――『先生、そう言えば……虹の橋を渡ったことはありますか?』
『へ? 虹の橋?』
盗賊の盾にそう素っ頓狂な声で返された。たしか火文明に渡る途中の船の中でのことだっただろうか。
『はい。スノーフェアリーの里にいたおじさんが、そんなお話をしてくれたんです。もし本物があったら、あたしも渡ってみたいんです……!』
ポコペンがしてくれた色々な昔話の中に、そんな話があった。
親を亡くした可愛そうなビーストフォークの女の子が、虹の橋を渡って神様の国に行って、幸せになるお話し。
うーん、と盗賊の盾は顎に手を当てて考えていた。
『あたしも見たことはないね……でも探してもみたいもんだ。そりゃあ、きれいだろうねえ……!』
『ですよね!』
『あるとしたらどこだろうね……神様の国ってこたぁ、光文明か、あるいは「仙界」か……』
ポップルは盗賊の盾と出会って以来、自分が夢見た数々も本当は世界に存在しているんじゃないか、と強く思い始めるようになった。あの憧れの冒険家が、実際にこうして目の前にいるのだから。
そして盗賊の盾は、彼女のそんな思いの一切を否定することはなかった。彼女がそう聞くと仮に自分が知らなかろうが、あるとすればどこだろう、と真剣に考えてくれた。
世界のあらゆる所を巡っているはずなのに。いや、逆だ。巡っているからこそ、彼女は真剣に考えてくれたのだ。この世界が本当に広く奇天烈で、どこに何があるか分かったものではないと、骨身に沁みて知っていたから。
●
ぱちりと、目が覚めた。
『……して、採取されたマナはエネルギー省で一括管理され、エレクトロニクス化されたのち海底各都市に送られます。このシステムが完成したのは……』
やだ、とポップルは少し恥ずかしく思う。映像を見たまま、疲れて眠ってしまっていたのだ。
ポップルは引き続き、水文明の首都アカシック3にあるアクアンの会社、ブルーグレー商会のオフィスに留まっていた。……外に出歩かれると困るから当分ここにいてくれ、とのこと。
結局理由はろくに聞かされなかったが、その際、せっかく水文明に来たのだから水文明を見て回りたい、と言う彼女がしつこく言うのに対して持って来て貰ったのがこれだ。聞けば本来は製造されたばかりのリキッド・ピープルの教育に使う、社会科の初等教材、とやららしい。
小さなチップを端末に入れると、たちまちのうちに画面に映像が灯り、音声が流れる。初めのうちはまず、その事実に驚いた。自然文明には当然ながら、こんなものはない。ポップルは映像と言う概念自体を知らなかった。まるでディメンジョン・ゲートのような高位の空間操作術が行われ、別の場所の景色を見ているのかと思ったが、それよりももっとずっと簡単な存在らしいと聞いて、なおのこと驚いた。サイバーロードは世界を切り取って、保管しておくことができるのか、と感動すら覚えた。……意外だったのが、旅を始めて以来ずっと見るものに一緒に驚いてきたクルトが、これに関しては全く驚かなかったどころか、驚くポップルに驚いたことだ。光文明でも、このような技術は全く当たり前のものであるらしい。
それはさておき、軽く勝手を覚えてみるとこれが面白くてしょうがなかった。水文明の事がどんどん、映像と記録音声で流れていく。その場にいながら、この広い、広い深海中に広がる文明を旅しているようだ。無論自分の足で歩き回るのとは勝手が違うが、これはこれで面白い。
それで夢中になって見ているうちに、疲れて眠ってしまったというわけだ。
ポップルは一度映像を停止する。盗賊の盾の夢を見ていた。そうだ、虹の橋のことを聞いていたんだっけ。
虹の橋。スノーフェアリーの里ではそもそも雨は降らず、雪しか存在しなかったため、虹と言う概念自体が全くお話しの中で聞くものでしかなかった。
