辺境伯は狙われている 作:彼岸花
「……全く、本当に無理をする。」
サンバルド内乱から数日。
私は未だ目を覚まさないマサムネに付き添っていた。
クラウディアのように死にゆく者を蘇生する程の回復力は、私にはない。
指先を僅かに切ったような傷一つを癒すのにさえ一、二分は必要だろう。
私の力ではどうしようもない。
せめて苦痛を減じさせてやれれば良いのだが。
結局のところ、本人の体力次第。
全身余すところなく血塗れ、寧ろ血の付いてない場所を探す方が早い程の出血。
身体の1/3を切り開く程の切腹創。
巨馬以上の体躯のマサムネが昏倒する猛毒。
これらを受けて、尚あれだけの大立ち回りを演じたのだ。
つくづく化け物である。
味方である事に安堵すると同時に誇り高い。
傷に触れ、精一杯治癒の力を注ぎ込み、気絶寸前で止める。
ここ数日の私の日課であった。
というよりも、食事や睡眠など生活に必要最低限の行為を除き、ずっとこうしている。
自分の事ながら、本当に効率が悪くて嫌になる……
だが、唯一というか、奇跡的な役得もある。
少なくとも今はマサムネの事を独り占め出来るという事だ。
それも半裸の状態のだ。
治癒の魔法を使うには直接傷口に触れる必要がある……クラウ程に極端な力があるならば別だが、少なくとも私や母は負傷部に触れなければ傷を癒せなかった。
なので全身傷だらけのマサムネの看病に伴い半裸にしておくのは合理的である。
そして傷に触れるというのは、触れてさえいればどこでも良い。
つまり、私もまた服を脱ぎ捨て肌を合わせるのが理にかなっている。
一片の隙もない完璧な理論だ。
一応、最後の理性で下着までは脱いでいない。
我が内で死に行く乙女の羞恥心と言うべきか、全裸で抱き着いているのを見られたらいよいよ言い訳のしようがないと言うべきか?いや、誰に言い訳をするというのを考えるのが既におかしいが。
ともかく、その一線は超えない正気は私にもあった。
そう、
………考えて欲しい。
私は今年で22になる淑女だ。
人の在り方に異を唱えるつもりはないが、アレである。
普通に結婚して、子供がいてもおかしくない歳なのだ。
母がクラウを産んだのが22なのだ、正直遅過ぎるくらいである。
とどのつまり、ムラついていた。
仕方がないのだ。
妊娠適齢期真っ只中の女子が好いた男と同衾しているのだ。
そういう事を考えない、というのはどう考えても無理である。
正直なところ、現状脳内の大半が下心に支配されていた。
マサムネに抱きついたまま頭から布団を被る。
「んおおぉぉ……キマる……」
多分私はとんでもない顔をしている。
分かっているが止められない。
身体を拭ってやってはいるが、ずっと寝たきりで入浴など以ての外。
故にどうやっても寝台は雄臭さで満ちている。
変態であった。
だが最早、そう罵られようと構わぬ。
それ程までに理性が蕩けつつある。
今の痴態を見られた場合、最早マサムネに嫌われるどころではないというのに。
許されるならこの香りに包まれたまま躊躇いなく自慰に耽っていただろう。
ギリギリの正気と、他人の家であるという事が辛うじて躊躇わせていたが。
「………もう良いだろ、これ。」
もう不可抗力だろ。
今から私が何をしても恐らくは、仕方がないと許される筈だ。
据え膳食わぬは女の恥とも言う。
最早この状況で手を出さない方が嘘なのではないか?
