アリアちゃんのお母さんとの話し合いも終わり、俺は緩やかな眠りの中で夜を過ごした。
凪いだ湖の様な落ち着いた心で眠りの世界へと旅立った俺は、酷く落ち着いた夢を見る事になった。
それは独りぼっちであった女性が、自分を愛してくれる存在。
自分の娘と出会う物語であり、その少女との安らぎの時間が描かれていた。
俺の夢ではない。
おそらくはアリアちゃんのお母さんの夢だ。
まるで一枚の絵画の様な、美しい女性が幼い赤子を抱きしめる光景から俺はそう確信を持った。
なんて事はない。
どこの世界にも、どこの家庭にもある。
奇跡の様な光景だ。
きっと俺の父と母もこうやって、俺と出会ったのだろうと考える事が出来る素晴らしい世界だった。
そして、そんな世界で、色々な初めてを繰り返してゆくアリアちゃんと、アリアちゃんのお母さんを見ながら俺はこの穏やかな世界に身を寄せるのだった。
それから。
緩やかで穏やかな世界はゆっくりと終わりを告げ、俺は朝の空気を感じながら静かに目を覚ました。
何故か頬に流れていた涙を拭い、俺は固くなっていた体をほぐす様に立ち上がり、伸びをして体を整えてゆく。
「おはようございます。リョウ様」
「あぁ。おはよう。アリアちゃん。良い朝だね」
「そうですね。空気が透き通っていて、心地よいです」
ふわりと笑うアリアちゃんに微笑みながら俺は朝の準備をすると鍋を取り出した。
少しずつ春の気配は夏へと移り変わりつつある。
その内、朝から暑くなる季節が来るだろう。
だが、今はまだ春の中頃である為、俺は朝食用のスープを用意する事にした。
「あら。今日はスープですか?」
「そう。昨日とそれほど変わらないメニューだけどね。薄切り肉と野菜のスープだよ」
「ふふ。またジーナさんが野菜を嫌がるかもしれませんね」
「大丈夫。そんなジーナちゃんでも食べられる様に味付けは少し濃くしてるからね」
「まぁ。お優しいんですね」
アリアちゃんはクスクスと笑い、悪戯っ子の様な顔で俺を見つめた。
その瞳や表情は子供らしいモノであり、何も知らない者が見れば、ただの可愛い子供だと思うだろう。
「ところで、リョウ様」
「うん? どうしたのかな?」
「昨晩は随分と遅くまでどなたかとお話をされておりましたが、どなたとお話されていたのでしょうか」
「話? いや、知らないけれど」
「話をしていましたよね? 私には聞こえていましたよ」
ハッキリと、明確な確信をもってアリアちゃんは俺をジッと見据えた。
だが証拠は無いのだろう。
怪しいという感情はあってもそれ以上は何も言えないのだ。
「そうだったんだ。でも俺には記憶が無いからね。もしかしたら寝言とかだったんじゃないかな?」
「む……!」
「もしくはアリアちゃんの気のせいだった。とかね」
俺はスープを作りながら、誤魔化しを続ける。
普段ならば、アリアちゃんを泣かせたくも悲しませたくもないからすぐに白旗を上げるが、今回は別だ。
知ってしまえば、それが悲しみに繋がる。
どうして、という絶望に繋がる。
だから、俺は何も言わない。
それがアリアちゃんの幸せに繋がると理解しているから。
疑われている状況のまま、それ以上は何も踏み込ませないのだ。
「さて。お話は終わりかな。そろそろ朝食の準備も出来るからね。食べる準備をしてね」
「……やはり、お母様とお話をしたんですね?」
「お母様? どちらの方?」
「私のお母様です! リョウ様もお話したんでしょう!?」
珍しく焦った様子のアリアちゃんに、俺は奇妙な物を感じて朝食の準備を中断し、アリアちゃんに真っすぐ向き直った。
「俺も、っていうのはどういう事かな」
「……」
「アリアちゃん」
「以前も、この森へ来た事があったんです。その時は騎士の方々と共に来ましたが。数人の方々が森の中で半透明の女性を見たと言っていました」
「なるほど。半透明の女性って事は魔物でもなく、生きている人間でも無い。アリアちゃんのお母さんってアリアちゃんは考えたってワケか」
「はい……! でも、お母様は私の前には姿を現してくれなくて……! 私は嫌われているのだと思って、お母様に喜んで貰おうとシーメル王国の問題を解決したんです。お母様を苦しめていた問題を」
アリアちゃんの慟哭に、俺は僅かに目を見開く。
シーメル王国で起きていた色々な出来事。
アリアちゃんの頑張りは全て、アリアちゃんのお母さんの為だったのかと。
「ですが、お母様は私の前ではなく、リョウ様の前に……!」
悔しいのだろうか。
悲しいのだろうか。
切ないのだろうか。
様々な感情を抱えながら、言葉と涙を流すアリアちゃんに俺は小さく溜息を吐いた。
そして、俺の中に居るであろう人に話しかける。
(アリアちゃんのお母さん。聞こえていますか?)
