辺境伯は狙われている   作:彼岸花

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大怪獣バトル……にはならなそう。


獣性に呑まれることなかれ

 

水音。

何か流れている。

その音を聞いて、私はゆっくりと目覚める。

 

目を開いても何も見えぬ。

光無き水辺で、私は目覚めた。

これにせめて人として恐れるか、少なくとも混乱すべきなのだろうが。

我が心は妙に落ち着いている。

 

既に二度目である。

どんな物事でも、一度経験さえしてしまえば人というのはある程度慣れる。

つまるところ、私は死んだのだ。

 

サンバルドを裏切ったあの騎士。

エレン卿に不覚を取り、敗北したのだ。

不意打ちであった事、毒を使われた事、それらは何一つ理由にならない。

結果としてここに至ったのは敗者である私なのだ。

 

『……何と愚かな、何と情けない事か。』

 

闇の中から声が聞こえる。

それもまた、聞き覚えのある声。

 

「ご無沙汰しております。」

『ご無沙汰では無いわ、愚か者め。一度ならず二度までもここに来るとは。』

「……正直言って油断が無かったとは言い難く。全て私の不徳の致すところです。」

 

正面きっての闘争で無双と呼ばれようとも、不意を打たれればこうも脆い。

天与の剛体を持ち得ても、毒や呪いならば容易く死に至る。

人の身とは何とも不自由なモノである。

 

『……それで誓いを果たせるのか、マサムネ。アマツカゼの当主として恥じぬ振る舞いなのか?』

「不覚を取りました、次はありませぬ。」

『どうだか……』

 

にわかに視界が開ける。

一面の闇が緩やかに晴れ、薄ぼんやりと風景が輪郭を得る。

辺り一帯を埋め尽くす曼珠沙華。

そして背後には川が穏やかにせせらいでいる。

 

『さて、二度目になるが、選ばせてやろう。』

 

影はそう言って水辺を指差す。

 

『一つは、大人しく渡ること。志し半ばだとしても……少なくとも()()、人として死ねる。』

 

続けて苦々しい、といった具合にゆっくりと。闇を照らす光を指差す。

一帯を照らす光は其方から差し込めていた。

 

『或いは今一度、戦いの日々に戻るか。グランマリスの騎士として、アマツカゼの当主として。』

 

言うまでもない。

私は振り向き、光の方へと歩み出した。

咲き誇る美しい朱の花畑を踏み崩さぬよう慎重に、然し力強く。

 

『……まぁそうするだろうと思っていた。とはいえ、躊躇う素振りくらいせぬか。』

「我が務め、未だ半ばならば。我が誓い、果たさざるならば。」

『ゆめゆめ忘れるなよ、マサムネ。一度でも……ましてや幾度も繰り返せば、人ではいられなくなるぞ。』

「……然と。」

 

歩みは段々と、速く。やがて歩幅も広く。

疎らになる花につられて走り出す。

ただ真っ直ぐに光の方へと駆けていく。

 

 


 

 

走って、走って、走り続け……視界が光に遮られたところで、覚醒する。

 

「…………!!!」

 

呼吸すら出来ぬ。

その状態で、私は血溜まりに突っ伏すように斃れていた。

 

毒に侵された身体。

全身のあらゆる臓腑も、血の一雫までもが蝕まれている。

その原因は勿論、先程の短剣から受けた毒である。

短剣に塗り込める程度の毒でここまでの症状が出るとは。

覚醒した意識も、酸欠と鈍痛で彼岸へと送り戻されそうだ。

 

大量の失血のお陰か、ほんの少し毒が抜けたようだ。

まるで自由とは言えぬが、僅かなら動かせる。

 

早急に毒を廃せねばならぬ。

そして、意識を覚醒させる()()()が必要である。

選択の余地はない、躊躇うな。

 

身体の血は心臓を起点として全身を駆け巡る。

その血こそが侵されているというなら……

抜いた太刀を逆手に持ち、私は自らの脇腹を深く切り裂いた。

 

「グッ……………!!!!!」

 

激痛、そして毒による出血を上回るほどの失血。

死の間際、自ら更に死へと向かおうとする奇行。

それでもやるしかなかった。

腹を割いた激痛は身体の鈍痛と痺れを上書きした。

大量の失血が、生命そのものと共に毒を廃していく。

 

