Saga of Creatures   作:hinoki08

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ふたつの同盟 8

 

 目の前に広がった光景にポップルは目を疑った。

 花畑だ! 確かに! こんな空気も無い深海に、花畑がある! 

 いや、正確にはその花はポップルの知っているどの花とも違っていた。海の色ほど真っ青な花弁をぱくんと開く不思議な花が所狭しと咲き乱れている。

 下草のようにも咲いていれば、低木のようにも、木に咲く花のようにも、その真っ青な花がさまざまに姿を変えて、彼女たちを歓迎していた。

「こ、この子たち……」

 ポップルは目を疑う。

「なんていう、お花なんですか……?」

 そのキラキラした表情を見て、喜んでくれたことをシュトラは悟ったのだろうか。機嫌よく笑って「名前の通り。マリン・フラワーだよ」と答える。

「ボク達の作りだしたものさ。地上の花の美を、水中でも楽しむためにね」

 マリン・フラワー。それは地上の花を模したサイバー・ウイルス。

 マリン・フラワーガーデンはその研究施設でもあり、それを楽しむための場でもある。

 サイバーロードは効率だけでなく、美や娯楽を嗜む心も持ち合わせる。そう言った彼らの遊び心の生み出した施設だ。ポップルは「すごい……!」と目を瞬かせて、マリン・フラワーの花園の中に突っ込んで行った。

 クルトにとっても珍しいらしく、彼も嫌な顔をひっこめた。「きれイ……スターライト・ツリーとも違ウ……」と、まじまじと青い花弁に向かい合っている。

 けれどやはりそれ以上に、花を愛するポップルは興奮していた。本当に凄い。海に咲く花。海と同じ青色をした花弁。花畑と、海と、その両方の中にいるみたい。

 こんな真っ青な花畑は、自然文明ではなかなか見ることはできないだろう。水文明だからこそ、作れる花畑だ。

 庭園としても、どこを向いても無駄がない。一つ一つの視界そのものが絵になるのは、勿論これも数学的計算に基づいて緻密にデザインされた施設に他ならないからだ。

 しかしポップルの注意はやはり、マリン・フラワーそのものにより強く向けられる。近づいてみると、水中の中でもすがすがしい香りがした。花弁の上でチカチカ光る幾何学模様も、これを創ったサイバーロード達の美意識が感じられて、彼女は好きに思った。

「気に入った?」

「はいっ!」元気よく答えるポップル。

 真っ青な花弁。異国の土地。上を見上げれば、空のない世界。

 ……なんだかポップルはまた一つ、自然文明の昔話を連想した。

「どんな?」とシュトラが聞いてきたので、今度は自分が教える番だと張り切って、ポップルはマリン・フラワーの花園を歩きながら丹念に話す。

 

 ある自然文明の少女のお話しなのだ。

 ポップルのように花を愛するスノーフェアリーである、少女のお話し。ツリーフォークと語らい、花を愛でながら幸せに暮らしていた。

 けれど花を愛する彼女の暮らしは、突然破られる。彼女はある日ダークロードの手によって不幸なことに闇文明の土地に堕とされてしまった。

 花のない闇文明の土地で泣き暮らす彼女は、闇文明で花を咲かせようとした。けれど薔薇も、チューリップも、雛菊も、皆青ざめた色のものしか咲かない。青い花畑の中で、彼女は泣き暮らし続けた。

 青い花に囲まれて泣き暮らしながらも、彼女は光文明に助けを祈っていた。そしてその願いが届き、彼女にはやがて、救いの手が差し伸べられた。

 真紅の薔薇を携えた、『薔薇の王子様』が地上から彼女を救いに来たのだ。薔薇の王子はダークロードを倒し、彼女を助けてくれた。

 薔薇の王子の真紅の薔薇を見た時、彼女はやっと、青くない花を見つけたことに、幸せを感じた。それと同時に青い花畑は、七色の花畑に変わった。

 彼女は薔薇の王子と結婚して、七色の薔薇の花に包まれた城で生涯、幸せに暮らした。

 

