……自然文明、北方部。
緑の森が、白くなりつつある。いよいよだ。シェル・ストームは少し前に、これ以上は寒すぎて進ませられないと判断し、若干離れた場所に待たせてある。孤高の願は、少しずつ雪と氷に包まれていく森の中を、ひたひたと歩いていた。プリーチ・トマトはマントにくるまりながら、ぶるぶる震えている。
「お師さん……寒い……トマトシャーベットになる……」
「我慢しな、プリーチ」
なんだか、前に来た時よりも寒くなっているようだ。雪の妖精の里とは言えど、普段は陽気に歌を歌い、祈りをささげて踊る音が聞こえるものだ。だが、行けども行けども、そんな音は聞こえない。
前に自分が来た時より、妖精の里はずっと陰気になってしまったようだった。……その理由も、おおよそわかる。
それでも、彼女たちは自分からの連絡に目は通してくれていたようだった。ほどなくして見えてきた広場に、背の高い女性スノーフェアリーが待っていた。
「ようこそおいでくださった、孤高の願殿。お久方ぶりであるの」
「うむ……お出迎えを、感謝します」
孤高の願は、村長のカチュアと……彼女が連れているスノーフェアリーの顔色がやはり、数年前に来た時よりもずっと悪いのを見届けた。
「手紙でお伝え頂いた件じゃが、端的に申しましょうぞ。我々も、全面戦争に協力することに異存はない。その時がくれば、協力させて頂きましょう」
「お話が早くて助かります、幻想妖精どの」
とはいえ、彼女やフェアリーたちの態度はどこかよそよそしかった。部外者に深く立ち入られたくない、取り込み中だというような雰囲気。すぐに終わった本題も、それを現しているようにすら見えてくる。
「……ところで、一つ伺っても?」
一応、念のため確認してみよう。
「皆様、どうも落ち込んでいられるご様子ですが……何か、ございましたか?」
「……!」カチュアがピクリと反応する。だが、それ以上に彼女の後ろに控えていた黒髪の少女……コートニーが震えだした。
「か……関係ないです! 余計なお世話です!」
「これ、コートニー!」カチュアが制す。
「孤高の願殿は良きお方じゃ、悪気があったわけでは……」
「僕の友だちがいなくなったんですぅ!!」
カチュアとコートニーの言い争いになりそうなところを……少年スノーフェアリーの泣きそうな声が遮った。ポレゴンだ。
「僕の友だちが! 急に消えちゃったんです! 随分前……夜が明けたら友だちの家がひどいことになってて! 友だちがいなくて! 皆、それを探してるんですぅっ! でもっ……でも、まだ、見つからなくて……」
「ポレゴン!」コートニーが急いで制する。
「きっとダークロードにさらわれちゃったんです! ダークロードのお嫁さんになっちゃったんだぁ! うわーん!」
「ポレゴン、おちつくべ!」大人の男性スノーフェアリー……《滑降妖精ガラボン》が慌てて泣き出す彼を慰めた。
「ポレゴン、よその人にぺらぺら話しちゃだめじゃない!」コートニーも焦ったように言葉をかぶせる。
「だって、だってぇ……」
「ポップルはそんなことにならないわよ! 馬鹿ぁ! わーん!」
コートニーまで泣き出したのを見て、孤高の願は我ながらしまった、やらかした、と思った。素直にスノーフェアリーの迷子を見つけたと、こちらから切り出せばよかったものを……随分大切にされていたのだな、とは思うがそれどころではない。孤高の願もおろおろしている所を、一人の、落ち着いた声が制した。
「いーんじゃないの、別に。この人頼れそうだし、何かあったら教えてくれるかもじゃん」
スノーフェアリーの中でもことさら白く透き通った肌を持つ、銀髪の少女……チャミリアが言った台詞だった。
何ともドライな一言……だからこそ、それはその場によく響いた。
「それに、そんな泣いて心配することないでしょ。あの子結構図太いところあったし、案外大丈夫だと思うわ」
「チャミリア、冷たいわ、あなたって!」
「あなたと違って『春』の魔力は全然ないもーん」
