定期調査依頼で、森の中へ入った俺とレッドホークの皆さんであったが、先に話を聞いていた通り、一日で帰る事は出来ず、三日経った現在も俺は森の中に居た。
桜の事は心配であるが、いつかは桜も自立するのだし、こういう訓練は必要だという事はよく分かっている。
分かってはいるのだ。
ただ、感情的に追いついていないだけで。
「……」
俺はパチパチと燃える火を見ながら、前の世界の事やこの世界の事。
そして、これからの事について考えて、小さく息を吐いた。
「……眠れないのか?」
「あぁ、起こしてしまいましたか? 申し訳ない」
「いや。俺も実は眠れなくてな」
レッドホークのリーダーであるガルナさんは簡易寝袋から出ると、バッグからカップを二つ取り出して笑う。
「ミルクでも飲むか?」
「お願いします」
「おうよ」
ガルナさんはコップにミルクを注ぐと、火の近くに置いて温めながら火の近くに座った。
「やっぱり妹さんの事は心配か?」
「まぁ……そうですね。これまではずっと一緒に居ましたから、まだ慣れないですね」
「なかなか難しいな」
「……はい」
「でもまぁ、多分その内慣れるさ」
「……」
「って言われても困るよな」
ガルナさんは穏やかな顔で笑うと、コップをたき火から拾い一つを俺に渡す。
そして、自分も一口飲むと、ゆるやかに語り始めた。
「俺もさ。少しは気持ちが分かるんだよ」
「……?」
「まぁ、完全に同じって訳じゃないけどな」
ガルナさんは周囲に軽く目線を走らせながら、呟くように語り始めた。
「俺はな。お前ほど強くもなく、器用でも無くてな。冒険者になったばかりの頃はおっかなびっくり依頼をこなしてたもんさ」
「そうなんですね」
「まぁ、な。最初の頃はとにかく色々な事が不安でよ。例えば、このたき火のレッドリザードを捕まえるのもどうすれば良いのか分からなくて、アタフタしてたりな」
「……それは俺も少し分かります。初めての事が怖いのはありますね」
「お。話が分かるじゃねぇか。何でも出来る器用なルーキー様かと思ったぜ」
「そんな事はありませんよ」
俺は少し落ち着いた心でミルクを飲みながら応える。
「今だって、ここに居る事の不安があります」
「ここに居る不安?」
「例えば、今俺達が居るこの場所は特殊な魔術で隠されている訳じゃないですか」
「あぁ」
「それをどこまで信用できるのかなって考えると怖いんです」
「なるほどな。その気持ちは確かに俺も分かるよ」
「何か危険な魔物に見つかってしまうかもしれない。そう考えると怖くて眠れませんね」
「ふっ、ははは。素直だな」
「えぇ、まぁ」
「でもよ。それはお前の妹さんの問題とは違って、そこまで考える必要のねぇ問題さ」
「そうですか?」
「あぁ」
「もしかしたら次の瞬間には強大な魔物が突っ込んでくるかもしれないんですよ?」
「かもな。でも、多分それはねぇよ」
「どうして、そう言いきれるんです?」
「向こうもお前と同じだからだよ」
「……大型の魔物も、見えないモノを怖がっていると?」
「そうさ。魔物は理性の無い怪物じゃないんだ」
ガルナさんは、目を伏せながらミルクを飲み、少ししてから再び口を開いた。
「昔な。おっかなびっくり冒険者をやってた頃に、とんでもなくデカくて、ヤバい魔物に見つかった事があるんだよ」
「……」
「森の中で、ジッと俺を見つめた奴の目は間違いなく獲物を見つけた目だった」
「それで……」
「俺は何とか生き残ろうと必死になってな。宝石剣っていうアイテムを取り出したんだよ。ほれ、コレだな」
ガルナさんは話しながら、腰に付けたポーチから手のひらサイズの宝石で出来たナイフを取り出して俺に見せてくれた。