「へえ、ロマンチックなお話しだね!」シュトラは楽しそうに言った。

「でも君、それだったらこの花畑、嫌に思っちゃうんじゃない? 不幸の象徴だよね、その話の青い花畑って。最後には幸せになったから、消えるものだし」

「ううん、だから素敵って思ったんです!」ポップルは元気よく言った。

「青いお花畑も、サイバーロードの皆はこんなに素敵に作れるんだなあって……その子は青いお花畑の中で悲しくしかならなかったのに、こんなに人を幸せにできる綺麗な青いお花畑だって作ることもできるんだなあって思うと……やっぱり、水文明って凄いって思ったんです」

「なるほどねー……ははっ、キミは物事を良く解釈する才能があるね、実に」

 自然文明にだって、青い花はある。

 矢車菊、紫陽花、ヒヤシンス。けれどその青い花のどれも、このマリン・フラワーの青さには及ばないような気がした。

 青い花しか咲かなかったならせめて、マリン・フラワーが咲いてあげればよかったのに。ポップルはそう思う。そうすれば、少しだけでも幸せになれたかもしれない。

 

 ……。

 ……自分は、咲かせられるだろうか? 

 この美しい、マリン・フラワーを。

 幸い、水文明にはどこにでもマナはあるのだ。自分は念じれば、すぐ力は貸してくれるだろう。

 ポップルはタオパブの杖を握りしめる。そして、念じた。

「……あれ?」

 おかしい。

 水文明に通っているものは、マナだけれどもマナじゃない。バラバラにされてエネルギーだけを取り出された、死んだマナのようだ。

「あれ? どうしたの」シュトラは言うが、少し見て合点がいったようだ。

「マリン・フラワーを咲かせるなら、無理だと思うよ」

 シュトラのその発言は、マリン・フラワーはサイバー・ウイルスであり動物、生物学的な花の範疇ではない、という意味だったが、マナが力を貸してくれない状況に戸惑うポップルは意味を誤解した。彼女にも、その話をされているのだと思った。

 マナのエレクトロニクス化、と言う言葉はポップルが呑み込めていない概念の一つだったがこう言うことなのか。彼女には合点が言った。確かにマナを砕いてこれ以上なく大人しくさせてエネルギーだけを供給することができれば、それが一番扱いやすい形であることは間違いないだろう。

 けれどマナと語り合い、マナに力を貸してもらう自然の魔術師にとっては、このエレクトロニクス化したマナは相性最悪だ。……いや、だが水文明はマナを加工すると言っていたから、本来は全部がこうではなく、ちゃんとしたマナもあるはず。

 今すぐ借りられないのならば、マナの魔術を使って呼び出せないだろうか。彼女は精神を集中する。……あった。かすかに、自分の精神の届く範囲に、生きた水文明のマナ。

 ポップルは小さくフェアリー・ライフを詠唱する。そして、マナに語りかける。こっちに来て、姿を現して、と。

 水のマナは、火のマナより大人しい。ポップルの存在を面白がるように素直に近づいてくるのが分かり……ポン、と花園に、青いマナが一つ生まれた。

 マリン・フラワーと同じ、透き通った青色。やった、来てくれた! 水のマナは彼女の杖の先端に近寄り、タオパブの杖は輝きだす。

「さあ咲いて、マリン・フラワー!」

 そして彼女がそう告げると同時に……ポワン、と、周りと同じように透き通った青い花弁を持つ、マリン・フラワーが生まれた。ちかちかと花弁の上に蛍光色の幾何学模様を、喜んだように瞬かせていた。

 

「……えっ?」

 それを見て、固まるシュトラ。

「やった! できた!」

 面白くなってポップルは駆けだした。アカシック3のある海域は火ほどマナに乏しい土地ではないようだ。

 少しずつ、少しずつマナを呼び寄せては、彼女はマリン・フラワーを増やしていく。咲いているマリン・フラワーをより見事に飾り立てていく。その後ろ姿を見る余裕もなく……シュトラは咲いたマリン・フラワーを見て思いきり不可解な顔をしていた。

