「……あの、先生?」
「ん?どうしたの?ユウカ」
「顔色が悪いですけど……大丈夫ですか?」
「そう?別に全然そんな事ないんだけどなー」
青色のショートヘアーに緑の瞳、生徒にとっては見慣れた先生の顔に見慣れぬ隈が一つ
否、隈が浮かぶこと自体は過労状態の先生には(悲しい事に)よくある事なのだが、それでもここまで濃い隈が出てくるのは初めてだった
「失礼ですが……その……目元が完全に死んでます」
「今〝失恋〟って言った?????」
「ち、違います!〝失礼〟です!しーつーれーい!」
「そっかー聞き間違いかー」
たははー、と笑いながら元気を装うも明らかに無理をしている様子の先生
只事では無いと判断したユウカは同じく当番で来ていたノアの元まで駆け寄りこそこそと耳打ちをした
「ノア、なんで先生はあんなゾンビみたいな顔になってるの?」
「さあ……私が来た時には既に可憐なお顔にあんな隈が出来ていましたので……」
「今〝悲恋〟って言った?????」
「違います!ノアが言ったのは〝可憐〟です!それと人の話を盗み聞きしないでください!」
「私からこれ以上何を盗むって?」
「駄目だこの人……早くなんとかしないと……」
あまりの錯乱っぷりを見せる先生にユウカとノアは困惑していた
先生も生徒の前で狼狽えたりした事が無い訳ではないが、ここまでの狼狽具合を目の当たりにするのは先生と付き合いの長い二人でも初めてだった
「先生、少し仮眠室でお休みになられては?このままでは業務の方にも支障を来すかと」
「そうですよ!一秒でも長く寝てきてください!」
「今〝寝取る〟って言った?????」
「いい加減にしないと絞め落としますよ」
「ユウカの太ももで死ねるなら本望かな」
「だっ……誰も脚を使うなんて言ってないじゃないですか!」
「先生、ユウカちゃんの太ももに包まれたい気持ちは理解できますが今の先生はそれどころの状態ではありません。生徒に心配を掛けたくないというのなら早急に回復に努めてください、それが先生が今成すべき仕事です」
「ノア、理解できるって嘘よね?」
「そう、だよね……二人ともごめん、少しだけ横になってくるよ」
「是非そうしてください、お仕事の事なら何も気にしなくていいですから」
「ねえ、ノア?聞いてるの?」
〝ありがとう〟と言い残し、ふらふらとした足取りでオフィスを出る先生
その後仮眠によって僅かに体調が回復した先生だったがそれでも心のモヤモヤを打ち払う事ができず仕方無く〝最終奥義〟を使う事を決意した
それは弱き子供には使用が認められず、強き大人だけに許された究極の技
黄金の液体を己の肉体に流し込み、一時的に全てを越える全能感を得る禁じ手
その名も────
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「うぅー……世間のばかやろー……教師が生徒に惚れたっていいでしょー……」
「なんだなんだ、今日はやけに飲むじゃねえの」
「明日はおやすみだからいいのー……大将!生ジョッキ大もう一杯!」
「あいよ」
これで四杯目の大ジョッキ、アルコールに支配されかけている先生を前に柴大将の心配が止まらない
しかし明日が休みの社畜社会人を前に野暮な事は言うまいと柴大将は大ジョッキを先生の前に置いた
目の前に置かれた〝とっても幸せになれる大人専用のおくすり〟を前にニヘラと笑うと先生はそれをグビッ!と一息もつかずにあっという間に飲み干してしまった
「んぐぐぐ────ぷはぁ!あ゛あ゛ぁ゛……生き返るぅ゛……」
「こんな姿、生徒には見せらんねえなぁ……」
「……先生である前に一人の人間だもん」
「おっと、こいつは失礼」
失言だったかと柴大将が咄嗟に謝罪するも時既に遅く、先生は拗ねた子供の様にグチグチと聞かれてもいない事を語り始めた
「私だって人間だし、それに先生である前に一人の女だもん。そりゃあさ?大人なんだからある程度の節操は持ってないと駄目だよ?でもさーだからって〝大人が子供と恋愛するな!〟みたいな風潮はおかしくない?ただ好きになった相手がちょっと年下なだけじゃん!こちとら二十代前半だぞバカヤロー!まだ皆に混じって制服着られるんだぞバカヤロー!」
「それはやめときな、間違いなく黒歴史になっちまうぜ」
