辺境伯は狙われている 作:彼岸花
私の立場はグランマリス王国アマツカゼ領主代行。
王都から離れているとはいえ大領地。その仕事は多岐に渡る。
爵位に見合う責務を果たさねばならぬ……のだが。
「兄上、また数値を間違えております。」
「……すまぬ。」
巨躯の男は眼前の少女に頭を下げていた。
彼女はモミジ・アマツカゼ。
平伏する辺境伯代理の実の妹その人である。
戦鬼の異名を持つマサムネは、その武勇こそ比類なき剛の者。
しかしその反面、政の類いはいつになっても苦手であった。
有り体に言ってしまえば馬鹿なのである。
モミジはそんな兄を内政で支えるべく、辺境伯としての仕事を請け負う才があった。
既に十二にして十も上の兄よりも遥かに仕事が道に入っている。
男は消沈したように書類と向き合い、数値を一つずつ訂正していく。
これこそが何より彼が家督を妹に継がせようとする理由であった。
辺境伯……否、領主として求められる資質。
それは外敵を討つ武力と民を導く叡智。
マサムネは武力だけを見るならば他の追従すら許さぬ強者である。
一方で知力というと……
別に座学が出来ないわけではないのだ。
一応は騎士学校の座学も上から数える程度で卒業している。
単に気質の問題であった。
刀を振るったり、身体を鍛えたり、野良仕事をする方が合っている。
少なくとも大量の文章を読み解いたり、数字を眺めるよりは確実に。
そして彼女は武力に関しても、師母が付きっきりで実力は折り紙つき。
既に大人でも彼女に勝てる者は数える程だと聞く。
文武両道を行く、という点で間違いなく領主たる才に満ち溢れていた。
「マサムネ、モミジ。仕事に励むのは結構ですが一度身体を動かしたらどうです?
古人に曰く、双方を交互にせしめる事で能率を向上させられると言います。」
モミジは渡りに船とばかりに立ち上がるマサムネを掴み、再び着席させる。
「師母、あまり兄上を甘やかさないで下さい。時に戦場で血を流し、時に執務室で筆と紙を相手に戦う。その両方が領主たる人物には必要なのですから。」
「家督はお前が継ぐのだろう……私がでしゃばる事ではない。」
「しかし、長子がお家を継ぐのが普通ではありませんか?」
「……どこまでいっても私は男だ、それも刀を振り回す事しか能のないような。
広大な辺境領主などという責務は本来なら私では力不足なんだよ。」
「私はそう思いませぬ、兄上程この領地を治めるに足る人物など考えつきませぬ。」
我が妹は少しばかり兄を盲信しているところがある。
そして何より、外の世界を知らぬ。
男の騎士であるというだけでどのように言われるのか。
どれだけ数奇の目で見られるのか、それを知らぬ。
私を嗤っていた者も、北方戦役以降からは不本意ながら態度を改めこそしたが。
その有り様に正直なところ、うんざりしてしまった。
男女の性差、そして男らしく女らしくなどといった下らぬ理屈に縛られた者ども。
そのくせして実際に国亡の危機となれば此方に泣きついてくるのだ。
マサムネは馬鹿だが、人の感情を感じ取る事には長けている。
故にそう言った欺瞞、嘲笑などに満ちた政争が苦手だった。
「とにかくだ、一度仕合うのも悪くないだろう。数ヶ月ぶりになるが、どれほど成長したのかを久しぶりにこの兄に見せてはくれまいか。」
「良いでしょう、時に兄上。」
「どうした?」
「私は、いつでも貴方に勝つ気ですよ。」
「……ハハハ!良き猛りだ、アマツカゼの者はそうでなくては!」
道場に移動し、各々の武器を構える。
モミジは薙刀、アマツカゼ領で広く使われるポールウェポンの一種。
槍のように突く事も出来れば、長さを利用して文字通り薙ぎ払う事も出来る。
領地で広く用いられる流派の基本形。
得物を長く構え、相手のあらゆる攻撃に対応する後の先の型。
一方のマサムネは太刀。
彼の巨躯故、打刀と大差ない比率の武器を片手で振り上げる。
グランマリスで良く見られる片手剣の扱い方。
それに海賊らが用いる戦術を組み合わせた独自のモノ。
武器を持つ右手を振り上げ、空手となった左腕を胸の上で交差させる。
師母の合図でお互い臨戦体勢を整え、向かい合う。
リーチでは圧倒的に有利なモミジだがまるで打つべき場所が見当たらない。
