辺境伯は狙われている 作:彼岸花
樽ごと入っちゃった………まぁ良いか……
それは古き日の約定。
『おお、あの豆ツブが随分デカくなったなぁ。』
『当然だろう、私と夫の愛の結晶だ。この子には私の全てを継がせてやる。』
二人の女が向かい合って話していた。
そのうち歳若い女の後ろには未だ幼い、4、5歳程の幼子がはぐれぬようひしと捕まっていた。
『……だが男だぞ。人智を超えたその剛力も、鍛え抜いた技も、求められる性じゃない。』
『関係ないさ。身に付けたそれを生かすも殺すも自分次第よ。だから私はお前に全てを与えるよ、皆は未だに領主足り得る次の子をせがむが……それはお前がなれば良い。』
『それは……』
『ん?』
『それはおれのやるべきことでしょうか、ははうえ。』
『……………さぁな。』
『雑だな……』
幼子の問いをバッサリ切り捨てた女は目線を子に合わせ、語り掛ける。
『さては父からこの国の教義を教わったな?【それあかし】とかいうアレ。』
『はい。』
『馬鹿言え、他人の定めたやるべき事など何ら意味がないわ。肝心カナメはやるべし事よ。それは規則や倫理、立場などのくだらぬ全てに優先される。自らの意思ですべしと定めた事ならば、それが真実だ。』
『やるべしこと……』
『おい……子供に分かるような事か?幼子にその違いが分かるとは思えんが……』
『それでもおれは、【そうあるべき】だとおもうのです。』
『……私にか?』
二人とも少し驚いたように目を丸くした後、その言葉を吐いた子供に再度向き直る。
『おれはアマツカゼです。それは男でも、子どもでもかわりません。そして強きものとして、生まれました。みなを守るために戦うと、みなに望まれたおれでいたいのだと、そうあれと自らに思うのです。』
目を丸くしたまま硬直し__数瞬の後、爆発したように大笑いする。
大口を開けて高笑いする、子の望みを誇るように。
『___どうだ、私の子は。素晴らしいと思わないか?』
『いや全く……賢しい馬鹿者だなこりゃ。気に入った!』
『急に声がデカいな、どうした。』
『この間生まれた、ワシの玄孫がな。あれも人間じゃねえ……仮に将来、人を喪って狂ったなら、止めるにゃ小僧が必要だろう、逆も然りな。だがこれなら安心だ、安心してあの子を後継に出来るよ。』
『……話が見えてこないのだが?』
『簡単な話よ、十年か二十年か、小僧が成すべき道を定めた時。ワシの組と玄孫をくれてやる、好きに使え。』
『勝手に決めるなよ……それはその時、本人に聞きな。』
『無論だ。だから小僧、好きにやれよ、やるだけやって、好きに生きてみろや。』
「あー……………?」
飲み過ぎた。
言うまでもないが私は酒に強い。
人の身を超えた臓腑が酒毒を瞬く間に解毒せしめるからである。
それでも昨日は……少しばかり飲み過ぎたな。
完全に記憶がない、夢も……何か見た気がするのだが思い出せぬ。
とはいえ周りを見るにここはアマツカゼの館である。
「やたらと寝苦しかったが……」
珍しく二日酔いの頭がガンガンと痛み、視界の端がぶるぶると揺れる。
「あ、起きはった。お水飲みます?」
「悪い……」
茶呑に並々注がれた冷水を一息に飲み干す。
焼けた喉を潤し、癒すような冷涼さ。
「もう一杯?」
「いや、良い。悪いな……」
「いえいえ、兄さんが深酒に付き合ってくれるなんて珍しいからつい。」
「………殿下は大丈夫か?」
「二日酔いで魘されてたけど多分大丈夫やない?」
「当然といえば当然か、蛇神酒を何杯呷ったか最早思い出せん。」
蛇神酒。
アマツカゼの特産品である清酒の中でも最高級の
壟断組が取り仕切る一角の不認可酒屋が醸造する弩級の美酒だ。
その最たる特徴は何より有り得ぬ程の酒精の強さと飲みやすさ。
この蛇神酒、火が点くのだ。醸造酒なのに。
酒精の強さは何と60度、ロウダン組の酒造が代々作り続けている至高の一品だ。
名の由来を、極東にて酒造の祖が大蛇を酔い殺した事に依るのだと私は聞いた。
曰く、暴れん坊で恐ろしい大蛇が居た、強大さ留まることなく、神と同一とされた蛇が。
曰く、ある日大蛇はいつものように酒蔵を襲い、この酒を盗み飲んだ。
曰く、その後に大蛇は死した。強過ぎる酒精に灼かれ、脳を砕かれて死んだのだ。
蛇神酒とは即ち神殺しの酒。
醸造にも関わらず60度を超える狂い酒だ。
それを私以上に飲み干して正気を保つ彼女は本当におかしい。
後ろを向く彼女の背を見ながら、そんな逸話を思い出していた。
その背に刻まれた昇り龍の紋様は長の証。
数多いる現組長の子らの中で最良と認められた彼女にのみ許された刺青であった。
彼女も高祖母たる壟断の親分がそうであるように、剛の者である。
身の丈は170に届かぬ程で、知らぬ者が見たら華奢とさえ誤認するような体躯。
それでいて普段は切れ長の目を細めて穏やかに笑うから、とてもそうは見えぬのだが。
一見柔らかそうな薄皮の下に私にも劣らぬ強靭な肉を宿している。
私やアンジェが肥大化し、万物を圧し潰す剛の筋肉を宿しているのなら彼女は逆。
数千という蛇が絡み合うように嫋かで、引き絞った肉。
心臓の鼓動と、呼吸の度に全身の蛇が脈動するのが見て取れる。
「……落ち着いた?」
「…………まぁ、何とかな。」
「良かったわぁ、婆ちゃんも兄さんも『酒が足りん!』なんて言いはって終いには樽ごと開け始めたんよ。覚えてない?」
「………何か言われてみたらそんな気がする。」
「無理しないで休んでや、お姫様も一応息はしてはるから。」
「それは本当に大丈夫なのか???」
駄目な時の例え方じゃないか?
