辺境伯は狙われている 作:彼岸花
次回からはいつも通りに戻るよ。
ラインハルトの生家であるカストラ家。
グランマリス建国の頃より王家に仕えた腹心中の腹心である。
その強みは圧倒的な硬さと守護の力。
初代カストラは護りの魔法を持ち、その堅牢さをグランマリスの城塞と讃えられた。
しかしながらそれ以上に識者は皆、別の功績を讃える。
自らの魔法の解読。
遺伝により失われるリスクを孕む不安定な魔法に頼ることなく。
その構造を紐解くことで遥か先の子らが王家の守り人たらんことを願った。
そして現代。万物を押し流す濁流を跳ね除け、子孫は微動だにせず立ち続けていた。
かつての『城』には及ばずとも、王家の『盾』として。
「どれくらい保ちそうだ?」
「ぬるいな、この程度なら永遠と凌いでやるとも。」
「事実で頼む。」
「二、三十分。」
「流石、頼りになるな。」
魔法ではない。
単純かつ純然な、魔力放出である。
攻撃の強弱、リズムに合わせて最適かつ最良な量の魔力をぶつけて相殺する。
言葉にすれば実に簡単であるが、実行はあまりに困難。
魔力消費を抑えるべく瞬間瞬間で出力を緻密に操作するのは只人には不可能である。
故、カストラの者は皆これを鍛錬する。
それでもこの濁流を数十分も防げる者はそうはいまい。
カストラ・ラインハルトは一種の天才であった。
彼女が凌ぐ限り後ろの集落へ到達はしまい。
だがこの勢いのままでは山ごと呑み込まれる。
どうすれば良い?
私は馬鹿だ、頭が回らぬ。
考えろ。
師リンドウならどうする?
その人並み外れた駆動有らば奔流すら振り切って走破するのは可能。
影すら踏ませぬ脚力で流れから脱出するのだろうな。
……怨敵、狼の王ならばどうする?
私には想像も付かぬが、あの海千山千の狡猾者ならばきっと。
何かしらの奇策を講じ押し通すのだろう。
母ならば。
アマツカゼならば、どうした?
一振りの太刀。それ一つで濁流の全てを切り捨て、一直線に泉まで駆け抜けるだろう。
確信めいた奇妙な信頼があった。
では私は?
マサムネ・アマツカゼならばどうすべきか。
師の迅きも、仇の経験も、母の技量も私にはない。
自らの非才に腹が立つ。
ただ一つ、剛力無双だけで押し通った弊害。
力だけで跳ね除け得ぬ窮地がある。
まだ足りぬ。
だからそれを放棄する。
『出来ぬこと』を考えるなど無駄なのだ。
『出来ること』だけを考えろ。
膝をついて思案する中、不意に固定の甘かった腰刀が地に触れる。
家伝の大太刀を主兵装とする私はあまり使うことがない。
大小二本持ってこその侍__その成り行きで身につけているに過ぎぬ。
……腰に差した打刀を抜き、左手に構える。
力及ばぬ私に出来ること。
習うべきはあの姿。
戦ったのはほんの数度である。
増してや命懸けとなると数瞬打ち合っただけである。
エレン卿、今は亡きサンバルトの騎士。
弾性の魔法持つ勇ましき海賊。
彼女は小柄で、身の丈相応に非力であった。
恐らくその膂力は私の指一本にも劣るだろう。
お世辞にも戦いに向いているとは言い難い体躯である。
しかし彼女は私の攻勢を、見事に捌いてみせた。
グランマリス剣術の礎とは即ち決闘である。
今でこそ広く兵らに普及し、軍として扱うに足る運用をしているが。
本来は一対一、真正面から敵と対峙する時こそ本領である。
サンバルト剣術は違う。
荒々しい海賊どもの戦い方を基としながら気品すら感じる。
船上、或いは足場の不安定な桟橋などでの乱戦。
敵味方入り乱れた混乱を制する戦法に秀でていた。
無論敵の攻撃を受け止め、渾身の力で護り諸共粉砕する。
それを疑ったことはない。
グランマリス剣術の絶対、それが覆ることはない。
しかしながら合戦に於いて、乱戦に於いてそれが最良とは限らぬ。
グランマリスの稲妻が如き苛烈で圧倒的な剛剣。
サンバルトの流麗で優雅な怒涛を切り裂く剣技。
どちらにも故あり、どちらにもその強みがある。
今はどうだ。
押し寄せる鋼の濁流を切り払うのに足る剣は………
仰々しく、それでいて確たる自信を以て二刀を携える。
たった数回。たった十数分。