今の彼女にとっては世間そのものが敵に見えているらしく、自分のとんでも発言に気付く余裕すらないほど世間に対して憎しみを溜めてしまっている
因みにもし彼女が本当に生徒達に混じって制服を着た場合、間違いなく彼女を慕う生徒達から野獣の様な眼光で狙われるだろう
その行為は腹を空かせた獣達の前に餌を放るも同然、青色の髪は一瞬で乱され、緑色の瞳は一瞬でとろけ、その顔は一瞬で快楽に染め上げられるだろう
そんな危険に危うく片足を突っ込みかけていた事にも気付かず先生は叫ぶ
「わたしだって酒泉と青春したかった!寝坊しそうな酒泉を叩き起こしたり!それで〝な、なんで俺の部屋に居んだよ!?〟って驚かれたり!教室についた時に〝今日も二人で登校したの?ラブラブだねー〟ってからかわれて〝ち、違うって!酒泉とはそういうのじゃないから!〟って必死に否定したり!学校中の女子から人気な先輩と私が偶々会話してたのを目撃した酒泉にちょっと嫉妬混じりに〝な、なあ……さっき先輩と何話してたんだ?〟って訊かれたり!」
「ず、随分具体的だな……これが今流行りの〝存在しない記憶〟ってのかい?」
「教科書を忘れた酒泉の為に席をくっつけて教科書を見せてあげたり!お昼休みになったら指の絆創膏を隠して〝お母さんが酒泉君に渡せって!〟て言いながら自分で作ったお弁当 を渡したり!体育祭の借り物競争で〝好きな人〟ってお題を引き当てちゃってそれを隠しながら酒泉を引っ張って走ったり!最後のフォークダンスを二人でぎこちなく踊ったり!慣れない運動をしたせいで足を痛めた私を背負って酒泉が家まで送ってくれたり!」
「お、おお……」
「夏には私の水着姿に酒泉がちょっとドキッとしちゃったり!海ではしゃいでたら私の水着が流されちゃって酒泉が胸を両手で隠してくれたり!秋にはオレンジ色の風景の中を二人で散歩するだけで特に変わったイベントとかはないけど〝これはこれでいいや〟とか〝ずっとこうしていられたらいいのに〟とか思っちゃったり!冬には酒泉に分けてもらった肉まんを食べながら受験の話をして〝……また同じ学校に行けるといいね〟〝……おう〟って下校中にちょっと甘酸っぱい空気を醸し出したり!春の卒業シーズン頃には桜の木の下に酒泉を呼び出して〝私ね?ずっと酒泉のことが───〟ってところで画面を暗転させてハッピーエンドを迎えたりしたかった!!!」
「画面暗転させたらハッピーエンドかどうか分からないんじゃ?」
「そういうパターンの時は大体告白成功してるの!!!」
寝坊する酒泉→前世ならともかく自立している今世では滅多に起こり得ない
教科書を忘れる酒泉→そもそも前世から教科書を鞄に入れてから寝るタイプなのでこれも起こり得ない
水着が流されたら手で胸を隠してくれる酒泉→感性も価値観も羞恥心も普通なので起こり得ない
画面の暗転→女先生生徒化ルートが実装されないと起こり得ない
嫉妬する酒泉→彼には前世で竜島君という〝年上の弓道部美人部長と幼馴染で隣の家の子は銀髪美少女外国人で妹はクール系美女で隣の席の子は有名企業の美人社長令嬢〟という〝お前どこのハーレム系ラノベ主人公?〟なレベルの後輩男子がいたが、そんな子が自分と仲の良い後輩女子やその妹と会話してても横でポケモン厳選を続けるくらい嫉妬心とは縁が遠い男なのでこれも起こり得ないだろう
……これは余談だがその後輩男子君は後輩女子の妹ちゃんに矢印を向けているのだが、そんな事も知らず妹ちゃんがクソボケにうざ絡みしていたので〝クソボケがクソボケに絡んでいる〟という絵面が完成する事が度々あったとか
「それでなんやかんやあって続編が始まってぇ……前作主人公の力が必要な脅威がやってきてぇ……新主人公が私の下を訪れたらそこに私のことを〝ママ〟って呼ぶ私と酒泉の面影を感じさせる子供が二人くらい居てぇ……」
「一気に時系列跳ばしたな……」
「うぅ……私がこうして生を飲んでる間に酒泉はナマでヤる準備をしてるんだぁ……」
「……ここにセリカちゃんが居なくてよかったな」
「私だって……私だってぇ……たいしょー!ビール中瓶二本追加!それと餃子も二セット!」
一通り妄そ…幻そ…夢を語り終えて満足した先生は気分が乗ってきたせいか更に酒を求め、下手に刺激するとまた面倒な話が始まると判断した柴大将が直ぐ様一本目の中瓶を先生に渡した