コートニーの抗議に、悠々返すチャミリア。……彼女の言葉は、確かにきつい。だが、きつかろうともその冷静さが、少なくともその場のパニック状態を治めているのを、孤高の願は見て取った。
無関心でドライを装ってはいるが……彼女なりに、消えたポップルだけでなくそれを受けて不安になる皆の事も心配しているのだろうか。
「あの……そのことについてなんだが、消えた子の名前はポップル、でいいんだね?」
とりあえず、自分も早く彼女の事を話してやらねば。
「そーですけど」
「実は……おれがここに来た理由は、その子絡みで伝えたいことがあって来たんだ」
その言葉に、スノーフェアリー達は一瞬、固まる。その隙に、孤高の願は早口でまくし立てた。
「良い話と悪い話がある。パニックになるといけないから両方、一気に話させてもらうよ。まず、良い話だが、おれは彼女と……ポップルと名乗るスノーフェアリーの少女と出会った。彼女は全然元気で、無事だった。悪い話だが、彼女はもうおれと別れて、今どこにいるかはわからない。けど少なくとも、闇にさらわれておれと別れたわけじゃない事だけは確かだ」
そう一気に話して、一息後……スノーフェアリー達は、一気にざわめく。
「ほ、ほんとですか……」ポレゴンが声をわなわな震わせた。
「ポップル、元気だったんですね!」
「ああ。少なくともおれが会ってた限りではな」
「闇文明に連れてかれたわけじゃなかったんだ……」彼は顔をほころばせた。「よかったぁ……本当によかった……」
「元気……ポップルが……」コートニーもその言葉を噛みしめるようにしていた。
「! で、でも……それじゃ、なんであなたと別れてしまったんですか?」
「彼女は、何かに追われていたみたいだ。……正体は、おれもまだ分からない。……彼女は何か、大変なことに巻き込まれているらしい」
「そんな……」コートニーは震える。
「安心してくれと言うのも、無理な話だろうが……おれはまだ、フィオナの森中を旅する。知り合った縁だ。彼女に関する情報も探すつもりだ。だから少なくとも……おれの事は味方だと認識してくれ」
安堵と不安がごちゃまぜになったまま震えるコートニーの肩を、優しく抱き寄せる手。カチュアのものだった。
「コートニーよ。少なくとも、ポップルは元気にしておった……何よりな事じゃ」
「そ、そうですね……」
「辛いのなら、戻っても構わん」
その言葉にコートニーはコクリとうなずく。彼女はガラボンに連れて行かれて、家に戻っていった。
「ごめんなさいね。あの子、消えた子のお姉ちゃんなの」チャミリアが言う。
「ポップルがいなくなってから、ずーっと不安でご飯も喉を通らなくって……見てらんないわ」
「そうだったのか……悪いことをしちまったな」
「いいえ、何を謝ることが」カチュアは言った。
「あの子が消えたと思うておった所、そのようなことを聞かせて頂いただけでも、ありがたいというもの」
「もう一つ、肝心なことを」孤高の願は言い足す。「彼女は一人じゃない。光文明の『クルト』という……おそらくライトブリンガーの方と一緒だった」
「クルト……光文明?」と、カチュア。孤高の願は、彼女とクルトに聞いた一連の事を話す。
「まだうまく話がつながる気はしませぬが……」カチュアは怪訝な顔をしつつもそれでもとりあえず、全部の情報を飲み込んだようだった。
「それでも、ポップルに関する情報を頂け、ありがたい限り。孤高の願殿、感謝いたしますぞ」
「いや……むしろ、何のお役にも立てては……」
それでも、フェアリーの里に立ち込めていた暗い空気が、少し和らいだようにも思える。ベテランの魔術師である孤高の願は、こう言う気の動きにもことさらに敏感なのだ。
「孤高の願殿……もう一つの本題の事じゃが」カチュアは口を開く。
「あなたはこの後も、自然の種族たちに協力を要請するおつもりかの」
「ああ、そのつもりで」
「それにあたり我らスノーフェアリーから、それに適役のものを一人、派遣せねばと言う運びと相成りましたのじゃ。我々共のフィオナの森へと……秩序への忠誠心を示すため」
