現在、セオストの冒険者組合施設にある会議室には、重苦しい空気が流れていた。
誰も言葉を発さず、静まり返り、呼吸の音すら聞こえてくる様だ。
ともすれば吐いてしまいそうな程に、空気が澱んでいて、何なら物理的な重さを持っている様な感覚すらある。
ここにいるだけで苦しさを覚えるほどだ。
さて、どうするべきか。
「あー。桜?」
「なぁに? お兄ちゃん」
「えっと、だな。あー……元気だったか?」
「うん。元気だよ。すっごく、すっっっっっっっごく! 元気だよ?」
「そうか」
「そう。お兄ちゃんと同じだね! 元気元気!」
桜がとげとげしい。
イライラしているのかな。しているんだろうなぁ。
どうしようかなぁ。
本当に、どうするべきか。
「……まぁ、でも隠していてもしょうがないか。ジーナちゃん」
「んー?」
「この部屋の中を外から見えない様にする事は出来る?」
「できるよっ!」
「外に声が聞こえない様にする事は?」
「かんたん!」
「そっか。なら、やってもらえるかな?」
「いーよ!」
明るい声で答えたジーナちゃんが人差し指を立てた瞬間、部屋の中の空気が変わり、外から聞こえていたざわめきが消えた。
そして、先ほど以上の静寂に包まれる。
「……?」
「桜。改めて紹介するよ。この子はココちゃん。あー、ごめん。ココちゃん。帽子を取ってくれるかな?」
「っ!」
俺はココちゃんにお願いし、人ではない耳としっぽを桜に見える様にして貰った。
桜も、フィオナちゃんもリリィちゃんも驚いた顔でココちゃんを見つめる。
「……獣人、だったんですね」
「フィオナちゃんは獣人を知ってたんだ」
「えぇ、まぁ。セオストでは殆ど見ませんが、私は昔、シーメル王国に住んでいた事もありましたからね」
「そうか」
フィオナちゃんは懐かしいというよりも、どこか悲しそうな顔でココちゃんを見つめる。
しかし、桜は当然として、リリィちゃんも獣人の事はよく知らないそうだ。
いや、まぁ、俺もそこまで詳しくは無いのだけれど。
「それで、リョウさんは……この子をどうするつもりなんですか? まさかとは思いますが傷つけるつもりじゃないですよね?」
ギラリとフィオナちゃんの目が光り、ジッと俺を見据える。
俺の真意を見極めようとするかの様に。
「傷つけるってどういう事? フィオナちゃん」
「世界には、獣人を傷つけて当然だと思う人が居るんです」
「でもお兄ちゃんはそんな事しないよ! それに、まだこんな小さな子供でしょ!?」
「関係ないんですよ。サクラちゃん。そんな事は」
「関係ないって……」
「セオストではあまり見ないですが、獣人の扱いはそれは酷い物です。この子だって放り出せば、何をされるか分からない。そうですよね? リョウさん」
「あぁ」
フィオナちゃんの言葉に俺が頷いた事で、桜もリリィちゃんも息を呑んだ。
その瞳には、僅かな恐怖と怒りが込められている様に見えた。
「だから……俺はココちゃんを引き取ろうと思う。俺の家族だと思われれば、セオストでココちゃんは安心して生きていけると聞いたからな」
「「っ!」」
「本当はこんな形で聞くつもりは無かったんだけど。どうかな、桜」
「……確かに獣人の子が大変っていうのは分かったよ」
「あぁ」
「……でも、それでお兄ちゃんが引き取る理由にはならないでしょ?」
「あぁ。もちろんそうだね。ただ……そう。ココちゃんは、家族が居なくてね。俺がこの子の手を離したら独りぼっちになっちゃうんだよ」
俺は不安そうに瞳を揺らしているココちゃんの頭を撫でて、安心させるように笑う。
とは言っても、それですぐ安心できる様な状況では無いのだけれど。
「どうかな。桜。無理にとは言わない。ココちゃんが大人になるまで。一緒に暮らす事は出来ないかな」
「……」
「桜」
「……ずるい」
「うん?」
「だって、ここでイヤ。って言ったら私、嫌な子だ。お兄ちゃんに嫌われちゃう」
「そんな事は無いよ。桜の気持ちだって分かる。知らない子と一緒に暮らすって言われて、怖い気持ちとかも分かるよ。だから嫌だって言ってもお兄ちゃんが桜を嫌う事は無いよ」
