「まずいな、これは……」
森だけでなく天にも向けられる殺意。ふむ、と、一人の小さな青い命が無機質なカプセルに乗り込み、闇騎士団の快進撃を見ていた。
覇王ブラックモナークの完全顕現……それ自体は間違いなく「成る」な、これは、と彼は読んだ。
……そして、それがどう転べども。
「オレもそろそろ物見遊山は終わりか」
ブラックモナークの完全顕現。宇宙レベルのエネルギーがたった一つの惑星に恒久的に実体化する。それが呼ぶものがただの闇文明の勝利で終わるわけがない。惑星レベルの変動は不可避だろう。そう考えている者がいた。
生死の哲学論争などにあまり深く関わってやる気はない……思考し知を探求できるならば本質的に生きていても死んでいても関係ないと彼は思っていたが故……その思考のもと地上で戦いを観察し故郷では見れぬものを見てきたが、さすがにこれはもう悠長に遊んでいる暇はない、歴史はほどなくして「どちらが勝とうとも」大きく変わる、その際自分の領分を侵される前に手を打っておく必要があるだろう、と、「彼」は判断した。
その名はサイバーロードの《クアズラ》。
後に水の皇帝エンペラー・アクアを名乗るサイバーロードが「では、さようなら、地上。楽しかったよ」と言い残し去っていったことを誰かが見て止めているか消していればまた歴史は変わっていたかもしれない。
●
闇騎士団は止まらなかった。法輪の騎士バロムは無敵と言って差支えなき強さを誇った。
そして、天才魔術師アザガーストも負けてはいない。彼は同志ヒドラと共にマナ・プラントの書き換えをフィオナの森中に伝播させ、緑のマナを産んでいたはずの森はどんどんと黒いマナを生み出し、そしてそれは覇王の黒き森に集まっていった。
集まった黒いマナによって闇文明の本拠地は常夜の国のようになった。その常夜を破らんと、光は輝こうとした。自然も抗った。常夜のごとき時間が動かぬ、死の訪れぬ太古帝国。そのようなものは産まれてはならないのだから、と。
そして、光文明の抗いの結実が飛来した。世界の秩序を守るために、最高の技術を凝らし生まれた最強の精霊、この世の秩序を守る責務を与えられし存在、《秩序の精霊アルカディアス》がフィオナの森に舞い降りた。
秩序。
光文明が唯一愛するその概念の名を背負わされたアルカディアスの強力さはまさにその名に恥じぬものであった。彼がひとたび発光すればアザガーストのマナの書き換えが無に帰った。自然は、緑のマナしか生まなくなった。
そして彼は武力とて強大無比。各地の戦線はアルカディアスの登場だけで一気に光文明側に覆され、闇文明はあと一息、と言うところで現れたその強大な兵器の存在にさすがに動揺せざるを得なかった。
だが、それでもブラックモナークは冷静であった。彼一人は、アルカディアスを何の脅威とも思っていないように、常夜の森でマナを吸い取り続けていた。
そんな覇王のことは知らずして、自然文明の民は沸き返った。
ああ。
あれこそが神様だ、あれを遣わす者こそが、神様だ、と。
奪われ尽くされ、傷つけられ、もう戦えなくなった者は、ただアルカディアスの光に向けて祈った。祈る他はなく、祈りによって彼らは救われた。
被害を受けた彼らは。
傷つけられた、被害を受けた彼ら。
死にたくない命を無理に死に追いやった彼ら。
森の在り方を尊重したかっただけの彼ら。
自分たちと違う思想の者を嗤い軽蔑した彼ら。
どちらが最初に正しかったのだろうか。もうどちらが被害者だったのだろうか。
覇王の抱える闇の如く、そんなことはもう考えるだけ無駄の混沌となった。ただそんな中でも少なくとも傷を受けた痛みの嘆きと言うものだけは本物だった。きっとどれほど厚かましいと誹られることであろうとも、痛みに涙を流す権利ばかりは、世界一の罪人にとてあるのだ。きっと、それはあったのだ。
あったから、このような時代が生まれることを、世界は許したのだ。闇にも、自然にも、涙を流すことを世界は許した。
そして光文明には、アルカディアスには、そんなことは関係なかった。
無駄な感情を捨て悟りを開き、粛々とただ秩序の維持に努める、それが誇る在り様。彼らには涙など関係なかった。勝手に泣いて、勝手に士気を高めてくれれば儲けものであった。
彼らの目的はただ一つ。覇王ブラックモナーク顕現の阻止。
常夜の森にある日、光文明はアルカディアスを先頭にしいよいよ攻め入った。自然の民は、それに続いた。最早死など覚悟の上だった。
『……アザガースト』
金色の光の輝きを、常夜に無理やり朝日が昇ろうとしている気配を嗅ぎつけ、ブラックモナークは言った。
『案ずるな。ほぼ、終わった』
「……覇王様?」
『花の一輪だ』ブラックモナークの声がそっと響いた。
『花の一輪に宿る程度の闇のマナを捧げよ。最早実体化に必要なのはそれだけだ』
「……はい」
黒き森を包んでいた夜が収縮していく。その意味に何人が目を留められたものだか。
「ここから先には進ませぬ」
闇騎士団、法輪の騎士バロムが……秩序の精霊アルカディアスの前に立ちはだかった。
「輝かしき精霊よ、その煌めきをもって太古帝国の栄光の歴史を彩る飾り人形となるがよい」
金のモナーク・リングを輝かせ、バロムはそっと指を差し伸べ……闇のオーラのチャクラムをその指に生成し、飛ばした。
「どうぞ、覇王様」
黒い花を受け取り、覇王は考えた。
自分は彼らに、他、何ができるだろう。
彼らに必要だと自分が見出したものは、何であったろうか?