「ど、どういう事? マリン・フラワーは、植物じゃないのに……」

 

 そろそろ、呼びかけに答えてくれるマナも少なくなった。もう、やめようかな、そう思ったポップルの杖に……不意に、マナの力がみなぎった。勝手に、と言ってもいい。……何者かに共鳴するかのように、それは動いた。

 

 その感触はまるで……自然のマナだった。

 それも特に、自分の大好きなマナ。暖かくて、優しい。春の力を宿したマナ。

 タオパブの杖が明るく、優しく輝く。そして……マリン・フラワーの花畑の一角が、青色ではなくなった。

 黄色、桃色、白にクリーム色、紅色、紫、オレンジ色……そこに春が、地上の春が来たかのように、七色のマリン・フラワーの花弁が咲き乱れた。

 けれど、いつしかシュトラともクルトとも離れ一人になっていたポップルはそれを認めるより早く、そのマナの波動がどこから出てきたのか、その出所を見つけた。彼女のすぐ近くに、「彼」は立っていた。そして「彼」も……ポップルを、じっと見つめていた。

 彼の顔は見えなかった。顔全体が黒い兜に覆われていて、ふた房の金髪が覗いているのみだ。

 それでも……彼が我が目を疑っているのは分かった。しかもそれは決して、マイナスの感情ではなかった。彼の兜の奥の目はじっと、七色に輝いた花畑と……そして、その真ん中にいるポップルを捕えていた。

 人型種族だ。背はヒューマノイドより大柄。体は、兜と同じように真っ黒な鎧で覆われている。背中に、薄緑に透き通った何かが見える。……虫の翅にそっくりだ。あれはマントなのだろうか? 

 しかしポップルが一番目を引き付けられたのは……彼の胸元、そして、体から「生えている」ものだった。

 紛れもなく、それは薔薇だった。フィオナの森ですら見ないほど、真紅に、美しく、咲き誇った薔薇の花。

 

「……薔薇の、王子様?」

 

 七色に染まったマリン・フラワーがふわりふわり水中を漂う中、沈黙を先に破ったのは、ポップルのその一言だった。

 

 

 薔薇の王子様……その目の前の人型種族は、ポップルをしばらくじっと見つめていたが、やがて彼も花びらを掻き分けるように彼女のもとに向かってきた。

 水中の花園の花びらであるがゆえ、風に舞う本物の花吹雪よりもゆったりと流れて、帰ってその場の雰囲気をより幻想的に彩った。

 しずしずとした歩き方。ポップルはそんな歩き方をする存在に出会ったことがなかった。カチュアの威厳を感じさせる歩き方に似ている気もしたが……それ以上に洗練されていて、美しい身のこなしだった。それが「気品」だと言うことが、それに初めて触れるポップルにも、何とはなしに推し量れた。

