浮き輪の上に座り、プールの上で浮いているココちゃんはやや不安そうな顔をしていたが、俺の手を握ると少し安心したようだった。
そして、興味深そうに浮き輪を手で押す。
「ういてる」
「これはね。浮き輪っていう道具なんだ。これがあれば水の上でもぷかぷか受けるんだよ」
「すごい……!」
「さらに!」
俺は掴んでいたプールへ入る為のはしごから手を離し、水の流れに身を委ねた。
すると、浮き輪と俺はゆったりとした流れの中で、ゆるやかに動き始める。
「わわ、うごいてる!」
「そう。これが流れるプールだよ」
「これが、ながれるプール」
ココちゃんは流されながら、プールに手を入れて水の感触を楽しんでいる。
水の流れ自体はそこまで早くない為、多少身を乗り出しても問題にはならない。
俺が支えている以上は安全だ。
「ふふっ」
だからココちゃんには十分に楽しんでもらいたいと思っていたのだが、俺が何かをするまでもなく、ココちゃんはプールを楽しんでいる様だった。
俺はそのままココちゃんに楽しんで貰いつつ、力を抜いてプールに浮かぶ。
何をするでもなく、流れてゆくプールは酷く心地よくて、気分が良いモノだった。
このままずっとこうしていたいと思う程に。
「お兄ちゃん」
「んー? どうしたんだい? ココちゃん」
「ココも水の中に入ってみたい」
「お、そうだね。じゃあ最初は浮き輪に捕まりながらにしようか」
俺はココちゃんの乗った浮き輪を引っ張ってプールの端まで行くと、浮き輪を押さえたままココちゃんを抱き上げて、そのまま浮き輪の中央の空いている穴に下ろす。
ちょうどドーナツの様になっている浮き輪の穴の部分にココちゃんが入った形だ。
これなら安定感もあるし、両手で捕まりやすいだろう。
「大丈夫? 苦しくない?」
「うん。大丈夫」
「じゃあ、このまま流されてみようか」
ココちゃんは先ほどよりもワクワクした様子で、ゆっくりと流れるプールに流されていった。
俺は危険が無いようにとココちゃんの乗る浮き輪に手をかけたまま、ゆったりと動く浮き輪と共にプールを流れるのだった。
しかし、先ほどとは違い、プールに体の殆どを入れているからか、ココちゃんは緊張している様だった。
普段はペタリとしている耳もピンと立っており、視線もキョロキョロと周囲をさ迷っている。
「ココちゃん。怖い?」
「う、うん……ちょっとだけ、こわい」
「無理はしないでね。いつでも止められるし、休憩も出来るからさ」
「だい、じょうぶ」
大丈夫とは言いつつも緊張しているであろうココちゃんは小さく息を吐きながらキュッと浮き輪にしがみついた。
「あのね。足がね。ふわふわしてるのが、ちょっと」
「こわい?」
「うん……」
「まぁ、ここは深いプールだからね。俺も足床についてないし」
「っ! お兄ちゃんも! 足! ついてない!」
透明な浮き輪から水の中を見て、ココちゃんは酷く驚いた顔で俺を見た。
その驚いた顔を、更にビックリさせたいという悪戯心がムクムクと湧き上がって来た俺は、そっとココちゃんの浮き輪から離れ、ココちゃんの正面に移動する。
そして、立ち泳ぎをしたままココちゃんに話しかけるのだった。
「色々練習すると、こんな事も出来る様になるんだよ」
「す、すごい! ういてる!」
「そう。プールは色々な事が出来るんだ」
俺は一度、胸が出るくらいまで勢いよく浮き上がると、そのままの勢いで水の中に飛び込んだ。
そして水中を泳ぎながら流れるプールのちょっと先へと向かって潜水したまま泳ぎ、少ししてから顔を出した。
先ほどと同じ様に顔だけ出して、右手で顔を拭って水を払う。
「こんな事も出来るよ」
「わ、わぁ……すごい」
かなり驚いているココちゃんに、俺は十分満足してココちゃんの傍まで泳いで行った。
そして、再びココちゃんの傍で立ち泳ぎをしながら口を開く。
「ちょっとずつ練習していけば、ココちゃんも出来るようになるよ。もしかしたら俺よりもずっと上手く泳げるかも」
「ホントに?」
「あぁ。俺は嘘を言わない。そうだろ?」
「うん……!」