『はい』
(良かった。口に出さなくても聞こえるのですね)
『そうですね。私へ向けられた言葉でしたので』
(という事は普段のアレコレは聞こえていないのか……って、そっちは良いですか)
俺は言葉を区切ってから、心の中で溜息を吐いて、再びアリアちゃんのお母さんへと想いを向ける。
(貴女の娘さんは、貴女に会いたがっていますよ)
『ですが、私はアリアと話す事は出来ません』
(このまま悲しませるのを良しとするのですか?)
『そうではありませんが! ですが、昨晩事情は話したではありませんか』
(えぇ。聞きました。聞きましたとも。ですが、それでこの状況を納得できる訳ではない)
『……!』
(アリアちゃんは泣いています。貴女に嫌われているのではないかと、悲しんでいます)
『それは……』
(このまま、何もしない事が正しいと、本当にそう思うのですか?)
『思いません! 思いませんけど! でも、だとして、どうすれば良いというのですか!?』
(言葉を)
『言葉……?』
(今はまだ会えぬというのであれば、言葉を下さい。俺が伝えます)
俺は体の中に居る存在へと言葉を向けた。
娘に会う事が出来ないと臆病に震え、戦う事から逃げている人に。
『でも……』
(もし、貴女が世界を壊そうと動き出すのなら、俺が誰にも知られぬ様に処理すると言いました。アリアちゃんと触れ合う為にこの体だって貸します! アリアちゃんのお母さん! 後は貴女の勇気だけなんですよ!)
俺は静かに涙を流すアリアちゃんを見て、アリアちゃんのお母さんへと強い言葉を向けた。
それが良かったのか。アリアちゃんのお母さんは小さく「分かりました」と言うのだった。
そして……。
「アリア」
「……? リョウ様?」
「ずっと不安にさせて、ごめんなさい。貴女を悲しませるつもりは無かったの」
心の中の声を忠実に繰り返す俺に、アリアちゃんはゆっくりと目を見開いてゆく。
例え、俺の声で伝えられている事だとしても、アリアちゃんには分かるのだろう。
この言葉が誰のモノなのか。
「……おかあ、さま」
「アリア。長い間。一人にさせてごめんなさいね」
アリアちゃんはたまらず、立ち上がって俺に飛びついてきた。
普段のアリアちゃんからは信じられない様な思い切りの良い行動に少し驚いてしまうが、アリアちゃんが飛び込んできた程度でどうにかなる鍛え方はしていない。
アリアちゃんを支え、俺の中に居るアリアちゃんのお母さんの意思に従って、アリアちゃんの頭を撫でて軽く抱きしめる。
行動しているのは俺であるが、アリアちゃんは俺の動きから母の気配を感じたのだろう。
目に涙をいっぱいに溜めながら、微笑んだ。
その微笑みは、俺が今までに見てみたアリアちゃんの笑顔の中で一番子供らしい笑顔であり、ずっと見ていたいと思える様な幸せな笑顔であった。
互いを求め続けた母と娘が長い時を超えて、ようやく再会出来た。という様な笑顔だった。