「貴女は……? 水文明の種族ではないようですが……地上から、参られたのですか?」

 落ち着く、優しい声音だった。ポップルははっと我に返り「あっ、はい!」と答えた。

「あの……あなたも?」

 そして、彼女は聞き返す。

「リキッド・ピープルともサイバーロードとも、違う体ですよね……」

「……おそらく、貴女と同じ場所から来てはいないでしょう。水文明の民でないことは、確かです。そうですか、地上から……」

 彼は水に揺蕩う花弁を、一つ捕まえた。黄色い花弁だった。

 そのまま、彼の手はすっと彼の胸に運ばれる。ひときわ目立つ薔薇の花が、そこに根を張っていた。そのまま流れるように、彼は恭しく挨拶した。

「ご挨拶が遅れましたね。私の名前はハザリア。《薔薇公爵ハザリア》と申します」

「……え?」

 思わず、ごく小さく、その声がこぼれた。

 何故だろう? 聞き覚えのある名前だ。でも、あの童話に出てきた薔薇の王子様の名前と言うわけでもない。

 何故、こんな見たこともない種族の名前を知っているのだろう? 自分が……。

「……どうか、なさいましたか? お嬢さん」

「えっ、あ、いえ……」

 ポップルは慌てて、態度を正す。

「初めまして。あたしは春風妖精ポップルっていいます。ハザリアさん、よろしくお願いしますね」

「ポップルさん、ですか……」

 彼はその名前をゆっくりと噛みしめるように反芻した、そしてその後「ん、『妖精』……?」と、言葉をこぼす。

「妖精……もしや貴女は、スノーフェアリーなのですか?」

「ええ、そうですけど……」

「では、貴女はもしや、『春』の……」

 春のスノーフェアリーを知っているんですか、と、ポップルも彼に反応しそうになる。しかし先にその話題を止めたのは、言いだした彼の方だった。ハザリア、と名乗ったその青年は口を突いて出た言葉をとどめるかのように、「あ、いや……」と自らの言葉を遮った。

「失礼いたしました。特に何でもないお話しでしたね、ポップルさん。貴女も……この庭園をご覧になりに?」

「あ、はい、そうなんです!」と、ひとまずポップルもうなずいた。

「ハザリアさんもそうなんですか?」

「ええ……水文明に来た際は、いつもここを訪れます」

 何回も、彼は行き来しているのか。水文明と自分の故郷を。他文明なんてお話しの世界、全くの別世界のように思って生きてきた彼女には、そのこと自体も眩しく思えたが。

「ですよね! 凄く、綺麗なところですもんね!」

 まず一番に口をついて出たのは、その言葉以外の何物でもなかった。

 透き通る青で構成された花園。幻想的なこの光景。自分が味わったような感激を、彼も味わったのだろう。そして何度も、何度も足を運びたくなったのだ。それも分かる気がする。サイバーロードの作りだしたこの芸術は、いつまでも浸っていられそうなほどに美しいのだから。

 ……ただ、目の前の彼は、それに対して、いささかばかり……戸惑いを覚えた様子であった。仮面に顔を包んでいても、ポップルの言葉のあと数瞬あいた間から、それは明らかにわかることだった。

「……その、貴女は、美しいと思われるのですか? この花園を? ……マリン・フラワーを?」

「えっ? 当たり前じゃないですか」

 ポップルの方も、多少戸惑いを覚えた。

 今自分の目の前に広がるこの光景が、綺麗でないなどあり得るだろうか? サイバーロード達がその叡智を生かして作り上げたこの庭園が。地上の庭園の様でありながら、この海底の科学都市だからこそ実現できる緻密で非現実的な景色が。

「いえ、その……」と、彼は言う。

「貴女は、自然文明から参られたのですよね?」

「はい……」

「地上の花をご存じなのに……これを麗しいと思われるのですか?」

「ええ? 思いますよ」

 彼の言葉が、今一つ理解できない。彼は自分に、この景色を醜いと言ってほしいのだろうか? 自分も何回も通い詰めるほど、愛しているであろうマリン・フラワーガーデンを。

「あたし、地上のお花も勿論大好きですよ。でもマリン・フラワーだって地上のお花に負けないくらい凄く綺麗なんだから、綺麗って思うのは当たり前です」

「そう……ですか」

「ハザリアさんは、マリン・フラワーを綺麗だって……思わないんですか?」

「あっ、いいえ」彼は、少し焦ったように返答した。

「綺麗だと思いますよ。私の故郷にあるものよりもずっと。ただ……」

「ただ、何なんですか?」

「私は、本当の花の美しさなど知らないので。その……私は、本物の生きた花を、見たことがないのです」

 その言葉に、ポップルは流石にいささか驚いた。「えっ、じゃあ……」と言いかけた言葉をはっと飲み込んで、思い返す。そうだ。この世界には色々なものがあるのだ。

 この水の中の国同様、自分の知る『花』が一切ない世界だって、別にあり得ないとは言い切れないだろう。ポップルは言葉を紡ぎなおす。

「そうなんですか? でもそれなら、あたしもおんなじようなものですよ」

「ええ?」

「あたしは、本物のお花しか見たことがなかったですもん。だから、こうして作りものとして作られたお花の良さは、本当はよくわかってないのかもしれないけど……でもそれでも、すごく綺麗だな、って思います。こういうのを作れるサイバーロードの人たちはすごいなって……!」