旅に出て、初めて大雨というものに出会って、ずぶ濡れになりながらクルトと必死で雨宿りの場所を探して……大変ではあったけれど、その後雨が上がった時に生まれてはじめて見た本物の虹に、どれだけ感動したことだろう。
急いで渡ろうとして結晶に乗って飛んで行ったけれど、なかなか追いつけなくて、やがて消えてなくなってしまった。
「(虹の橋……)」
ポップルにとっては、夢物語の象徴の一つでもあったそれ。しかし、彼女は立ち上がり、今一度窓から下を見つめる。
そこにあるのは、何層にも連なる水文明のハイウェイ。けれどクールな人工光に輝くそれは、ポップルの目には虹の橋のようにも映った。
水文明の民は毎日虹の橋を行き来しているんだ。素敵な国。彼女は心の底から、そう思う。
……しばらくそううっとりしながら水文明の光景を眺めていると、ふと、彼女は違和感に気がつく。
「あれ、神様、どこ?」
自分の膝の上にいたはずなのに、勝手にどこかに行ってしまったらしい。困った。あのフェアリー・キャンドルという彼女からは、なるべく無断で部屋の外に出ないでほしい、と言われているのだが。
でも、クルトが出てしまったんだから、しょうがないだろう。ええと……この扉は確か、引くのでも押すのでもなく、隣の突起を押すと開くのだった。
扉を出れば、広くて長い廊下には誰もいない。早くクルトを見つけて、部屋に戻らないと悪い。急ぎ足で歩いたその時。
「ワーーーン!!」
クルトの泣き声が聞こえてきた。
「神様!?」ポップルが慌てて走ると、クルトが急いで這いずりながらやってきた。
「エーーーン!! ポップルちゃーーン!!」
水の中なのでいまいち分からないが、たぶん泣いている……と思われる。ポップルは慌ててクルトを抱き上げる。そして後ろから……アクアンと同じような、ゲル状の幼児の姿をした種族。彼もサイバーロードだろう。顔の横に、二対の突起が付いている。
フン、と彼はクルトを嘲るように笑った。
「サイバーロードに腕力で負けるなんて、どうかしてる弱さだな」
「あ……あなた、誰ですか!」ポップルは語気を荒げる。
「神様!? 何があったの?」
「散歩してたら、蹴っ飛ばされタァー!!」
ポップルに必死で縋ってくる彼は本気で怖がっているようで、彼女もさすがにむっとした。
「何なんですか! 謝ってください!」
「お前は……自然文明のスノーフェアリーかな? ライトブリンガーのお付きにしては、お粗末だね」
全く悪びれた様子のない彼は、そのまま歩いて行こうとする。ポップルはさらに、抗議しようとした。だが、それより一秒早く……さらに、別の声が響いた。
「おや、《ソピアン》。いけないよ。レディーに対するマナーがなっていないね」
そして次の瞬間、彼はがしり、と大きな手のようなものに掴まれていた。
見てみれば、頭から巨大な一対の手のような触手を生やしたサイバーロードが、そこにいた。
「ね……姉さん……」
「ごめんね、ボクから謝らせてもらおう、お嬢さん、予言者様」
その少女型のサイバーロードは、ニコニコと愛想よく、ソピアンとやらを吊し上げたまま頭を下げてくる。
「弟は弱い者いじめが好きな奴でね……姉のボクも手を焼かされているのさ。本当に怖い思いをさせてしまった。許してくれるかい? 予言者様」
その穏やかな態度に、クルトも「う、ウン……」と、少し落ち着いた模様。
「それはよかった……ソピアン、あまりお姉ちゃんを困らせないでね。強さと戦いにこだわる火文明では、強い戦士ほど、弱い者いじめはしないそうだよ」
そう言えば、そんな話をゲットもしてたっけ。少し置いてけぼりな状況の中、ポップルはとりあえず、そんな事を思い出した。だがソピアンとやらは憮然として言い返す。
「けれど姉さん、リヴァイアサンほど小魚を蹂躙する生き物はいないんじゃないの?」