濁った血溜まりは、新たな鮮血を得て更に拡大し、マサムネの巨躯を埋め尽くす程に大量の血で地を汚した。

無論、常人ならば死んでいる。

短剣に塗られたカエルの毒も、この失血も死ぬには十二分過ぎた。

身を切り裂いた激痛でさえ只人には耐え難い。

しかし、アマツカゼは死なず。マサムネは屈せぬ。

 

ヒュッ、ヒュッ、ヒュッと潰れかけの肺が少しずつ空気を受け入れていく。

ボヤけた視界は鮮明になっていき、世界に色を取り戻す。

人間は、心肺機能が停止すると二分前後で容易く死に至る。

一方で失血はその体内に流れる血液の絶対量……

これ程の出血であってもマサムネの巨体であれば十分前後の猶予があった。

目先の死を振り払う為に自ら死に向かう。

その狂気なくば成立せぬ先送り。

激痛と引き換えに得た数分が、今のマサムネの全てである。

 

 

 

 

 

 

 

 

だから、走る。

走り続ける。

出血は止まらず、激しい潰走にて更に加速さえした。

それでも止まらぬ。

 

血が抜けて低下した判断力で、ただ駆け抜ける。

真っ直ぐ、ただ一直線に駆ける。

あらゆる障害を貫き、放たれた矢のように進む。

巨木も、建物も、それら全てを破壊しながら。

 

最早人の域を超えた速度により、通常二、三十分はかかる距離を一分程で走破。

瞬く間にサンバルド王の館前へと到着した。

そして見えたのは館を包囲する多数の敵兵。

当然、走るマサムネは、その兵らの敵味方を理解していない。

何より今の頭ではそこまで考える事が出来ぬ。

だが、守るべき主であり友。遠方から僅かに聞こえたリズベットの声が、迷いを打ち払う。

長距離を走る体勢から、より前屈に。

我が身の傷をも省みぬ暴走にて、帝国兵の群れへと吶喊していった。

 

そして残ったのはあまりに惨い光景であった。

最初にマサムネと衝突した兵は全身を強かに打たれ、血飛沫を残して弾けた。

次にぶつかった者もまた、自らに何が起きたか知覚せぬまま全身を砕かれて即死した。

 

ここで漸く包囲する兵らはマサムネの存在に気がつく。

あまりに遅過ぎた。

逃げる事すら、避ける事すら許されぬ。

指先が掠っただけで腕が千切れた。

振り向く間もなく五体を粉々にされて絶命した。

血と臓物と、千切れた四肢が飛び散る阿鼻叫喚の地獄を、マサムネは身体一つで創り出した。

 

包囲を抜け、今にもリズベットに短剣を投げんとするエレンを見やり……

マサムネは爆ぜた。

自らに使ったあの猛毒をあろう事かリズベットにまで。

その事実が全身を狂おしい程の憤怒が駆け巡った。

そして一足でエレンの前まで飛び、急停止。

暴走の速きままに静止。

全てを暴力に転じ、渾身の力で殴り飛ばしたのだった。

 

 

 


 

 

後を託し、意識を失ったリズベットを確認した後、私はテレジアの方へと向き直る。

 

「テレジア殿、なにやら印象が変わったようだが。」

「……成程、成程。ババアが始末したと宣っていたが、やはり失敗したか。」

「訂正する、随分と変わったな。」

「元より私は変わってない、これが私だ。今も昔もずっと、ただ抑えていただけよ。」

 

ケラケラと笑うテレジアにサンバルト王の姿が重なる。

まるで似ていない、そう評しはしたがやはり親子なのだ。

纏う気配も、覇気も変わらず。

テレジアは華奢だ、身の丈は並、肉付きも並といったところ。

だというのに(けだもの)の息遣いが聞こえてくるようだ。

 

二年前。

かつて私が人生で初めての大敗を経験し、一度死の淵に立ったあの時と同様。

北方蛮族を束ねる長、狼の王がそうだったように。

彼女もまた、人ならざる者である。

 

此方を喰らわんとする獅子の幻視は実像を歪め、彼女の存在を現実以上に大きく見せる。

一般に雄の獅子は戦わぬ、狩りもしなければ普段寝てばかりいる。

故に、獅子は勇猛さと擬態の象徴である。

真の力を発揮するべく時に全力を振るえるように、研ぎ澄ましているのだ。

 