「そう……ですか?」ハザリアは今ひとつ、釈然としていないように問い返す。

「その、それはつまり……偽物にしては称賛に値する出来だ、とそういうことですか?」

「えっ? うーん……確かに偽物なんでしょうけど『しては』なんてつけるようなものじゃないです」ポップルはますます、彼がどうしてこう問うかが理解できなかった。

「地上のお花も好きですけど、マリン・フラワーだってあたしが見たこともないくらい綺麗ですし……本物のお花の方だけが偉い、みたいには言いたくないです。だって本物のお花が一番綺麗だなんて、限らないじゃないですか?」

「……」

 ハザリアはそれを受けて少しの間、黙っていた。ポップルが少々気まずくなり、新たに言葉を言おうとしたタイミングで、彼はようやく口を開いた。

「それが自然文明の考えなのですか……」

 物珍しいものを見た子供のような、純粋な驚嘆と興味が感じられる声だった。

「んーと、自然文明のというより、あたしの先生の教え、みたいな感じです」

「左様ですか。いえ……困らせてしまって申し訳ありません。私の故郷では、その……フィオナの森に咲く本物の花に勝る美は所詮存在しないのだ、と、教えられておりましたもので」

「ほんとですか? フィオナの森をほめて貰えるのはすっごく嬉しいですけど……そんなことはないと思います! だって、その薔薇」

 ポップルは、ハザリアの体に根付く大輪の薔薇を差していった。

「フィオナの森のどこにだって、こんな綺麗な薔薇咲いてないですよ! こんな薔薇を咲かせてるのに、フィオナの森のより綺麗じゃないと思ってるなんてもったいないです!」

 彼は、本物の花を見たことがないといった。なら……彼が纏うその薔薇の花も、「本物」ではないということなのだろう。

 けれども輝かしく、あまやかな紅色に染まったその薔薇は、とても上品で、優雅で。目の前の彼の纏う雰囲気にぴったり似合っていた。

 言われてみれば、フィオナの森に咲く薔薇の花とは確かに少し、雰囲気が違う気がする。けれどもフィオナの森に咲いていないという理由で、この花の美しさが損なわれる謂れがどこにあろうか。

 彼は少しの間のち、仮面の奥でくすり、と笑ったようだった。

「なんとも光栄です。この薔薇を褒められるのは、私自身に最大の賛辞を贈られる喜びにも劣りません」

 彼はポップルの前に跪く。そして、手を開いた。

 薔薇色を混ぜ込んだ紫のようなマナが、彼の手の中で輝きだした。たちまち彼の手のひらにつぼみが膨らみ、そして、見事な八重咲の花が開く。

「感謝のしるしです。どうぞ、ポップルさん」

 ハザリアはその薔薇の花を、すっとポップルに差し出した。近くに顔を寄せると、水中の中でも心地よい香りが漂うようだった。

「わあっ……ありがとうございます」

「いえ。どういたしまして」

 ハザリアはそのまま立ち上がり、「では、私はこれで……」と告げる。

「もし、またお会いできたら……そうですね、貴女の好きな地上の花をお聞かせください」

 

 

 ハザリア。

 どこで、聞いた名前だろう? どこかで知ったような気もしながら、思い出せない。

「……あ!」

 思い出したのは、その名をどこで聴いたか、ではなかった。

「神様!! 神様にシュトラさん!!」

 マリン・フラワーに夢中になるあまり、守るべきクルトを放って一人になってしまったことに漸く気が付き、慌てて彼女は薔薇を握りしめながらも引き返す。この強固なドームに守られた海底1万メートル都市にガーディアンが来るかどうかはわからないが……少なくとも自分とクルトとハザリアは来れる程度のことだ。

