一方その頃、海底都市。
ポップルはブルーグレー商会の一室で一人、思い悩んでいた。
今、地上はどうなっているのだろうか。
スノーフェアリーの皆は、盗賊の盾は無事なのだろうか。孤高の願やシェル・ストームは。紅戦線の皆も……無事なのだろうか。
少し冷静になって考えてみれば、冷静になるのが怖くなる。だって、水文明のモニターは告げていた。これは、火文明と自然文明の戦いでもあるのだと。
だったら……どちらも無事なんて、ありえない。
どちらかが無事なら、どちらかが危機に陥っているという事だ。
「どうして……誰が、こんなこと始めたの?」
世界は、どこも美しい。世界は、どこも素晴らしい、そう信じて生きてきたはずなのに。
今、その美しい世界が壊れようとしている。それなのに、自分は何もできない。
「ハザリアさん……どうして何も教えてくれなかったんだろう」
ハザリア?
その名前を口に出して、ポップルはふと引っかかる。ずっと前から、違和感があったのだ。彼の名前をなぜか自分は、初めて聞いた気がしない。
どこでその名を知った? 闇文明になど触れることもなく生きてきた自分が。
……いや、一回、触れたことがある。
盗賊の盾の、あの『暗黒旅行記』。
盗賊の盾の前に現れ、彼女を半死半生の目に合わせたダークロード。恐れを感じるような震えた手で書かれた名前があった。自分は、それを見た……。
その名は……。
『薔薇公爵ハザリア』
「……!」
ポップルは絶句する。そんな、まさか? あの恐ろしいダークロードと優しいハザリアが同一人物なわけは。
けれど……同名の他人と考えるには、特徴が一致しすぎる。ハザリア……いったい彼は、何者?
●
荒廃の巨王ジェノサイド。彼女は精霊二体を相手に、確かに言った。加勢など、いらないと。
「……おいしい……」
その言葉は有言実行の、実力者によって発せられる言霊。そうと知らしめる光景が、髑髏の海に広がっていた。
「……おのれ……」
ウルスとシャウナの攻撃を耐えきり、蓮華座を守護し、ウルスとシャウナはとうとうその闇の力を前に体が朽ち果てたのだ。
「とどめ……」
ジェノサイドが最後の一発を喰らわせようと鎖が宙を舞ったとき。
『……予言者のお達しだ。シルヴァー・グローリーに帰還せよ。お前たちの機体は最早、役には立たない』
そのような言葉と共に神秘的な光のゲートが開き、精霊たちの身体を回収していこうとする、それを見て、ジェノサイドは。
「……ふん」
一切構わず、鎖の攻撃を放った。回収されかかっていたウルスとシャウナの機体はだめ押しに真っ二つに砕かれ、その衝撃でゲートの引力から離れる。
ばしゃん、と大きな機体が二つ、それが二つに割れて四つ、髑髏の海へと落ちて……大波を立てた。悪魔神の蓮華座を咲かせる覇王の髑髏など、びくとも動かせる由もないささやかな大波を。
ジェノサイドは、光のゲートに向けて、挑発的に笑った。
「あとはもう、いい……拾いに、いけば?」
……天の国につながる、神秘的な光のゲート。それが……急いで海の中に潜っていく。まるで餌がどこに投げ入れられようがあさましく漁る小鳥のようだ。神の威厳も何もあったものでもない無様。