辛うじて息がある時の言い方である。
「……それにしても。」
「む……?」
いつの間に枕元に座っていた彼女に頬をつつかれる。
微笑ましい絵面でこそあるが、お互い人でなしなのは知った身なのでかなり強く押されている。
多分只人なら身体を貫通するだろうな……などと、どうでも良い事を思うなどした。
「いけずやわぁ、こんなに可愛らし知り合いが居るんて知らんかったわ。」
「まぁ確かに、お前に話すことも無かったしな……殿下たちも頻繁には来ないし。」
「殿下
「何処の言葉だ?それと流石に痛いから止めてくれないだろうか。」
よく分からないが怒ってる気がする。
怒っているという事は多分私が悪いのだ。
こういう時はとにかく下手に出るに限る。
「別に、怒ってへんよ。他所で女の子沢山囲ってても気にせんよ。」
「お前がそういう話し方をする時は大体機嫌悪い時だろう。」
「……だったら暫くこのままオモチャになって貰うで。」
「それでお前の気が晴れるなら構わんが。」
そう言ったか言わないか。
私の頭をそっと持ち上げた後にすぽーんと枕を放り、自らの膝を差し込む。
丁度膝枕の格好である。
結局何がしたいのか分からないが、多分目を細めて満足してるので良しとする。
多分というのは、顔色を伺おうにも上方は胸で隠れ見えないからだ。
なので必然、横を向くこととなる。
「ふふふ。この時を待っていたんや……!」
きゃぴきゃぴと喜びながら取り出したのは耳かき棒。
彼女は他人の世話を焼くことのが何より好きなのであった。
尚、私は耳を他人に弄り回されるのが苦手である。
獣が如き本能から、
出来ればやめて欲しかったのだが、手を付いて起き上がろうとした身体を剛腕と胸で押し潰されてしまった。
少しだけじたばたと抵抗の意だけを示し、間もなくして諦めた。
好きにしろと言ったのは自分なので仕方ない……
何より、耳孔内に侵入されてしまってはどうしようもない。
下手に動いて傷付くと後々面倒になるのは流石に分かっているのだ。
誠に遺憾であると全身で表すようにオーラを発しつつ、だらんとマサムネは力を抜いた。
完全に生殺与奪を握られてしまった以上、手元が狂わぬよう祈るしかない。
母にしがみつく赤子のように全てを託し、身を委ねることのみが私に許されていた。
「さてと、随分久しぶりやねぇ。それにこっちも……ご無沙汰みたいやし?」
言われてみると確かに。
サンバルトから帰って一度もした記憶がない。
他者にして貰うなど論外なので、自らが怠れば滞るのは必然である。
「必要を感じなかったからな。」
「まぁ、大丈夫よ。ウチがやったるから兄さんがやる必要はないわ、この先もずっと。」
「……赤子じゃあるまい。」
「同じようなもんよ、自分の限界も考えず、すぐに無理をして。」
カリカリと耳孔を棒が掻き回す。
されるがままに数分、言葉を失い無言の時が過ぎた後___突如シズクが口を開く。
「兄さん。」
「……なんだ?わざわざ畏まって。」
頃合いなので反対を向くようにとか、そう言った振り方かと思ったが。
それにしては真面目な声色だ。
他人を揶揄うような薄笑いの声ではなく、強烈な理性を宿した声。
「……なんで兄さんは戦うん?」
「……何故と言われてもな、私にもそのハッキリとした答えは浮かばぬ。」
同じことをクラウディア殿下にも聞かれたな。
何故、と言われてもである。
「グランマリスの騎士であり、少なくとも今はアマツカゼの領主であるから。」
「それは理由にならんよね、兄さんは自分の意思で戦場に向かってる。」
「……戦うのが好き、それじゃ駄目か。」
粗方掃除を終えたのか、一度フッと耳孔に息を吹きかけるとペシペシと私の肩を叩く。
多分反対を向けという合図だ。
言われるがままの私は大人しくその指示に従う。
先程はシズクと反対を向いていた。
振り返る格好であるので必然、我が視界は闇に覆われる。
光無き世界で、聴覚だけが頼りであった。
その耳さえ今は耳掻きの雑音で束縛される。
「……好きと言っても限度があるでしょ。」
「何が言いたい。」
「異常。異常なんよ兄さん。幾ら好きな事でも、ああまではやらない。」