 幸い、クルトはなんともなかった。よちよちと這いながらではあるが楽しそうにマリン・フラワーガーデンを愛でていた。……彼も彼で、声を掛けられるまで彼女に気づいていなかったほどに。

 花より団子を体現したような彼が素直に花を愛でるというのも珍しい。ポップルは彼を再び抱き上げ、今度は彼と一緒に庭園をゆっくり散歩しながらシュトラを探すことにした。クルトに彼女の居場所を聞いたが、「知らなイ。なんかずーっと黙ってたラ急にはしゃぎだしちゃッタ」とだけ言ってきた。

 

 ぐるりと回ったら、当の彼女はハザリアがいた地点で、幼児どころか胚の姿のサイバーロードと意気揚々と話していた。ポップルが勝手に咲かせた挙句、七色に染めたマリン・フラワーを見て彼らは大興奮している。

「ふうむ……確かにマリン・フラワーを模した植物ではない。遺伝子レベルでマリン・フラワーそのもの。……これはまごうことなき、科学の魔術への敗北だ!! そして敗北こそが勝利への一歩でもある!! 科学が魔術に新たな勝利を収める先駆けだ!!」

「そう思うよねえ、パルタン!! やっぱりだよ。魔術は生物学的定義に縛られない。『術師が植物と認識した』ら、植物にかかる魔術がそのまま適応されるんだ!! 遺伝子がここまでフレキシブルな概念足りえるとは……ボクのプロジェクトにとっても多大なプラスだ」

「春のスノーフェアリーと言っていたか!? 貴重にして無知な存在の力あればこそできた発見、こんなピンポイントな状況でのサンプルが得られるとはまさに降って湧いた幸運!! トロピコにも連絡するぞ!! ……ふっ、マリン・フラワー。その花言葉は、いつでも心に革命を……それがまさにいくつの革命を齎すかもわからんサンプル化するとは!!」

「……あっ、ちょっと、その子だ。余計なことは言わないでおこうね。ボクの仮説が正しかったら彼女が真実を知っちゃったらもう意味はなくなる……」

 シュトラは戸惑っているポップルに気が付いて、慌てて「やあ、こちらはパルタン。ボクの友達で、このマリン・フラワーガーデンの持ち主さ」と隣の彼……サイバー・ウイルス博士のパルタンを紹介した。

「持ち主さん! はじめまして! マリン・フラワーガーデン、すっごく綺麗なお庭ですね……あっ、あの、その綺麗なお庭にこんな変に色々咲かせちゃってごめんなさい」

「とんでもない!! 感謝感激マリンスノーだ!!」パルタンとやらはそれを食い気味に遮る。

「こんな貴重なサンプルを……」

「パルタン、迷惑どころか君の咲かせたマリン・フラワーはとても素敵って喜んでくれたみたいだよ」慌てて彼の口をふさぎながらシュトラがニコニコ言う。それでパルタンも我に返ったか、いったん落ち着いて言い直した。

「まあ、そういう事だ。ところでポップル君とやらだったか。シュトラから大体の話は聞いた。アクアンのところに缶詰めにされているんだってね?」

「そういうわけでもないですけど……」

「サン……素敵な花のお礼を私もせねばなるまい」彼は端末を少し操作したのち、電子体の鍵を出力して彼女に渡した。

「暇になったらアクアンの目を盗んでこのガーデンに散歩においで。私が許可する。君にはむしろ沢山勝手をしてくれた方が……いやなに、気に入ってもらえて私も嬉しいのでね。その鍵は任意の扉をワープ装置化する。座標は君が鍵を差し込んだ地点とガーデンを行き来するようにプログラムしておいたから」

