山頂の向こう側。
人が立ち入れない崖の向こう側から飛び出して来た影は、激しい土煙を立てながら山頂に降り立って、少ししてから俺たちにその姿を晒した。
大きさは、セオストに現れた物とは比べ物にならないが、確かにあの魔物である。
水の様な青い透明な体を器用に動かして形を様々に変えながら、蠢く。
何を考えているのか。
顔や表情が無いから分からないが、動きが随分と活発である為、興奮している様に見える。
危険かもしれない……!
俺は神刀に手をかけて、すぐにでも抜ける様にと体勢を整えた。
この魔物は体の中にある核を切り裂く事で倒す事が出来る。
幸いというべきか。
魔物の体は楓ちゃんよりも少し大きいくらいで、核まで俺の神刀でも届きそうである。
やれる……!
「亮」
「っ!」
「そうピリピリせんでも大丈夫じゃよ。その魔物は危険じゃない」
「そうですか?」
俺は神刀から手を離して、戦わないよという合図をすると、楓ちゃん達と魔物の間から、楓ちゃん達の後方に移動した。
そして、何かがあった時にすぐ飛び込めるように意識だけは魔物に向けておく。
「では、セシル様、頼めるかの?」
「えぇ。分かりました」
楓ちゃんに頼まれたセシルさんは、みんなの前に出ると、魔物に向かって無防備に歩いていく。
その姿に、俺も、リリィちゃんも。
そして、体力が回復してきたのか、モモちゃんやリンちゃんも体を起こして見守っていた。
「お久しぶりです」
「……!」
「はいはい。そんなに興奮しないで下さい。私はちゃんとここに居ますからね」
セシルさんが魔物に触れた瞬間、魔物はブルリと体を震わせて、体の一部がセシルさんの手を包み込む様に動く。
そして、そのままセシルさんを取り込む。
という様な事はなく、触れてきたセシルさんの手や体に僅か触れるだけでモヨモヨと動いているのだった。
「……本当に危険は無いんですね」
「だから言ったじゃろう? 奴は聖女様を襲う様な事はしないんじゃよ」
「そうですね。今、それが実感できました」
俺は楓ちゃんの言葉に頷きながら警戒心を解く。
そして、リンちゃんがモモちゃんと一緒に立ち上がり、魔物に近づいていくのを静かに見守るのだった。
一応、セシルさんにだけ懐いているという状況も考えられる為、俺も何かあった際にはすぐ動けるようにしておく。
しかし、魔物はリンちゃんに対してもセシルさんと同じ様に接していた。
「わ、わわ。水なのかと思いましたが、そういう訳ではないみたいですね」
「そうなの? どんな感じなの?」
「んー。何と表現すれば良いのか難しいんだけど。亮さんがプールで遊ぶ時に持って来た浮き輪みたいな感じかな。あれほど張り詰めてはいないんだけど」
「ふぅん?」
「結構柔らかくて、手で押し込むと、どんどん入っていきそうな感じなんだよ」
「少し気になるわね。私も触ってみたいわ」
「どうだろう? 聞いてみる?」
リンちゃんは、モモちゃんの言葉に笑みを浮かべながら頷いて、体を魔物に寄せながら囁いた。
体全体で魔物に寄りかかっている様な状態である。
「聞こえますか?」
「……!」
リンちゃんの言葉に応えて、魔物は体をブルリと震わせて、表面に小さな波を起こす。
その感覚にリンちゃんはくすぐったさを感じたのか、クスクスと笑いながら言葉を続けた。
「あなたにお願いがあるんです。良ければ、モモちゃんもあなたに触れても良いでしょうか? とても素敵な体なので、触れてみたいんです」
「……っ!」
魔物はリンちゃんの言葉に大きく体を震わせた後、体の一部をモモちゃんの方へとウニョウニョと伸ばしていく。
そして、モモちゃんの腕と同じくらいの太さの紐の様になり、モモちゃんの周辺でフラフラと揺れた。
触っても良いよ。とでもいう様に。
「えと、触れても良いのかしら?」
モモちゃんの言葉に、紐の様な腕の様なソレは上下に静かに揺れ、それは肯定を示している様に見えるのだった。