「じゃあ、流れるプールで遊んだ後は、泳ぎの練習をしてみようか」
「やる!」
楽しそうに、嬉しそうに笑うココちゃんに笑顔で頷きながら、俺は流れるプールをココちゃんとグルグル回り続けた。
それから十分に流れるプールで遊んだ俺たちは休憩の為にプールから上がる事にした。
そして、プールに来る前に用意しておいた焼き鳥サンドをココちゃんと一緒にプールサイドで食べるのだった。
いつもと何も変わらない焼き鳥サンドであったが、運動した後だからか、普段よりも美味しい味がした。
もしかしたらプールで食べているからかもしれない。
前に家族でプールに行った時もとても美味しい昼ご飯だった思い出がある。
「ね、ね。お兄ちゃん」
「ん? どうしたの? ココちゃん」
「あのね。いつもより、おいしい」
「あー。実は俺も同じ事を考えていたんだよ」
「お兄ちゃんも?」
「あぁ。もしかしたら運動した後に食べるご飯だからかなぁーとか。プールで食べるご飯だからかなーなんて考えてた」
「そうなんだ……!」
ココちゃんは手に持っている焼き鳥サンドを見ながら、なるほどと頷いていた。
そして、ホッとした様に微笑んでからモグモグと再び食べ始め、飲み物を飲んで、ゴクリと飲み込んで、天井を仰ぎながらホッと息を吐いた。
何となくではあるが、色々と考えている様な雰囲気であった。
もしかしたらココちゃんから話したい事があるかもしれないと、俺は目を伏せて息を殺す。
「お兄ちゃん」
「……なんだい?」
「少しだけ、お話しても、良い?」
「少しと言わず、いくらでも大丈夫だよ」
「ありがとう……」
ココちゃんは俺の方に視線を向けて、感情の読めない表情で口を開く。
「ココね。たまに夢を見るの」
「……うん」
「子供の時の夢。まだココがお兄ちゃんと出会う前の夢」
「……」
「こわくて、かなしくて、ひとりぼっちで、つらい夢」
「うん」
「でもね、目を開けると、すぐ隣にお姉ちゃんが居て、さっきの怖いのは夢だったんだ。って分かるんだ」
悲しさ。
寂しさ。
怖さ、痛さ。
ここに来るまでココちゃんは様々な事に脅かされて生きてきた。
その傷は、心に深く刻まれた傷跡は、どれだけ時間が経っても消える事はないだろう。
ましてやまだ一年だ。
未だ傷跡の方が幸せな記憶よりも長い。
「だから、ね。こうしてお兄ちゃんとお話して、楽しくて、美味しくて……嬉しいんだ。泣きたくなるくらいに」
「ココちゃん」
「っ!」
俺は震えているココちゃんの手をキュッと握りしめて、笑う。
震えている、泣いているココちゃんの気持ちを包み込むように。
「俺はここに居るよ。ココちゃんの傍に居る。桜も同じだ」
「……!」
「フィオナちゃんも、リリィちゃんも、ジーナちゃんも、ミクちゃんも同じだ。あ、最近はモモちゃんやリンちゃんもいるね」
「う、ん……!」
「みんなさ。ココちゃんの事が好きだし、これからもココちゃんが好きな子はどんどん増えて行くよ」
「……うん!」
「だからさ。今ここにある時間が例え幻だとしても、夢だとしても、それは永遠に続く終わりのない夢なんだ。ココちゃんが望む限り終わる事のない夢なんだよ」
俺は涙を流すココちゃんの涙を指で拭って、いつもの様に頭を撫でる。
ココちゃんが大好きな、家族のスキンシップだ。
「いつか、ココちゃんの思い出を夢みたいな話で埋め尽くそう。怖い事も悲しい事も全部。全部楽しい事で押し流してココちゃんが楽しい夢ばかり見る様にしよう」
「うん……!」
「じゃあまずはプールで遊んだっていう思い出を作ろうか」
「うん! やろう!」
俺はすぐに立ち上がったココちゃんの手を掴んで引っ張る。
引き寄せて抱きしめて、そのまま仰向けに倒れた。
「お、お兄ちゃん!?」
「プールで楽しむのも良いのだけれど。ご飯を食べてすぐに動くと体に良くないからね。少しゆっくりとしようか」
「あ……う、うん。分かったよ」
俺はそのままココちゃんから手を離して、深く息を吐いた。
目を閉じて、眠るときの様に、力を抜く。
ココちゃんも俺の上で同じ様に力を抜いたのが分かった。
少し眠るのも良いだろう。
兄妹の様に。