辺境伯は狙われている 作:彼岸花
離れていたのはほんの数週間、それでもやはり故郷は良い。
東には果てなき海原、恵みと死を齎す海風。
西に肥沃な平原、我が領地の農業を支える地。
北には気高き霊峰、冷たい山颪が吹き降ろす。
真偽は知らないが我が祖が山を打ち砕いたが為、西方だけ平原が広がっているのだとか。
流石に誇張された伝説だろうが、馬で数日の距離を整えたのは紛うことなき偉業だ。
「遅くなった、戻ったぞ。」
「御館様、随分と早いお戻りのようですが……」
「兵らの到着よりも丸一日遅れてしまった。ほぼ同時に到着する気だったのだが。」
クラウディア殿下と街を歩いた次の日、引き摺られるように姉二人に連れ回された。
正直なところ一刻も早く領地に帰りたい気持ちが先行していたのだが……
主には逆らえぬが騎士の性、或いは姉に逆らえぬ弟分の悲哀である。
「姫君らと親交を深めるのも大切でしょう。」
「私にはもう十分だ、民に混ざって野良仕事をするか刀を振る方が性に合う。」
「領民一同、そろそろ御館様にも身を固めて貰いたい所存であります。」
「……冗談だろう。この風貌では嫁も貰えなければ婿に望まれもしまいよ。
そもそも妹がいる。相応しい婿を陛下に見繕って貰えば良いだけの話。」
「お家の心配ではありませぬ、貴方ご自身の心配でございます。」
「そうは言ってもだな……」
私自身にその気が無いのだから仕方ないだろう。
イマイチそれを理解して貰えない。
第二王女などは、『お前を婿に出来ないなら王位を放棄して私が嫁に行く!』等と世迷言を叫ぶ事も少なくはないが、流石に国が傾く。辞めてもらいたい。
良き夫となる男子に期待される事など何一つ出来やしない。
私に出来るのは所詮剣を振るうことだけ。
世帯を持つことよりも、私には其方が向いてるのは明白であった。
「遠からず妹も元服だ、そしたら家督を譲って私は隠居するよ。」
「そのお年でですか?」
「男の領主など望まれないさ。ただ一介の騎士として国と領地の為に戦う。
百姓らに混ざって畑を耕し、海に出て網を引く。そのような方が私には合う。」
「……他所の者が何を言おうと、マサムネ様はご立派にお務めを果たしております。
それが家臣から一兵卒、年寄りから赤子まで全ての領民の総意であるとお伝え致します。」
我が領民は本当に美しい心を持っている。
長らくこの地を統べるアマツカゼの者を心底敬愛しているのだろう。
この領地で生まれ、殆ど出る事なく死ぬ者も少なくない故に。
だからこそ外の世界の醜さを私は敏感に感じ取ってしまうのだ。
グランマリス王国は素晴らしい国である。
女王陛下、それに王女殿下達という主君を得られたのは至上の幸運である。
永く続いた国には相応に膿が溜まる。
戦場を共にした騎士や領主達、帯剣貴族の信頼は確かに厚い。
されど金で成り上がった法衣貴族、自ら軍を率いない者共程好き勝手にモノを言う。
護国の英雄、そう呼ばれるようになってからこそ直接言う者は居なくなったものの、超人たる聴力や感受性がその陰口を敏感に拾いとるのだ。
異端の男騎士、醜く膨れ上がった筋肉達磨の身体、全身余すところなく刻まれた戦いの痕。
全てこの国の男子の美醜に於いて全て嫌悪されるもの。
事実、然と戦果を挙げる前は帯剣貴族らも私に対して良い感情はなかった。
故にその考えは間違っていない、そう育ったのだから仕方ない、が。
人の悪意というものに晒されるのは気分が悪い。
その上、彼らにとっては私……余所者の醜い男騎士が王女達と親しくするのが気に食わない。
自らの子を可能であれば王族と契らせ、自らの権力を増す。
その事にしか興味のない連中なのだ。
国が豊かだからこそ、清濁が混在する。どうも私の鈍い頭脳ではそれを処理しきれない。
「まぁそれは良い。リンドウ殿は居られるか?」
「はい、遠征隊の帰還からずっと稽古場にてお待ちです。」
「……怒ってないと良いのだが。」
「非番の兵全員をのしていました、午前中に。ご機嫌とは言い難いでしょうな。」
それを聞いて私は肩をすぼめる。
我が師……騎士としてでなく、極東の戦士。侍としての師であった。
騎士学校の日々が楽だったとは到底言えまいが、彼女の荒稽古に比べれば幾らかマシ。