「す、すげえ……」
火文明軍とて流石に舌を巻かざるを得なかった。「ジェノサイドは特に、光文明との戦いに特化しておりますから」とメガリア。
「……変な超人もいる。精霊も多分、まだ来る……」ジェノサイドは無様な光文明を嘲笑いながら呟く。
「でも……邪妃様からのお達し。我、ここを護る。他の皆も来るよ……隊長」
彼女はそっと、蓮華座を見上げる。
「もうすぐお別れだね、『隊長』」
黒い花びらの中、獣頭の悪魔は、変化を続けている。静かに座す彼の中には、滾々と渦巻いている。混沌の矛盾、混沌の愛。それから解脱する瞑想。
それを経た先に、神の道がある。
●
「精霊様たちが!?」
中央深部は、そのジェノサイドのあまりに一方的な破壊力に驚いていた。カティノの両翼として現れたウルスとシャウナが、相手にもならない。そして……無垢の宝剣は今度こそ……「畏怖」の中の「怖」を、神に対してその瞬間覚えさせられた。
カティノは言っていた。ウルスとシャウナが向かうべき相手には、滅びの運命が既に出ている。それはつまり、ジェノサイドには勝てる、そのようなことではないかと。
しかし、現実は違った。それでいて。
カティノは、一切の動揺を見せない。
「ウルスとシャウナの機体の回収には成功しましたか。生命反応は一応あり? 何よりです。もうこの戦争では使えないでしょうが、保存をお願いいたします。ええ……荒廃の巨王ジェノサイド。千年前よりも力を増し光エネルギーとの戦いに特化しておりますね。予定通り……無敵艦隊を、髑髏の海に進軍させてください。ではお願いします」
「……神様……」無垢の宝剣は震えた声で聴く。
「貴方は、どうして、味方があれほどになったのに……落ち着いていられるのですか?」
「感情は非秩序を呼びます。それに仮に感情があったとしてもなぜ狼狽えるべき事態なのですか?」
カティノは語る。自分が見たのは「ジェノサイドの滅び」だ。「ウルスとシャウナのジェノサイドへの勝利」ではない。
「未来もそれを絶対にあり得ぬように事実関係を操作すればずれてしまう可能性もあります。一切の抵抗なくしてジェノサイドが滅びるとは考えにくいでしょう。もともとあれは光との戦いに特化した悪魔であるのは織り込み済みですから、ウルスとシャウナが滅亡の運命を呼べない可能性があったことは私も、ウルスとシャウナたち自身も存じております。ですが攻撃せねばその方が確実に滅びの運命が崩れる可能性が高まりますから現状最も早期に派遣できる戦力足る彼らをぶつけ攻撃しました。その結果力量差がわかりましたのでこちらも対応可能な援軍を呼ぶ必要に迫られ実行しているまでです。ウルスとシャウナの攻撃のダメージは確実にジェノサイドに蓄積されていますから無駄死にでもありません。まだ予言が崩れたと断ずるには早計過ぎるでしょう。なぜあなたは、私に動揺を望むのですか?」
「……」無垢の宝剣は黙ったのち、答えを出した。
「物分かりが悪いので……申し訳ありません」
「そうですか、精進なさってください」
神様。無垢の宝剣は心の中で呟いた。
それが完全な正論でも、感情を持っていれば狼狽えはしますよ。
貴方には見えていないんですか?
