辺境伯は狙われている 作:彼岸花
健康に害とかはなんかないって事で一つ……
「ここまで来させられたのに私は留守番かよ!」
「仕方ないだろ……そもそも見える場所に居て良いのは王家の者だけだ。」
「ってえとあの婆さんたちも実際立ち会った事ないのか?」
「そういう事になるな。」
「何かも分からんモノを後生大事に管理してんのか……真面目な奴らだぜ。なぁ、お前の未来の妻たる私も王族って事にならないか?」
妄言である。
ラインハルトという女は基本的に世迷いごとを常に唱え続ける。
前提がそもそもおかしいのだが……仮にそれが成立したとして……
やはり血である。
直接マリスの血を引いていないだろう事にはその許しは出ないだろう。
「朝からうるさいわね……」
「おや殿下、まだおねむですか?夜更かしは女の敵ですよ。」
「夜通し飲み歩いて二日酔いのまま仕事をするお前が言うのか?」
近衛のくせに昨晩殿下が起き出したことには気付きもせず眠りこけていた。
森林の踏破という慣れぬ運動がモロに疲労を促進したのだろう。
結果論であるが、昨晩熟睡したからか完全に酒が抜けている。
大規模戦役の佳境でしか見られぬ珍しい姿であった。
「というか殿下、今気付いたんですが。」
「何よ。」
「いやエッロ、なんですそのドスケベ服。スケスケじゃないですか。」
「言うんじゃないわよ!好きで着てるわけないでしょう……!」
「いやまぁ……まぁ、そうですな。」
言葉に詰まる。
これはどう言ったとしても失礼に当たるのではないだろうか。
「……そういえば姉上お二人も同じような事を言っていたような。」
『これは………待ってくれマサムネ。見るな、流石に羞恥が勝る。止めてくれ。』
『うおすっげぇスケベ服、初夜かな?このまま■■■して良いか?』
いやほんとうに、どうして彼女はああなのだろう。
可哀想なお方である。
グランマリスの永き歴史でも一、二を争う秀才と引き換えに人として失ってはならない最低限の人間性さえも切り捨ててしまわれたのだろうか。そのように失礼な事さえ考える。
親衛隊の者や私にも流石に本人には言わぬ情というものがあった。
だが皆理解している。
リズベット殿下は残念なお人なのだと。
有り体にいうとキチガイなのだ。
正気の時は頼もしく、明快で美しいお人であるのだが。
人格はやはり、怪人と言って差し支えないのだ。
「グッヘッヘ、殿下、隠したって無駄ですよ。神妙に拝見させて頂きたく。」
「止めて剥かないで!助けてマサムネ!!!」
「承知。」
大太刀を鞘のまま振り抜き、横一閃にラインハルトの頭を殴りつける。
グギャリと人体からおよそ鳴って良い範疇を逸脱した音が響き、騎士は沈黙した。
「……いや、確かに助けてとは言ったけどやり過ぎじゃない?」
「卿の頑丈さは私が一番良く知っております。この程度では死にませぬ。」
少しばかり鼻が折れて脳が揺れたかもしれないが、それはそれ。
グランマリス王家の盾たる彼女の一族は皆異様なタフネスを誇る。
単純な膂力では勝るアンジェでさえ、試合では決め手を失う。
そして体力の差となれば大抵彼女が勝つ。
無論お互い刃引きの……殺意の伴わぬ争いではある。
実戦に際してその勝敗はその時の運に左右されるだろう。
逆に言えば、時運の差にまで肉薄出来るのだ。
手早く傷を癒す殿下だが、彼女の癒しはあくまで傷や障害を癒すモノ。
失われた体力そのものは決して戻らぬし、意識を再起させるも当人次第である。
良いところに入ったので恐らく三十分くらいは目覚めぬだろう。
手早く終わらせればその間に儀式を完遂するのは造作もない。
「参りましょうか。」
「……息はあるようだし仕方ないか。」
潰れたカエルのような格好で気絶するラインハルトを転がし、殿下を立ち上がらせる。
当然ながらべちょっと容赦なく地に突っ伏す事にはなるが自業自得であった。
「にしても急にどうしたのコレ。」
「あれ、殿下は存じ上げないんでしたか?ラインハルトは両刀ですよ。」
「両刀って……その……」
「……まぁ、男も女も。というヤツです。殿下のような可憐な少女は特に。」
理由は単に周りに少ないからである。
軍属である我らの周囲は当然ながら相応の剛体持つ厳しい者が多い。
アンジェやリズベット、転がっているラインハルトは間違いなく美人である。
しかし誰がどう判じたとしても
女子の身長は大体170程で停滞するものだ。
それが国や人種を問わずヒトという生き物の特性。
いや……250を超える私が言っても何の説得力もないがそれは置いておいて。
一番華奢なリズベットでさえ180は優に超えている。
ラインハルトやアンジェ、特別武に秀でた者なら190程。
つまるところ、見飽きたのだ。
ゴツい女子には飽き飽きした、とは本人の談である。
そう言いつつ殿下らと論争になった時は『殿下も私の守備範囲ですよ?』の一言で黙らせる。
どんな脅迫をしているのだろうか。最悪である。
ともかくラインハルトという女は狂っていた。
その事実を知ったクラウディアは身震いする。
今更恐怖を感じたのだろう。
とはいえ、流石に国に忠を尽くす騎士ではある。
無理やり何かする、という事は有り得ないのだが……
「……まぁ、個人の趣味に口を出しても仕方ないか。」
「寛大ですな。」
「そんな事より。その……ど、どうかしら?」
「どう、とは。」
「……そのままの意味よ。」
ううむ。
殿下の意図を図りかねる。
私は愚かで鈍い、その自覚があった。
まさかその痴女のような服を評しろというのか?
