連絡を寄越さない」
「聡明な方です。きっと考えがあってのことだと思います。何せミレニアムでも未だ三人にしか与えられていない全知の称号を持つ方です。きっと……作戦を考えている筈」
ノアはそこで言葉を切り、胸元でそっとメモ帳を閉じた。長い睫毛が影を落とし、紫水晶のような瞳がわずかに揺れる。白ばむ窓際の光が頬に射し込み、淡い光彩がその表情に浮かぶも、口元はかすかに固く結ばれたままだ。まるで嵐の気配を感じ取った小動物が、不安を悟らせまいと静かに身を縮めているかのように。
不安を悟られまいと気丈に振る舞うノア。しかし、セミナー会長リオの失踪と、全知のヒマリでさえ防ぎ切れなかった襲撃は、ユウカやノア、そして各部活の部長たちの士気を容赦なく削いでいた。たしかにC&Cは強力だが、それはあくまで戦術レベルの抑止力に過ぎない。敵はすでに勝利への青写真を描き、周到な戦略を進めている。
──目的も意義も見えぬまま。もし聖遺物の争奪自体がただの陽動なら……疑念は疑念を呼び、状況は濃い霧の中で絡み合う。
噂ではとある実験と言葉が独り歩きしているが……信憑性も無い情報。どこまでが真実なのか。
張りつめた空気をノアから感じ取ったダンテは、静かに彼女の肩へ手を添え、そっと揺らした。思考の渦中にいた彼女は不意を突かれて頬を染めるが、ニヒルな笑みを浮かべる彼の横顔に目を奪われ、ただ固く息をのむばかりだった。
「ノア、まずは情報収集だ。世間の注目が俺に集まっている今こそ動きやすい。目的を絞って動く方が、展開も読みやすいだろ?」
「……ユウカちゃんの言う通りです。ふふ、不思議とあなたなら全部解決しちゃう──本当のヒーローみたいだと」
「そいつは光栄なこって。まずはヒマリって生徒を見つける。ここがミレニアム自治区なら、足跡は必ず残っているはずだ」
「はい。まだ手掛かりはわずかですが……ヒマリ部長なら、きっとレッドグレイブの正体も察しているでしょう。どこかでコンタクトを取ってくる可能性があります」
「こちらから合図は送れないのか?」
「信号が敵に傍受される恐れがあります。逆に言えば、ヒマリ部長から連絡がないのは捕まっているか、何か事情があるかもしれません……」
──まぁいいさ。
彼はホルスターから二丁の銃を抜き、指先で軽やかにガンスピン。銀仮面をすでに装着したまま窓辺に立ち、振り向きざまにノアへ静かに視線を投げた。
「守るだけじゃ駄目だ。反撃の狼煙を上げなきゃ戦いの土俵にすら立てねえ。じゃ、サポート頼むぜ」
ちょーっと書き貯め期間を頂きますね!
ま、そこまで長くは掛からないと思います! 多分!
あ、そういえば……
ダンテの元ネタがコブラなのは皆様ご存知ですか?
私が何故ダンテを好きなのかって、絶対コブラから来てると思うのですよね。
随所にダンテっぽさ(本当は逆だけど)があるので、今まで読まれたことの無い方で、ダンテが好きな方にはとてもおすすめです! ぜひ!