辺境伯は狙われている 作:彼岸花
「まだ着かないのか?」
「とかく道が悪いからなこの辺りは。」
アマツカゼ領内の山中、辛うじて舗装した名残が残る道をかれこれ四半日歩き続けている。
こんな事なら鎧を着てくるんじゃ無かった……そうラインハルトが後悔した時には最早遅く。
鬱蒼とした森の中を彷徨うように進む。
「歩かせて悪いわね……」
「いえ、殿下を歩かせる訳にも行きませぬ。現地までお身体をご自愛ください。」
「……なぁ、お前の馬なら私も乗って良くないか?何でそこ二人だけ乗せるんだよ。」
「卿は歩け、酔い醒ましには程良いだろ。」
「まだ怒ってんのか……もう三日前の事だろ……」
ヤべ。
公の場意外でマサムネが卿などと言うのはかなり怒っている時だ。
普段は温厚な男であるが、一度怒髪天を突いてしまうともう駄目。
長らくその憤怒が止むことはない。
ラインハルトは内心でかなり焦っていた。
何より、普通に身体がしんどい。
肩を落とすラインハルトの姿を見かねてか、野分はラインハルトの首元を咥え、中空へと投げ飛ばす。
緻密なコントロールで着地点に回り込むとどすんと勢いよく背に乗せた。
「ありがと〜お前は優しいなぁ……」
「フゥン……!」
前にクラウディアとラインハルトを乗せて尚その歩みに揺るぎはない。
普段は2.5mの異常な体躯と半tの質量の主を背負い、戦場を駆けるのだ。
この程度は野分にとって誤差でしかなかった。
そこから数十分歩いたところでにわかに視界が開けてきた、。
久方振りの直射日光に目を細めつつ、人の営みの痕跡を発見する。
「……ん、だいぶマトモな道が見えたな。近いぞ。」
「うわ最悪虫に食われてやがる、山ってのはどうしてこう……」
「そもそも山自体がグランマリスに多くはないけどね……アマツカゼ領に集中してるわよ。」
舗装路に差し掛かれば歩みは劇的に加速、それから数分で目的地へ到着する。
「王女様領主様、このような山中まで御足労頂きありがとうございます。」
「わざわざ出迎えすまないな、短い間だが世話になるぞ。」
「いや、ほんとに酷い道だった……婆さんはよくこんな所で生活出来るのだな。」
「昔は確かに不便なところでしたが、今は随分住み良いところですよ。王都程ではないですが最低限生きていけるだけの施設も揃っております。」
「今も不便じゃないか?」
あの酷い悪路を踏破して麓、ひいてはアマツカゼの直轄地などと交流するのは実に難儀な事であろうと推測出来る。どう考えてもこのような小柄で腰の曲がった老婆には厳しいだろう。
「いえ、数年前に領主様が新しい道を整備してくださったので。」
「道………?」
「はい、あちらに。」
三人と一頭が目線を其方に向ければそこにはまだ真新しい街道が。
華美ではないが少なくともよく整備されており、実に歩きやすそうである。
じろりと三つの視線を感じた私は罰が悪いのを誤魔化す。
「待ってくれ、私本当に知らないぞ。」
「妹に内政を丸投げしてるからだろ……」
「私の頭脳で細々した業務がこなせると思うか?」
「何で開き直ってるのよ……まぁ良いわ、帰りはあっち使いましょう。」
ともかく一行は集落へと到着した。
数件の家が立ち並ぶだけの小さな集団である。
王家にとって重要な地である泉を管理、監視する為の役割を与えられた民が生活しており、最初はグランマリスからの移住者だけであった。開拓によりアマツカゼ領が併合された頃から混血が進み、今では住民の大半がどちらかの外見的特徴を携えていた。
そして此度の目標。集落から100m程、外見には特段おかしなところもない小さな泉である。
日も暮れつつある為、実際に沐浴を致すのは翌日へ持ち越しとなりその日は下見だけに留まった。
疲労によりラインハルトは早々に寝静まるも、明日への不安からかクラウディアは寝付けない。
沐浴する、ただそれだけである。
ならば何故わざわざ人を置いてまでこの地を管理している?
