「ここです」
世界樹の森の幹のすぐそば……そこに、銀の拳は埋葬されていた。
世界樹の糧となり、永遠に自然文明を見守るために。
孤高の願はカンテラを置く。優しいマナの明かりに照らされた墓碑、それに刻まれた文字が、銀の拳が本当に死んでしまったのだと言うことを如実に物語っていた。
「フィスト……」
孤高の願いは跪き、無言のまま彼の冥福を祈る。
……彼とは、友達だった。幼馴染だった。
王と言ったって彼は、良い意味で何も王らしくなかった。皆と同じような小屋に住んで、皆と同じようなものを食べて、皆と同じような粗末な服を着て、皆と同じように暮らしていた。
良い意味で王妃らしくない、気風が良くて頼りがいがあって、頑張りものの女性と結婚して、良い意味で王族らしくない素朴で優しい子供を作った。
そんな彼が自然文明の王と呼ばれていたのは、ひとえにこの森に住む誰よりも、心から、この森を愛していたからだ。自然の秩序を守り森と共に生きる事に、この森の誰よりも、強い誇りを感じていたからだ。
「……まだ信じられんよ。おまえが死んだなんて」
夜風にざわめく世界樹の葉擦れの音は、彼の呟きなど簡単にかき消してしまう。だからこそ彼は、遠慮なく心の内を呟いた。
「おまえ、生きてる間一回も嘘をついたことなかったな。……よりによって最後の最後に嘘つくなんて、笑えないぞ。どうせなら、最後まで正直者でいたらどうなんだ……」
自分の頬を涙が伝う。夜の冷たい空気にそれが冷やされる。はっきり自覚してなお、孤高の願いは涙をぬぐう気になれなかった。これをせめて、大地と一緒になった彼に届けてやりたい気分だった。
「イノセントが一人前になるまで絶対死ねないって言ったのは、どこのどいつだ。嘘つき野郎……」
声が震える。体も。いくら言っても帰ってこない返事が、彼は本当に死んだのだと、フィオナの森を潤すマナになったのだと、孤高の願に教えた。
孤高の願は手に自分の数珠を握りしめる。そしてぶつぶつと、呪文を念じた。ふわり。ごく小さなマナが地の底から湧き上がり……そして、数珠……彼が魔法の媒体とする、タオパブの木でできた数珠に吸い込まれていった。
「おまえの希望は、おれらが引き継ぐ。だから安心してろ」
二つの目では泣いたまま、それでも声音だけは気丈に……彼は告げた。
●
中央深部では昼夜、銀髭団を中心にこれからの自然文明情勢の話し合いがなされていた。
闇は去ったとはいえ、いつまた彼らが襲ってくるかは分からない。下手に復興作業にも当たれない。
ホーン・ビーストたちも、今は眠っている場合ではないと、話し合いに参加してくれている。中央深部の集落、その中心にある広場でフィオナを丸く囲む銀髭団とホーン・ビーストの群れの中に、孤高の願も腰かけた。
「孤高の願……旅の呪術師か」
「ご存じでいて下さいましたとは光栄です。フィオナ様」孤高の願は丁寧に挨拶する。
「お主からの連絡は届いておった」
「僕も、あなたの手紙は逐一読んでいました」無垢の宝剣も言う。「しかしまさか、本当に……」
黄金の翼の方を見る無垢の宝剣。黄金の翼も、こくんと頷く。黄金の翼はいの一番に、大好物である世界樹の下にいながらも大人しくたたずむ「彼女」を見たのだ。
「コロニー・ビートルを手なずけるとは、かい?」
孤高の願は「なんてことはない」と笑う。
「産卵が派手なことを除けば、大人しくて素直なお嬢さんたちだよ。森を愛する心だって、ちゃんと持っている。おれをここまで乗せてきてくれたシェル・ストームなんて、森が理不尽に荒らされたことを聞いたら二つ返事で協力を承知してくれたよ」
「現実味がねえな……しっかし」
そう呟いたのは、豚のビーストフォーク。名前は《怒髪の豪腕(レイジ・アーム)》。彼も、無垢の宝剣の親衛隊の一人だ。
「あいつら、しおらしく協力するタマだったのかよ……」
「何、不思議じゃない。現に君らだって、ジャイアント・インセクトやツリーフォークと協力できたろう? このフィオナの森に住む生命は、森を守るためなら何者だって協力できるとおれは思っているんだ。……そのために、新しい種族も研究しているし」
孤高の願は一つ咳払いをし、話した。
