今日は快晴、曇り一つない青空だ
……個人的にはちょっとだけ雲も欲しいけどな、若干暑いし
でもまあ、恋人とデートするにはこれ程適した日もないだろう。特にあの太陽なんかマリーさんの髪色を彷彿とさせてなかなかに────
「しゅ、酒泉さん!お待たせしました!」
噂をすればなんとやら、早速俺の恋人である伊落マリーが小走りで駆け寄ってき────
「すみません……身支度にお時間が掛かってしまいまして……」
「…………」
「お見苦しいところを………あの、酒泉さん?」
「天使がおる」
「天使……ですか?一体何処に……」
ハンカチで汗を拭っているマリーさんが困惑顔で尋ねてきたが俺はそれどころではない
純白のワンピース、ひまわりで飾られた黄色いストローハット、斜め掛けの小さなポーチがうっすらと胸のラインを浮かび上がらせている
「驚いた……マリーさんって天使の生まれ変わりだったんだな……」
「……えっ!?わ、私ですか!?私が天からの使いだなんて畏れ多いですよ!?」
「嘘だっ!!!こんな可愛い人が天使じゃないわけあるか!!!」
「お、大袈裟すぎませんか!?」
伊落マリーは天使だ、私がそう判断した
もし俺が一生を全うして天に旅立つ時が来たとしたら俺は伊落さんの様な天使に迎えに来てほしい、いや前世で親より先に旅立った親不孝者だから地獄送りかもしれんが
まあ何にせよ死ぬ時はマリーさんの顔を見ながら死にたいです、はい
「で、でも!そこまで喜んでいただけたのなら……頑張って選んできた甲斐がありました」
「すき」
「ほぇ!?」
結婚しよ(結婚しよ)
えへへとはにかみながら頬を染めるマリーさん……え?これ夢じゃないよな?現実なんだよな?こんな天使とお付き合いさせてもらえてるとか夢オチじゃないんだよな?
お父さんお母さんお爺ちゃんお婆ちゃん後輩ちゃん後輩の妹ちゃん友人の野郎共、聞こえますか?色々ありましたが俺は今世でも幸せです、何故なら寿命なんて当分来なさそうなのにもう天使がお迎えに現れたからです
「……はっ!?いかんいかん、危うく本来の目的を忘れるところだった……じゃあマリーさん、そろそろ行こっか」
「は、はい!」
手を差し出すとマリーさんは恥ずかしそうにおずおずと握ってきた、初めての握手という訳ではないのに……でもそんな初なところも可愛いよね
今日のデート先に選んだのは触合ヶ万出機内動物園というなんかもう色々と凄い名前のつい最近オープンしたばかりの動物園だ、ここにした理由は────
「……え?」
新たな情報が頭に流し込まれ、直前の思考が途切れてしまった
何だ、この腕に感じる感触は。ふよんとした、柔らかなこれは
否、俺はこれを知っている。ただ信じられないだけだ、この状況を
マリーさんは手を繋ぐだけでなく────そこから更に、俺の腕に抱きついていた
つまりこの柔らかさは、そこまで大きくなくとも確かに存在を感じ取れるこれは……マリーさんの────
理性川酒泉(起きろ!攻撃されてる!)
