ゆらゆらと不透明な、森のオーラが実体化したような巨人。
そしてそれは、そっと、カオス・ワームの上に手を置いてきた。
「コ?」
そして。後は、驚く暇もなかった。
命を育む森の優しさを実体化させたような大きな手、その手をもってして。
めりめりと音を立て、カオス・ワームは潰されていく。まるでミミズが踏みつぶされるように……。
「コ……」
グシャァ。
勇敢な大勇者を飲み込んだ魔獣虫は、鳴き声を立てることもなくただの虫けらのように、ただそれしきの音を立ててあっけなく潰れ、フィオナの森に真っ黒な体液をまき散らした。
『……わぁ』
「《ジャイアント》を……目覚めさせたのか」その光景を目の当たりにし、アザガーストとザガーンの声が小さく響く。
「許さぬ……許さぬぞ」フィオナは激情のあまり呻いていた。
「よくも、銀の拳を……森を愛し、守り抜いてきた男を!」
ジャイアント。それは、自然文明最大にして、最強の種族。自然をはぐくむ大地の化身。天にも届かんと言うばかりの巨人たち。
ホーン・ビースト達よりも深い、深い眠りについていた彼らを、とうとうフィオナの怒りの慟哭がよびさましたのだ。
「貴様らを、あの日……」ジャイアントを背後に、フィオナはザガーンと、姿は見えずとも彼の心に刻まれているのだろう……アザガーストを睨みつけて言い放つ。森へ轟く咆哮をもって。
「地下へと逃がしたが我が過ちであった!! 貴様らは一人残らず殲滅すべきであった!! 今からでも……今からでも、成してやる!! この世に、闇は要らぬ!! 命を歪める者共は要らぬ!!」
『……へえ。そうなんだ。そう、来ちゃうんだ。それが、やっぱりあんたたちかぁ』
アザガーストもアザガーストでしかし、その声色には不思議な感情が混ざっていた。巨大な戦力が現れたことに対する、ただの不愉快でもない様子だが。
獣人だけでなく、虫に植物、森の霊獣、果ては大地の化身までもが自分たちに逆らった光景を見て……闇の死皇帝が抱いた思いとは、何か。
『そーだなぁ……うーん。ザガーンに意見を仰ごっか。僕の直属でもないのに来てくれて戦ってくれたのに美味しいところ貰っちゃったわけだし、僕。ザガーン。君は、どうしたい?』
「死皇帝様御自らより大役を賜り、恐悦至極に存じます。そうですね。私は……」
殺意に満ちた巨人と、フィオナの森の化身。それに今にも殺されそうな様相で……ザガーンはそれでも、落ち着き払っている。騎士とは、君主を一番にするからこそ騎士なのであり、アザガースト以外に今は気にすべき相手などここにはいない、と言わんばかりに。
「死皇帝様はけだものと称されましたが私はあの獣人の王の心意気を買いました。その気概に免じ今一度は引き、死の克服を望まぬ自然の蛮族共にあの王との別れを惜しむ時間を与えてやりたいと思うが本音でございます」
『わぁ、紳士。けだもの王族に敬意が全然ないのが僕だけで、僕ひとりぼっちじゃない』
んー、まあ、でもそれでいっかぁ。という言葉のみが響く。
『まあ、ジャイアントがまだ生まれるかもって中じゃ、君はともかくあの二人には荷が重いしそれがいっかもね。じゃ、あの二人にも撤退命令を出すね。そのジャイアントは君が何とかしてね』
「承知いたしました。……フィオナは?」
『生かしてあげよう、今は』
……淡々と。淡々と、交わされた会話。
先ほど自分たちが成した残虐の程など、何も意に介していないかのような。
「貴様らは……」フィオナが怒りのままに声を震わせる。
「自分たちの罪の程が、なぜ分からぬ!!」
『分かりっこないじゃない。何言ってるの?』
最期にアザガーストは言う。
『僕たちが覇王様と住んでいた森を僕たちが追い出された。だから、僕たちが取り戻す。そんな話のどこに罪の意識を覚えろってのさ。かえって僕の方こそさー……』
この世の何よりも、恐ろしげな色をその声に込めて。
それと共に、ザガーンがひらりと舞い上がった。自分を睨みつけるジャイアントの眼前に、一切臆すことなく、棍棒を振りかぶって。
『大地そのものが目覚めるくらいのあんたたちの被害者面っぷりに、千年越しにほんとーに呆れたというか、ムカついたというか……そう来るんならもう、こっちもこの程度で容赦してあげないことにきめた。ザガーンに感謝しなよ? 今一度の、そのけだもの王とのお別れの時間、僕一人じゃたぶんあんたたちにあげてないんだからさ』
そして、その声と共に。
フィオナは背後に、膨大なエネルギーの爆発が起こった気配を感じ取った。