灯りの少ない夜空の下、たき火の光で不思議な輝きを放つ小さなナイフだ。
「コイツは……まぁ、当時の恋人に送ろうと買った物なんだが……フラれてな。売ろうという気も起きなくて持ってた奴なんだが、別に特別な力があるって訳じゃねぇんだ」
「……」
「しかし、コイツを右手に持って、左手で火の魔術を使って、魔物を睨みつけたら……野郎、ジッと目を細めて俺を見つめたんだよ。食ってやるって目から、明確に脅威を見る目に変わった」
「そして、身を引いた……と」
「あぁ。酷く悔しそうな顔をしてな。何処かに行ったよ」
「分からない物への恐怖……ですか」
「そうさ。俺達が暗闇を恐れ、未知なる世界を恐れる様に……連中も、未知を恐れている。たった一つの命を守る為に、危険な場所や物には近づかない」
「……そうですね」
「そういう理由が色々あって、こういう魔導具は信頼されてきたのさ」
俺はガルナさんの言葉を受け取り、頷いてから空を見上げた。
「未知を既知に変える者。冒険者というのは、良い仕事ですね」
「だろう?」
「えぇ。とても素晴らしい仕事だと思います」
「しかし……」
「なんです?」
「いや、面白いと思ってな」
「面白いですか?」
「あぁ。遠い昔にさ。リョウみたいな事を言った奴がいたらしくてな」
「そうなんですね」
「『未知を既知に変える冒険をする為に、勇気をもって暗闇に一歩踏み出した者』を冒険者と呼ぼうって言ったらしい」
「なるほど」
俺はそのどこの誰とも分からない人を頭に描きながら笑みを浮かべた。
そして、ミルクを飲みほして、ガルナさんに渡す。
「冒険者が出来てからかなり時間も経っててな。俺達の不安も過去の人間が感じてた物だろうさ」
「そうですね」
「だから。って訳じゃないが、お前の悩みや恐怖はいずれ消えていくだろう」
「えぇ」
「んじゃ寝るか。また明日も早いからな」
「はい」
俺はガルナさんに頷き、火の傍で横になって眠る事にした。
天を仰ぎ、無限に広がっている様な星空を見つめた。
そして、息を吐きながらその星空へ心を解き放つ。
『……』
「……?」
瞬間、何か音が聞こえた様な気がして、俺は体を起こした。
周囲をキョロキョロと見るが、何も見えない。
不思議に思いながらも、立ち上がってみるが、やはり何の姿も見えなかった。
「……」
いや、違う。
見えないだけだ。何かが居る。
光りの届かない闇の中に、何か大きなものの気配を感じた。
俺は腰を落としながら刀に手をかけていつでも抜ける様にと鯉口を切る。
その暗闇の何かをジッと見つめながら。
『……そんなに怯えなくても何もしないよ』
「っ」
重苦しい声と共に姿を現した金色の大きな狐は俺を見下ろしながら口を歪めた。
笑っている様に見える。
敵意は……見えない。
「貴方は、この森の神……ですか?」
『くははは! そう呼ばれるのは久しぶりだね』
「これほど深い森の奥へ来るのは中々、普通の人間には難しいですからね」
『……? あぁ、そうか。お前はここではない世界から来たんだね』
「何のことでしょうか?」
『誤魔化さなくても良いさ。たまに居るんだ。そういう人間が』
俺は
そして、刀から手を外し、姿勢を正してから森の神に頭を下げる。
「森を騒がせてしまい、申し訳ございません」
『良いさ。いつもの奴だろう? 前に聞いたよ。まぁ、一方的に叫んでいただけだったがね』
「はい。森を不用意に荒らさず、人間が安心して住まう為に、脅威を調べます」
『分かったよ』
森の神は穏やかに笑うと、夜空を見上げて笑った。
『お前たちがそのまま変わらなければ、森も変わらないだろう』
森の神は最後に言葉を一つ残して森の奥へ去ってゆくのだった。