それも戦場にて死力を尽くした殺し合いでなく、あくまでルールに則った仕合。
それだけである。
エレンの剣を見たのはそれだけであった。
「ハハ、十分過ぎる。」
記憶の果て、たった一度見ただけの母の剣。
それを追い求めさえしたのだ。
あまりに十分過ぎる。
グランマリス剣術とも、極東の侍の剣とも違う技術。
私がやれるのは精々が見様見真似。
だが、真似ならば出来るのだ。
「ラインハルト、私が合図をしたら一瞬だけ盾を解け。その間に私が殿下のお処まで切り進む。」
「……その様子じゃ、何か思いついたんだよな?」
「ああ、やれる筈だ。」
だらりと肩から力を抜き、両腕の武器を緩やかに撓ませる。
侍の戦いにもある脱力。
素早く無駄のない技の為には常にこれが欠かせない。
あとはただ、身を任せる。
初めて剣を握ったあの時のように。
初めて技を得たあの時のように。
ただ素直に、ただ真っ直ぐ。
無知な子供の心を思い出して学ぼう。
「解くぞ!」
「応!!!」
ラインハルトの『盾』により逸らされていた濁流が一気に押し寄せる。
重厚で刺々しく、物悲しい程に冷たい殺意の洪水であった。
「……エレン殿、お借り致す。」
左に打刀、右に大太刀。
押し寄せる波を大太刀の一撃で弾き飛ばし、打刀で受け流す。
打刀で流れに綻びを生じさせ、大太刀で切り払う。
あくまで流れには逆らわぬ。
しかし流れを我がモノとせよ。
二刀を以て受け流すその型を、不完全ながら私は理解した。
一歩、また一歩と前に歩む。
次第に歩みは早足になり、間もなくして駆け足へ。
不格好な型が故、身を襲う全てを防ぐ事は叶わない。
だがそれはどうでも良い。
即死さえ避ければ私はどうとでもなる。
鋭利に尖った杭のような波に心臓を貫かれた。
人は心臓を穿たれた程度では直ぐには死なぬ、問題はない。
撓る鎌のような金水が左脚を切り飛ばした。
片足があれば進むのは可能、問題はない。
銃弾のような飛沫が右眼を抉った。
見えている、問題ない。
稚拙な模倣でしかないそれは、次第に型を得ていく。
先程までは直撃していた攻撃が掠り、或いは受け流され。
無心のまま切り進む。
切って、切って、斬り続け……
夥しい出血を振り払うように、ただ駆ける。
そしてあと僅かといったところで刃が止まる。
硬く、あまりに重い。
流体が球状の障壁と化して刀を弾き返していた。
二、三度切りつけて尚、まるで鈍を叩き付けるような感触が返るのみ。
打刀を腰に戻し、諸手を掲げて大太刀を振り下ろす。
一瞬。ほんの一瞬だけ分厚い金水が切り裂かれて閉じる。
威力が足りぬ、そして振り幅が足りぬ。
血が抜けて死に体のこの身体では、とても打ち払えぬ。
アマツカゼ当主の剣技。
実に単純で、それ故に強力。
『斬撃に鎌風を纏う』という、ただそれだけの技。
私には扱えぬ。
男だから魔力もない、その上正しい扱い方さえもを知らぬ。知らぬが……
見たことがある筈だ。
大上段からの振り下ろしに風を纏い、斬撃を飛翔させる。
母がたった一度だけ見せたアマツカゼの妙技である。
「やれる、やれないなどと言っている場合ではないか。」
何が扱えぬ、知らぬだ。
やるのだ。
出来ぬことは考えない。
出来ないのならば死ね。
大上段、頭上高く大太刀を振り上げる。
足りぬ。
この程度ではとても……とてもとても足りぬ。
更に振り上げ、まるで背に背負うように担ぐ。
振り幅はここが臨界、後は更なる膂力が必要だ。
振り上げた腕、掲げた背中、保持する腹に、支える両脚。
全身余すとこなく肉を捻じっていく。
サンバルドの海賊騎士。
最も歳若き獅子、レネイ卿。
彼女の身体は特別である。
筋力、耐久力に秀でた超人体質の中でも特に柔軟性に富んだ身体。
切ったばかりの青竹のような硬さと嫋かさを兼ね揃えていた。
彼女は言う。強靭な身体の捻れが、時に奇妙な程の爆発力を生むのだと。
事実として彼女の踏み込みは私ですら捉えきれなかった。
戦の勘が辛うじてそのタイミングを教えたようなもので、視界には収まっていない。
私は人の枠を遥かに超越する
我が身に憑く鬼はこの身体をヒトならざるモノへ変貌させた。
