未熟!
精神が未熟である!
俺は庭で神刀を振るいながら、己の情けない心を叩きなおそうと精神修行をしていた。
この世界に来て、初めて心を奪われた人。
前の世界を含めても、人生で初めて思わず視線で追ってしまう様な人。
俺は恋という名の病にかかっていた。
しかし、その病は癒される事なく地に落ちて、一晩経った今も俺の心をジクジクと蝕んでいる。
情けない!!
なんたる未熟!!
この世界に来た目的はなんだ!
桜が何不自由なく生きていく姿を見守る為だろう!
己の幸福を追求し、足を止めようなどと……許される事ではない!
他の誰でも無い。俺自身が許せないのだ。
俺は舞い降りる雪を両断し、荒い呼吸を整えるべく空を仰ぎながら大きく息を吐いた。
「……オリビアさん。付き合っている人、居るのかぁ」
「どんな人なのかなぁ」
「オリビアさんの相手だし、きっと素敵な人なんだろうなぁ」
「……はぁ」
俺は勢いよく首を振り、思わず零れ落ちてしまったため息を消しとばした。
軟弱! 未熟!
強くあれ!! 小峰亮!!
失恋がなんだ!!
そんなもの、世界中に転がっている!
立ち直れ! 息を吹き返せ!
己の目的と使命を思い出せ!!
お前は何の為にこの世界へ来たんだ!!
俺は勢いよく神刀を振り下ろし、周囲の雪をまき散らしてから、再び大きく息を吐いた。
今度は先ほどまでとは違い、ウジウジとした公開など湧いてこない。
俺は俺のまま、冷静さを保っている。
「あのー」
「……? どうしたのかな。フィオナちゃん」
「いえ。リョウさん、大丈夫かなって思って」
「俺は大丈夫だよ。健康だし、何か困っている様な事もない」
そうだ。困っている事など何も無いのだ。
ただ、もう打ちのめされた後、というだけの話で。
「そうですか? 何かあれば何でも相談して下さいね。家族なんですから」
「分かってるよ。ありがとう」
俺はどこか困った様子のフィオナちゃんに笑いかけ、上手く言葉を返した。
そんな俺の反応にフィオナちゃんはどこか悩んでいる様な様子を見せたが、分かりました。と言ってそのまま家に戻っていくのだった。
妹の様な子にここまで心配されてしまうとは、俺は駄目だな。
反省しなくてはいけない。
そう、反省。反省だ。
失敗を繰り返さない為にも、今回駄目だった事を反省し、次に活かす必要がある。
では、今回駄目だった事とは何だろうか。
やはりハッキリと好意を示さなかった事が悪いのでは無いだろうか。
一応好意を持ってますよ。程度の対応はしていたが、明確に好意を伝えた訳じゃない。
ここに隙があった。
無論、俺がセオストに来た時点で既に手遅れだった可能性はある。
俺と出会うよりも前に、オリビアさんが誰かと付き合っていた可能性もある。
だが!
だがしかし!
そうだとしても、それはそれで即座に結果が分かったでは無いか。
こんな風に、ウジウジと引きずって、落ちる事は無かった。
俺の敗因はそこにあった!!
何事も速さが大事なのだ。
俺に足りないのは速度であった!