カチュアの言葉に、孤高の願は目を見張る。
「いや、それは確かに、おれ達としては願ってもいない事ですが……」
ただ、それはこんなデリケートな時に、もう一人里を出るスノーフェアリーがいると言うことで。そのフェアリーにとっては、至極恐怖ではないのか。そう言おうとした孤高の願を前に、先ほどのチャミリアがにやにや笑っていた。
「だからね、おじさまには感謝してるわ」彼女はぴょこんと前に来て話し出す。
「お、おじさま……?」
「あたしは別に里から出てもいいっていうのに、また妖精が消えたからやめとけって、いろいろうるさいんだもの……でも、おじさまのおかげで、ポップルは少なくとも『言い伝え通り』になったわけじゃないってわかったもんね」
「き、君が?」
「そっ、魅了妖精チャミリアよ。よろしくね、おじさま」
「まあ……お聞きになった通りじゃ」カチュアは言う。
「そのチャミリアは妖精の里の中でも、有数の魅了の魔術の使い手。他種族との友好を築くには、よう役立つことでありましょう。孤高の願殿、あなたと一緒ならば安心できる。今一度、この者預けさせては頂けぬか」
●
「おじさまー。まだ着かないの?」
「もう少しだよ」
「あーもう、憧れの里の外。わくわくしちゃう! それにコロニー・ビートルで旅とか素敵!」
結局、連れて旅することになったチャミリアは先ほどから終始、はしゃぎっぱなしだ。
「ねえ、君、お野菜は好き?」
「だあい好き。あたしの綺麗なお肌を保つには欠かせないもん」
「そっか! じゃあボクも君の事好き!」
……まあ、プリーチ・トマトと仲良くしてくれているようで、何よりだ。
「君、結構気楽だねぇ……」
「気楽じゃなんか悪い?」
「いや……君の仲間たちがああだったのに、と思って……」
「あたし、ポップルの事はそこまで心配してないのよ」チャミリアはしれっと言って見せた。
「あたし、あの子の考えてることは正しいって思ってたもん。里の外に出ちゃいけないなんて、そんな一生ばからしいわ。それにポップルは何かたくましいとこあったからね、案外どこ行ってもうまいことやるだろうって思ってるの」
「はぁ……」
「事実、おじさまと会ったポップルは元気そうだったわけでしょ?」
思いやりがないわけではないのだろうが、何ともあっさりしているというか……掴みどころのない少女だ、と孤高の願はひしひし感じた。
「まあね……確かに。とても素直で明るくて、いい子だったよ」
「でしょ? みんな心配しすぎなのよね」
チャミリアは壁に張り付いている芋虫たちにちょっかいを出そうと試みているが、何の反応もない。
「そいつらは、本当に同族の雌以外に反応する需要器官がないから、無駄だよ」孤高の願は言った。「魔力も含めてね」
「ちぇ、つまんなーい」彼女は壁にもたれかかって休む。もうすでに勝手知ったる様子だ。
「……お嬢さん」
「チャミリアでいいわよ。何?」
「里での君たちの話を聞いていて、思ったことを一つ伺いたいのだが……」
と、彼が言いかけた所で、シェル・ストームが大きく揺れ、止まる。
「目的地!?」チャミリアは興奮気味に言った。
「あ、ああ……」
「早く出よ、おじさま、話の続きは後でね! 大丈夫、覚えとくから!」
そう言って彼女は、とっととシェル・ストームの巣の外に出ていってしまった。孤高の願は早くも、ため息を一つ。
とりたてて悪い子ではないのだが……良くも悪くも賑やかな旅路になりそうだ。
さて、外に出ると、そこには巨大なカマキリの群れ。その背中の翅には、赤いまだらがある。
《ブラッドウイング・マンティス》の縄張りなのだ。大食いの、完全肉食性のジャイアント・インセクト。森の動物たちや川の魚……ときにはビーストフォークも遠慮なく襲って食べてしまい、その翅には成長するに従って獲物の血が染みついていくと言うわけだ。
彼らは巨大なシェル・ストームを早くに見つけ、ざわざわと向かってきていた。孤高の願には、シェル・ストームの不安げな声が聞こえる。
「おじさま、彼らを味方につけるの?」
「ああ」
「あたしに任せて!」