不老不死にしてやった? それで済むほど、彼の愛は浅くない。大体、不死など当然の得ていい権利だ。得ていい権利一つをくれてやったところで彼は別段満足しない。
その貪欲もまた、愛と言うものだ。
彼は、神でも何でもない。勝手に誰かを贔屓し、勝手に愛し、勝手に与える権利のある存在で、彼自身がそれを知っていた。だから、考えた。
自分が「覇王」として、この、愛した、愛するに値すると思うほど惹かれた闇文明の民に、真に与えるべきは。自分が真に与えたいものは。
与えたいと願うほど、彼らに欠けていた真のものは、有限の命のほかにも恐らくある。あるから自分は彼らの覇王として満たされない。いったいそれは何なのか。
彼がそう考えていた折、黒い花がなくとも、闇のマナは十分に集まりそうなものだった。
森は、絶望に染まったのだ。
モナーク・リングの守護を受けし法輪の騎士バロムの前に、最強の精霊アルカディアスが砕け散ったのを彼らは見たからだ。
だが覇王はどうにせよ、そんな絶望のマナよりは愛したアザガーストに差し出された闇の花一輪の方を望んだだろう。
絶望に森が染まった、その時。
「……」
最初に世界に起きた異変を察知したのは、海の中の小さなサイバーロード。クアズラだった。
彼はモニターを眺め……端的に、起きたことを一言で表現した。その眼を面白そうに煌めかせ。
「『奇跡』だ」
常夜の森を照らす朝日が差し込んだ。
誰かを贔屓し勝手に与える、それ故闇のように深い俗の愛と相反するような。
ただそこに存在すれば誰をも照らし得る、万物に注がれる、光の如き聖の愛。
なぜ、感情を捨てたはずの光文明の、最強の精霊がそれに目覚めたのだろうか?
森は確かに痛んだ。森は確かに祈った。助けてください、と。
彼らは確かに望んだ。ブラックモナークをも打ち破るような遍く博愛の存在を。
だがそれしきのことは理論的には「それ」を呼び込むには到底十分とは言えず。
しかし、確かに事実としてそれは起こった。それはまさに、俗物の理論では語れぬ、奇跡と言うに相応しい光であった。
崩壊した秩序の精霊アルカディアスの身が巨大に再構成され、金の太陽が輝く青空を漂う雲のような純白の翼が生え、フィオナの森に降臨したのだ。
「森の民達よ、案ずるな。もう、苦しむことはない。私がすべてを護ろう」
優しい声が響いた。現れ出でたるその名は……後世に語られたその名は、聖霊王アルカディアス。
アルカディアスを生み出したはずの光文明ですら解析不能の強大なエネルギーがフィオナの森に渦巻いた。そしてそれは、まっすぐな光の剣となり、覇王の黒き森を守護していた闇騎士団の長、バロムとグレゴリアに向けてひらめいた。
太古帝国最強の騎士団を率いた二人に、最期の会話は、与えられなかった。
ただバロムは背後の副隊長、ザガーンに無言でグレゴリアを任せ。
グレゴリアを、部下たちを、ダークロードを、覇王の黒き森を全てその身で庇わんとばかりにその光の剣に、恐るべき聖霊王に立ち向かい。
彼の身体は圧倒的な光の刃に貫かれ、消滅した。
最強の悪魔の騎士が最後に為した功績は、その光の剣のただ一本のみを、その身に渦巻く闇で道連れにしたのみだった。
ザガーンに庇われたグレゴリアが最初に認識したのは、からん、と地面に落ちた彼のモナーク・リング。そして次に認識したのは、バロムの身体を貫通し消え去った光の刃……その切っ先が自分の胸元にもわずか届いており、その切り傷がじわり、と痛み出した事だった。
森は歓喜に沸き返った。
倒れる。これで、闇は倒れる!!