反省点としてはこんな所か。
次、もしもオリビアさんと同じくらい心を奪われるような事があれば、即時行動だな。
と心に決めて、俺は神刀を鞘に納めるのだった。
そして、俺は汗を流すべく風呂場へと向かおうとしたのだが……玄関に立ちはだかる小さな影が現れた。
「お疲れ様。お兄ちゃん」
「あぁ。ありがとう。桜」
桜は玄関の中央に立って、笑顔で俺を見上げている。
何だろうか。
何か俺に用事かな。
「あー。桜?」
「どうしたの!? お兄ちゃん!」
「いや……何か俺に用事かなって思ってさ」
「別にコレ! っていう用事は無いけど」
「けど?」
「お兄ちゃんも色々と疲れてるんじゃないかって思ってさ」
「うん」
「お風呂とか、一緒に入る?」
「いや、遠慮するよ。桜ももう子供じゃないしな」
「子供じゃないからこそ! 良いと思うんだけど!」
「あー」
なんと言ったものか。
俺はニコニコの笑顔を浮かべている桜を見ながら考える。
何故、桜がこんな事を突然言い始めたのか。
という話だ。
もしかしたら仕事で疲れていて甘えたい様な神教なんだろうか。
それであれば全力で甘やかしたいところではあるが……風呂を一緒にというのは抵抗がある。
桜も少しずつだが大人になるのだ、甘え方というのも考える必要があるだろう。
少なくとも、兄弟で同じ風呂に入るという様な事はもう卒業しなくてはいけない。
桜も元気になった訳だし、自分で出来る事は出来るようにならないとな。
「桜」
「な、なにかな!」
「桜はこの世界に来てから調子がずっと良いだろう?」
「うん、そうだね」
「なら……もうお風呂は一人で入れるよな」
「……」
「これまでも出来ていたワケだし。これからだって問題は無いだろう」
「いや、だから、子供として言ってるんじゃないって……」
「大人の女性なら、むやみに異性と風呂に入ろうとは言わないんじゃないか?」
「うっ! ぐっ!」
「そういう訳だから、入ってきちゃ駄目だよ。お風呂出たらまた一緒に遊ぶからさ」
俺は桜の頭を撫でようとして……汗で汚れていた事を思い出し、そのまま横を通り過ぎた。
そして、風呂場へと向かい、一応入り口に鍵をかけてから服を脱いで屋外……の様に見える室内の温泉へと向かった。
体を洗い、そのまま風呂に入ろうかと思ったのだが……ふと思い出した事があり、映写用魔導具の元へと向かう。
「……正直、そこまで詳細に覚えている訳じゃないけど」
なんて言いながら俺は、壁に映し出している景色を、かつて父さんや母さんと一緒に見た、温泉の景色に変えた。
その温泉宿は山の高い場所にあり、温泉からは近くの山を見下ろす事が出来る場所だった。
しかも俺たちが行った時は、今と同じ冬で、温泉の近くには雪が積もっていて、温泉の暖かさと空気の冷たさが何だか面白くて、兄さんに何度も話しかけていたな。
そんな俺にも兄さんは面倒くさがる事なく、丁寧に答えてくれたんだった。
懐かしい。
遠い、遠い昔の話だ。
まだ桜が居なくて、父さんと母さんと兄さんと俺の四人で過ごしていた頃の話だ。
そして、今はもう思い出の中にしか居ない人達の話だ。
「父さん、母さん。俺、元気でやってるよ」
「兄さん。俺も、兄さんみたいな兄を目指して頑張ってる」
「みんなが見てくれたら、褒めてくれるかな。よくやってるなって笑ってくれるかな」
俺は目を隠す様にタオルを顔に乗せ、湯に体を沈めながら深く息を吐いた。
久しぶりに強く感情をかき回されたからか、懐かしい事が頭に何度も蘇ってくる。
鮮明に、瞼の裏に、彼らの記憶が映し出される。
「……はぁ」
自分でも制御できず零れ落ちたため息は、誰の耳にも届かず湯気の中に消えていった。
暗闇の中に伸ばした手は、何も掴めないまま力なく湯の中に落ちてゆく。
その衝撃で、お湯が荒れ、激しい音が周囲に響き渡ったが、やはり誰にもそれは届かなかった。
俺はただ一人、かつて幸せだった日々を見つめるのだった。
それがただの幻だと知りながらも。
目を逸らす事は出来ず、ただ……ただ。
しかし、いつまでもこんな情けない姿のままではいられない。
俺は幻を記憶の奥底に再び追い込んで、大きく息を吐いた。
気持ちを落ち着かせてゆく。
「っ! だぁ!!」
そして、過去を振り払って起き上がると、この世界に来て、以前よりも強くなった己の右手を見つめ、言葉を落とした。
「強く、ならなけりゃな」
兄として。
戦士として。
ただ、強く。
「さ。あんまり長湯してても桜たちが心配するだろうし。そろそろ上がるか」
なんて、独り言を呟きながら俺は風呂から上がり、映写用の魔導具へと触れた。
また映像を元の状態に戻すために。
そして、全てが元通りになった事を確認し、俺は頷きながら風呂場を後にするのだった。