……フィオナは、目を見張る。ジャイアントの身体を構成していたエネルギーが雲散霧消したことが、「森の化身」たる自分の身の出来事のように感じられた中……棍棒をしまい、身軽に地上に降り立ったザガーン一人が、フィオナの背後に居た。
『お疲れ。かえろ』
「はい」
……ジャイアントが。生まれたての個体とはいえ。
森の怒りの象徴そのものが、一撃で、一方的に……。
『……覇王様のお気持ち。ちょっぴり分かっちゃったかも』
「私の戦いはつまりませんか? 死皇帝様」
『うん、ぶっちゃけそう。なんであんなに一撃で倒しちゃうかなー? 自分たちこそクズなこと、思い知る間もなくあの子は死んじゃったわけでさ』
……大量の、罪もない命を屠れと命令を出した闇の皇帝の、いけしゃあしゃあとした声を聴くしか、今のフィオナにはできない。
森の怒りそのものだろうが相手にできる闇の悪魔の姿への圧倒が、最早怒りを上回ってしまった彼には。
『「次」はこんなんじゃだめだよー? もう僕たちにとっては、森を得られればいいって戦いじゃないんだからさぁ。千年前、僕たちを馬鹿にしたこと、覇王様を侮辱したこと、フィオナの命の全てが本当に悔いて涙でぐちゃぐちゃになってバカの誇りを全部かなぐり捨てて命乞いするくらいに全力でいたぶって苦しめられなきゃ、「成らない」じゃない。……「覇王様の弔い合戦」が、さぁ』
「……返す言葉もございません。己の至らざるを知り、反省いたします」
そう言い終わると同時に。
ザガーンはフィオナから目を背け巨体をひらりと翻すと、ゴーストたちの出てきた裂け目に消えていった。ゴーストたちも次々に、裂け目へと入っていく。闇文明へと戻っていく。
重い音を立てて割れた大地はふさがり、後にはただの亀裂が残った。
●
ふたつ牙の下半身は、進化の力を失い……徐々に、徐々に縮んで、元通りになっていく。元通りの、銀の拳の体に。
「銀の拳よ……」
大きな命たちが次々に消え、静寂が戻った血まみれの森の中。フィオナはそっと、気高き英雄の死体に寄り添った。彼の拳がフィオナの森を救ったのだ。その命と引き換えに。……それが例え、忌むべき悪魔からの情けであろうとも。
だが、なんでも、いい。
そう、なんでもいいのだ。
なんであろうとも、命を救うことは絶対に尊いのだ。命は尊いのだから。お前は間違いなく、尊き森の王であった。銀の拳。
蹄の群れの音が聞こえる。「フィオナ様は、こちらです!」と言う声。ホーン・ビースト達だ。
「フィオナ様!」
「お目覚めになられたのですか!」
「闇の軍勢が、急に大地の裂け目へ逃げ帰りまして……」
ホーン・ビーストに乗って現れる、銀髭団たち。……だが、彼らの目に飛びこんで来たのは、見覚えのあるような人物の体。……胸から上がない、体。
「……フィオナ様……?」
一人がホーン・ビーストから降り、歩み寄ってきた。それは……無垢の宝剣の姿。
「それは……まさか……」
フィオナは無言で、うなずく。無垢の宝剣はその場に跪き、触れた。
掌が、それが何かを彼に教える。
自分が幼いころから抱かれてきた……サイのビーストフォーク特有の固い肌。
「……お」
それでいて。温かくて、逞しくて……とても頼れる体。
「お、父、上……」
わあああ、と声を上げて、彼はその場に倒れ伏し、激しく泣きじゃくった。
「泣くな!」
銀髭団の中からまた一人歩み出て、無垢の宝剣の胸ぐらをつかみあげる。誕生の祈だった。
「泣くな! 泣き虫イノセント! 銀の拳さんが倒れた今、お前が次の自然の王だ! 皆の支えにならなくてはならぬお前が、めそめそ泣いていてどうする!」
「なんで、泣いちゃいけないんだ!」
しかし、いつもとは違い、無垢の宝剣はそう言いかえした。
「父上が殺されて、森が壊されて……悲しがっちゃいけないことがあるか! 僕たちは何のために戦っているんだ!? 森を壊されたから、家族が殺されたから……悲しくて、戦ってきたんじゃないか! それが、僕たちだ! 僕たちが僕たちたる由縁だ! 大切な人を殺されても悲しくないなら、泣かないなら……痛みを感じない闇の彼らと、何が違うんっていうんだよ!」
静まり返った森の中に、無垢の宝剣の叫びがこだました。誰もかれもそれを聞き、しんと静まり返っていた。だが再び無垢の宝剣の嘆き声が聞こえ始めた時……誕生の祈も彼の胸ぐらから手を外し、代わりに目に添えた。
「銀の拳さん……なんで、どうして……」
彼女も、一緒に泣きだしたのだ。そして、堰を切るように、どんどん、その場にいた他の銀髭団たちも泣き出した。
「王様ぁ、王さまぁ……!」
「あんまりだ、ひどすぎる……どうしておれ達がこんな目に!」