「おやおや。それは、リヴァイアサンほど強くなった奴にだけ、言う権利のある台詞じゃないのかい?」
軽く笑い飛ばされてソピアンが黙ったのを見届けて、ポップルも「あ、あの……」と口を開く。
「あなたは……?」
「ああ……挨拶が遅れたね。ボクは《シュトラ》。このソピアンと一緒に、細胞学の研究をしている科学者さ」
「初めまして、シュトラさん。あたし、春風妖精ポップルって言います。こちらは、予言者クルトさんです」
「春風妖精……ふむ、やっぱり、スノーフェアリーだね。そう言う二つ名をつける種族と言えば……」彼女は頭の触手とは別の、おそらくは本来の腕を口に当てて考え込む。
「アクアンの商売相手にも見えないが……お客かい?」
「あっ、はい! アクアンさんには危ないところを助けてもらったんです。で、ここに居ていいって……」
「助けて……あいつが?」
くす、と彼女は笑い、「そっか」と、少しにやける。
「水文明は楽しい? 慣れない所で暇だろう、よかったら、ボクが友だちになろうか?」
「本当ですか!?」ポップルの方も、その申し出に笑顔になる。「嬉しい! ありがとうございます!」
彼女も、クルトの事を助けてくれたし、たぶん親切な人なんだろう。サイバーロードはずる賢くて悪い奴ら、なんて言われていたけど、アクアンもシュトラも、親切だ。……彼女は、心の底からそう思った。
「……何か、少し、騒がしくありませんか?」
「さあ……? ま、関係ないでしょ? 別に」
オフィスの社長室で、アクアンはある客人と話し合っていた。
その不透明な姿は明らかに水文明のものではない。サイバーロードは愚かリキッド・ピープルよりも少し大柄なその体と、それを覆う黒い鎧……それはダークロードのものだ。
「君、来ていいの? 火と同盟を結んで、火の奴らが今日あたりぞろぞろ到着するんじゃなかったっけ? 仮にもお偉いの息子さんなのにさ」
「それも、君には関係のないことです」
「にひひ……そうだね、ごめんね。お互い様だねえ」
アクアンは端末を操作して、データを展開する。
「とりあえず、大本命たる光と自然も正式に手を組んだって旨のほか、今売れそうなものと言えば、こんなところかなあ……自然文明に関しては君らの手の及んでないところの地勢データと、種族のデータ。諜報部の長官が親切な奴でさあ、安く譲ってもらったから、ここら辺はま、融通しておくよ? ボクと君の仲だし。光文明のものは、主にボクが調べたものだから割高になるけどね? あとは……」
ペラペラとアクアンは、話を進める。彼が水文明に来るのは、とどのつまり闇文明のためアクアンから物や情報を買うためだ。だからこうやって、自分も遠慮なく仕事熱心な商人でいてやる。
けれどやはり、アクアンはさらに知っている。彼は、闇文明が苦手なのだ。ダークロードのくせに。そして、水を気に入っている。その理由まで、黒い鎧を素通しで覗くように、アクアンには分かる。
「……何か、言いたげですね」
「いーや。ボクは別に何も」
「君を見ていると、本当に不気味ですよ。サイバーロードが魔術の素養もない種族だなんて、信じられないくらいで」
「同じようなものだよ、魔術も、予言も、知性も。全部最終的には0と1で体系化することが可能である……と、まあ、エンペラーの受け売りなんだけど、にひひ」
「……やっぱり、何か思っているのではないですか」
「ボクは金にならない余計なことはしないんだよ。わかってるでしょ」
少し、彼が間を置いた。
「お小遣いをあげます。私が思っていることを当てて御覧なさい」
「え、ほんと?」
そう聞いてアクアンも目の色が変わった。
「ほんとです。そこまで言われれば、気になりますね」