「────はっ!?」
「ど……どうかされました?」
「い、いや?別に?」
抱きついたまま〝特に変わった事はありませんが?〟みたいな顔をして尋ねてくるマリーさん、柔らかいの当たってますよと正直に答えてしまうと失望されてしまうかもしれないのでここは適当に誤魔化しておく
しかし何故突然こんな大胆な行動に……あれか、マリーさんも動物園が楽しみすぎて浮かれてるのか
こんな純粋な彼女とのデート中に邪な感情をさらけ出す訳にはいくまい、今日は頼んだぞ理性川酒泉
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「見てください酒泉さん!ゴリラさんが赤ちゃんをあやしてますよ!」
「そ……そっすね……」
入園と同時に早速興味を引かれる光景を目撃したのか、マリーさんは漸く俺の腕を離して動物達の方へ駆けていった
ここに来るまでずっと柔らかくて理性川君が100人中90人くらい死んだ、残りの10人は本能川側に寝返ったので後の時間は気合いで耐えました
さて、俺の影の努力は置いといて今は素直に動物園デートを楽しむとしよう
「今でこそ〝温厚な生き物〟と周知されていますが、昔はよく強さの象徴的なポジションで描かれる事が多かったですよね」
「巨大なゴリラがグーでドラミングしてるあの作品の影響が大きいのかもしれませんね」
「ふふっ……知ってましたか酒泉さん、実はドラミングというのはパーでする行為なんですよ?」
「……え!?そうなの!?」
「むしろパーの方がより良く音が響くとか……」
若干ドヤ顔気味(本人はおそらく無自覚)なマリーさんが解説してくれたお陰で衝撃の真実を知れた
前世含め生まれてからずっとグーでドラミングするもんだとばかり……誤解されてばっかだなゴリラさん、そう思えばゴリラさんは長年偏見と戦ってきた心のつえー奴なのかもしれない
そっか、本物のゴリラって俺が思ってる万倍は温厚で穏やかなのか。ゴリラを本気でキレさせるなんて余程の馬鹿か 鬼 龍 !ぐらいだもんな
暴力的で性格も悪い俺の知り合いのゴリラとは大違いだな、やっぱ本物の方が可愛げあるわ
「……ていうかマリーさん、やけに知識あるな」
「……その、酒泉さんに楽しんでいただきたくて前日に調べてきたので」
あ゛゛゛!!!すき゛゛゛!!!
何だよそのデート相手に対する献身は、俺が今日やってきた事なんて水分補給の為の自販機の位置やお手洗いの位置の確認と帰りのトリニティ行きの電車の時刻表の確認と簡易的な礼拝所が備えられてるかどうかの確認だけだぞ恥ずかしくなってきたわ
理性川酒泉(情けない奴!)
お前にだけは言われたくない
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「なあ、あれってライオン?」
「い、いえ……どこからどう見てもイタチさんですよ……?」
「完璧だ」
「?」
望み通りの回答をありがとう
今、檻の向こうではイタチが餌を貪り食っている
イタチと言っても別にすぐメンヘラになる面倒な一族の忍とかではない、目も別に赤くない、あと俺達は魚じゃない
「なんというか……見た目は可愛いのに食い方は荒々しいな」
「イタチさんはその愛くるしい見た目からは想像が出来ないほど凶暴な一面がありますから」
「なるほど……こんな可愛い生き物、是非とも触れ合ってみたいと思ってたけど……」
「触れ合いコーナーに出すには少々危険ですからね……」
だよな、一般のお客さんが噛まれでもしたら大変だもんな
キヴォトスの住人は頑丈とはいっても、噛まれたところから何か変なもんに感染する可能性も考えるとそう簡単に解放する訳にもいかないんだろうな
イタチといいアライグマといい可愛い生き物程牙を隠し持っているな、やはり俺にはシマエナガくんとスカルマンしかいないのか
「そっか、残念だなー……ちょっとだけ撫でてみたかったんだけどな」
「……あ、あの!」
「ん?どうし───」