貴方を心から信じているフィオナ様すら、ウルス様とシャウナ様の敗北に、今、心を痛めているのです。
「……いにしえの超人! 儂の声が聞こえるか!」
フィオナ様がああ叫ぶのは。
「髑髏の海へ行け! 悪魔神の崩壊を成すに加担せよ!」
フィンチ様の予言の成就の積み重ね、それだけのためじゃないですよ。
夜明けの超人、ウルス様とシャウナ様、僕の父をはじめとした森の犠牲者たち。皆の無念を、三人目のジャイアントに託しているからです。
感情を持っていれば、そうなりますよ。
●
「聞こえている。吾(あ)は心得た。フィオナ」
フィオナの森をかき分けかき分け、ずしんずしんといにしえの超人は髑髏の海に向かって進む。……その後ろには。
「な……なんだ、あいつぁ?」
手も足も出なかった、それは否定のしようがなさそうに疲弊しきって、かつ……完膚なきまでにやられたと見るには、あのウルスとシャウナの無残さからすればどうにも傷の浅いクエイクスとオルゲイト。例えて言うならば……「相手にもされなかった」とでもいうべきか。
「邪妃様!」オルゲイトは慌てて闇文明と交信する。「ヤツを解析してください。私は……ヤツから、喰える死の気配を感じません。まるで……」
相手にされない、の段階にも色々とありそうなものだが。この場合を例えていうなら大人に子供が相手にされない様にすら準えるのはもったいない。まるで民家に迷い込んだ羽虫が捕まえられて、潰してやるのも汚い、邪魔だとばかりにとっとと窓の外に逃がされた……例えていうならばそんな惨めさが、ジャイアントを屠る実力のある闇の騎士二人から漂っていた。
「ヤツは我々と、違う次元にいるようです」
彼らは悟った。闇を否定するため生まれたフィオナの森の化身には「何かがある」。圧倒的な力量差とはまた違う、闇にとって相性最悪の力が。
『ああ……見ておった』
交信先のダークロード達も、その様子にいささか戸惑っている様子だった。
『解析は至急行う! オルゲイト、クエイクス、その場で待機しおれ! 深追いするでない! 必要が出次第髑髏の海へこちらの手で転移する!』
いにしえの超人の力を、悪魔の身体に残ったもの経由で見た、アザガーストは。
「……嘘だろ」
憎悪は出せども焦りは見せなかった彼が、初めて呆気にとられた。自分の解析を信じるのであれば……にわかには信じがたい事実を前に。
「あ……あれ!」
「来たか!」
ずしん、ずしん。巨大な超人にとっては広大な、広大なフィオナの森も本気で歩けば庭園のようなもの。まして体がその庭園そのものの存在なのだ、フィオナの森における彼らの移動は物理的な問題ばかりにとどまらない。
いにしえの超人は見る見るうちに、徒歩で髑髏の海に近づいてくる。
「お嬢様!」
「暗黒皇女様!」
その時だった。
「まあ、バグザグール、ジャック、ザガーン……お前たち、無事だったのね、よかった」
どうにかファル・イーガ・カーテンの食い止めをしていた主要三人は無事メガリアと火文明部隊を逃がしたのち彼らも逃れられたようで、数を減らしたゴースト軍と一緒にメガリアに合流。「なんの、お嬢様」と、満身創痍ながらも気丈に笑うバグザグール。
「しかし……闇騎士団がよくやったと思えば、次から次へと現れますな。私も一応地上産まれ故朧気に覚えてはおります。自然の虫けらとは例えばあんな具合にしつこい。体の大小はどうやら関係のない事のようで」
彼らもいにしえの超人を見て目を見張る……が。ザガーンは「それだけではありません」と言った後、メガリアとは別方向を向いて声をかけた。
「ジェノサイド。ウルスとシャウナの討伐、大儀であった。だが油断するな。お前は既に『目をつけられた』」
「……そうなの?」
ジェノサイドの背後には。
光の祝福に包まれて、飛翔する美しい艦隊の姿がある。ガーディアンにイニシエート、それを率いるエンジェル・コマンド。
髑髏の海を目掛け天翔けるそれは、光の美を中でも一手に背負ったかのごとき、繊細な装飾、やわらかな金色の体を持つ、まるで美術品の如き美しき精霊に率いられている。きら、きら……青空に映える神秘的な輝き。その艦隊に美しくない要素があるとすれば、おそらくそれはその武骨で恐ろしい名前だけ。
「これより、荒廃の巨王ジェノサイド討伐作戦を開始! 全軍発進!」