「……でも」
「それに。桜が嫌なら、ひとまずココちゃんをヴィルヘルムさん達の孤児院で預かるっていう話もあるし。ウチの隣が空き家だって聞いてるから、そこを借りる方法だってある」
「……うん」
「俺は桜に無理をして欲しくないから、桜がココちゃんとお友達になれそうに無かったら、別の手段を考えるよ」
「お友達……」
「そう。お友達。どうかな? ココちゃんはとても良い子だけど。桜はお友達になれそうにないかな?」
俺はココちゃんと視線を交わし、桜の方に導いた。
そして、桜とココちゃんの視線が行き交う。
「……」
「……」
互いに言葉は交わさぬまま、静かな視線だけを向け合う。
しかし、そんな静寂の中で、ココちゃんが動いた。
「……さくら、ちゃん。ココは、ココ」
「……」
「おとも、だち」
「おねえちゃん」
「……え?」
「私の事は、桜お姉ちゃんって呼んで」
「……さくら、おねえ、ちゃん?」
「うん。そうだよ。ココ、ちゃん」
桜はぎこちない笑顔で、ココちゃんに応え、ココちゃんもまた緊張した顔で桜に頷く。
正直、桜には本当に申し訳ない気持ちでいっぱいだが、桜が優しい子で良かったとも思う。
「悪いな、桜」
「良いよ。私だって、こんな小さな子が虐められてるのを黙って見てるなんて出来ないもん」
「そっか。桜は優しいな」
「別に優しくは無いけどね。それに! 甘くも無いから! 家でのルールはちゃんと守ってもらうよ!」
「あぁ」
「いいね! ココちゃん!」
「……はい!」
桜は、元気な笑顔をココちゃんに向けると大きく頷いた。
そして、テーブルを挟んだ対面の椅子から立ち上がり、大きく回ってココちゃんの前に来て、ココちゃんと視線を合わせる為にしゃがみこんだ。
「じゃあルール。伝えるからね。ちゃんと守るんだよ?」
「……うん。でも」
「でも?」
「まもれなかった、ぶつ?」
「ぶたないよ。だめだよ! って怒るけどね。痛い事はしません」
「なら……がんばる」
「よろしい。では復唱! おうちに入る時は手を洗う!」
「おうちに、はいるときは、てをあらう!」
「ベッドで眠る前には、お風呂に入る!」
「べっどで、ねむるまえには、おふろにはいる!」
「ご飯はみんなで一緒に食べる!」
「ごはんは、みんなでいっしょにたべる!」
桜は元気よく返事をするココちゃんに頷きながら言葉を続けた。
「お家ではいくつかのお仕事があります。お料理作ったり、お皿を運んだり、お風呂の準備をしたり」
「……うん」
「お手伝いはちゃんと出来ますか?」
「がんばる……!」
「よろしい。では最後のルールです」
「……うん」
「ちなみにこれが一番大事です。これが出来てないと、他がどれだけ上手く出来ていても、私はとても怒ります。そして、お兄ちゃんも怒りますし。一緒に暮らしているフィオナちゃんやリリィちゃんも怒ります」
脅すような桜の言葉に、ココちゃんはビクッと震えた後、恐る恐る周囲を見た。
桜の言おうとしている事を察した俺は神妙な顔で頷き、フィオナちゃんやリリィちゃんも同じような顔で頷く。
そんな反応に、逃げ場がない事を察したのか、ココちゃんはキュッと目を閉じて頷いた。
そんなココちゃんの手を優しく取って、桜は慈愛に満ちた笑顔で告げる。
「もし、ココちゃんが何か困った事があった時」
「……?」
「一人では解決できない困難が目の前にやってきた時」
「?」
「必ず、誰かに相談して下さい。私でもお兄ちゃんでも。フィオナちゃんやリリィちゃんでも良い。誰でも良いので、必ず相談して下さい。そうすれば、私たちは必ずココちゃんの味方になるから」
「さくら、おねえちゃん……!」
「出来ますか? ココちゃん」
「……うん! できる! ココ! できる!」
「なら、今日からココちゃんはお兄ちゃんの妹で、私の妹です。よろしくお願いね?」
「うん……!」
ボロボロと泣きながら、ココちゃんは桜にしがみついて泣いた。
そして俺は、そんなココちゃんを優しく抱きしめている桜を見て、その成長した姿に、少し涙するのだった。