フラフラと謎の少女に向かって進む足を止める為に、俺は唇を強く噛みしめて、自分の意識を強く取り戻した。
そのお陰か、俺の足は進むのを止め、少女から少し離れた場所で立ち止まるのだった。
「……!」
しかし、そんな俺を見て、少女は酷く悲しそうな顔をするとふわりと浮き上がって、俺の傍まで飛んできた。
それほど速くはない。
ココちゃんがのんびりと歩いてきた時くらいの速さだ。
しかし、俺の足は地面に縫いついた様に動かなくなり、少女の接近を容易く許す事となった。
「いたそう……」
「……君、は」
「さくら」
「桜……?」
思わず、聞き返してしまったのは妹と同じ名前をしていたから。
いや、別に『桜』なんて珍しい名前でも何でもない。
綺麗な花の名前を子供に付けたい親なんていくらでも居るんだから。
前の世界では『桜』という名前の人はかなりいっぱい居たと思う。
だが、しかし。
そうだと分かっていても、何故か俺は、少女の名前が妹の桜と同じだと、そう思ってしまうのだった。
「君は、どうして……」
「さくらは、まってたの」
「待ってた?」
「うん。あなたを」
真っすぐに俺を見て、ゆったりとした言葉で語る少女に俺は思わず手を伸ばしそうになって。
すぐに自分を取り戻し、手を抑える。
「えっと。俺に何かして欲しい事があったって事かな」
「ううん」
「別にない、ってこと?」
「うん」
少女と言葉を交わす俺であったが、イマイチ何を言っているのかが理解出来ない。
いや、言葉は分かるのだが、内容が不明瞭というか……。
俺を待っていたが、俺に求めるモノは特に無いという。
ならば何故俺を待っていたのかと言う話だ。
「なら、なんで君は俺を待っていたのかな」
「さくらは、みんなをしあわせにしたいから」
「幸せ……?」
「そう。しあわせな、ゆめ」
少女の言葉と雰囲気に、何故か俺は酷く嫌な予感がして、体が震えるのを感じた。
このままここに居てはいけないと思ってしまう様な、何か……が。
「しあわせを、あなたに」
少女がそう言葉を呟いた瞬間。それは起こった。
俺のすぐ目の前に立つ少女の向こう側。
咲き乱れる桜の木の前に、二人の男女と……俺と同じくらいの年齢の青年が一人立っていたのだ。
そして、とても優しい顔で俺を見ている。
それは……。
その姿は、間違いなく……!!
「父さん、母さん……兄さん」
「りょうの、しあわせ、さくらには、わかるよ?」
「なんで、ここに」
「ここは、ゆめのせかい。しあわせな、ゆめのせかい」
「夢……?」
「そう。ゆめ。ここでは、どんなしあわせも、ゆめになる」
「夢になるっていうのは……」
「おわらない、しあわせがある……ってこと」
少女が俺から視線を外し、何もない場所を見つめると、そこに沢山の金塊が現れた。
そして、順番に視線を移してゆくと、その先に欲望が広がる。
数多の宝石。
魅惑的な美女。
大量のごちそう。
そして、いつかの日。
子供の頃に家族で行ったキャンプの……景色。
レジャーシートに座り、こちらに手を振る両親の姿は何も変わらない。
兄も、微笑みながら俺を見ている。
何も。
何一つ変わらない。
だが、それが俺には空しかった。
「……なんで、りょうは、うれしくない?」
「この幸せが偽物だって分かってるからだよ」
「にせもの?」
「そう。偽物さ。勿論。幸せな夢を見せてくれた君には感謝してるけどね」
俺は少女の頭を撫でながら微笑んだ。
きっとこの子は何も知らず、ただ喜ばせようとして夢を見せてくれただけなのだろう。
それを素直に喜べないのは俺の問題だ。
「……もしかして、この世界は夢の世界なのか」
俺はふと思った事を口にしながら周囲を見渡した。
咲き乱れる桜の木の周辺は、ここに来るまで俺と百合ちゃんが歩いた場所であり、桜の木はなかった様に思う。
