孤高の願と一緒に外に出てみれば、なるほど、自分たちがいたのはシェル・ストームが背中に背負う巣の中であるのがよく分かった。シェル・ストームは産卵を一通り終えて一息ついているのか、大人しく眠っている。ポップルが行き倒れた村も、すぐそこだった。
バラバラになったジャイアント・インセクトの体や、シェル・ストームの卵の破片、飛び散った中身が散乱し、やはりあの光景は夢ではなかったと思い知らされる。
「本当にすごいんですね、コロニー・ビートルの産卵って」
「まあね。この村の連中は、きっと産卵期だから別の所に避難してたんだよ」
それは当たり前だろう……と思ったところで、またポップルの頭に疑問が一つ浮かぶ。
「なんでこの村の人たちは、そもそも危険なところに住んでいるんですか?」
「うん、それにもちゃんと理由があるのさ」
孤高の願は森の一端を指さす。ジャイアント・インセクトの猛攻を逃れた丸い卵が一つ、そこにめり込んでいた。
「コロニー・ビートルの産卵は確かに大被害をもたらすけどね、その代わりコロニー・ビートルの孵化は、それを補って余りあるほど、地面を豊かに肥やすんだ。コロニー・ビートルの生息域に住んでいる奴らは、その恩恵を得て生活してるんだよ」
「え、そうなんですか!?」ポップルは目を見張る。こんな恐ろしい存在が、そうなるとはとても思えないけれど……。
「ああ。彼女らは産卵の体力をつけるために、世界樹を齧って食べるから」
えっ、とますます驚くポップル。世界樹と言えば自然文明の中心にそびえる巨木の事で、自然文明にとっては非常に大切な存在だ。それを食い荒らすとなると、ますます怖い生き物と言うイメージしか湧かないが……。
そんなポップルに疑問も見透かしたように、孤高の願は順を追って説明してくれた。
「世界樹は膨大なマナのエネルギーを宿している。彼女らはそのエネルギーを体に蓄えて、卵に託すんだ。そして卵は、世界樹の膨大なエネルギーを産み落とされた場所に宿す……と、こう言うわけさ。だから彼女らが孵化した場所は、豊かな草花の息吹に溢れかえる。畑もおんなじさ。作物の育ちが、普通よりずっと早くなるんだ。コロニー・ビートルの生息域の奴らは豊かに肥やされた土地で早く作物を育てて短時間で食料を蓄えて、産卵のきざしが見えたら安全な場所に避難する……それを繰り返して生活しているんだ」
そう言われてみれば、見事に破壊された村には、簡素な造りの施設しかない。スノーフェアリーの里では家は雪の重みに負けない丈夫な石造りだったが、この村では藁と軽めの材木の造りだ。一年もせずに潰されてしまうことを最初から前提とされているとしたら、確かに納得がいくものがあった。
「おれは最近、むしろ世界樹が色々なところにエネルギーをばらまいて土地を肥やすために、彼女らを利用しているんじゃないかって考えることもあるよ」
「知らなかった……いい所もあるんですね」
「そうとも。もっとも、だから卵は栄養満点。ジャイアント・インセクト達の大好物でもあるけどね」
だから、あんなに沢山のジャイアント・インセクトたちが群がって来ていたのか。コロニー・ビートルたちがいい所もある虫なのだと分かったら、今度は少し、それは可愛そうな気もする。
そのことを言ったら、孤高の願いはまた返してきた。
「まあね、おれも可愛そうじゃないと思うのは無理だな。せっかく産んだ子が目の前で食べられるなんて、虫とは言えど気持ちのいいもんじゃなかろうよ。……けど、やっぱりこれも自然には必要な事なんじゃないかな」