「平和な森を返せ……! おれたちのフィオナの森を、返せよぉ……!」
身も世もなく泣きわめき、彼らは偉大な王の死を悼んだ。
ビーストフォークが、ホーン・ビーストが。ツリーフォークが、ジャイアント・インセクトが……森の全てが、一緒になって泣き喚いたかのようだった。
闇の軍勢は一旦立ち去った。だけれどもそこにあったのは、到底勝利などとは言えない悲しみ。
闇の占領区域に入った土地は、腐り、荒れ果て、かつての美しさなどかけらも残してはいなかった。そう。それは、地獄の光景と化していた。闇の軍勢は、フィオナの森を住み慣れた地獄に変えた。
自然の民はただひたすら、嘆き悲しんだ。嘆き悲しむ心こそが、自分たちのアイデンティティであったから。
フィオナも、目に涙を溜め、そして……一人、天を仰いだ。
この場でただ一人、「知った事」が偉大な王の死だけではない身……「もうこの程度で容赦しないと決めた」という、闇の皇帝の恐るべき発言を聞いた身として、天を仰いだ。
「(光の皆様、どうかお助けを……! この嘆きをお聞きください、哀れな民の嘆きを……!)」
千年前。覇王ブラックモナークの支配から、フィオナの森を解放した神々の住まう天を。
「(我らは貴方方に従います。貴方方を信じます。お願い致します、秩序のしもべである私たちに、この者たちに、どうか再び、救いを……!)」
●
「申し訳ございません……」
闇文明、魔霊宮。死皇帝の宮殿。闇へ帰還したダーク・フリードはバラガとともに、アザガーストの前にひざを折った。銀髭団を皆殺しにすると言っておきながら、撤退に至ったのだ。責任を感じるのも無理はない。
「あー、いいよ。もうこの程度で終えたくないってなったのはただの僕の思い付きだから。むしろ付き合って素直に帰ってくれてありがとうね。今はゆっくり家帰って休んでなさい」
アザガーストはそう言って若い軍人二人を返す。そして彼ら二人が消え去った後、物陰から出てきて口を開くものがいた。
「この程度では、ですか……同感です。アザガースト様。所詮世間知らずの若造共。自然文明に相応しい仕打ちというものを、何も分かっていはしない」
「なんだ。君、いたんだ」
アザガーストも彼に気が付く。彼は六つの房になった特徴的な赤いマントを床に泳がせ、死皇帝の前に跪いた。
「そう言うからには、君は分かってるっていうの? ハウクス」
彼の目の前に現れたダークロード……《闇侯爵ハウクス》は「はい」と毅然とした声で言い返す。
「……死皇帝様。容赦なさらぬという事は、無論『ヤツ』は出す算段でございましょう」
「そりゃね。ここで切らなきゃいつ切るんだって感じだし、そろそろ頃合いには多分悪くないでしょ?」
「それでは、足りません」
“何か”について語る二人……だが、その死皇帝の思惑を、ハウクスはバッサリと切り捨てた。甘いと。
「もっと、必要です。もっと、もっと、残虐で圧倒的な復讐でなければ、我ら千年の屈辱の清算には相応しからぬでしょう」
「……ふーん。あの子の完成以上の残虐かぁ。……例えばどんなの?」
「わたくしに、図式があります。どうかご一任下さい」
ハウクスはとんと胸を叩いた。
「このわたくしが必ずや……我ら千年の屈辱に相応しき勝利と復讐の黒き炎を自然文明へ、そして、その後ろに控える光文明へ降り注がせましょう」
「そっかー。君がそこまで言うんなら、任せてみてもいいかな」アザガーストも軽く言い返す。
「好きにして見てよ。必要なものがあったら言いなさい。君の妙案、楽しみにしているからさ」
「はっ……有難きお言葉にございます。……ではまず……」
ハウクスは再び跪き、そして……顔を覆う仮面の下で、にやりと笑った。
ようやく、ようやく動ける。あの者達へ復讐する計画を、自分の手で動かすことができるのだ。自然文明、そして、光文明への復讐を、自分のこの手で……。
●
銀の拳の死から数日後。
情報網の整っていない自然文明では、その情報が広い、広い文明全体に広まるのも一苦労な事だった。ましてや北方にあるスノーフェアリーの里には、まだ届いてもいなかった。
そんな折の事。ポップルはポレゴンと一緒に、いつものようにそりを漕いでいた。
「でもさー。見つかるかな」ポレゴンは言う。
「宝箱なんて、そんなにあるもんじゃないと思うよ」
「見つかるかなーじゃないよ。見つけるまで、帰らないの! それが冒険でしょ!?」
「うん、そうだったね! 僕たち冒険家だったもんね!」
そもそも、何故彼女らが宝箱なんて探しているのか。
話は、一日前にさかのぼる。