そう考えると、ここが夢の世界というのは非常にしっくりくる考え方だ。
「うん。ここは、さくらのゆめ」
「君の夢?」
「そう。さくらがみせたゆめ。あなたのしあわせ」
「ふむ」
よく分からない。
分からないが、まぁ、特に害がある様な物でも無いんだろうし。
「まぁ。そうと分かれば少しゆっくりとしてくのも良いかもしれないな」
「りょう、しあわせ?」
「さて。どうかな。俺はあぁいうのはそこまで好きじゃないんだ」
俺は少女が出した色とりどりの物を指さした。
世間的には嬉しいだろうが、俺はそんなに嬉しくはない。
所詮夢の中にしかない物だと思うと虚しさもあるしな。
夢だけで得ても、現実は何も変わらない訳だし。
「なら、りょうは……なにが、しあわせ?」
「そうだな。じゃあ、まずは君の事を色々と聞かせてほしいかな? さくらちゃん」
「さくら、の?」
「そう。何でも良いよ。名前……は聞いてるけど、年齢とか、家族とか。楽しい事嫌な事。どんな話でも良いから聞いてみたいかな」
俺は少女の前に座り、両手を広げながら、微笑みかける。
桜と同じ名前だからといって、桜と同じことが好きかは分からないが、まぁ、イヤならイヤで断られるだけだ。
しかし、やはりと言うべきか。少女はおずおずと、少しだけ恥ずかしそうにしながら、桜と同じ様に俺の片足にちょこんと座り、俺に少しだけ寄り掛かった。
ちょうど、左腕が俺の胸に当たる様な位置だ。
横を向きながら、顔だけ俺の方に向ける。
そんな少女を見ていると、昔の桜を思い出す様で、俺は嬉しくなり少女を軽く支えながら色々な話をするのだった。
「さくらちゃんは、なにか好きな物はある?」
「あめと、かぜ……あんまりつよいのは、すきじゃない、けど」
「そっか。まぁ、気持ちいいもんね」
「うん。あついひは、あめが、きもちいい」
「あぁ、確かに。夏とかね。俺も分かるよ。外で水浴びとかしてると気持ちいもんな」
コクコクと頷く少女に微笑みつつ、さらに言葉を重ねた。
「それで、さくらちゃんは、ここに一人でいるの?」
「ううん。ここには、あいにきただけ」
「俺に?」
「そう。ちょうど、よかったから」
「そうなんだ」
「でも、よかったのかな?」
ちょこっと、首を横に傾けながらいけない事をしている子供の様に疑問を向ける少女に、俺も疑問を向ける。
「うん? なにが?」
「さくらは、りょうを、しあわせにするために、きたのに、さくらがいま、たのしい」
「良いんじゃないかな。だって、俺は楽しいよ?」
「そう、なの?」
「あぁ。俺はこういう時間が好きなんだ。だから、俺も幸せでさくらちゃんも幸せなら、それが一番良いんじゃないかな」
「さくらが、しあわせで、りょうも、しあわせ」
「そう。そういう関係は、やっぱり素敵だと俺は思うな」
「そう、なんだ」
少女は目を伏せながら、少しだけ嬉しそうに頬をほころばせた。
そして、それからも少女と言葉を交わし、気持ちを交わし。
俺は、そろそろ良い時間かなと話を打ち切る事にした。
しかし、少女は変わらず元気に話している為、切るタイミングが難しい。
「それで、さくらはね」
「あー。さくらちゃん。悪いんだけど」
「……?」
「たぶん、そろそろ起きなきゃいけない時間だよね?」
「……ぁ」
「だから、悪いんだけど。また今度話そう。今日は終わりにして」
「……うん」
分かりやすくしょんぼりとしてしまったさくらちゃんの頭を撫でて、抱き上げながら俺は立ち上がった。
どこか、遠くから百合ちゃんの声が聞こえてきている様な気がするし。
本当にそろそろ起きなければいけない時間なのだろうと思う。
「じゃあ、また来るよ」
「……うん」
「約束」
「やく、そく」
少女と指を絡め、約束を交わし、俺は意識が解けてゆく感覚を味わいながら、意識を空に向けた。
どうやら目覚めようとしている様だった。