「じゃあ、さっそく……ま、どうせ、ぞろぞろ火の連中が来るってのが嫌だったから、わざわざここに来たんでしょ? 君、水文明の事を気に入ってるもんね。……ここには、地上がない。けれど地上に焦がれて作られた、ヴァーチャルの地上なら、いくらでもあるもの」
ピクリ、と仮面の下の表情が動くことまで、読み取れるようだ。あながち、間違っていないのかもしれない。知性も予言も形こそ違えど、最終的に体系化できる世の事象には違いない、と言うエンペラーの主張は。
「君は地上に憧れてる。でも、地上を知るのが怖いんだよね。君はそう言うやつだもん。……だから、水文明で地上に浸るのが好きなんだ。ここで見る物は全部偽物とわかっているから。ずっと憧れていることができる。裏切られないで済む。……火の連中は君の持つ地上への幻想を、壊してしまうかもしれないものね。だって、本物の地上の民なわけだから」
「……ふう、金のためなら本当に遠慮がない」
「別にそんな心配しなくてもいいと思うよ、にひひ。火は火さ。君らの所に伝わってる通りの火そのものだよ。野蛮で戦闘好きで、すっごいバカで、そのくせ……どこか侮れないヤツらさ。それに……遠慮がないなんて言うけどさ」
アクアンは小さく、手を差し出しながら言う。
「結局、ボクにこう言って欲しいんでしょ?」
「その通りですよ」
彼はすっと手をかざす。ダークロードの魔力のわずかな奔流が感じられる。
「君のそう言う所を見るたび、死んでも君などとは友達になりたくない、と確信できますから」
「お互い様だよね、にひひ。ボクもね、君みたいな歪み切ってるやつとは絶対友達になれないし」
そして手のひらに残されたそれを大事に抱えあげて、アクアンは笑う。
「だから好きだよ。友達なんていらないもん。金より優先しなきゃ怒られる関係なんて、ないに越したことはないさ」
その言葉には何も言わず……扉を開けて、彼は出ていく。が、一瞬……ピタリ、と何かを感じ取ったように動きが止まった。
「どうしたの?」
「……誰か、ここにいますか。他に……」
「……さあ?」
アクアンのその言葉に彼は深く首を突っ込むこともなく、一人また去っていく。もう会話はいい、と言わんばかりに。
似ているね。
アクアンは心から、そう思う。
珍しく、彼は自分が気が合うと思える存在だ。
お互いに友人になどなれないと信じているからこそ……気兼ねなく付き合える。
彼が自分と付き合うのも、結局は彼が水文明を愛するのと一緒だ。愛などないと、分かっているから。……偽物であると分かりきったものに、浸っていたいのだ。そうすればずっと、本物に憧れていられる。
……別に、それでどうだろうが、知った事じゃない。自分は損しない。損のない物なら、大概好きだ。
手のひらに握らされたのは、闇文明で産出される希少な宝石。そして、それを包み込む……花。闇文明には似つかわしくない、「花」と言う存在。
地上の植物データにおける、ナンバーNT-452が付けるもの。
地上の俗称では、「薔薇」と呼ばれている。
「アクアン?」
……もう一人、客が来た。
「シュトラか。今日は……金借りにだっけ?」
「そうだよ。コーライルが側近になってからさ、研究費を余計に騙し取れもできなくなって、もう最悪。ウォルタはチョロかったんだけどね……」
「ボクは別にいいよ、利子つきで返してくれさえすれば」
「ふふ、いつもありがとう」
シュトラは面白そうに笑う。
彼女も、エンペラーほどじゃないが油断の置けない頭の切れ方をしている、とアクアンは感じている。何しろ……取り組んでいるプロジェクトが、成功すれば水文明の遺伝子技術を根本から改革する規模の物。彼女はそのチーフだ。
「そうだ……アクアン。あの、春の妖精は何者だい?」
「え、キミ、会ったの?」