「………」
なんのことを言っているのか、検討はつく。
私にとって尚記憶に新しい、二年前のあの日だろう。
「確かに酷い敗北を喫した、だが私は生きている。」
「
「……そのつもりだ。」
「ウチは見たよ、姫さんが泣きながら馬を走らせて兄さんを連れてたのを、血と死の香りを振り撒きながら野分ちゃんが目の前を通り過ぎたのを、ウチは見たんよ。だからさ……」
そこまで言って一度口篭る。
言葉は思いついているが、それが許されるのか熟考している。
シズク・ロウダンは若くして老熟していた。
「……もう戦わなくて良えんやない?」
「そういう訳にはいかん、私は……」
「私は、何?騎士だから?領主だから?そう言ってまた死にに行くの?」
「……死にに行くなど言ってないだろう。」
「でも現実に兄さんはそうなったんよ……もう良いでしょ、国なんて。グランマリスからずっと離れた私たちが、元々あの国の一部でも無かった私たちが何故身を砕かなきゃならんのよ。」
「シズク、お前……!」
抗議の言葉は力付くで遮られる。
腕づくで立ち上がろうにも剛力に押さえ付けられて自由が効かぬ。
或いは、力任せに振り払う事も容易いだろうが……その際に耳孔内を傷付ける可能性は大きい。
「今耳に突っ込んでる
「……………」
言葉が出てこない。
狂気的な言葉と裏腹に、その声からは確かな覚悟を感じる。
彼女はやる。もしやると定めたなら必ずそれを成すだろう。
「鼓膜を破うてその奥の奥……せや、兄さんの脳も少しばかり削ってみてな。」
「……何が目的でそんな事をする。」
「そんで脳の中の、人の理の部分をちょいと壊したらどうやろか。兄さんも見たことくらいあるやろ?」
私の問いに彼女は応えない。
変わりに恐ろしいことを呟く。
人の理を喪った者、それは確かに見たことがあった。
生まれながらに持たざる者。
それらはマトモに育ち得ぬからと、誰にも知られず産婆が締める。
殺人?否、それは慈悲である。
親にも子にも良き未来はない……だからこそ、『良くあること』として処分する。
一方で、後天的に喪った者。それは悲惨だ。
戦場で頭を痛打する、或いは日頃の事故で脳に響く傷を負う。
ヒトはそれだけで壊れてしまうのだ。
聡明で快活であった者が突然、意思を介せぬ赤子のようになる。
音声は言葉として紡がれず、時折発作のように荒れ狂う。
瞳から知性の光は消え失せ、糞尿すら垂れ流し。
そうなればもう助からない。
騎士であるから、人並み以上はそう言ったモノを見てきた。
苦しみが続かぬようにと介錯を。その命脈を絶ったこともある。
「……私を傀儡にしてアマツカゼ領を乗っ取るというなら、あまり勧めはしない。」
「いやいや、別にそんな事せえへんよ……そもそもモミジちゃん居るし。ウチの目的は兄さんだけやって。」
「私か?ただでさえ戦いしか能のない男からそれすら喪った成れ果てだぞ。」
「首輪に繋いで……朝から晩までウチと一緒に居てもらお。あ、下の世話も勿論任せてもろて。」
嬉々として恐ろしい事を語り出す彼女だが、私の肚は決まっていた。
「……なら逆に私から言おう。」
「ん?」
「
やれるものならやってみろと。
敢えて挑発するように返す。
「……私は本気よ。」
「だろうな……だが、お前はやらんよ。俺の知るお前には出来ん。壟断を継ぐ龍は、明確に利無き行いをすることが出来ない、そうだろう?」
「兄さん、私は……………」
「うごごご、頭が痛い……助けてくれ………」
木戸が開かれ、身体を引き摺るようにアンジェがにじり出てくる。
その顔色は実に悪く、百人中百人が振り返って心配するだろう体調だった。
虚ろな目で助けを乞いながら此方を一度見。
少しハッキリとした目で二度見。
驚愕に見開いた目で三度見る。
「は!?え???何!?」
「………ここまでかね。」
やれやれと言ったような声色で解放される。
助かった……
「な!ん!で!裸なんだァァァァァァ!?!?!?」
独り言ちる中、鮮明になった鼓膜に大音量の絶叫が響き渡り、意識を失いかけるのだった。
(尚、以上の会話中極道娘ちゃんは常に全裸であるとする)