「ほんとですか……いいんですか!?」ポップルはその言葉に驚いた。

「アクアンさんには出歩かないでって言われてるんですけど……」

「気づかれでもしたら私の責任にしてくれて構わんし、ここは私も責任をもって管理しているが故滅多なことは起こらぬつもりだがね。まあ、30時から36時にかけては今のように一般開放していないから、人目に付くのを気にするならその時間帯に来るのをお勧めするな。他の特別な来客も、その時間を狙って来るくらいだ」

「……ありがとうございます!」ポップルはにっこりと笑って、鍵を受け取った。このガーデンにいつでも来ていいとは嬉しい限りだ。本当に、サイバーロードは優しいなと彼女は思う。

「……おや?」

 その時。鍵を受け取る彼女の手に握られたものに、パルタンは気が付いたようだった。

「……君、もうあの彼に会ったのかい? 薔薇公爵ハザリア君に」

「あっ、はい」その言葉から、彼が「特別な来客」であることは推し量れた。

「……へえ?」

 薔薇の花を握りしめながら素直にうなずくポップルに、シュトラが言った。

「ふふ、キミってやっぱり面白いね。自然文明の子なのに、ボクたちサイバーロードだけじゃなくって、ダークロードとも仲良く話できるなんて」

 

 ……ダークロード? ポップルは耳を疑った。

 いや……でも。ヒューマノイドより大柄な体。黒い鎧で覆った全身。

 近づいただけでもわかる、強い魔力。

 たしかに、同じようだ。紅戦線で出会った、ハウクスと。

「(……でも、なんで?)」

 それなのに、ハウクスに会った時のような恐ろしさを、感じなかった。

 彼から渡された薔薇から漂う魔力は……あの、自分を憎み軽蔑したような敵意はまるで含んでいない。それはただ、ひたすらに優しく……どこか、心を落ち着かせるものだった。

 

 

「ポップルちゃん」

 アクアンのオフィスに帰る最中、クルトが虹色のハイウェイが窓の外を滑っていく中話しかけてきた。

「ありがとネ」

「なにが?」

「ポップルちゃんやマイティさんが何にはしゃいでるのかネ、ボク、ちょっぴり分かれタ」

 美味しいものを求めて、地上にやって来たクルト。美味しいものがなくて、目に入る者も退屈するもので、ずっと水文明に来てからは不満げにしていた彼が、珍しく真剣な顔で言ったのだ。

「美味しい食べ物なかったけド、それでもすごーいきれいだっタ。ボク、ワクワクしてるノ。下界ってきれいだったんだネ」

 ……仮に、大好きな食べ物が無かったとしても、下界は美しいと。

 ……ふふ、とポップルは微笑んだ。

「神様、お礼はシュトラさんとパルタンさんに言おうね」

「……アルカディアスは世界を守って、よかったんだネ」

 ボソリ、と彼は唐突に呟いた。ポップルは一瞬怪訝な顔をするが、彼は続ける。

「食べ物がなくたってきれいな世界だモン」

「……そうだよ」

 聖霊王アルカディアス。千年前、彼が世界を闇に包まんとした覇王を征していなければ、この旅で見た光景のいくつが生まれてすらいなかったのだろう。

 

 

 ●

「父上? おられますか」

 透き通った水晶玉に向かって、ハザリアは話しかける。

『おや、不肖の息子か。ようやく連絡をよこしたか』

 水晶玉に映ったのは、凶星王ダーク・ヒドラ。

「はい。水文明のアクアンから得た情報を、そちらに送りますのでご確認を。それと……私はもうしばらく、水文明に滞在いたします」

『ああ、好きにしろ。私も、そのほうが有難い』

 ――貴様の姿など、見たくもない。何度も、言われてきた。物心ついた時から。そしてきっと、これからも言われ続ける。

「それでは」

 それでも、この父は知っているのだ。水文明で得た情報の橋渡しを、自分はこれからも忠実にこなし続けるだろうと。

 この恨みを晴らすため自分が闇を裏切ることなど、ありえないのだと。

 その通りだ。

 ――だって自分は、ダークロード。それ以外の何でもないのだから。

 

 

 

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