「そうですか?」
「暴れん坊とはいえ、ジャイアント・インセクトだって食わなきゃ生きていけないわけだし、自分たちだって栄養のあるものを食べて、強い子供を産みたいだろうし……それに、コロニー・ビートルはほら、こんなにでっかいだろう?」彼は寝ているシェル・ストームを指さす。
「もし、あのどっさり生み出された卵が全部無事に孵って、育って、その子たちも卵を産んで、それが無事に孵って……を繰り返してたら、どうなる? フィオナの森は、すぐ彼女らでいっぱいになっちまうし……世界樹も、普通の木も跡形もなく消えちまうだろうし、結局そうなれば、彼女らだって飢え死にだ」
「ジャイアント・インセクトのご飯になることも、前提の一つってことですか?」
「彼女らがそう考えているかどうかは分からないし、多分できる事なら可能な限り生かしたくはあるんだろうけどね。でも少なくとも、おれはこれを自然の秩序の一つだと思うよ」孤高の願は穏やかに笑って言う。
「食べる、食べられるを繰り返して、一見血も涙もない命の奪い合いをしているようで……その実世界樹のエネルギーが循環する。世界樹も、ビーストフォークも、コロニー・ビートルも、ジャイアント・インセクトも、お互いそれなりに得もして損もして……そしてみんな滅びずにそこそこに生きてる。自然の恵みの分かち合いってのは、おれ達やスノーフェアリーみたいに明確に理性を持っている種族がそうしようと思ってやっている事のほかに、こう言う本能レベルのものもあってこそなんじゃないかって思う。彼女らも立派に、フィオナの森の秩序を守っている一員だよ」
そう説明を聞くと、今まで見えなかったものが見えてくる。
産卵によって無残にへし折られた一帯の森林。だが、無事に地面に埋まった卵からも、あるいはジャイアント・インセクトによって食い散らかされた卵の殻、地面に飛び散った中身からも、気が付けばすでにマナの放出が始まっている。
そして、へし折られた木々はすでに再生を始めているように、切れ目から鮮やかな色の若葉をのぞかせていた。
●
「じゃあ、孤高の願さんはコロニー・ビートルとお友達になるために旅をしているんですか?」
「そういうこと」
暗くなりかけ、孤高の願はシェル・ストームの巣の中に明かりをともしていた。自然文明の魔術師である彼が扱うのは、普通の火のカンテラではなく、光輝くマナの明かりを利用したカンテラだ。火よりもずっと明るいし、シェル・ストームの雄たちに危険なこともない。
シェル・ストームはあの後すぐ起き、どこかに向かって歩き出した。ズシン、ズシンという震動が、ポップル達がいるドーム内部にも響く。クルトはプリート・トマトとご機嫌にじゃれあって遊んでいる。
実は、シェル・ストームは気ままに動いているのではなく、孤高の願をどこかに運んでいるということだ。彼は魔術の力で、あらゆる種族と意思の疎通を図れるらしい。
自分の魔術では、まだその域まで達せない。羨ましい、と素直にポップルは感じた。普通話せない種族と話せるなんて、きっと楽しいに決まっている。
あんなに煩わしかった魔術の鍛錬を、もっとやっておけばよかったと少し後悔した。
「このシェル・ストームはこう見えて、とっても素直でチャーミングなお嬢さんだよ。連れ合いさんたちがうらやましいくらいさ」
「お師さん、独身だもんね。名前からして孤高だし」と、プリーチ・トマト。
「うっさいよ! おれの嫁さんは魔術研究だから」