た、と言い切る前にマリーさんは帽子を脱いで俺の手を掴んで自分の頭の上に持ってきた
そのままポスッと手を乗せるとどこか拗ねた様な、それでいて恥ずかしそうな表情で口を開いた
「イ……イオチじゃ……駄目、ですか……?」
「……」
「……」
「……」
「…………す、すみません」
林檎の様に真っ赤に染まった顔、その上で期待してる様にぴょこぴょこ動く猫耳
そのあまりの愛くるしい姿に見惚れてしまい、俺は暫く言葉を返すことも手を動かすこともできなかった
そんな硬直状態の俺を見て失敗したと思ったのか、マリーさんは頭から湯気を出しながら涙目であやまってきた
……何をやってるんだ俺は、今は見惚れるよりも優先するべき事があるだろうに
「────此方も撫でねば……無作法というもの……」
「きゃっ……あ、あの?酒泉さん?無理して撫でなくても……」
「素晴らしい……極限まで練り上げられた至高の撫で心地……これ程の頭部を撫でるのはそれこそ三百年振りか……」
「あ、あぅう……」
マリーさんの背に手を回し、胸元まで抱き寄せてから頭の上の手を動かす
ふわっふわの髪を撫でる度により深く俯いてしまうが、それに反して耳の部分が嬉しそうに揺れている
いつものシスター服と違って見慣れない私服姿なのもあってより一層愛くるしさが増してしまう、それこそ口を付けてしまいたくなる程に……が、俺に許されているのはここまでだ
「ふぅ……ありがとな、マリーさん。お陰で可愛い成分を補充出来たよ」
「あ……も、もういいんですか?」
「ああ、十分すぎる」
抱き締める以上の事をするにはまだ早すぎる、マリーさんは初なのだからこれ以上の行為を望んでしまう前に自分を抑えなければ
……だからそんな名残惜しそうな顔をしないでくれ、屈してしまいそうになる
「……じゃ、じゃあ次行こうぜ!」
「……はい」
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最初の方で説明し忘れていたが俺がこの動物園をデート先に選んだのには理由がある
動物園コーナーを抜けた300m程先に牧場があるが……なんとこの動物園、牧場の管理も行っているのだ
つまり一度で二度分のデートが楽しめ────ええい!人が脳内で勝手に説明してる時に舐めてくるんじゃないっ!!!
「あ、あわわわわ……!」
「ちょっ、おまっ……やめ……!」
ベロン、ベロン、ベロベロベロベロ
めっちゃヤギに舐められてるんだけどもしかして俺のこと食おうとしてるコイツ?
「~♪」
「ヤギ!お前が欲しかったのは本当にこんな餌か!?」
「~~♪」ベロベロベロベロベロ
「ヌ゛ヴォ゛ォォォォォ!?」
「ヤ、ヤギさんが舌で舐めてくるのは仲間へのコミュニケーションらしいですが……」
「え?そうなの?……もしかして結構人懐っこい生き物だったりする?」
「はい、特に最初のコミュニケーションの段階で此方からも顔を撫でたりしてあげるとより懐きやすくなるそうですよ?」
「はえー……」
最初のベロベロ攻撃も犬が顔舐めてくるようなもんか、俺はてっきり〝うめ……うめ……〟みたいなもんだとばかり……
なんて事を考えていたら早速信頼を証明するかのように額を擦り付けてきた、なんだコイツ可愛いなおい
こっちからも軽く頬を撫でてやると〝もっともっと!〟と強請る様に更に顔を近づけてきた
「わはは、なんだお前そんなに俺が大好きになったのか」
「ふふっ……すっかり仲良しですね」
「ああ、最初の方にめちゃくちゃ舐められまくったせいでちょっと顔が臭いけどな……あのままだとヤギにファーストキスをプレゼントするところだったぜ」
「……え!?」
まあ、動物相手なら流石にノーカウントだろう────
「しゅ……酒泉さん!早く行きましょう!」
「ぬおっ!?」
突如マリーさんが俺の手を引っ付かんで強引にその場を去ってしまった
俺としてはもう少しだけ触れ合ってみたかったが……まあ、マリーさんが他に気になるもんでもあるならそっちを優先しよう
……その前に顔だけ拭かせてくれませんか?