地を創造せし神も、偉大なる母祖もきっとお許しになるだろう。
許さないというならそれは紛い物だ。
邪神か何かの類いだろう。
トリップした頭の中で、僅かに知性を残る場所を用いて下着に手を伸ばす。
マサムネという男はどうしようもなく優しいので、許してくれるだろう。
……だから手が止まってしまう。
その優しさに甘んじようという自らに嫌気がするのだ。
こんな情欲に塗れた思考で惹かれている訳ではない。
私は心から、マサムネ・アマツカゼという男を愛している。
その姿、その有り様、その心意気、その強さ。
全てが私の心を捕らえて離さない。
生まれの身分という、本人の才に寄らぬモノを除いて。
私は何も持ち得ない。
持たざる者だからこそ、強く惹かれるのだ。
「…………む。」
「!?」
そしてマサムネが目を覚ます。
数日ぶりの世界に、キョロキョロと左右を見渡して首を傾げていた。
「……あれから何日経ちました?」
「日数で言えば3日だな……おい動くな動くな、傷が開くぞ。」
「塞がったなら問題ありませぬ。」
「開くって言っただろ!話が通じないな……」
ヨロヨロと立ち上がり、そのまま転ぶ。
やはり体力がまだ回復していない。
手を伸ばす私を制しつつマサムネは自らの力で立ち上がる。
「気になる事がありまして、目覚めた今確認せねばなりませぬ。」
「強情な奴だな……まぁ良いさ。付き合ってやるよ。」
「感謝致します、リズベット殿下。」
やれやれ仕方のないやつだ、そう言った態度を取りながら私の内心はというと。
アブネー!!!ギリギリバレテナーイ!
マサムネは寛大な男であり、女子のそういった情欲を笑って流す度量もある。
とはいえ、流石に。
流石に彼が寝込んでいる間に私がしでかした変態行為の数々は知られてはならぬ。
幾ら優しいマサムネであっても、多分表情には出さないだろうが……
間違いなく引かれる、距離を置かれてもおかしくない。
ギリギリのところで一線を超えなくて良かった。
安堵して胸を撫で下ろす私を尻目に、マサムネは何かに気が付いたようで。
ところで。
朗らかな表情でマサムネは問う。
「何故服を脱いでいるのですか?」
「え"」
短き我が人生にてかつてないほどに頭を働かせ、私はしどろもどろに必死の言い訳を思案する事となった。
「邪魔するぞ。」
私はそう部屋の主に声を掛け、寝台へと歩む。
サンバルト王の館、扉には外から鍵と格子のついた座敷牢。
そこで眠る一人の女にこそ用があった。
彼女の意識はない。
鍔迫り合いの勢いそのままに振り下ろせばテレジアの薄い身体を真っ二つに両断する事が出来た。
それはあまりに容易い事である。
だからこそ、私はそうしなかった。
死なせてしまえばそれまでだ。
幸運だったのはそれを可能とする程の地力に差があった事。
仮にもし、テレジアが今以上の実力者であったならば。
師を見出し、確たる武を修めていたならば……私にも、無力化する余裕はなかっただろう。
「とはいえ、斬りはした。生き延びたようで何よりだ。」
眠り続けるテレジアを無視して語りかける。
当然返事はない。
しかし私には確信があった。彼女は既に目覚めている。
「狸寝入りなら無駄だぞ、どの道私はお前が目覚めるまで居座るからな。」
「……察しの良いヤツめ。」
「別に勘が冴えているとか、そういう訳ではない。私が入室した時呼吸が乱れたからな。」
ほんの僅かに落ち着いていた呼吸が乱れたのが聞こえた。
熟睡しているのならば有り得ぬ事だった。
「それで、今更何をしに来たと言うのだ?」
「問い質す、というか確認をしに来たというのが正しいだろうな。」
「ふむ……どの道私は敗軍の将だ、構わん。好きに聞くと良い。」
「話が早いようで助かる。一つ目、何故このような凶行に至った?」
「……自分の力を試す為。」
嘘だな。
答える前に少し躊躇いがあった。
目線が一瞬泳いだ後に此方を見据え、今度は動かない。