そんな魔物の動きに、モモちゃんはパッと笑顔になると、ゆっくりと、丁寧な仕草で魔物の腕に触れて、軽く握る。
それは握手をしているかの様な動きであり、魔物も嬉しそうにモモちゃんの手を体の一部で包み込んで上下に動かした。
「わ……すごい。面白い感じ」
「でしょう?」
「ふわふわ……とは違うんだけど、水の中に手を入れるのともまた違う感じね。膜があるというか、薄い壁があるというか?」
「んー。何だろうね。この水みたいなものは全部魔力なのかな」
「どうなんだろ。魔力って基本的に見えないし、触れないし。集めても、どうにも出来ないじゃない?」
「そうなんだよね。何だか不思議な感じ」
リンちゃんとモモちゃんが全身で魔物に触れながら話しているのを見て、セシルさんはそっと魔物から離れた。
それは、おそらくリンちゃん達が接しやすくする為だと思うのだが、魔物は名残惜しそうに、セシルさんの方へ体の一部を伸ばしてゆくのだった。
しかし、結局リンちゃんやモモちゃんの方から離れる事も出来ずシナシナと腕を垂れ下がらせて、本体に戻していった。
「何だか、随分と感情豊かな魔物ですね」
「うむ。そうなんじゃ。何とも不思議でな。こんな魔物はわらわも、ヤマトの民も、学者連中も誰も知らんのじゃ」
「俺も、正直な所、分からない事ばかりですね。以前戦ったので、弱点とかは知ってますが、そういう事ではなく、生態とかは謎が多いです」
「ふむ。まぁ、こういうのはミラが詳しいんじゃがな。ミラも今はヤマトにおらんし。居れば色々聞けたかもしれんな」
「ミラさんは聖女の方ですよね? 魔物にも詳しいんですか?」
「みたいじゃ。ヤマトに現れた時も弱点を看破し、戦い方なんかも指示していたよ」
「なるほど」
まだまだ幼い少女という様な見た目の子だったと覚えているが、凄い子も居るんだなぁとシミジミしてしまう。
世の中は広い。
まだ俺の知らない事もいっぱいあるのだろう。
そして今、現在進行形で、分からない事が解明されてゆくのを見ながら、俺はふぅと息を吐いて、緊張を解いた。
「もしかして、魔力は集まる事でこうして目に見える様になったり、触れられる様になるとか?」
「それなら、私たちが魔術を使う時にも見えないとおかしいんじゃない?」
「そう考えると、やはり原因は、体を包んでいるこの膜の様な何かかな」
「多分。そうだと思うわ。そして、これが魔物の本体なのかもしれない」
「……でも、それだと、この魔物と戦った時の話がおかしいと思う。ヤマトの侍さんや亮さんが魔物の体を斬ったけど、すぐに再生してしまったって話だし」
「魔力を包み込んでいる膜が本体なら、斬られた時点で魔力が霧散しないとおかしいって事かぁ」
「そう。だから、中に見える水みたいな物も魔物の体なんだと思う。魔力を圧縮してそこに意識を宿した存在、みたいな」
「うーん。謎が多いわねぇ」
二人はポヨポヨとしている魔物に寄りかかりながら考え込んでいたのだが。
魔物が緩やかに動きながら二人の下に入り込んで、二人を持ち上げた為、二人は魔物をベッドの様にしながら横になった。
一瞬危険かと考えたが、敵意は一切無いらしい。
二人を上に寝かせたまま魔物はゆらゆらと動き、まったりとしていた。
本当に、敵意は一切無いのだなと俺は驚きを覚えるのだった。
「こうしているとペットみたいにも見えますね」
「ペット?」
「えぇ、人間の良い友人として、魔物なんかを飼う事ですね」
「はぁー。セオストにはそんな文化があるのか」
「いや、まぁ。セオストでは無いのですが……でも、セオストでも確かに小さな魔物を飼っている人は居ましたね」
「まぁ、何だかんだと可愛い見た目の魔物もおるからな。確かに、一緒に居て安全なら、良いかもしれんな」
余計な事を楓ちゃんに教えてしまったかなと思いながらも、俺はそうですね。なんて適当な返事をするのだった。