「わかった。お手並み拝見させてもらうよ」
危険になったら自分がどうにかせねば、とは思いつつ、孤高の願はチャミリアを見送ることにする。巣の出口からひらりと舞い降りつつ浮遊結晶を生み出し、それに乗るチャミリアは、ブラッドウイング・マンティス達の前に出る。
貪欲な彼らは、シェル・ストームよりずっと小さなその獲物も見逃すことはない。むしろ彼らはその翅が物語る通り、赤い血が流れる肉を持つ種族の方がより好きなのだ。
先頭に立っていたリーダーと思しきブラッドウイング・マンティスが、思い切り鎌を振り上げる……その数瞬前、チャミリアも自分の杖を突きつけた。そして、静かに魔力を放出。
「ねえ虫さんたち……。大人しくし・て♪」
ホワン、と桃色のオーラが飛び散ったかと思うと……。
「キュッキュキュゥ~♪」
ブラッドウイング・マンティスのリーダーは即座に大人しく鎌を引っ込めたばかりでなく、彼女に頬ずりするようにじゃれついてきた。
「あはは。もー、虫さんったら、甘えんぼね~!」
チャミリアはその勢いで、浮遊結晶に乗りながらブラッドウイング・マンティスの群れの上を飛び回りつつ、自分の魔力を降り注いで行く。たちまちのうちに獰猛な彼らは……チャミリアにメロメロに寄り添い、食欲なんて忘れ去ってしまったかのように大人しくなった。
「どーお? ざっとこんなもんよ、おじさま?」
「……凄いね。恐れ入った」
孤高の願も、素直に認めざるを得なかった。マイペースな少女だが、スノーフェアリーの長が推薦するその実力は本物と見える。
雪国には人を惑わす妖精がいると言う。その言い伝えにあるとおり、魅了の術もスノーフェアリーの女性の十八番だと、巷では言われている。
透き通る雪のごとく透明で美しい彼女らの美貌は、種族を問わず魅了し恋に惑わす、と言われているのだ。最も多少の尾ひれがある、彼女らはそこまで節操のない種族ではないということは、スノーフェアリーとも交流した自分ならよく分かっているが……やはり、いくばくかは根拠がなければ、尾ひれもつかないもの。
獰猛なジャイアント・インセクトが、すっかり彼女の僕になってしまった。
「じゃ、おじさま、さっそくお願いに入って!」
ブラッドウイング・マンティスたちに囲まれながら、ニコニコとチャミリアは言った。
「ずいぶんやるもんだね」
ブラッドウイング・マンティスたちは、孤高の願が彼女の協力者だと知るや、あっさり彼の申し出をOKしてくれた。たしかに、ジャイアント・インセクトは基本的に獰猛で、話しかけても素直に聞いてくれるとは限らない。彼女の存在は確かに、心強い味方であると孤高の願は感じた。
「ウフフ。ありがとう、おじさま。見直した?」
「ああ、君は力強い同志だよ。チャミリア」笑って孤高の願は返した。
「もっとも、魅了の術ってあんまツブシきかないし、あたし自身はそんなに気に入ってないんだけどねー……結局ああいうのにはよく効いても、精神力の強い奴には効きが悪いしさ。強い人って大体、精神力も強いしさ」
「まあ……それは、ね……しょうがないよ。どんな魔術にも、利点と欠点があるものだ」
「得意にするならあたしも、マナの魔術とかがよかったわ……どうせなら」
「チャミリア。どんな魔術も、どんな能力も、この世のどこかで役に立つために生まれてきたものだ。それこそが自然の秩序。そんなこと、言うことはない」孤高の願は優しく言う。
「事実、君のおかげで我々はずいぶん助かるぞ」
「……」チャミリアは少し黙った後、「うん、ありがとう」と顔をほころばせた。
「ねえ、おじさま、聞きたかったことってなあに?」
「ああ、それだね」
次の目的地に向けてのしのし歩くシェル・ストームの振動を感じながら、孤高の願は言った。
「今までデリケートで聞けなかったんだが……やっぱりあの反応見るからに、君らが里を出なくなった理由……あの噂は、本当なのかい」
「……それかー」
チャミリアは少し考え込んだ。
「それってあれでしょ。昔、春のスノーフェアリーが……ダークロードに見初められてさらわれた、っていう」