身の丈が2m半以上。目方は500kgはくだるまい。
そのような身体の天辺から爪先までぎっしりと筋肉を詰め込んだ化け物である。
膂力は彼女の数十、或いは百倍すら超えるか。
その強靭さも彼女のそれを容易く凌駕するだろう。
振り上げる、のではなく引き絞る。
張り詰めた弩の如く、万力の腕力を込めて。
全身の力が限界を超えた極限、暴発と自壊の臨界ギリギリの刹那で解放する。
超大上段からの袈裟斬り、した事としてはそれだけである。
その勢いは金水を切り裂いてなお収まることなく、振り下ろしたまま地に刺さる。
次いで有り得ない程の剛力を受けた刃が世の摂理を捻じ曲げ、空に刃を投影した。
魔法のように指向性を伴う便利なモノではなく、刀の着地と同時に爆発して霧散した真空の塊はしかし。
確かな破壊を持って金水の障壁を吹き飛ばしたのだった。
水底に突っ伏した状態のまま、眠るように殿下は沈んでいた。
急ぎ泉から引き上げ、岸辺へと運ぶ。
源を絶ったからかあれほど荒れ狂っていた濁流は間もなく消失。
幾つか薙ぎ倒された木々だけその名残を残すのみとなる。
掲げるように持ち上げ、音を聞く。
心音はか細いがまだしている、しかし呼吸はしていない。
水を吸ってしまったのだ。
殿下を抱えるような体勢で腹を圧迫し、水を吐かせる。
ぐぐっと迫り上がるように、入ってはならぬところに入り込んだ水を押し出していく。
続いて寝かせた状態で胸部を圧迫する。
肺に水が溜まったままでは間もなく死んでしまう。
胸骨が砕けるのは厭わない、しかし圧し過ぎてその薄い身体を潰さぬように。
絶妙な力加減で水を吐かせる。
そのまま水筒一つ分も水を吐かせたところで不意に殿下が起き上がる。
見るに目の焦点は定まらず、未だに呼吸もしていないようであった。
殿下は虚ろな目を此方に向け、突然何か発する。
「……寂しい。」
「む?」
「寂しい、腹立だしい、羨ましい……」
おそらく未だに意識が覚醒しておられぬのだ。
故にうわ言を仰っている。
無意識下の泣き言、つまりは偽らざる本心なのだろう。
「……寂しい、ですか。奇妙なことを仰いますな。」
「………」
「そもそも我らはいつだって共に戦っています。少なくとも私はそう思っております。腹立だしいというのも恐らくは……察するに、戦えぬ自らを恥じて憤っているのでしょうか?殿下は真面目なお人ですから。」
感情の動きを察せはする、しかし言葉が追いつかぬ。
私は頭が鈍い。
気の利いた言葉などが次々に浮かぶでもなければ、それらを紡ぐのも苦手である。
「私の戦いとは、前線で血を流すこと。しかし例えばリズベット殿下の戦いとは本陣に構えて長尺と算盤を弾くこと、アンジェ殿下ならば末端の雑兵に至るまでを戦いへと向かわせる意力を魅せることであると。故に殿下の戦えぬことが腹ただしい、というのは分かりかねます。」
「………」
「羨ましい……これは姉殿下お二人のことでしょうな。これだけは理解出来ます。私も同じです。師のように強くはなれません。父のように優しくは出来ません。母のように騎士たらんと在れません。至らない事ばかりです。」
一度切って言葉を探す。
ああ本当に、自らの愚かさが嘆かわしい。
言いたいこと、言うべきこと、それがあるのに言葉に出来ぬ。
「………ですが、皆こんな私を必要としてくれるのです。」
「………!」
「私はマサムネ。アマツカゼ。グランマリスの戦鬼。王家の剣。そのどれもが、私に
意識が薄れる、吸えどもどうも血と空気が足りない。
「どうか、ご自分を許してあげて下さい。そうじゃなくちゃ、あんまりにも___」
悲しいじゃないですか。
その言葉を吐いたところで身体から力が抜け、前のめりに倒れる。
流石に時間切れである。
心臓を失った身体は血を巡らせない。
限界を超えた五体は末端から死んでいくのだ。
寧ろよく持った方と言えるだろう。
辛うじて、間に合った。
あとは私の生命の灯が消えるその前に、殿下が目覚めるかどうか。
もし再び私の意識が目覚めなければ、その時はそれまでだな。
致命傷は即死じゃないから食い縛りが発動して実質ノーダメ。