普段は領地の駐在兵や予備役の教育を任せているが、その殆どが目が死んでいる。
とはいえ、それに耐え得る者しか兵役には連れて行けない。
領地の総人口が三万に届くかという大領地でありながら、辺境軍は半農、駐在兵含めて三千。
遠征に連れていけるのは二百に満たない。無論、それだけの精鋭である。
かつての北方戦役、地獄の顕現と例えられた戦でも死者は十数名のみ。
アマツカゼに弱兵なし。その武勇を国内外に証明した。
「マサムネ。」
「……遅ればせながら。マサムネはただいま戻りました。」
「聞きました。獅子奮迅、げに素晴らしき益荒女……否、益荒男ぶりと言うべきでしょうか。
先の戦役での活躍は類を見ない程のモノであったと。そう聞いております……しかし。」
朗らかで暖かい、春の日差しのような雰囲気が一転する。
責める目線は身を刺し穿つが如く。
内に秘めた怒気が抑えきれず漏れ出ていた。
「敵将に不覚を取り、致命となりかねない深手を負ったと。」
「師母。確実に討ち取る為には必要な手傷であった、私はそう考えております。
我が身体の強度はご存知でしょう。例え二度や三度死に瀕しても呼吸一つで容易く蘇る。」
「必要な傷などありません。」
気まずい。
明らかに自分が悪いと理解しているからこそ、反論のしようがない。
傷を負い過ぎるというのは、内外を問わず幾度となく言われている。
しかし、私にとってはそれが最良なのだ。
「……申し訳なく。」
平謝りするしかなかった。
謝りこそすれ、私は何れ同じ事を繰り返すだろう。
未来が見通せるわけでないが、そう確信する。
それしか知らぬ、それしか出来ぬ。
私は自らの愚かさをそれなりには自覚している。
頭は悪く、歳も若い。
経験も知恵、技術すら足りぬから、若き猛りのままに戦うしかない。
普通ならばどこかで酷く手傷を負って改めるべき悪癖。
幾度と死の淵から黄泉還ったこの身体がそれを許さぬ。
受けた傷と流した血を糧として自らの戦いに取り込むのがやっとなのだ。
「命を賭した捨て身の剣は確かに強力かもしれません。だが、貴方にはそれしかない。
それが問題なのです。捨てるべき時に捨てるからこそ、その猛りは輝くのだと心得なさい。」
「然と。」
「……話は以上です。」
稽古場の一角、座敷への縁側に腰掛けた師は此方を見定め、腿をポンポンと叩く。
「……師母、その……私はもう22になるのですが。」
「…………」
ああ、これは聞かないな。
海の遙か向こう、極東の生まれである師は非常に頑固なところがある。
一度これと決めたら例え世界が滅びようともその考えを変えることはない。
私は諦めたように項垂れ、師に近寄る。
距離一歩半といったところで視界が闇に埋まる。
師の身体の跳ねは凄まじい、瞬間的な速度ならこの私でさえ捉えられぬ。
座った姿勢から状態を跳ね起こして私の頭部を捕え、即座に引き戻して抱き締める。
蟷螂の捕食のように素早く、抱擁は蛇に丸呑みされているかのように力強い。
万力の力に挟み潰され、豊満な胸が呼吸を妨げる。
頭蓋が軋む音が酸欠の頭に鳴り響く。
「……心配したのですよ。」
その言葉は真実であろう。
師母の行動に一切の悪意はない。怒気さえも情の深さの裏返しなのだ。
それはそれとして。
「私にとっては十年如きでは変わりません。あの日寂しそうにしていた少年のまま。」
息が出来ない。
じたばたと足掻くがまるで引き剥がせそうにない。
250cmを優に超える私がだ。
私よりも四回り半も小柄な身体の何処にそんな膂力があるのか。
「せめて今だけは心を休めてください、ね?」
心が休まる前に命を落としてしまう。
ほんの僅かに入る空気からは妙齢の女性らしい甘酸っぱい香りがしてクラクラする。
結局のところ逃げようがなかった。
酸欠で気を失った愛弟子を何とか縁側に寝転がし、寝顔を眺める。
強引だとは思ったが、こうでもしないと真に休む事はないだろう。
この国の姫君の癒しは凄まじいが、体力を取り戻すワケではない。
あくまで傷を癒すだけのもの、活力と気力はその時の当人に依存するのだ。
規格外の生命力を持つ彼であろうと数日で全てを取り戻せるワケがない。
硬い髪を撫で、傷痕を指でなぞる。
額を割られた傷は見事に完治していたが、二年前の深手は未だその身体に痕を残す。