そもそも私にはそれ程の語彙はない。
増してやこの衣服は無理である。
どう評価しても殿下の自尊心が酷く損なわれてしまうだろう。
「……どのような姿でも殿下はお美しいと思いますよ。」
「……気を使わせてごめん。申し訳ない事を聞いたわ……」
当たり障りのない答え。
結果として微妙な空気になってしまう。
やはり私は一人で他人と会話するべきでないな。
そう再確認するだけの結果となってしまったのだった。
「うぐ、ちべたい……」
「この泉は山からの湧水が溜まったモノです、辛いでしょうが我慢して下さい。」
薄っぺらな衣服を、正直こんなモノを着るなら裸の方がずっとマシ。
そんな服を着たまま、泉に触れる。
恐らく一切の暖は取れないだろうし、一切水を防ぐこともないだろう。
これで沐浴を……?
私は早々に帰りたい気分となった。
しかし姉たちも通った道。
意を決して腰まで浸かる。
一瞬感覚が鈍くなり、身体の底が凍てついた錯覚の後で少し動く。
数分そのまま耐えていればじんわりと身体が慣れ、辛うじて耐えられるようになった。
「よし……では泉の中心、最も深き処へ。といっても水深は1m程しかありませんが。」
「分かったわ。」
ざぶざぶと水を掻き分け、中心へと向かう。
ある程度落ち着いて冷静を取り戻したからか様々な事に気がつく。
よくよく考えれば奇妙な泉である。
木々に囲まれ、鬱蒼とした山の中にあってその水面に一切の曇りはない。
湖底すらが泥面でなく、足触りから察するに砂地である。
それでいながら、透き通った水。でもない。
空が写っている。
過度に美しく、透き通った水面は鏡のようにあらゆるモノを反射する。
故に足元には空が広がっている。
奇妙な場所である。
空が見えること自体がおかしい。
まるでくり抜いたようにぽっかりと、この泉の周りだけ一切の草木が生えておらぬ。
そんな考えをしていれば間もなく目的の中心に辿り着く。
身長の低い私は立った状態で丁度胸部までが水に浸かる。
ぼんやりとした思案を忘れながら瞑想。
思考を限りなく無に近付け、何もかもを一時忘れる。
心臓の熱が冷たい水に溶け込んでいくのを感じた。
顔が水面に近付くにつれ、より一層空が近付いてくるように感じた。
私は今空と空の間に溶けている。
そのような錯覚。
やがて水中であるというのに抗い難い睡魔に襲われ、意識は微睡んで緩む。
『妬ましい。』
……不意に耳元で誰かが囁いた。
目を開く。
知らない場所であった。
泉に写った空ではない。
真実として空と空の間に私は立っていた。
混乱する間もなくまず私は声の方を振り返る。
黒く濁り、捻じ曲がった何か。
『嗚呼。妬ましい、羨ましい。姉たちには出来て何故私には出来ぬ。』
その言葉を聞いてズキリと胸の奥が傷んだ。
口に出した事はない、それでも日頃思うこと。
立っている事が出来ず、蹲るように横になる。
目を瞑り、歯を食いしばりながら荒い呼吸を整えるのに必死であった。
『腹が立つ、ただ自分の至らなさに激昂する。傷を癒してやることしか私には出来ぬというのに、あわや彼を失いかけてしまった。怒りだ、憤怒でしか自らを認められぬ。』
『寂しい。いつも一人だけずっと後方で、私だけが国に独りだ。それが正しいのだとしても……』
耳を塞ぎ、赤子の様に丸くなって自分を守ろうとする。
私だ。
全て、私であった。
鏡に写された私自身の悪性を眺めている。
姉たちへの劣等感、嫉妬心。
何も出来ない自分への無力感と憤り。
共に在ることが出来ない孤独。
それらが一体となって襲いかかってきている。