監視しなければならぬ理由があるからだ。
何か私の知りえぬ事実が秘匿されているのだ。
クラウディアは姉二人と比べて心配性な気質があった。
個の武勇ではグランマリスで二番目、粗暴にして残虐だが民に慕われるアンジェ。
内政から兵站に至るまであらゆる事務方を一手に引き受け、無双の姉を支えるリズベット。
二人と比べてクラウディアは力を持ち得なかった。
単純な武の話でさえ、非力とアンジェに嗤われるリズベットでさえ甲冑を着込んだ騎士の首をへし折り、刺突でフルプレートを容易く貫通し得る力を有している。
良血による遺伝的優勢と、騎士としての英才教育。
それは単純であるが、只人では対抗出来ぬ絶対の差。
生まれの差であった。
クラウディアはそんな二人の妹である。
血筋は申し分ない筈であった。
半ば死者の蘇生に近い程の癒しの才に恵まれ、その希少性から騎士としての教育を一切経ず育った。
闘争などで失うにはあまりに惜しい力である。
或いは末の娘くらいは戦いと無縁に育って欲しい。
そのような親心からか?いずれにせよ女王の判断は実に正しい。
あまりに正し過ぎた。
「それでも私は…………」
傷を治すことが出来ても守ることは出来ぬ。
痛みを癒すことが出来ても共に戦うことは叶わぬ。
我が身が煩わしいのだ。
贅沢な悩みであると理解している。
癒しの力持たぬ長姉や、微弱な次姉が知れば小突かれるだろうが。
仮に私にこれほどの力がなければ。
姉たちや彼と共に戦えたろうか。
それとも力及ばず討死していたろうか。
希少な、得難い才。それこそが私を縛っている。
『フッ………フゥッ…………』
夜の闇の中、静寂に紛れて力強い吐息が聞こえてくる。
喘鳴のような苦しげさを伴うと共に、主の確かな武を証明するようにハッキリと。
誰も起こさぬよう、音を立てぬよう細心の注意を払って戸を開き音の方へ忍び寄る。
想い人がそこに居た。
巨躯の身体に相応しい程の大太刀を掲げ、振るい、引き戻す。
している事といえば実にそれだけである。
美しいと思った。
激しい運動は熱が溜まる。
金物と金物が擦れ合う時がそうであるように、肉もまた同様であった。
僅かな月と星の明かりを頼りに目を凝らせば辺りが歪んでいた。
その皮と肉の内で血潮が沸騰しているのだ。
放熱の為上着を脱ぎ捨て、上裸で太刀を振るう姿はまさに武そのもの。
掲げる時は上腕、振るう時は背筋、引き戻すには胸筋。
全身のあらゆる肉という肉が脈動している。
グランマリス最強の騎士たる男の強さ。
天性の剛体と、それに甘んじない精神。
生まれながらの才を持ちながら、専一に磨ける者は案外少ない。
今ではその全てが情欲を伴ってこそいるが、やはり原初は憧憬なのだ。
「殿下、起こしてしまいましたか?」
「いいえ、少し眠れなくてね。」
「……なるほど、差し支えなくばお聞きしても?」
「色々よ、明日のこと、これからのこと、先のことは何も分からない。だから不安になる。」
「私は考えたこともありませぬな、毎日毎日その日その場のことで精一杯です。」
「貴方のこともよ。」
「私ですか?」
自分の話題を振られるとは思っていなかったのか、少し面食らったように硬直する。
戦いの場では過敏な程にカンが冴え渡るというのにやはり自分のことには疎いのだ。
「だったら、一つ聞いて良いかしら。」
「無論。私に答えられる範囲ならば。」
「貴方は何故戦うの?」
「………グランマリスの騎士であるから。」
「そうじゃない、務めとしてでない貴方自身の考えよ。」
「私自身、ですか……」
お手本のような回答。
頭の足りないところもあるけれど、ある意味ではそれさえ。
マサムネ・アマツカゼという男は理想の騎士である。
騎士学校ではあるべきモデルとして彼を取り上げる程だと。
弱きを助け、民と共に歩み、国に忠を尽くす。
素晴らしい騎士だ。
極端に、病的な程に。
「……言うまでもないことですが、私は馬鹿です。」
「肯定して良いのかしら。」
「事実です、アンジェ殿下のように諸人を魅せ付き従わせるような器はありませぬ。リズベット殿下のように実直に学びを重ね、国の行く末を見定める叡智はありませぬ。無論、殿下のような癒しの力も。ですから……」
そこまで言って一度切る。
言いたい内容は定まっているのだろうが、言葉が追いつかぬのだろう。
彼にはそういう所があった。
「ですから、ただ務めを果たして来ました。グランマリスの騎士として、アマツカゼの領主として、或いは兄として。自らに務めを課し、それを愚直に果たすことだけが精一杯でした。」
「……立派ね。」
「愚かなだけです。」
「それでもよ。良きところは然と誇りなさい。」
やたらと自己評価が低い。
自らの武力以外全ての評価が低いのだ。
実態として彼の魅力はそれだけには留まらぬ。
甘さと評しても差し支えぬ程に優しく、そして実直である。
悪意とは無縁の存在であった。
ああ、やはり。
話していると下腹部がズキズキする。
痛いほどに疼いている。
この男の子を孕めと私の脳を侵してきているのだ。
それはまだ。
まだ早い。
「ですがまぁ、間違いないことなら。」
「ん?」
「戦うことは好きです。自らの存在意義であり、彼岸へ渡った母との繋がりを感じます。」
「貴方のお母様は確か、昔の北方戦役で……」
「……あれから十年。正直なところ母の声も顔もやや薄れつつあります。」
人とは忘れる生き物だ、どんなに想った相手でも時の流れにいずれ薄れ行く。
「それでも、母の背は。母がたった一度手慰みに見せたあの一太刀は今も尚、我が心に。」
「……お母様との繋がり、か。」
「たった一度ですが、それでも私には強烈な記憶です。」
「ええ、ええ良いわ。急に変なことを聞いてごめんなさいね。」
「いえ……眠れなかったとしてもそろそろお休み下さい。明日が本番ですから。」
何故戦うのか。
グランマリスの騎士だから。
アマツカゼの領主だから。
母との繋がりを感じるから。
嘘ではない。
その全てに一切の偽りはない。
だが、本心とも言い難い。
私は心から、どうしようもないほどに。
それでも尚、騎士たらん。
かつて祖マリスがそうであったように。
母がそうであったように。
グランマリスの信仰で古くから唱えられる言葉。
私はただ、そうあるべきと自らを律する。
自らの鬼に食われぬよう、ただ人として在る為に。
キリ悪いから短め、申し訳ない