「手紙でも言ったが、改めて、おれの考えを述べさせて貰う。おれはフィオナの森の受難はこれでは終わらないと思う。闇文明が戻らないという保証も……闇の他の文明、火や水が攻め込まないという保証もない。おれらは闘い方に関してははっきり言って一日の長と言えるほどのものはない……だが、おれらに勝ち目があるとすれば、物量だ。資源と生命の多さなら、自然文明はこの惑星のどの文明にも負けることはないはずだ」
神妙に聞くビーストフォーク達。孤高の願は続ける。
「だからこそ、もし戦いを想定するならば……総力戦こそが活路だとおれは考える。フィオナの森のあらゆる種族が団結して、侵略者に立ち向かう……それこそが道だろう。……無論、中央信部のみんなが昼夜を問わず、光文明の神様たちに救いの祈りを捧げているのは知っている。俺も光文明を心から信じる身だ。否定はしないし、精霊、予言者の方々が助けて下さるのであれば、それに越したことはない」
彼は、会議場となっている広場、それを見守るように備え付けられた、マナの松明によって照らされる祭壇を見つめて言った。
「だが、やはりそれは、おれらが自分で助かるための努力を欠いていい理由とはならないと思う。天は自らを助くる者を助く、だ。おれらが秩序を遵守しようと動く姿こそ、祈りの言葉にも負けないほど、精霊様、予言者様の御心にかなうものだと思う」
「……そうじゃな、わしも同意するぞ」フィオナの声が、厳かに言った。
「光の皆様……秩序を心から信じる、尊いお方々じゃ。だが、悪事を一切働かないだけの怠け者に目をかけるほど、暇な方々でもありはせん。祈るだけでは、始まらぬ。今は自然の民が心を一つに秩序に身を捧げ、森を守らんとする時じゃ」
「フィオナ様!」と孤高の願。
「あなたならそう言って下さると信じていましたよ。ジャイアントやツリーフォークに呼び掛けて下さったのも、あなたでしたしね……イノセントくん、君は?」
今は自然文明のリーダーを任せられる身となった、ごく年若い王子に孤高の願は言う。無垢の宝剣は「……僕も、異存はありません」と答えた。
「森中を旅して道を知り尽くし、どんな種族とも話せる孤高の願さんは、フィオナ様にも劣らないほど、その作戦……全種族への協力の要請にうってつけな方だと思います。自然文明の王子として、正式に、他種族への大使の役割を依頼してもよろしいでしょうか?」
「無論だ。その言葉を聞きにやって来たんだ」笑う孤高の願。
「一つ、伺っても?」入ってきた声は、誕生の祈だ。
「バースちゃんか。いいよ、なんだい」
「コロニー・ビートルを手なずけ仲間にする、など例のない事……実際どのように仲間になってくれるのか、少々説明を仰ぎたくて」
「そりゃもう、単純な話よ。彼女らの産卵の勢いを、そのまま攻撃手段に転用するのさ。それに……彼女らの巨大な巣は、移動要塞にもできる。乗り心地だって及第点だよ。おれはシェル・ストームに乗ってここまでやって来たんだから、保証する。兵器を作る技術力のないおれらにとって、コロニー・ビートルは天然の兵器になってくれるはずだ」
「天然の兵器……」誕生の祈は目を丸くする。
「無論、他文明が使うのとは違って、立派に生きている相手だ。そんな失礼な言葉はできれば使いたくないけれど」
「実際に、行ってみることはできねーのかよ?」と、怒髪の豪腕が言う。「コロニー・ビートルの巣の中なんざ入ったことねえし、聞いてるだけじゃなんともなぁ……」
「いいと思うよ。話し合いが終わり次第、行こうか」
●
「ねぇ……大丈夫かな、神様……」
ポップルはハラハラしながら、膝の上のクルトに話しかける。
「孤高の願さんはいい人だけど……でも、もし祈りが空に届いて、光文明の人たちに知られたら、神様の居場所が分かっちゃうかもしれないし、孤高の願さんやシェル・ストームさん達にも迷惑がかかっちゃう……」
「……だよネ」
「逃げたほうが、いいのかなぁ……?」
「何話してるの?」
急に入ってくるプリーチ・トマトの声。ポップル達は驚いて、話すのをやめる。
「夕飯できたよ」
「あ……ありがと」
「わー! ごはんダー!!」クルトは一気に不安を忘れてしまった様子だった。プリーチ・トマトはニヤニヤ意地悪く笑いながら、自分の体より大きな器を押して持ってくる。真っ赤な汁物が入ったそれは、ほくほく湯気を立てていた。