実戦ならば首への斬撃を篭手で防ぎ、右手の反撃を確実にする。
また、鎧の隙間となる膝裏は然と隠し、半身になる事で被弾面積を最小限に抑える。
一見隙があるようで、実用性と合理性だけに重きを置いた堅実な型。
お互いの制空権を探り合い、指先でじりじりと距離を詰める。
一瞬先に射程距離に入ったモミジが焦れて動く。
上段、顔面への突き。
血を分けた兄妹とは思えぬ一切躊躇いのない鋭い刺突。
刃のない竹刀とはいえ直撃すれば深手足り得るそれを皮一枚で躱し、太刀を振り下ろす。
モミジは即座に薙刀の柄で猛撃の力を逸らして回避し、石突で刀を持つ手を払う。
武器を取り落とす事を期待しての事だが剛力で然と握られた太刀は健在。
更に横振りの一刀を防ぐべく両手で防御の体勢に。
然しながら振りかぶった一太刀はすんでのところで止まった。
「……惜しかったな。」
来るべき衝撃が無かった事に対応が遅れた妹を平手でぺしゃりと打って敗北を告げる。
実戦なら一撃で頭を砕いていただろう。
反応は良かった、それまでの動きにも何一つ問題はない。
「戦場では稽古のような__息の合った戦いなど存在しない。
強者となれば常に相手の裏をかく為に思考を重ね、それを実行する。
死闘であるほど冷静に頭を回せ、不測を予測し続けるのだ。」
「……ありがとうございました。」
「ああ。師母、いかがでしょうか。」
「ええ、十分でしょう。モミジ、貴方は既に『守』の段階を過ぎています。
ここからは『離』。積み重ねてきた教えを我がモノとし、自らに組み込まねばなりません。」
学んだ事は無駄にならない、されど実戦では常に最善手が変わり続ける。
それを予測し続け、良手を取り続けることが生存へと繋がる。
こればかりは実際に命のやりとりを経験しなければどうしようもないのだが……
とはいえ、紛れもない剣才が我が妹にはある。
師母の教える極東式に沿った伝統的な太刀操法がしっかりと根付いているのだ。
私はその体躯故、習得した上でよく馴染んだグランマリスの剣術を好んで使用しているが、やはりアマツカゼ領を継ぐというならば伝統的な戦い方が出来る方が望ましい。
大太刀を抜き、朧気な記憶を辿る。
母の剣は失伝してしまった。
本来、口伝でのみ継承されるアマツカゼの剣技はその前に母が戦死することで失われた。
故に頼れるのは微かな思い出。
母が出征するほんの数日前、手慰みに見せてくれた一太刀。
たった一度、それだけを縁に刀を振る。
天津風。
極東の言葉で、天高く吹く風。
アマツカゼ家には魔法の類いが継承されておらぬ。
元を辿れば流民の一族。
極東から流刑になった海賊らが興した地であれば。
アマツカゼの剣は戦場を吹き荒ぶ。
刀身に魔法の力を込め、斬撃が鎌風を伴って飛翔する。
女が大小あれど皆が持つ魔法の元、仮に魔力と呼ぶが……
その魔力と磨かれた技が揃えば女子なら誰にでも出来る。
大抵の男は体格に劣り、魔法の類いを宿さぬ。
そして生まれる数が少ない反面、男一人で多くの女を孕ませる事が出来る。
だからこそ戦場に出すという事自体、有り得ない話なのだ。
人智を容易く越えた恵体を持つ私もその摂理には逆らえぬ。
妹や殿下のような癒しの力は無く、剛力だけで戦場を駆けている。
正直なところ、その一点に於いてのみ我が身が煩わしかった。
「落ち着きなさい。」
「師母……」
「何を思い悩んでいるのか、それは問いません。しかし忘れることなきよう。迷えば敗れる。戦場に身を置くときはあらゆる雑念を捨てなさい。さすればその剛体が万の敵すら薮のように薙ぎ倒すでしょう。」
「然と。」
私を諭した師母は何も言わずに立ち上がると、その腰に差した太刀を抜く。
「では、私ともやりましょうか。」
「……真剣ですか?」
「当然。」
稽古で本身を抜くなど通常は有り得ない、有り得ないが……
師母に曰く、極東ではこのような鍛錬が常であるのだと。
グランマリスの騎士学校や我が兵の訓練、どちらも過酷を極める。
無論、その途中で命を落とす者も残念ながらゼロではない。
だが真剣で切り会う事を普段から基本とする稽古など、正気でない。
一体どれだけの犠牲の上に成り立っているのか。