「研究がお嫁さん……なるほどです。納得しました。だからすっごく物知りなんですね」ポップルは言う。
「コロニー・ビートルの話、全部初めて聞きました……けどすっごく、楽しかったです!」
知らないものを見るのと同じ楽しさを、孤高の願の話からは感じられる気がした。ああ、知らないことを知るって、結構楽しかったんだ、とポップルは思う。あまり新しい情報も知識も入ってこないスノーフェアリーの里だと、知れない事に彼女はどんどん興味がわいてきた。
「そうかな? ありがとう」孤高の願は素直に、少し照れくさそうに礼を述べてくれた。
「ところで」
「はい?」
「そろそろおれの方も君らの事を聞きたいんだけれど……君が連れているその子、たぶん光文明の方だよね?」
その言葉に一瞬、ポップルもクルトも固まる。
「光文明の方がこの自然の土地で、虫の攻撃喰らって行き倒れてるなんて不自然だ。お嬢ちゃんにしたってそうだよ。スノーフェアリーはめったに里から出ないはずなのに、大人と一緒のふうでもなく……いったいお嬢ちゃんたち、どういう関係なんだ?」
「え、えーっと……」
「ボク、地上のご飯食べに来たノ!」
どこからどこまで、どう説明していいものだろう、そうポップルが頭の中で言葉を整理している間に、クルトはすかさず、さっくり自分が地上に来た理由を説明してくれた。……当然孤高の願は目を丸くして「なんだって」と素っ頓狂に言い返す。
「ボク、地上の食べ物大好きだから、時々自然文明に降りてくるノ! ポップルちゃんはボクを案内してくれたんダ!」
確かに事の起こりは全くそうなのだが、状況の説明としては半分にも達していない。……だけれども、その嘘ではない様子が孤高の願に届いたのだろうか。
「そうか……ひょっとしてお嬢ちゃん達、あれか、迷子か」
ガーディアンたちの事を話すまでもなく、孤高の願は勝手に納得してくれた。
「あ……えっと……」
「悪い時に迷子になっちゃったなぁ。ここはまだよくても……今フィオナの森は危険なんだよ、知らなかったかい?」
その言葉にポップルも目を丸くする。
「ど、どういうことですか?」
「あれ、ほんとうに知らないのか」孤高の願は今一度軽く驚いたように言う。
「少し前、南方部を中心に闇文明の大規模襲撃を受けたんだよ。闇に襲われた土地は今でもコロニー・ビートルの産卵被害なんか目じゃないくらい荒れ果てて、住んでた奴らも戻れなくなっているみたいだ」
「そ、そんな……? やみ、ぶんめい……?」
俄かには信じがたい事だった。
闇文明の名前なんて、物語や神話でしか知らない。秩序を無視する、欲張りで残酷な悪人たち。彼らの事は、そんな形でしか知らない。そしていつも、自然文明の勇者や光文明にやっつけられて終わる、そんな存在。漠然とした、怖くて悪い存在。そんな相手でしかなかった。
けれどそれが、現実に地上に現れ、フィオナの森を襲った? 今自分がいるこの森と、地続きの空間を? 物語ではなく、現実の事として?
戸惑っているらしいポップルを前に、孤高の願は更に言う。
「……ひょっとして、フィスト……銀の拳が死んだこともスノーフェアリーの里には届いてなかったのか?」
「えっ!?」更に驚くポップル。「銀の拳さんって確か……お、王様……ですよね?」
たとえ里から出ない世間知らずでも、自然文明の者なら流石に自然文明の王の名前くらいは知っている。一度も見たことはないけれど、それでも優しくて偉大なビーストフォークの王様、として幼い頃からずっと名前を聞かされて育っていた。
その人が、死んだ?