「残さず食べなよ! 好き嫌いする奴がだーいきらいな、お野菜たっぷりトマトシチューだぁ!」
ポップルの方を見て意地悪く笑うプリート・トマト……だが、ポップルは意外にも平然と器を取って「あ、これならあたし、食べられるよ!」と言った。
「……え?」
「いや、あたしトマトは種のプルプルしてるところが嫌なだけだから。こう言うのはむしろ好き」
「おいしソー! いっただっきマース!!」
クルトはさっそく頭を突っ込んでシチューにむさぼりつく。ポップルも出されたスプーンを手にとって、すくって飲んだ。
「おいシーっ!」
「ほんとだ、すごく美味しい……! 他の野菜も全然おいしく食べられちゃう……!」
ポップルはなんだか、じんわりと感動してきた、美味しいのもそうなのだが、温かい料理を食べたのがとても久しぶりな気がする。クルトと一緒に森を旅している間、ずっと木の実しか食べてこなかった。
「(そういえば、お姉ちゃんがお野菜も食べやすいようにって、やっぱりこう言う風にシチューにしてくれたな……)」
そのことを思い出して、少し寂しくなる。自分がいなくなって、スノーフェアリーの皆は心配してくれているだろうか? 明日また、って約束したポレゴンはどうだろう。コートニーは、ポコペンは、チャミリアは、カチュアは……。
ところで、プリーチ・トマトはむすっとしつつも、自分の感情に整理をつけられない状態のようであった。
「おいしいの?」彼はポップルに聞く。
「うん! すっごくおいしいよ!」
「……お世辞じゃないみたいだね。それが気に入らない!」プリーチは言った。
「ボクはどうすればいいっての! 仲間が美味しく食べられるのは幸せだけど、好き嫌いする奴にぎゃふんと言わせられないのは悔しいの! 明日の朝にはトマトの種だけ食べさせてやるから!」
プリーチ・トマトはそう言って、そっぽを向いてむくれる。だが次の瞬間、顔中真っ赤にしたクルトが「おかわリ!」と空の器を掲げてきて、またポップル達の方を向いた。
「あの……」と、ポップル。……彼女の器も、既に空だ。
「もしよかったら、あたしも……」
「……好き嫌いする奴に、作ってあげたくなんかないやい!」と言いつつプリーチはさっと二つの器を受け取り両手で引きずってまた壁の向こうに引っ込む。
「首洗って待ってろ! もっとお野菜たっぷりのを持って来てやるからな!」
……彼が消えたタイミングで、ポップルはクルトの真っ赤になった顔を拭く。「もう、神様お行儀が悪いなぁ……」
「エヘヘ、ごめんネ」
「でさ、神様、さっきの話なんだけど……」
その時。
衝撃が浴びせられ、シェル・ストームのドーム全体が揺らめく。
思わずポップルは、クルトを抱きしめた。
「(まさか……?)」
その、まさかであった。姿は見えずとも、壁を透かして聞こえてくる音声には、聞き覚えがある。
「予言者クルトは、この中にいる。攻撃を開始せよ」
ガーディアンだ。
まさに今、ここを嗅ぎつけたのだ。
急に見知らぬ相手に砲撃され、シェル・ストームはパニック状態だ。だが卵を産み切ってしまった彼女に、おいそれと飛ばせるものはない。
彼女は訳の分からない攻撃を前に、嫌がって暴れた。ガーディアン達は、無機質に言い放つ。
「建造物ではない、生き物だ」
「内部の予言者を引き渡せ」
その意味が分かるのか、分からないのか……シェル・ストームは本格的に怯えた。そして彼女は、足早に駆け出した……岩場の方面に。
「無駄だ」
「総員、追え」
「予言者を引き渡せ」
だが、彼女はただ逃げたのではない。彼女が向かったのは、岩場だった……彼女は、その強靭な脚で岩を大きく砕き、破片を飲み込み始めた。
「シュー! シューッ!」と彼女の鳴き声……すると、その合図を聞きつけた、彼女の体内の雄たちは、一斉にもぞもぞと動き出した。
「な、なに……!?」と戸惑っているポップル達など意に介さず、雄たちはシェル・ストームの体内を這い回る。彼女の飲み込んだ岩は消化器官を通らず、巣の中に届く。手足のない彼らはそれを全身を使ってリレーし……そして……それをどこかに持っていく。ポップルにはわからないがそれは……産卵管の中だった。
そして次の瞬間……シェル・ストームは一斉に、岩石を産卵管からガーディアンに向けて放出した!