苦しい。
耳を塞いでも、頭を隠しても声は身体の内々から響く。
逃れることが出来ない。
分かっている。
ただ見えないフリを、聞こえないフリをしているだけなのだ。
意識が飛びそうな程の苦痛を感じつつ、我が理性はそれても痛い程の正論を。
自傷と分かりつつただ受け止めていた。
「様子がおかしいな……」
殿下の姿を湖畔から眺めていた私はつい口を開く。
立ったままの格好で、目を閉じて動かない。
それ自体はアンジェやリズベットの時も同様である。
だが嫌に長い。
数分、長くても十分程度。
しかし既に数十分、もうじき一時間の大代すら見えてくる。
時間が過ぎていくにつれ、遅まきながらその違和感に気がつく。
ばしゃり。
立ったままの殿下が倒れる。
まずい、水面に顔を付けては窒息死する可能性さえある。
本来ならば儀式の最中何びとも泉に立ち入ってはならぬ。
ならぬのだが、それが殿下の生命よりも優先される筈ない。
私は急ぎ泉に飛び入り、殿下を回収しようとして………
足先が水に触れる刹那、重々しい何かに殴られて弾き飛ばされる。
胃の内容物が迫り上がるのを堪え、忌々しげに泉を睨む。
鏡面のような美しい水面は何処へやら。
重々しく黒々として澱んだ水が塊となって此方を睨み返した、そんな気がした。
この泉は鏡のように美しく映るモノを反射する。
それは水中、そして砂中に蓄積した金属によって引き起こされる現象である。
……そして奇妙なことに、この泉は浸かった者の心を映す。
正しくはその者が抱える本心を、極端に湾曲して映し出す。
負の感情を強く受けた泉は鈍く歪んで澱む。
「…………」
人型の、ナニカ。
二本の腕、二本の脚、そして頭までひと揃い。
それを知覚した瞬間、大太刀を抜刀し真一文字に切り裂く。
金属のような硬質さでありながら、まるで液体のように抵抗がない。
奇妙な敵であった。
一体、二体、三体。
湧き出る人型の敵を斬り、打ち倒していく。
一体を打倒する間に三体新たに出現する。
二体を叩き潰していたら五体に切りつけられる。
無尽蔵に湧き上がる心無き鉄の生命であった。
細かな手傷を負いつつそれでも前へ。
少しづつ、だが確実に泉へと進んでいく。
その場所に殿下が居るのならば、万難を跳ね除けてお救いせねばならぬ。
必死に掻き分けながらようやく沈みゆく身体を発見して手を伸ばし。
あと僅かのところで濁流に飲み込まれた。
氾濫する重く冷たい水の中で彼女の本心を垣間見る。
これほどの闇を、これほどの失意を隠していたのか。
何故誰も気付けなかった?何故誰も救えなかった?
後悔はどうあっても先には立たず。
勢いに敗れた身体が宙に浮き、支えを失ったところで更に痛撃。
金属のような重量の鉄砲水に押し流され、吹き飛ばされる。
「何がどうなってんのか知らんが、だから私も連れてけと言っただろ。」
流され、転がり、朦朧とする意識の中で声が聞こえた。
巨剣を地に突き立て盾とし、激流を留めんとする友の声が。
「……悪い、ここまで酷くなるとは思わなかった。手を借りたい。」
「水臭い事を言うなよ、私とお前の仲だろ。」
「集落は?」
「まだ到達してない筈だ。」
「それは何より、しかしこの勢いでは遠からず山を呑みかねん。」
「ならんさ、ここに我々がいる。そうだろ?」
何とも楽観的である。
だが、その軽い言葉に心地好い安心感を覚える。
どのようにこの氾濫を鎮めるか。
足りない頭で私は必死に思案するのだった。
義姉弟四人だとアンジェとマサムネが良識側。
リズベットとラインハルトは基本的にカス。