男子にしては大き過ぎる体躯と、厳しい顔に、全身の傷痕。
一般に人好きのする顔立ちでない、そう思えど愛おしくて堪らなくなるのだ。
十年前、国を追われ海賊としてこの国に流れ着いたその時から私は彼に心を奪われている。
夫と娘を喪い、明日も知らず放浪していた私に手を差し伸べてくれた少年。
あの少年が、今や比肩する者なしとされる程の武人となった。
嬉しく、とても誇らしい。
浅く呼吸をする姿を眺め、想いを巡らせる。
あれから十年。どういうワケか王女共に求婚されている様だが、未だ清い身の筈だ。
当然というべきか、彼は極端に性愛の類いに疎い。
良家の人間たるもの、血を残す事を至上とすべし。等と考える者も少なくない。
単に家を継ぐのは妹だと考えているのもあるだろうが……
自らへ向けられる好意に鈍い、もっと言うなら情欲の類を理解していないように思う。
否、理解はしているのだろうが、自らがその対象だとはまるで思わないのだろう。
そこまで考えたところで、ふと我に返る。
顔をまじまじと眺めるあまり吐息を頬に感じる程の距離になっている。
無意識のうちに口付けをしようとしていたらしい。
「……気付かれていないのは幸いなのかもしれませんが。」
私は身体を戻し、再度彼の頭を撫でる作業に従事する。
その一線を超えたらもう戻れなくなる、そう確信していた。
失った心の隙間を埋めるように、彼を我が子のように愛している。
剣の師として、自らの持てる技の全てを継がせたいと願っている。
そして、彼の事を一人の男としても愛している。
何ともみっともない事だが、どうしようもない。
母として、師としての愛情と女としての情欲を綯い交ぜにしている。
浅ましい。七つも年の離れた男子に欲情している。
女としての姿が顔を出そうとする度に殺し、自己嫌悪に耽る。
その頻度は年々増していた。
素直に言ってしまえば、彼に近寄ろうとする女子たちに強く妬いている。
歳が若い、彼に近く、そして未来があるというだけで羨ましい。
如何に鍛錬を積み精力的に戦えたとしても、加齢はどうしようもない。
武人としては未だ途上、頂は遙か遠く。
___しかし雌としての盛りは間もなく過ぎ去ってしまう。
四十の頃に子を成す事自体、世の中には無くはない事を理解している。
しかしながら、確実に健康な赤子を産み落とせる保証はない。
三十を控えたこの身にとっては今が最後の機会であった。
国を放逐されて十年以上、自らを律してあらゆる欲を絶ったつもりで。
愚かな事だ、絶てるモノではないのはわかっていたろうに。
ただ蓄積し、澱み、内々からこの身を焦がしていただけなのだ。
眠る彼を無理やり手篭めにしてやろうか、などと不可能な世迷い事も考える。
既にマサムネの武は私を遥かに超えている。
頭の回らないところなども、戦いの最中雑念を切り捨てられると言える。
全身余す所なく、全てが闘争の為にあるような存在。
それがマサムネ・アマツカゼという男なのだ。
一対一。正面からの戦いに於いてなら、この世に比肩する者は居ない。
外敵として彼から本気の殺意を向けられた者ならばそれを理解出来る。
恐らくはあの蛮族の王も、だからこそ彼を生かしたのだろう。
膂力こそあれ、技量は未熟、経験も足らぬ。
新作の初太刀にて浅からぬ傷を負わせ、数十切り結ぶ。
瞬く間に血塗れになり、トドメとばかりに再び同じ太刀筋で切り付ける。
ならばその時点で手遅れ。
初太刀の傷は既に塞がり、技は見切り、自らの糧としている。
戦いの中で真綿のように技を吸収し続ける彗目 。
そしてそれまで如何なる猛攻にも耐えうる恵体。
惜しむらくはほんの一点。実にくだらなく、彼にどうしようも無いこと。
男である、と。それだけで彼を嗤う者共がいる。
鬼神の如き戦果を挙げようと、男の騎士というだけで数奇の目で見られる。
女子に生まれていたのならば、その武勇だけで天下に手が届いただろうに。
「……つい余計な事を考えてしまうのは良くないクセですね。」
私がどう思案したところで彼はこの生き方を変えないだろう。
男である事を嗤われたとして、全てをその武でねじ伏せてしまうだろう。
だから私の心配など不要なのだ。
故に私は彼の前髪を弄る作業に戻る事にしたのだった。
行き場を失った母性のモンスター、師母。