ふふ、と挑発気味に笑うシュトラ。……そういえば休憩時間中だったか、フェアリー・キャンドル。彼女は彼女で、なにを勝手に出歩いているんだか。
「まあ……大体、目星はつくけど。いけないんじゃないか? もっときちんと保管しておいた方が」
「売り物じゃないって言ったら、驚く?」
その言葉に、少しだけ開くシュトラの赤い目。案の定、驚いたようだ。……そりゃ、そうだろう。
「顧客側だって言ったら」
「……まあ、キミはお客は選ばない、可能性はゼロじゃないだろうね」
ピッピッと端末を操作しながら、シュトラの世間話を聞く。
「まあ……それならそれでいいのさ。ちょっとボクも、自然文明の魔術には興味がある。彼女とボクがこれから接触しても、いいよね」
「いくらで?」
「……あのね……彼女の相手するってのは本来、キミとキャンドルの仕事だろ。それを肩代わりしてやろうってんじゃないか」
「仕事って程じゃないよ」
「すべからく為すべき仕事だよ、レディーの相手っていうものは」
ふふふ、揶揄うように笑うシュトラ。
「金ばかりの仕事中毒に、レディーのエスコートは無理だろうけどね」
「知ってるでしょ。ボクは金にならないことはだいたい苦手なの」
口座に金を振り込み、契約書を作り……シュトラに、それに捺印させる。
「別に、ボクの損にならなきゃ好きにしなよ。確かに手間が省ける」
「そう言ってくれてうれしいよ」と、再度シュトラは笑った。
●
「まー、えっと……何か、すごいことがあったけどさ」
所変わって、闇文明。ボーグはほかの火文明のリーダー達より一足先に、死皇帝アザガーストに対面していた。
「ま、うちのユリアも超全力でやりかえしちゃったしさ……。これでトントンというか、水に流そ? 僕は別にそんなに怒ってないし。まあ……あんまりにこの世の終わりに鳴り響きそうな音過ぎて、ちょっと本気でブラックモナーク様がご復活なされたのかと思って、ぬか喜びしてガッカリしちゃったところはあるけど」
「(そこまでひでえのか、あいつの音痴は……)」
「あの子無事? 生きてる? ……ユリア、手加減って言葉を知らないから、ごめんねえ。死んでもまだ多分間に合うだろうから、生き帰らせようか? ちょっと種族は変わると思うけど……」
「いや……うちんとこの医者が回収して……生きているのが不思議なくらいらしいがとりあえず生きていると……」
「よかったー。生きるに越したことはないよね。うん、じゃ、これで痛み分けってことで! もう仲間同士なんだからさ、サクッと過ぎたことにしよ、ね!」
何しろやった事がやった事なのでボーグは頭が上がらないのだが……それを差し置いても、死皇帝アザガースト、激しく面妖な存在だった。
見上げるほどの巨大なオブジェクト。自分達とは全く異質な生き物であるかのようだ。……そもそも、生き物であるかすら怪しい。なるほど、こんな姿なら、宴席なんて立ちようがないだろう。
「僕の姿がそんなにおかしい?」
「……ま、火文明にゃあいねえタイプの見た目だからな……」
「あっはっは。素直だねー。なんというかさ、人型の器じゃ支えきれないレベルになっちゃったんだよね、魔力が。で、こんな感じになったの」
軽く世間話のように流してくる。自分達にもいないタイプだが……ハウクスやグレゴリアの様なダークロードの風格とも、何かと違う。だが……だからこそ、底知れない恐ろしさを感じる。
「もう詳しいことは明日以降持ち越しにしよう? 僕らの事情とか種族もよく知ってほしいけど、なんかもう今日は無理でしょ。えーっと君たち……紅戦線だっけ?」
「ああ」
「紅戦線なら、グレゴリアの館で預かることになってるから。道分からなかったら適当な奴に聞いてよ……適当な奴が生き残ってればの話だけど」
グレゴリア。
ボーグははっと思い当たる。あの、金の腕輪のダークロードか。