だが狼狽える彼女に、孤高の願はいたたまれなさそうな表情をしながらも、コクリとうなずく。
「あいつは死んだ。間違いなく死んだよ。この前葬儀も行われたって聞く。闇文明に殺されたんだ。闇は今は地下に引っ込んだが……依然、油断はならない」
「そ、そんなことって……」
ポップルは怯えるより前に、本当に現実を飲み込めなかった。今まで自分が信じていた世界、これからもずっとそのまま続くだろうと思っていた世界が、自分の知らない所で、崩れ始めていたらしい。その事実に背筋がぞっとする。
「……お嬢ちゃん。状況は分かったろ。子供同士で迷子でいられるほど、今フィオナの森は安全とは言えないんだ。また闇文明がどこに来るかもわからない」
「あ、あたし、ちっとも、知らなくて……」
「落ち着いて。大丈夫。袖振り合うも多生の縁だ。おれが、里に帰れるようにちゃんと送り届けてやるよ。スノーフェアリーの里の場所は知っているんだ」
孤高の願は、混乱するポップルを慰めるように、ポンと一回頭を撫でる。そして、クルトの方にも向かい合って言った。
「そっちの光文明の方も……早く光文明に帰らないとな」
「え、あ、うーんト……」
その言葉を聞いて、固まるクルト。さすがに自分の今の状況を忘れていたわけではないらしい。だがクルトが「あのネ……」と言いかけた時、衝撃的な横揺れが一つ。ポップルは踏みとどまれたが、真ん丸なクルトはそのままごろごろ転がって、芋虫の壁に埋まってしまった。
「うーん……ビックリしタぁ……」
「止まったか!」と、孤高の願。
「お嬢ちゃん。悪いけど、おれは用があるから、ここで待っていてくれ。すぐ戻るから」
「えっ……? ここ、どこなんですか……?」
「中央深部。要するに……」孤高の願は言った。
「フィオナの森の中央。世界樹の地さ」
シェル・ストームの巣の出口から出てみれば、彼の言葉は本当だった。
天を覆い隠すほどに広く、広く広がる大樹の下に、自分たちはいた。森の木々よりはるかに巨大なシェル・ストームの体すら、及ばない。外はすでに真っ暗で全貌は良く見えないが、そうもすっぽり枝で上空を覆われているというのに、幹はまだはるか遠くであることは、容易に推し量られた。
どれ程までの大樹なのだろう。ポップルは息をのんだ。
「プリーチ。夕飯を作っておきなさい。この子たちの分も合わせて、四人前な」
「はい。お師さん」
「じゃあ、危ないからくれぐれも出歩かないように。ポップルちゃんと……ええと」
「あ、ボク、クルト」
「クルトくんだね」
孤高の願いはカンテラを片手に、ひらりとシェル・ストームの巣から飛び出る。
「それじゃ、いってくる。クルトくんの事を、光の神様たちにもお祈りして伝えておくよ!」
その言葉自体に悪意はないのだろうが……それを聞いてぞくりとなるポップル。
「あ、あの、孤高の願さん、ちょっと……」
だが、彼女の声は世界樹の葉のさざめきに遮られたのか、聞こえなかった様子で、孤高の願のカンテラはたちまちのうちに遠ざかっていった。
後に残ったのは、仏頂面をしたプリーチ・トマト。
「……じゃ、僕夕飯作ってくるから」
彼は相変わらず面白くなさそうな顔でポップルを睨む。
「好き嫌いする子がぞ~っとするもの作ってやるから、覚悟しときな!」
……そう吐き捨てて、彼も小さなカンテラ片手に、芋虫の壁の隙間をくぐって巣の別の部屋に行ってしまった。
●
中央深部……その世界樹の中心に近づくにつれ、月の光も届かないほどに上空には葉が生い茂ってくると言うのに、それとは裏腹に景色は明るくなっていく。中央深部には大勢のビーストフォークが住んでいるからだ。もっと言えばそこは……現在の、銀髭団の本拠地だ。
そのうちの一人……大勢のビーストフォークに囲まれ話し合いをしていた無垢の宝剣のもとに黄金の翼がやって来て、来客を知らせる。そして黄金の翼が通すまでもなく……すぐに彼、カンテラを携えた一人のビーストフォークがやってきた。
「あ、あなたは……!」
「よう、久しぶりだね、イノセント。大きくなったな」挨拶する孤高の願。
「孤高の願さん!」心底驚いた様子の無垢の宝剣。「まさか、あなたがこんなに早く来るとは……」
「何、お嬢さんたちのききわけが良かっただけさ。ひとまず……」彼はフードを正しながら言う。
「まず、フィストの墓参りをしたい。夜遅くに悪いが、案内してくれ」