うむ、と返す孤高の願。
「本当にあったかなんて……あたしはその場を見たわけじゃないもん。わかんないよ。……でも、少なくとも、あたしは昔から聞かされて育った。きっとおじさまたちが聞かされてるより、もっと詳しく」
……スノーフェアリーの伝承によれば。
昔、とても強く純粋な『春』の力を宿すスノーフェアリーがいた。
彼女が歩けばそれだけで花が一気に芽吹き……百花繚乱の花吹雪になるほど、強い魔力を宿す妖精。美しく、優しく、誰にでも慕われていた。
だが、その美貌に魅了されたのは、自然文明の民だけではなかった。その時すでに地底世界に押し込められていたダークロードの一人が、彼女を見つけた。
そしてある日、急に地底へ通じる穴が開き、春の妖精は瘴気渦巻く地底世界へ引きずり込まれていった……ダークロードが、彼女を自らの妻にするため起こしたことだった。
誰からも慕われ、愛された彼女は、その後二度と地上には帰らなかった。
……以上の事が、チャミリア達が聞かされている話。
改めて詳しく効き、孤高の願は「うーむ」とうなる。
「本当、何がどうだったかなんて実際にはあたしにわかるわけないけどね。よしんば本当にさらわれたとして、どうして相手の思惑まで分かるの? とって捌いて食べられちゃっただけかもわからないし」彼女は頬杖を突きながら話した。
「それにあたしたちは、ポップルの事をそんな昔話だけで心配してたんでもないし。ポレゴンは子供だからあれだけど……あたしやコートニーや、もっと大人にもなれば、そんな昔話抜きにしたって、現実的に春の妖精は貴重だから心ない奴に狙われやすいってことくらいわかってる。それ込みでの心配よ」
確かに、あのポレゴンと言う少年の態度と周囲に微妙な差はなくもなかった。逆に言えば彼は、昔話だけの心配だったのだろう。生きて動いて立派に意思もある相手を売買する、と言う非道は、まだ彼の認識できるところではなかったのだ。
「でもさ……」
「でも?」
「あたしたち、そんな寿命短い種族じゃないもんね。カチュア様に至っては、闇が地底に閉じ込められる前……千年前から既に生きてるのよ。その昔話は……どう考えても、闇が地底に押し込められた後の事だよね」
はっと、孤高の願は彼女の言いたいことに気が付く。雪の精でない自分の背中にも、冷ややかな汗の走りそうな思いだった。
「むかしむかしのお話しなんて無責任になれるほどの昔でもないよ、あたしたちにとっては。きっと……何かそれらしいことがあったんだろうなあとは、あたし、本気で思ってる」
「……話してくれて、ありがとう」
「ん。大丈夫。あたしは別にショックも受けてないし」相変わらず、彼女はあっけらかんとした態度。
「やーでも、どんなイケメンでも闇の男と結婚するなんて、死んだ方がマシよねー……ま、そういうわけだからあたしの事きちんと守ってよね、おじさま」
「勿論だ」彼は即答する。さすがに、即答せざるを得ない。
それが本当にせよどうにせよ……そんな言い伝えをされている種族の少女を預かる責任の重大さを、改めて孤高の願は噛みしめた。
●
……そして、彼らがいる森の奥とは対照的な、海原。
小さな海賊船で、ポップルたちは航海の最中だった。盗賊の盾はこれから海岸線沿いに移動し、アジトに帰るところだったらしい。
盗賊の盾は、ポップルの唐突な申し出を、意外にもすぐ「いいよ」と受けてくれた。
「可愛い弟子が出来ちまったもんだねぇ」と、明るく笑って。
クルトは、甲板の上で日向ぼっこをしながらお昼寝。ポップルは、盗賊の盾の昔話を聞いていた。
「火文明ったら、何度も鉢合わせしたのが『ドラゴ・シーカー』さ。何世代も代々続いてる、由緒正しいドラゴノイドの盗賊旅団でね。何度も何度もお宝の奪い合いになって……奴らの何が怖いって、やっぱりあのワイバーンさね! 空を飛びまわれる機動力は、あたしにはない。知恵の使いどころだったよ。そうさね。たとえば……」
彼女の話は、本当に面白い。何日聞いても、聞き足りない。