コロニー・ビートルの自己防衛機能だ。
卵は彼女たちにとって、大切な次世代であると共に、やはり強力な武器も兼ねる。だが卵無くして外敵に襲われた際……彼女らは弾丸になるものを食べ、そして産卵管をこじ開ける。非常事態にそうなれるよう、弁が付いているのだ。雌の命令で弾丸をセットするのは、雄の役目だ。
岩石の弾丸を受けて、ガーディアン達は怯む。だがやはり、彼らの硬質なボディはそれ如きでは壊れない。
「聞こえているか、予言者を引き渡せ。さもなくば貴様ごと打ち破る」
冷たい声色だった。恐ろしいほど、冷たい声。
ガーディアンがまた、一斉に砲撃した。巣のドームが大きく歪む。雄たちがひっくり返って弾丸を取りこぼす。シェル・ストームの悲痛な声が聞こえてくるようだった。
ポップルはクルトをしっかり抱きしめた。シェル・スト-ムはそれでも体勢を持ち直したらしく、ガーディアンたちを迎撃しにかかる。
「(どうしよう……)」ポップルもパニックになり、震えた。
「どこかに入口があるはずだ」ガーディアン部隊は、砲撃を受けても反撃を止めないシェル・ストームを見て言った。
「侵入して、予言者クルトを探せ」
その時。
「シュウウゥ……」と低く一言、シェル・ストームの命令だ。それを聞いた雄たちは……一斉にもぞもぞと、ポップルの方に向かった。
「え……?」クルトを抱いたまま、ポップルは雄たちになすがままに運ばれる。「ちょ、ちょっと、待って……!」と言うが、そもそも最初から彼らには、同族の雌の命令以外を理解できるような聴覚器官などないのだ。そんなもの、必要ない生命体なのだから。
彼らはポップルを運ぶ。彼女は狭い管に押し込められた。真っ暗で、妙に生々しい。どくん、どくんと波打ちながら、管が勝手に自分達をどこかに運ぶ。彼女は混乱したままだった。
「ポ、ポップルちゃん……」不安そうなクルトの声。ポップルはそれに答えるように、言う。……自分の不安も抑えながら。
「大丈夫。きっと大丈夫だから……神様。絶対離れないでね」
そう言ったその時。
一気に、管の蠕動は速さを増す。体が吹き飛びそうなほどのスピードが、彼女にかかった。そう……彼女とクルトが押し込められたのは、シェル・ストームの産卵管だった!
パニックになりそうになりつつも、クルトを絶対離すまいと力を込めたポップルの視界に……やがて、薄く光が見えた。
シェル・ストームの持つ産卵管の中で、一番遠くに飛ぶ角度のもの、そこからポップルは、弾丸のスピードで空高く発射された!
当然、悲鳴を上げるポップル。それにガーディアン達も気が付く。「あれは!」と彼らは声を揃えた。
コロニー・ビートルが打ち出す卵の瞬間速度はとにかく凄まじい。世界樹の生み出す超重力すらものともしない勢いだ。ましてポップルは、彼女らが普段生み出す卵よりも何倍も軽い。ガーディアンたちの守備範囲すら軽々飛び越える勢いで、ポップルとクルトは飛んでいく。
「追え! 逃がすな!」
その時、また後ろから飛んでくる岩石の砲弾。
シェル・ストームはまだ鳴きながら、彼らに抵抗の意志を見せた。
●
スピードが速すぎて、浮遊結晶の生成すらうまくいかない。明るい月夜の中、フィオナの森の木々が下に見えるほど、ポップルは上空を飛ばされた。それでもクルトだけは離すまいと、手に力を込めながら。
後ろを振り返る。ガーディアン達の光が、もう見えない。無事にまけたのだろうか。
だが、こんな勢いで空を飛ばされている事も、それはそれで危険だ。落ち着かなきゃ、落ち着かなきゃ。ポップルは自分に言い聞かせる。速度が十分落ちてから浮遊結晶を作り出せば、地面に叩きつけられて死ぬことはない。
やがて、彼女は地面に向かって落下を始めた。浮遊結晶を! 彼女はベルトに刺していたタオパブの杖を握り、念じる。地面に叩きつけられるまでに、早く、間に合って……。
森がみるみるうちに近づく。ふっと、明るい月光が薄くなる。森に入り始めた。だが、結晶がまだできない。氷の魔術が不得手な彼女は、パニック下でうまくその力をコントロールできないのだ。
どうしよう、どうしよう……彼女がぎゅっと目を瞑りかけた、その次の事。彼女は突如、ひらめいた。
そうだ、得意な魔術で十分なんだ。
あと地表まで数秒、そんな刹那彼女は、タオパブの杖に念を込め、魔力を自分の真下に向かって放出した。
そして、最後の瞬間。
もふ、とやわらかいクッション状の感触が、彼女を包み、落下は止まった。