自分の嘘にどのような反応が返ってくるかを確かめている。
そう言った動きである。
「建前は聞いていない。お前自身の本心を問うている。」
「………」
「聞けと言ったのは其方だぞ。」
「分かった、分かったよ。」
諦めたように肩を竦ませ、一度顔を覆って空を仰ぐ。
余計な動作をしながら言葉を選ぶように二、三度硬直して漸く言葉を紡ぐ。
「死にたかったんだよ、私は。」
「その結果があの大暴れということか、迷惑な自殺だな……」
「自死を選ぶほどの勇気があるように思えるか?」
「さあ、私はお前の事がよく分からぬ。国に叛逆する気概はあるというのに、自ら死ぬ事は恐ろしいという。不思議な事だ……だから、まだ何か隠しているのだろう。残らず話せ。」
「……殺して欲しかったんだよ。誰かに私という化け物を殺して欲しかった。」
「そこまで踏まえれば理解出来た。」
テレジアという女はどうあってもつまり。
戦いの中で死ぬ事を望んでいたのだ。
見に燻る闘争心も、希死観念も全てが真。
私もまた、一人の武人としてその願望をある程度理解した。
私のそれと彼女のそれは一致しないだろうがから、あくまである程度だが。
「そして無事に失敗して、今は囚われの身という事だ。」
「……私からも良いだろうか。」
「何だ?」
「何故殺してくれなかったのだ、あれが我が人生の幕引きであった筈だ。あれほど充足した死が、この先に得られるとは私には到底思えぬ。」
「ふむ。あまりにモノを知らぬと見た。」
「何?」
アレが幕引きなどと、随分の甘えた考えをしているようだ。
死に場所として相応しい筈もない。
友に看取られたエレン殿を除けば少なくとも、あの場で死ぬのは雑兵共だけだろう。
「返して問おう、お前はあの時死んでいて良かったと本当に思っているのか?」
「当たり前だろう!戦場で命を散らす事だけが望みであった、だと言うのに……!」
「なるほどやはり。やはりお前は愚かだ。」
「勿体つけずに答えを言え!」
激昂するテレジアは上体を起こし、反射的に腕を振り上げる。
それを見たマサムネは遥かに上回る速度と膂力で肩と腕を抑え、寝台に叩き付けた。
「ケホッ………」
「暴れるな、何も分かっていないな。アレは戦場ではない。」
「……何だと?」
「小競り合いに過ぎぬ、そもそも死んだのは帝国の雑兵200とエレン殿だけ。数の上ではほんの僅かだ。そうだな……戦を知らぬお前に教えてやろう。北から侵攻するログマルム、そしてそれを防ぎ止めるグランマリスの戦争。北方戦役と呼ばれる永き戦いがある。」
「名前だけは聞いているが……」
「だろうな、不学な私でも騎士学校では勉強させられたよ。その歴史は百や二百では効かない。もっとずっと遥か昔__建国神話の頃に遡るとさえ言われている。北方戦役は度々大規模な戦いが発生する、我が母もかつての戦いで命を落とした程に。」
「!」
「そして私もまた前回の大戦で深手を負い、辛うじて長らえた。それほど激しい戦いという事だ。」
「……何人が死んだ?」
「詳しい数は分からぬ、だが我が方も数千人の死者が出た。少なくとも私はログマルムの兵を千は切り捨てたよ。それ以上は数えておらぬ。将も両手以上には切った筈だ。」
「にわかには信じ難い話だ。それほどの人間が戦い、死ぬというのは。」
口にはしていながらも、テレジアの心に熱いモノが生じる。
羨ましい。
嫉妬、或いは羨望。
そういった浅ましい心が内々から湧き上がって来ているのを感じた。
「やはりそうか。」
「何がだ?」
「お前の本心を、自らも知覚していない本当の心の内を私は理解したよ。そう、理解出来た。お前が望んでいるのは確かに戦いの中での死だ。しかし、それはつまらぬ闘争ではない。もっと苦しく、過酷で、暗鬱な戦場で討死したいと望んでいる。そうだろう?」
「そんな筈無いだろ、そんなものを望むワケが……」
「本当か?」
テレジアは実際惹かれていた。
この男を愚かだと馬鹿にした者は何処を見ているのだ?