本当に世界中を飛び回り、あらゆる種族を相手にしてきたのが、盗賊の盾と言う人物だ。
「……ま! それが最後に会った思い出だ。でも、そんなドラゴ・シーカーも親分がとうとうポックリ逝っちまって、今やさっきの下っ端からの叩き上げ後継ぎすらも従軍しちまって、ほぼ解散状態だとさ。腹立つ野郎どもだったけど、そうなると寂しいもんだ」
パチパチ、と手を叩くポップル。
「ね! 他にはどんなお話がありますか!」
「んー……ありすぎてどうもねぇ……どんなお話を聞きたい?」
こんなやり取りも、もうすでに何度繰り返したか分からないのに、いまだ聞き飽きない。……ポップルは思い切って、とても聞きたかった内容を聞こうと試みた。
「あの! パンドラボックスは本当に怖かったんですか!?」
「あー、パンドラボックスね!」盗賊の盾はうなずく。
「そりゃもう、怖かったよ。ダークロードの連中、自分らの宝を狙う奴らには本当、容赦ないもんね……でも、あたしはターゲットの前に何体か、別のパンドラボックス相手に演習したから、実ぁパンドラボックスでしくじることはなかった」
「ほんとですか!」ポップルは長い前髪に隠れている目を丸くした。
「先生でも、練習が必要なんですか!?」
「モチよ! 知らねえところに行くにあたって、演習は欠かせない。そのパンドラボックス……たしかに恐ろしい奴だったが、あたしにかかっちゃ敵でもなかった。急所を突いて、気絶させてやったよ」
「すごい! すごーい……! お話の中より先生、ずーっと強いですね!」ポップルは手を叩く。
「じゃ、じゃあ、どんなお宝があったんですか!?」
「お宝は……実は、その昔話とおんなじさ」
「え?」
「持って帰れなかったのさ。パンドラボックスより怖い奴に捕まって……あたしの盗賊生活史上、初めてのボロ負けだった」
ふう、とため息をつく盗賊の盾。ポップルは恐る恐る……「パンドラボックスより怖いって……どんな相手だったんですか」と聞いた。
「ダークロードさ」
盗賊の盾は即答。
「正直言うと……あたしの過去の中で、唯一思い出したくもないくらい、そいつは恐ろしかった」
「あっ……えっと……」どもるポップル。
「じゃ、じゃあ、思い出さないでください!」
「……いいのかい?」苦笑いしながら盗賊の盾は言った。
「先生が怖くなるの、あたしも嫌です!」
「そうかい。それは……優しいね。ありがとよ」
ポップルの頭をポンポン撫でる盗賊の盾。聞いてはだめなことを聞いてしまったのかとおろおろしている彼女のために、盗賊の盾は気を取り直せとばかりに言う。
「海賊に転向した後の話でもするかい? 実はこの海、海賊を生業にする種族がいてね。そいつらとはまーあ、よくよく衝突したものでさ……」
「え! そんなの、いるんですか!」
たちまち、元通り明るくなるポップル。フフ、と笑い、盗賊の盾は続ける。
「勿論さ。『マーフォーク』って種族なんだけどね。こいつらはこの前あったリキッド・ピープル達とは、ちっと違った奴らで……」
事実、思い出したくもない。ポップルの気遣いが、ありがたかった。
唯一無二の宝がある、と噂されていた「凶星王」の館。パンドラボックスの中にあった、とある「宝物」。それに手を伸ばした自分に、がしりとかけられた大きな手。
『父上の宝に、何をする』
降ってきた、重々しい言葉。その重々しさとは裏腹に……瘴気に満ちた闇文明の中で似つかわしくないほどふわりと香った、覚えのある芳香。フィオナの森で、良く嗅ぐ香り。
そこにいたのは……不思議な体の、若いダークロード。
彼から受けた致命傷がもとで、元のようには体が動かなくなり、盗賊を廃業した。
余りにも恐ろしく、冷たかった彼を思い出すと……今でも身がすくむ。長い盗賊人生で、あそこまでの思いをさせられた相手は一人しかいない。
だが、一度見たら、その姿は忘れられなかった。闇文明のダークロードなのに……その姿は、その魔力は、どこか……。
……今でも、盗賊の盾は人知れず身がすくむ。フィオナの森に咲き誇る、薔薇の香りを嗅ぐたびに。