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「そっと搾るんだよそっと、一気にギュッ!ってやるんじゃなくて指を一本ずつ締める感じでな」
「こう……でしょうか……?」
「そうそう!上手上手!」
ロボットのあんちゃんに褒められながら乳牛の乳を搾り終えるマリーさん、その額には多くの汗が浮かび上がっていた
乳搾り体験、一見ただ楽に引っ張ってるだけに見えるそれは意外にも多くのコツが必要だった
乳を搾る際の力加減だとかそれ以前にまずは乳牛のストレス状態のチェック方法から教えてもらった、俺が前世で園児の頃に牧場で体験させてもらった乳搾りは所謂〝初心者コース〟だったのだろう
「とても貴重な体験をさせていただきありがとうございました!牛さんもお乳を分けてくださってありがとうございます!」
「おお!礼儀正しい子だね!俺に礼を言う奴等は幾らでもいるが、コイツらにも感謝の気持ちを忘れてねー若もんは久しぶりに見たなー!」
「私達は沢山の動植物さん達から恵みを頂いている立場ですから……あら?」
日常的に見掛けたり口にする物にも感謝の気持ちを忘れないマリーさん、正に聖なる少女らしいその思考に感心していると突如その視線が下の方に向いた
そこに居たのは先程乳を分けていただいた牛さんより二回りか三回り程小さい別の牛だった
「ありゃ、こいつまた来ちまったのか」
「この子は……もしかして、この牛さんの?」
「そそ、こいつのガキンチョだ。こいつは他の牛に比べて……つーか牛の割にはめちゃくちゃ活発な奴でなぁ、母親のミルク飲んであっちこっち歩き回ったかと思えばすぐ腹空かしてまた飲みに来るんだよ」
子牛は忙しなく母牛の足周りをぐるぐる歩き始めた……かと思えば母牛の正面まで回り込んで〝構って構って!〟と飛び付こうとし、漸く落ち着いたかと思えば今度はいきなりガブッ!と乳に噛みついた
温厚な牛でも流石にびっくりしたのか、母牛はくるくるとその場で体を回して子牛を落とし、怒ったかの様にその場を去ろうとした
そんな後ろ姿を子牛がトコトコと追いかけ……また乳に噛みつこうとして足で振り払われた
「……確かにめっちゃ元気っすね」
「だろ?一日の飲む量が他の子牛より圧倒的に多くてな……飼育員側の方でもちゃんとミルクやってんだけどなぁ」
俺が幼少期の頃、母親と買い物に行った時にカゴの中に勝手にお菓子を入れ、それがバレて〝戻してきなさい〟と怒られ、それでも懲りずにまたこっそりお菓子を入れてガチギレさせた事があった
あの親子牛の後ろ姿はそんな懐かしい記憶を思い出させてくれた
「……まあ、子供は元気なのが一番だからな」
「そうですね、そうでなくとも健康でさえいてくれたらそれで……」
「だな……まあ、やんちゃすぎて周りに迷惑を掛ける様な育て方は良くないだろうけど」
どんな子供に生まれようと、どんな子供に育とうと、親としては生きているだけで幸せなのかもしれない
……生きていれば、それで
「ふふっ……そうならないよう、くれぐれも甘やかしすぎないようにしてくださいね?酒泉さん」
「……え?」
「どうかしましたか?」
「いや、あの……それってつまり……」
「えっと……酒泉さん?何か気になる……こと……で…も………………あ、あああああ!?」
自分で言った事の意味を理解したマリーさんは途中で言葉を詰まらせたかと思えば今日一真っ赤な顔でわたわたと両手を振り始めた
「おーおー、もしかしてその歳で結構行くとこまで行ってんのかい?学生婚?」
「ち、違っ……違うんです!今のは……そのっ……!」
「違う?じゃああれか!逆プロポーズか!こんなところでするなんて嬢ちゃん男気あるねー!」
「そ、そうでもなくて!少々気が逸りすぎたというか……話が飛躍しすぎたといいますか……!」