それだけに乗り越えた侍の戦力の凄まじさが伺える。
大太刀を抜き、鞘を放って下段に佩く。
我が国で使われる両手剣の構えは殆どが上段。
肩に添える形で構え、その重量を支えるのを助ける。
だが極東で見られるこのような大太刀は下段構えが自然。
『構える』のではなく『佩く』。
体勢の都合、武器の重量を一切誤魔化せぬが故に常人には不可能。
しかし上段構えに比べて刀身の自在さがまるで違う。
「いざ。」
「応!」
快声と共に下段から天を割る切り上げ。
リンドウは最小限の動作、爪先半分だけ引いて躱し切り上げの隙を狙って刺突。
ギリギリのところで手首を返し、引き戻した大太刀でもって受け止める。
幅広で肉厚な刀身を盾のように扱う技法。これはグランマリスの技術。
そして止まった刃先を滑らせてリンドウの姿勢を僅かに乱す。
そのまま大太刀を固定して走り、すれ違いざまに首を刈る。
「止め。」
刃が柔肌に食い込む刹那で師の声がかかり、マサムネは静止する。
気付かぬうちにリンドウの太刀が右腕に押し付けられていた。
仮にこのまま首を刈ったならその勢いで腕を落とされていたであろう。
否、引き切っていないだけで僅かな差で先に刃が腕を切り落としていただろう。
「……参りました。」
「いいえ、実戦ならばこの場所は鎧で守られているでしょう。
一方で私はそのまま首を落とされて絶命しています。素晴らしい。」
「有難いお言葉です。」
お互いの刀を納め、向かい合って一礼。
結果としてだが再び捨て身の戦いを咎められてしまったことになる。
事実として二年前には一度左腕が千切れ落ちた事もあったのだ。
剛体と装甲に頼った戦法を見直す必要があった。
「腹に大穴が空き、臓腑をぶちまけ、片目を失っても戦う力に陰りはなかった。
然しながら片腕を失えばその時点で戦い続けるのは最早不可能だった。」
蛮族の王との戦いでそれを痛感した。
初めて遭遇する自分以上の強者、だが対峙した時点で私は既に致死の重傷を負っていた。
戦い続けるためにも、余計な手傷は避けねばならぬのだ。
闘争だけが我が存在意義。戦いこそ我が人生。
故に二度と敗北は許されぬのだから。
「でだ、実際どうだった?」
「殿下の予測通り、南方からの海賊が増えているのは事実なようです。
私が相手をした賊は明らかに素人ではなく、教育を受けた兵でした。」
「北方戦役、西方戦線が沈静化してすぐにか……」
「我が国はアマツカゼ領を除けば平坦で広い平原が主となっている国家だ。
南方諸島には幾つもの国があるが、その全てが友好的というワケではない。」
「そしてソイツらからしたら大陸のひろーい土地は垂涎必死という事だ。」
グランマリス王立軍詰所。
王城に併設されたリズベットの執務室でもある部屋で三人の女が集まっていた。
アンジェとリズベットは何もただラインハルトの休暇を許したわけではない。
南諸島に不穏ありと報のあったが故、前線たるアマツカゼ領を視察させた。
「とはいえ、この大陸の南海岸までには友好国サンバルトがあるのでは……?」
「忘れたのか?サンバルトはあくまで侯国だ、南方諸国の殆どはな。」
「南方諸国の殆どは公国であり、一つの帝政の元に集っている……
今のところは不可侵という事になっているが、穴は幾らでもあるのだ。」
例えば、サンバルトや他の諸国を尖兵として差し向ける事。
あくまでエギルラーン帝国は不干渉、という体裁のまま戦争をすることは不可能ではない。
例えサンバルトがそれを拒否したならば、諸共攻め滅ぼす事もなくはないだろう。
サンバルトは小国ではない。
だが我がグランマリスや北のラグマルムのような大国でもない。
正面切ってエギルラーンと戦えようもない。
「哀れな事だが、自国の為ならば非情な判断も辞さない。それが母上の判断だ。」
「つまるところ、サンバルトを落とすと?」
「場合によってはな。今ならばまだ見極める余地もある。」
束の間の平穏は瞬く間に過ぎ去り、幾度めか分からぬ戦火が迫っていた。
今更ですがこの世界の1gは1グランと読みます。1グラムと同じ重さです。
1mは1マリスです、1メートルと同じ長さです。
この為に国の名前を決めました。嘘です。