「一応聞く、何ゆえこのような蛮行に及んだのか?」

「逆に問う、それを言ったらお前はどうする?」

「いいや、答えがどうであれ切り捨てるつもりだ。」

「……試したかったのさ。正直私には帝国がどうの、戦争がどうの、そんなのはどうでも良い。この人でなしの力をたった一度、存分に奮ってみたかった……ひとかどの騎士には分かるまいが。」

 

笑いながら、泣くように呟く。

ヒトでいられない事の恐れ、哀しみ、そういったモノに囚われていた。

だが、だからこそ私は自信を持って言えるのだ。

 

「分かるさ。」

「……は?」

「分かるよ、よく分かる。何故人と同じように在れぬ、同じ価値観を共に出来ぬ。その苦悶と焦燥は理解する。」

「言葉だけなら……」

「故に、私は貴公を斬ろう。貴公の心を救う為に、万の言葉よりも一太刀の方が通ずる事もあるのだから。」

 

マサムネが大太刀を抜き、構える。

瞬間、空気が凍てついた。

内臓の端々に至るまでが冷たく澱む違和感にテレジアが顔を顰める。

塞がっていない銃創が酷く痺れるようだった。

 

殺気も、敵意も、ありとあらゆる感情を剥き出しに此方へ放って来ている。

何よりもその狂気が、テレジアの五体を威圧していた。

 

「我が名はマサムネ・アマツカゼ。偉大なるグランマリス王の甥にしてそこなリズベット殿下の従兄弟。グランマリスの剣、アマツカゼ家の当主。」

「テレジア・ファン……否、テレジア、私はただのテレジアだ。それで良い。」

 

マサムネの身体を蝕んだ毒は未だ消えておらぬ。

また排毒の為の自傷も深い。

戦う前の段階で、瀕死といった具合である事はテレジアにも分かった。

自らも銃創こそあれ、有利であるはず。

そう再確認したのは気圧されていたからだろうか。

 

あまりに大きい、あまりに太い。

2.5mの長身や半tはあろうという巨躯もさることながら、その存在感に圧されていた。

 

巨体はさらに大きく、並程度はあろうというテレジアはまるで赤子のように自らを頼りなく錯覚する。

恐れ、怯えの感情を振り払うかのように最初に動いたのはテレジアの方であった。

飛びかかって曲刀による刺突……はブラフ。

本命は逆の手に持った大剣であり、振り下ろした曲刀の切っ先を地に突き刺し、支点として回転する。

全体重と遠心力を載せた絶大な威力の切り下ろし。

虚を衝き、マサムネの身体を両断すべく勢いに振られた刀身は__しかし表皮で止まる。

 

「は……!?」

 

服を切り裂き、その直下。薄皮一枚を僅かに切り裂いて血が滲む。

それで終わり。

皮の下の筋肉も、骨も断つこと叶わず。

全力の袈裟懸けは大いに隙を晒すだけで終わってしまった。

 

自らの失策を知覚した刹那、腹部に重たい衝撃が響き、軽い身体は飛んでいく。

巨木のような脚で蹴り飛ばされたという事にさえ気付くのが遅れた。

そのまま水平に吹っ飛ばされ、勢いよく壁に叩きつけられる。

肺の中の全ての空気と、血反吐とを同時に絞り出される苦痛で意識が鮮明になる。

頭を振るって再度マサムネを見定めれば、先程同様真っ直ぐに太刀を構えたままの姿であった。

 

「若獅子よ、お前にはどう見える?お前には何が見える?」

 

実像は霞み、虚像が実体を得て現実を侵食していく。

戦場を駆け、あらゆる大敵を鏖殺してきた戦鬼の。

 

大国グランマリスは、相応に大量の騎士を抱えている。

その歴史に於いてさえ、史上最強と称えられるのがこの騎士。

武勇比類なき異端の男騎士。

 

友軍からは敬意と畏怖、羨望。そして法衣貴族らからの嘲笑で。

敵対した北方蛮族や騎馬民族らは恐怖から。

 

全てに共通することは一つ、彼がただ強者であることに他ならない。




テレジアは一応フィジカル面では天賦の才がある。
惜しむらくはそれを専一に磨かなかったこと。
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