「ほれほれ!兄ちゃんも彼女さんばっかに言わせてちゃ駄目だぜ?自分から〝抱いてやる〟の一言ぐらい言わんと!」
このこのーと肘で背中をぐりぐりしてくる飼育員さんに答える事も出来ず、俺はただひたすらぼんやりしながら〝これからの事〟を考えていた
……子供、か。そうだよな、マリーさんと付き合っているならいずれ話し合わないといけないよな
「学生の内から子供作るなんざ周りから色々言われるかもしれねえが……んなもん気にすんなよ!俺は応援してるからな!」
「で、ですから!私達はまだそういう関係では……!」
「まだ!?つまり近いうちにって事か!?」
「は、話を聞いてください~!」
後ろで何やら騒いでいる二人の会話も耳に入らず、俺は幸せそうに並び歩いてる親子牛を見ながら決意を固めた
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「このアイス、とても美味しいですね!」
「ああ……ここまで来た甲斐あったなぁ」
牧場と言えばミルク!ミルクと言えばアイスクリーム!……という訳で買ってきましたアイスクリーム
味はシンプルにバニラ、だというのに甘さがそこらのアイスとは明確に違った
「酒泉さん、ここの牧場のアイス楽しみにしてましたもんね」
「うっ……そ、その……付き合わせて本当に申し訳ない……」
「い、いえ!私も楽しませていただきましたので!それに……私も酒泉さんと同じものを食べたかったので」
沈むまでまだ少しだけ時間の掛かりそうな夕日を背にマリーさんが微笑むと、その頬がオレンジ色の光で染め上げられた
まるで美しい絵画の様な、美術館に飾られていてもおかしくないほど美しいその横顔に自分の胸が高鳴るのを感じた
「酒泉さんはどうでした?今日一日中、私と一緒で……楽しめましたか?」
「そりゃ勿論、とっても素敵なガイドさんがずっと隣に居たからな」
「も、もう!からかわないでください!」
俺としては本心を伝えただけでからかったつもりは無いのだが、マリーさんは頬を僅かにふっくらさせて照れてしまった
そうだな、他の感想を言うとしても全ての動植物に〝さん〟を付けて喋るマリーさんが可愛かったとかそういうのしか出てこないぞ
「からかってないって、マリーさんが素敵なのもマリーさんと居て楽しかったのも全部本心だからな」
「……ほ、本当ですか?本気にしちゃいますよ?」
勿論、と答えるとマリーさんは何か言いたげに口元をモゴモゴさせた
何を伝えたかったのかは分からないが、その若干悔しそうな表情から察するに多分一杯食わされたのが不服だったのかもしれない……褒められ慣れてない方が悪いな、うん
あまりにも素直に答えすぎる俺に対しマリーさんは諦めた様な表情で溜め息を吐くと、全身から力が抜け落ちた様にぽすんと肩を預けてきた
そんなマリーさんの反対側の肩に手を回して更に肩同士を強くくっつけようとすると一瞬だけピクリと反応したが、特に拒絶反応は見せなかった……どころか、何かを期待している様に獣耳が騒がしく揺れ動いていた
「あ……酒泉さん、頬にアイスが……」
「……ん?マジ?どこ?」
「……私が取りますから、じっとしててくださいね?」
「おお、悪いな……」
どうやらいつの間に俺の頬にアイスが付着していたらしい、最愛の人とのデートで食事中も気分が浮かれていたせいかもしれない
マリーさんは俺の左頬に右手を当てるともう片方の手でハンカチを取り出す────事はなくそのまま俺の首元辺りまで自分の顔を持ってきた、まさか手で拭くつもりなのだろうか
だが、今の俺はそれどころではない。少し視線を落とすだけでマリーさんの綺麗な顔をゼロ距離で拝める、そんな距離感が俺の心臓を苦しめると同時にどこか心地好さを与えてくれた
「んっ」
────が、頬に伝わる〝ちゅっ〟という感触がその心地好さを堪能する暇を一気に消し去った
……俺は今、何をされた?