良かった。間に合った。
浮遊結晶が作り出せないならば、落下地点にクッションを作ればいい。自分は氷を生み出すのは苦手でも、花を咲かせるなら、大得意だ。
自分達を受け止めるような大きな花が咲くように、彼女は念じたのだ。
「助かっター……」
「ね……よかったね、神様……」
ここ、どこだろう? 彼女がそう思い花から降りようとすると、ちゃぷ、と妙な感触。これはもしや、水? ……そう彼女が思った時、ゆらりと彼女らの足場が揺れた。
これは、やはり。ポップルは杖に念じ、マナを呼びだそうと試みる。やがて……小さなマナが生まれ、その光でポップルは知った。
自分が咲かせたのは、丈夫そうな葉に囲まれた巨大な桃色の、睡蓮の花。自分たちがいるのは、川の上だった。
●
「……どういうことだ? 何があった?」
シェル・ストームを見せるため銀髭団を連れてきた孤高の願は愕然とした。シェル・ストームは待っているよう頼んだ場所におらず、少し離れた岩場で疲弊していた。何者かと戦っていたらしい事は容易に推察できるが……その何者かは、もう立ち去った後。そして……あの迷子二人も、もういない。
「お師さぁん!」
泣きそうな顔で、プリーチ・トマトが出てきた。
「何があったんだ、プリーチ……!」
「ボクもよく分からない……中で震えてただけ……でも、シェル・ストームが襲われて……すっごく、怖かった……」
「シェル・ストーム」彼は、孤高の願の姿を見て漸く落ちついたらしいシェル・ストームに話しかける。
「教えてくれ。何があった……?」
シェル・ストームは話す。彼女の言語で、彼女に理解できただけの情報を。
「……何者が襲ってきた? とても怖くて、恐ろしい奴ら……? 中にいた子たちを狙っていて……君では守りきれないから、産卵管を使って遠くに飛ばして、逃がした……?」
だが、その情報を聞いて、孤高の願もさらに混乱したのは言うまでもない。彼は目を白黒させ、頭を抱えた。
「あの子ら……ただの迷子じゃ、なかったのか? 何かに、追われてた……?」
孤高の願は、戸惑う銀髭団を背に、思う。
次に向かうのは、スノーフェアリーの里だ。全くわけが分からないが……彼女の事を、他の妖精たちに伝えなくては。
●
睡蓮の花の上でようやく一息つきながら、ポップルは思う。この旅の、厄介な所を今一度思い知らされた。
もしかするとこの旅、頼れるいい大人ほど、頼れない。
自然文明の土地においていい大人と言うのは、光文明に対する信心の厚い人々の事だ。光文明の味方だ。光でありながら光に追われるクルトを庇う旅は……この自然文明の土地では思った以上に、大変なものになるかもしれない。
これからどうしよう……彼女がそう思い始めている中、クルトが「ねェ」と言った。
「なーに?」
「このお花の茎、切ったらお舟にならないかナ?」
え? と返したポップルに、クルトは説明する。
「うん、あのね、ボク川って初めてなノ。せっかくだから、お花のお舟で川下りとか、してみたいナっテ……」
……先ほどまで命を狙われていた相手の言う言葉だろうか、これが。
けれど、その時のポップルはむしろ、そののんきさに救われる気がした。
そうだ。何がどうあれ、これは冒険だ。自分の夢。
何がどうなっているかは知らないけれど、自分はクルトの無実を信じている。だったら、ガーディアンにビクビク怯えて隠れるだけなんて、なんだか癪だ。
クルトと一緒に思いっきり冒険を満喫して、その上で逃げ延びてやる。そんな思いが湧いてきた。花の舟で川下り。良い響きだ。「春風妖精」の自分にぴったりだ。
「いいね! 夜が明けたら早速やろう!」
「じゃ、今はお休みだネ!」
危険はいっぱいの冒険だけれど、それでも……絶望だけはしない。そんな自信が湧いてきた。
もう休もう、と言う彼女の意思をくみ取ったように、巨大な睡蓮も彼女とクルトを包み込むように、つぼみになっていった。
……そんな彼らの一部始終を、川底から捉えたものがあった。真っ暗な視界もそれには関係ない。それの視たものは水中都市に転送され、データ化される。水中都市の民にとっては、単純な明度の調節など手間にもなりはしないのだから。
サイバー・ウイルスの一種《スティンガー・ボール》。彼らはいうなれば、サイバーロードの目。水文明が情報収集のため、世界中のあらゆる水場に送り込む小さなスパイたちだ。水中には一億の目が用意されている、とまことしやかに語られているのは、この事なのである。