確かに学がない、或いは行動が直情的であるのだろう。
だが、確かに理解している。
マサムネという男は、死狂いの在り方を心から理解していた。
もし仮に、そんな過酷な戦いがあるのならば。
私は望むのだ。
力の限り戦い、抗い、暴れ狂い、そして死ぬ。
最期の瞬間まで自らの焔を燃やしながら討死にする。
それはどうしても、あまりに眩しく思えてしまうのだ。
「図星といった顔だな。」
「確かに、悪くない。」
「隠す必要はない。私も同じようなモノだ。」
「お前がか?」
「戦うのが好きだ。私には学がない、容姿も優れている訳ではない。そんな私が私自身を慰められるのは、やはり闘争であった。剣を振るい、敵を踏み砕き、蹂躙する。その全てが私にとって愉悦であり、我が祖に対する祈りである。貴方らの子孫は強く、その名を正しく継承しているぞと響かせるのだ。」
「……羨ましいよ。」
「だから提案する、私と来ないか?」
「は?」
抑えつけた状態の至近距離で、マサムネは私を誘う。
私は反逆者だ。
如何に国家主君の子とはいえ、これだけの事をしでかしたのだ。
死罪はどうあっても免れないだろう。
死に場所を失った私は、だからこそ腐っていた。
「私は一応、グランマリス一の騎士である。つまり、生涯戦い通しとなるのは間違いない。」
「……それ程か?」
「北に屈強たるログマルム。西からは悍ましき騎馬民族。東……我が領地から海を越えた遙か彼方には我が祖の起源でもある極東が存在する。どの国も長きに渡り肥沃で広大なグランマリスを狙っている。」
「そして南のエギルラーンも、というわけか。」
「うむ、敵には事欠かないという事だ。だからこそ、提案するのだ。」
「……仮にそれを受け入れたとして、私のメリットは?」
「死に場所を与えてやる、あのような小競り合いではなく、本当の戦争で。遥かに悲惨で、遙かに過酷、一片の救いさえない地獄のような戦場で無惨に死なせてやるぞ。」
……酷い誘い文句である。
マトモな者ならばどう考えても首を縦には振るまい。
「悪くないな。」
ああ、私は既にイカれていたのだった。
馬鹿だな。
このまま処刑されるのを待っていれば、少なくともこの辛い生から逃れられたというのに。
更に苦しき死のために溺れながら生き長らえろというのだ。
悪くない。
それが本心であった。
先の戦いにて私はこの男を神話の英雄のようだと讃えたが。誤りであった。
立派な志を持つ筈の英雄がこのように狂った物言いをするはずがない。
悪魔、魔性の類いである。
人々の心を惑わせ、破滅へと導く化け物だった。
だが私には丁度良いか。
少なくともずっと、らしいだろう。
アマツカゼ・マサムネという男の狂気、そして熱に当てられて。
私は妙な気持ちになる。
寝台に押さえ込まれている。
だから、顔が近い。
確かに美形ではない、だが醜男というのもおかしな話だ。
不器用そうだが実直で、誠実な人柄を表すような顔立ちをしている。
瞳にだけ狂気を宿しながら、在り方は騎士の鑑そのもの。
だがその正体は私を地獄へと導こうとする悪魔。
背筋がぞくぞくする。
呼吸に熱が混じり、何故かその顔を直視し難い。
よく考えたら私は何日眠っていた?
いや、少なくとも化粧も何もしていない。
それが何故か急に恥ずかしくなってきたぞ。
「分かった……分かったが、離してくれ。」
「おっと失礼、つい力が入ってしまってな。」
寝込んでいて弱っていたのもあるが、掴まれた腕と肩がじんじんと痛む。
仮に組み伏せられたなら、私は抵抗すら許されず殺されるのだろう。
それはなんというか。
凄く惹かれるモノがある。
「目覚めたなら、サンバルト王からお話があるそうで。」
「……少し身だしなみを整えたら出る、伝えておいて貰えるか?」
「無論。」
そういって巨躯の男は出ていく。
未だに腕と肩の痛みは、感触が残り続けている。
呼吸で吐き出していた身体の熱が、次第に下腹部に蓄積する錯覚。
とかく先にこの疼きをどうにか癒してから、身だしなみを整えねば。
そのまま出れそうにはなかった。
最初から最後まで酷い感じになった……