……その時だった。
『……バロムが消え去るとは。大層な奇跡だ。余は悼もうぞ。闇を、死を拒んだ国を守った偉大な騎士に与えられてしまった終焉を』
惑星の民は見た。
この世で最も強大な生命体の顕現を。
アザガーストを復活させ顕現した時ですら、彼はこれほどではなかった。
『だが、どうにしても最早余は止まる気はない。それが例え』
惑星を踏みつぶさんばかりの巨大生命体、闇が集まって生まれし巨人、この世全てをも統べられるほどの覇王を、彼らは見た。
「この余も共に死ぬ運命を呼べどもだ」
覇王ブラックモナークが、フィオナの森に完全顕現した。
そして、彼はアルカディアスではなく、空の上のシルヴァー・グローリー……ですらなく。光を注がせる空に向けて手を差し伸べ。
その掌に全てを吸い込む闇を顕現させ、宣言した。
「『オールデリート』。光よ、この惑星から消え去るがよい」
その時、世界は歪んだ。
自然文明の木の実たちは艶めきをなくし、その葉にたまる露は空気のような味気ない透明になり滴り落ちた。
火文明のマグマや龍の炎は急に眩しさを失い、鉄は輝くものではなくただの黒く硬い塊となり果てた。
水文明の水面はただ塗料を流したかのような青となり、そしてその深海のサイバーロードの都の電子光もまるで絵の具のようになった。
覇王ブラックモナークの呪いが向けられたのは「光文明」ですらなかった。
世界を構成する「光」の概念そのもの。
それをすべて失わせる魔力が惑星を包みだした。
「案ずるな。余はつまらん事は好かぬ」
シルヴァー・グローリーの予言者たちは一体どう右往左往しているものであろうかと言う中、世界から光と言う光、輝きと言う輝きを吸収し、ブラックモナークは超然と宣言した。
「余は不死を肯じる者。敵にとてつまらん死など望まぬわ。余が与える終焉の先に一体何が生まれるか、その光とは、あるいは光に代わり生まれるはいかな者であるか、余は楽しみに待とうぞ。余の愛し子たちの生くる悠久の太古帝国の玉座にて」
シルヴァー・グローリーとて光を失い錆付き、五元の惑星が四元の世界へと変貌しようとしていた。
……だが。
……このような煩い解釈は、一つの愛にあふれた一生懸命な命の戦いを前にしてはかえって無粋なものかもしれないが。
不死を肯じた世界。ブラックモナークの存在を許した世界。狂乱の時代を許した世界。全てを命の流れゆくままに許した世界が、初めて、そればかりはやめてくれと悲鳴をあげたようであった。
闇、水、火、自然、光。この世は「それ」。
五元の摂理を乱されることばかりは苦しいと、世界が抵抗したようであった。
あるいは、一人の精霊が身に宿した愛が起こす奇跡はこの一瞬のみ、彼をブラックモナークの所業は許されじと定義する世界の神の座につけたかのようであった。
一方でそれはやはり、ただ一人の、慈愛に満ちた命の懸命な戦い、それ以上でも以下でもないようでもあった。
世界から奪われ去った光が、ひとところに集まった。
輝きを一瞬で奪われ切ったアルカディアス……彼はあまりに味気なく白けきってしまった翼をそれでも広げ、闇の巨人目掛けて飛んでいった。
その彼の片腕にこそ、集まっていた。世界中から奪われつくしたのと同量と言わんばかりの、眩しい光のエネルギー。
ブラックモナークはそれを見て、そして、言った。
「そうか。それが答えか」
彼は何に対して言ったのか。世界か、奇跡か、アルカディアスか。あるいはそれ以外なのか。
恐らくは、この言葉が最も似合う者に手向けた。覇王の今際の際の一言を。
「中々、面白い」
ぐさりと、覇王ブラックモナークの首に、光の刃が突き刺さった。
闇そのものの化身を手にかけた反動で、光の刃が、そして聖霊王アルカディアスの身体が崩壊し……世界に再び光がばらまかれたと同時に、覇王ブラックモナークは頭と胴が離れ、死んだ。
動じるな。
はねられた首が遥か彼方の海に飛んでいく覇王の思念は、きっと、闇の民に届いていた。
動じるな。余は、動じておらぬ。
もとより気に入ったお前たちの居るこの星に骨をうずめる覚悟で余は命と化した。文字通りそれができることに何の屈辱とてあるものか。
「ブラックモナークが……!」
「は……覇王様!」
それよりも、だ。余はお前たちに与えたい真のものが漸く悟れた。彼はそう思いながら、首のない体を惑星に横倒しにした。