「こ、これで……綺麗になりましたね……?」
慣れない事をしたマリーさんは照れくささを誤魔化しきれていない笑顔で俺の頬を撫でた
……俺の勘違いじゃなければおそらくマリーさんは俺の頬にキスをしたのだろう
あの伊落マリーという少女が、最後にはどうしても照れや羞恥が勝ってしまっていた聖女が、口同士ではないとはいえその唇で……ん?
「マリーさんマリーさん、今度はマリーさんの口にアイス付いちゃってる」
「……え?」
本人も緊張で焦ってしまったのか、マリーさんの唇にバニラ味の白いアイスが付着してしまっていた
おそらくこの後彼女は取り乱すだろう、必死に手をぶんぶん振って恥ずかしがったり、その綺麗な目をぐるぐる回して言い訳を口にしたり
何れにせよどれも愛くるしい行動である事に変わりないが、イマイチ締まらない空気になる事だけは確かだろうと
「では、今度は酒泉さんが取ってくれませんか?……先程の様に」
そう、思っていた筈なのに
初だった筈の少女は取り乱すどころか俺の目を真っ直ぐ見据えて、それでも不安を帯びた目のままくいっと顔を近づけてきた
先程の様に、これは単に〝今度はそっちが取ってくれ〟という意味なのかそれとも〝さっきの私みたいに口で取ってくれ〟という意味なのか
俺には理解出来ない、本人に意図を聞くのが一番手っ取り早いだろう……でも、この状況でそれは間違っていると、それだけは何となく理解出来る
それにだ、自分で判断するのなら自分の好きな様に言葉を解釈する事だって出来る
そうだ、ここでマリーさんの言葉の意味を〝私にもキスをしてほしい〟と解釈してしまえばあれだけ求めていた伊落さんの唇を簡単に手に入れられる
仮に怒られても〝勘違いしてました〟と言い訳出来る、そうだ、人間誰にでも間違いはあるんだしここで都合の良いように捉えてしまえ
俺は悪くない、俺は頑張った、よく耐えた方だろ
そんな言い訳を脳内で繰り返しながら、俺は────
「ほら、これで取れましたよ」
────〝ハンカチ〟でマリーさんの唇を拭いた
「……ぁ」
「さて、この後はどこに行きます?また動物園の方に戻りますか?」
そうだ、これでいい
マリーさんだってそういう行為は苦手なんだ、今の言葉の意味だってきっと〝汚れを拭いてくれ〟以上の意味は込められていない筈だ
だから頼む、そんな物足りなそうな声を出さないでくれ、そんな物欲しそうな目で見ないでくれ
このままだと俺の心が────〝今後、何があってもマリーさんが望まない限り自分から手を出さない〟という決意が揺らいでしまう
これからも付き合っていくのなら……こんな俺とも付き合い続けてくれるのならいずれは〝結婚〟という未来に辿り着くだろう、その時になれば確実に話し合う必要が出てくるのが〝子供を作るかどうか〟という問題だ
人一倍どころか人数十倍くらいは〝そういう行為〟が苦手なマリーさん。先程の様に口以外へのキスならともかく、口同士のキスや本格的な性行為への抵抗感は時間じゃ解決出来ないかもしれない
それにだシスターという立場である以上は身を汚してはならない等の理由で生涯貞操を守る事だって考えられる……俺は今日、そんな彼女に〝無理はしなくていい〟と伝えるつもりだ
例え宗教上の理由で子供を作る事が出来なくても、性的行為への苦手意識が一生消えなくても、主へ捧げる身だからもこれ以上身体を許してもらえなくても、これから先キスすら拒まれる事になろうとも
貴女と二人で人生を歩めるだけでも幸せですと、俺はそう伝えるつもりだった
マリーさんの苦手な事をさせたくないから、マリーさんに無理をさせたくないから、マリーさんを幸せにしたいから
「ごめん、なさい」
「マリー……さん……?」
でも、その選択は間違っていた
彼女の涙を見て、今更その事に気づいた
ミヨすき