千年前のジェノサイドのデータを参考に作られた、対闇文明の戦闘に長けし聖霊《飛翔の精霊アリエス》に率いられし、「無敵艦隊」。それがジェノサイド討伐のため姿を現した。
闇を否定するため生まれた超人と、闇と戦うため生まれた精霊。その二者が、闇火同盟は死守せねばならぬ悪魔神の蓮華座が浮かぶ髑髏の海に集合した。
●
カティノは考える。
問題はない。ジェノサイドの滅びは現実的だ。いにしえの超人、あのような者が現れたならば尚更。そして、ジェノサイドの滅びの先には悪魔神の崩壊があって何ら不自然ではない。そこは、憂慮に値せぬことだ。すでに運命の完成へのピースは揃っているようなもの。
揃っていないことの方が、今は問題だ。
アルカディアス。なぜ、目覚めない。
「(やはり、問題なのですね……クルト。彼の存在が)」
クルト。
ずっと、消息を絶っている。生も死も一切確定していない。あれは今、どこにいるのだ。予言者に生まれておきながら、のんきで非秩序的な「最弱の予言者」は。
現状一番の誤算は、誰もがこれに関する具体的な予言ばかりが得られなかったのを惜しくらむは、戦争の開始までに彼の問題を解決しきれなかったことだ。あれは……。
『……にひひ。予言者様。こんにちは。今少し、お時間およろしいですか?』
……そんな彼の元に、急に、素朴な自然文明の中央深部には似合わぬ電磁モニターが形成され、通信が入った。
「……アクアン?」
『水文明からも見えていますよ、素敵なものが現れましたね。悪魔の神を花から生まれさせるなんて……自然への当てつけなのか、自然をぶっ壊したいのか、どっちでしょ? にひひ』
「さあ。その思惑までは分かりかねます。それより、忙しいのが分かっていてまで入れるあなたの連絡とは……なんですか」
商人は。
ものの売り時を、一番に見極める。感情のない者の機微すらも時に分析し、ときには……直感で理解する。
感情がないかと完全な合理存在であるかはまた別の問題だ。完璧な勝利、完璧な光、それを成すにはただバロムが滅べばいいという話ではない、アルカディアスの復活が無くてはだめだと……そんな秩序の神々の拘りを見透かす深海の商人は言う。
『直球に言いますね。予言者クルト、生きてます。実は今、ボクが預かってます。で、彼の身に、どれだけの額をつけますか?』
●
一体、何が何? 世界とは何? ポップルに、答えは出ない。
紅戦線は、ハザリアは、悪なの? あんなにやさしい人たちが。彼女は逡巡を続けていた。逡巡と思考、それが最も尊ばれる水中都市、アカシック3で。
「どうしたノ?」
クルトが心配そうに、そんな彼女に聞く。そんな時だった。
ふいに、ドアが開いた。そこに立つ人影に、彼女は思わず、後ずさった。無理はない。
「こんにちは。こちらにいらっしゃると伺いましたもので、お邪魔致しました」
その姿は、ハザリアだった。
「……あ、ハザリア、さん……」
どういっていいかわからず、彼をどんな目で見ていいか分からず、とりあえずそう言うほかはなかった。ただ、彼の薔薇は……変わらずにきれいだとは思った。
「次に出会えた際は貴女のお好きな地上の花をとこちらから伺いましたのに、私もサイバーロード共を嗤えないほど野暮な話ばかりで申し訳ございません。ただ……」
どうしてだろう。やっぱり、彼の薔薇はきれいなのだ。
「端的に、伺いたいことがあるのです。その方……予言者クルトは、あなたにとって絶対に離れられない存在ですか? どんなに危ない目に会おうとも」
「はい」
何もかもわけがわからず迷っては、いたけれど。
それには、何のためらいもなく返答が出た。それに対するハザリアの返答も「そうですか、それならば」と、よどみのないものだった。
「私と一緒に来てください。大至急です」
その声が響いたのと。
背後が急に明るくなったのと。
「予言者クルト。排除する」
水文明に現れたガーディアンの群れが、彼女の部屋を取り囲んでいたのを、ポップルが知ったのと。
急激な破砕音が鳴り響き、彼らが……オフィスの窓を破って割いたハザリアの呪いの薔薇に食いつくされた。そんな段階の全てが、ほぼ同時のことだった。
耳も、目も、思考も付いていけない中、ただハザリアは告げる。
「私が、貴女をお守りいたします」