闇に来てから初めて出会ったダークロードである彼女とは。小さい偶然だが……縁と言うものがあるものだ。
「ずらずら~門番のお手伝い終わりずら! 邪妃様~! 《屑男》戻りましたずら~!」
そして、魔霊宮にあるグレゴリアの館。一人の緑色のヘドリアンが戻ってきた。
実は彼、先ほど火文明一同を迎えた門番だ。だがあの門番はあくまで手伝い。前の門番が荒くれの魑魅魍魎達に食べられてしまったので、臨時で入っていたのだ。本職は、このグレゴリアの館の下男であった。
「む……屑男か」
グレゴリアは既に、屋敷に帰って来ていた。彼女の側にはゴーストが一人と、リビング・デッドが一人。
ゴーストの名前は《呪いの影シャドウ・ムーン》、グレゴリアに忠実に仕える執事である。
リビング・デッドは《闇をあばく者スケルトン・シーフ》。彼も、屑男同様下男をしている。
「邪妃様! 今日お客様が来るずら! もう来たかずら!? 楽しみずら!」
「多分、お前が一番最初に会っていると思うぞ、屑男」
冷ややかにシャドウ・ムーンが言った。
「屑男よ……あまり客人の前には、率先して姿を見せるでないぞ……」
「えー!? どうしてずら!?」
「お客人は闇以外から来られたのだ、そなたを見て良い気持ちにはならぬかも知れぬであろう。何しろ……」
グレゴリアはじいっと屑男を見る。ヘドロの種族、という一言で事足りるヘドリアンの中でも、ことさらに腐ったゴミ溜めが魂を宿したような彼を見つめて。
「そなたは臭いし汚い。……この闇の基準ですらな……」
「臭い? 汚い?」
屑男は緑色のヘドロの中にぽつりと開いた……目のようなくぼみを瞬かせて、そして次の瞬間心底嬉しそうに照れて言った。
「邪妃様、そんな褒めてもゴミしか出ないずら」
「褒めておらん」
冷静に、しかしあまり元気なく答えるグレゴリア。
「屑男……邪妃様は今、少々ご体調がすぐれんのだ、下らん事で時間を取らせるな」
「えーそうだったんずら? すみませんずら!」
「さっさとスケルトン・シーフと一緒に《グレゴリア・ワーム》の餌やりにでも行って来い!」
「は、はーいずら!」
「ピギギィ!」
シャドウ・ムーンにそうどやされ、あわてて消えていく屑男とスケルトン・シーフ。……ちなみにグレゴリア・ワームとは読んで字のごとく、グレゴリアが飼っているパラサイトワームの事だ。名をば《暴食虫グレゴリア・ワーム》と言う。
それはさておき、グレゴリアを庇いながらシャドウ・ムーンは言った。
「大丈夫ですか、邪妃様」
「心配はいらん。済まぬな、シャドウ・ムーン」
その時。
……不意に、がたん、と何かが揺れる。
グレゴリアの片腕に嵌っている腕輪。そして……「闇文明全体が」、同時に一瞬揺れた。
「……やれやれ」彼女はその気配を感じ取り、嘆息した。
「客人の来る前にまた、沈めねばおらんのがいるか」
「邪妃様」
シャドウ・ムーンは心配そうに言う。「致し方あるまい」と返し、ふうと息を吐きながら客人がこれから来るというのに「どこか」に向かおうとする彼女の前に……そっと飛び降りた大きな影があった。
それは。
「おや、ザガーン」
「邪妃様。ご無理はなさらず。『奴』は既に我々めが押さえつけました」
「そうか……大層な働きを、大儀であった。他の者共にも労いの言葉を」
「至極の光栄にございます。貴女様にお仕えする、『闇騎士団』副隊長と致しまして」
自分の前に跪く暗黒の騎士ザガーンとそう会話しながら、グレゴリアはそっと虚空に語りかける。その「奴」に言葉をくれるように。
「大人しくせい。ようように、貴様のような奴が闇の役に立つ日が来るのじゃから」
その何者かが「何を求めて」地獄を揺らしたのかを知る声は……上品ながらも、何故か、吐き捨てるような嫌悪感を伴っていた。