無論のこと、光文明、そして自然文明は沸き返った。覇王の力が消えた、今こそ畳みかけよ、闇を根絶やしにせよと一気に沸き返った。だが……起こったことが、彼らの戦意を驚愕で削ぎ落した。
ブラックモナークの身体は一瞬で白骨化した。彼の身体を包む肉はすべて闇のエネルギーを濃縮した超高純度の瘴気と化し、そしてそれは。
ゆっくりと、世界一巨大な生命の身体が倒れるに合わせ、消滅させていった。森を。大地を。……惑星を。
この惑星の闇文明を愛し、この惑星に骨を埋めるつもりで顕現した覇王ブラックモナーク。彼の身体は文字通り、「地に沈んだ」。
……惑星を、えぐり取るかのような規模で。
惑星に、覇王ブラックモナークの死体がうずまる大穴が開き、ずしん、と巨大な首無し白骨死体が着地する音が世界に響いた。
……誰もが、目の前に起こったことを前に、言葉が出なかった。しかし。そんな中いち早く言葉を発したものがいた。
「総員に告ぐ!」
その声は、アザガーストのものだった。
まるで、死した覇王の意思を彼は……覇王に最も愛された彼はいち早く完全に理解したかのように。
「闇の民よ、あの穴に避難せよ! あの場所こそが、覇王の黒き森に代わる、偉大なる覇王ブラックモナークの与えし、我らの住まう土地である!」
ダークロード達も、余りの大事に、茫然としている最中の事であった。
「アザ、ガースト……?」
声を震わせるグレゴリアとヒドラに、アザガーストは変わらず凛然と告げた。
「闇の民よ! 生き延びるのだ、地底へと進め! 覇王に賜りし不死の命を、捨ててはならない!」
……そして、その威厳がすべての闇文明の民に伝えた。
覇王亡き今、この場を、そのたった一言で彼が支配したと。彼こそが、覇王の後を継ぐ闇文明の君主となったのだと。
……グレゴリアも、そっと地面からバロムの付けていたリングを拾い、「闇騎士団の者共よ!」と叫んだ。
「アザガーストの指令に従うのだ! 覇王様の亡骸を追え! あの穴の中へ!」
次々に闇の民の声がまとまり、黒い一団が、覇王の体が倒れこんだ巨大な大穴になだれ込んだ。漸く、光文明も我に返ったようだった。
「逃がしはせぬ!」
アルカディアスの剣が散ると共に輝きの概念を取り戻した光の軍隊が、その後を追った。だが……その瞬間だった。
恐ろしい悲鳴が湧き起こった。
折角光を取り戻した、彼らの金色の機体が。その黒いオーラに包まれた途端、瞬く間に腐り果てて溶けたのだ。
思った通りだ。慌てふためく敵陣の声を背にアザガーストは、確信した。
これが、覇王が自分たちに遺したもの。
自分達を守る、覇王の寵愛を受ける存在以外は寄せ付けぬほど、純然に闇の力を極め切った瘴気。
そして……。
「何事だ!?」
「地面が……穴が、閉じていく……!」
その瘴気に包まれた、新たな土地。
……地底の世界。
覇王は、知った。自分の愛した民たちは何ゆえに不幸を得たのか。
それは、森に生まれてしまったこと。思想の相容れぬ者と混ざり合わねばならぬ形で生きなくてはならなかったこと。
彼らに必要だったのは「自分たちだけの土地」だったのだ。
嗚呼、可愛いアザガースト。ダークロード達よ、闇騎士団よ、不死を求めた民達よ。
お前たちのため生まれ故郷の森を「そう」書き換えてやるつもりでいたが、叶わぬとあらばしょうがない。それに、お前たちはこれしきで折れはしない。それを余は知っている。
愛し子たちよ。黒きマナを吸いつくし実体化したこの身で作りし地底の穴を、お前たちの国とせよ。
邪魔者のいない国で暮らせ。余がお前たちに与えたいのはそれだった。
そして、どうとでも生きるがよい。この余の遺志を継ぐも別の未来に向けて生きるも構わん。
つまらんことをしない事だけは、わかっているのだから。
惑星をえぐった覇王の遺骸。それに支えられる形で出来た、地底の世界。
覇王が最後遺した魔力により地殻が変動し、それにはしっかりと蓋がなされた。
青い空、白い雲。金色の太陽。まるでアルカディアスのような色が、完全に、闇の民の目に映らなくなった。彼らを「そんなもの」から庇護するかのように。
覇王の肋骨を伝い、ちゃぷん、と堕ちた地下水の雫。
誰しもがまだ現実を飲み込み切れていない中、アザガーストは一人、自分の掌に堕ちてきたそれを静かに飲み干した。
それこそが、闇の覇王の太古帝国の滅亡を弔い、そしてこの一瞬を機に惑星にその在り方を定義された、『地底国、闇文明』の誕生を祝う杯であった。