一応先生の名誉の為に言っておくが何も彼女は飲む度にこんなベロンベロンに酔っぱらう訳ではない。彼女は自分のアルコール許容量を理解しているし、それを自制出来るくらい強い精神だって持っている
ただ運の悪い事に今回彼女の身に降り掛かった不幸はその屈強な精神力ですら耐えきれないほどショックが大きく、更に運の悪い事に彼女は一度アルコールの許容量を越えてしまうとそこらの酔っ払い親父すらドン引きしてしまうほど酒を求めてしまうという自身の体質を自覚できていなかった
「んぐっ……んぎゅ……ぷはぁ!」
「なあ、もうその辺にしておいた方がいいんじゃ……」
「んー?……よゆうよゆう!まらまらいけるって!」
共に手渡されたキンッキンに冷えたグラスすら使わず中瓶をらっぱ飲みする先生、そこに全生徒の憧れた姿は無い
「にゃーにがしゃちょーの娘だー!こっちはおとなのおねえさんだぞー!ぴっちぴちの二十代ぜんはんだぞー!」
「だったら大人っぽい姿を保つように心掛けるべきだな」
「なにがだめなんだ!大人なのにしょじょだからか!?しゅせんのわがままやろー!リードできなくてわるかったなー!」
絶対に聞かせてはならない言葉を何度も何度も叫び続ける先生、幸いにも彼女以外の客は今のところ入ってきておらず、その上もうすぐ閉店するためこれから客が増える予定もない
……が、柴大将からすれば何が原因で爆発するか分からない爆弾を相手にしている様なものなので早急にその〝酒泉君〟とやらに何とかしてほしかった
「ひっく……せんせいだって女だもん……大人じゃなくて女だもん……ひっく……ちょっとみんなより年上なだけのおんなだもん……」
「大人なんてそんなもんだ、子供達からは〝何でも出来て何でも知ってる完璧超人〟なんて思われがちだが、実際には子供の頃と比べてほんのちょっと出来る事が増えたってだけの生き物さ」
「そうだもん……だからしゅせんは私のことをもっとあまやかしても……ぅ……うぅ……!」
「……ん?」
「う゛え゛えぇ゛ええぇえ゛えぇぇ゛ええ゛ん!!!こんなだらしないおとな、しゅせんにきらわれちゃうよお゛おおぉ゛ぉお゛おぉお゛お!!!」
「……とりあえず水飲みな」
急にキレたり急に泣いたり急に落ち込んだりと何処ぞの四皇ばりに性格が切り替わる先生
そんな彼女が落ち着く様な言葉など柴大将に思い付ける筈もなく、結局彼は先生が泣き止んで満足するまで閉店時間を先延ばしにした
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「うぅ……おぇ……なにがみせいねんいんこうだ……キヴォトスではせんせいとせいとが恋愛してもいいってキリノがいってたんだぞ……てんかのおまわりさんがまちがってるってのかバカヤロー……」
今日一ふらっふらな足取りで帰路を歩く先生、時間帯的に彼女の独り言を聞いている者は大人ばかりなので少なくとも今晒している醜態が生徒達の間で広まることはないだろう
それと彼女の言う天下のお巡りさんの中には一部汚職に手を染めていたり防衛室長と癒着している者もいるので絶対正義という訳でもなかったりする
「しゅせんはもっろわらひをみろー……へいきんていどにはおっぱいだってあるんらぞー……」
彼の推しの少女が〝持たざる者〟な時点で胸部云々は関係無いのだが、もはやアピールできる部分は何でもアピールしてしまえとヤケクソ気味な彼女には関係の無い話だった
……というか、ここまで恋愛感情が拗れたのは彼女が〝私達は先生と生徒だから〟という外の世界の倫理観に囚われすぎて酒泉と距離を置いてしまったからである
つまり攻略難易度を自分から爆上げしているので自業自得だったりする
「くっしょー……こんどあったらおもっきしぶっちゅーしてやるもん……キヴォトスぢゅうのせいとのまえでキスしちゃうもん……」
先生としての立場を忘れているどころかなんかもう自分が大人である事すら忘れてそうな勢いで逆恨みを募らせる先生
酔っ払いシャドーボクシングを誰も居ない空虚に向かって疲労していると……ほら、早速数メートル先ににっくきクソボケの幻影が浮かび上がってきたではないか
「……ふへへ」
これは都合が良い、ふやけた笑みを浮かべた先生は今後の予行練習だとばかりにクソボケの幻影目掛けて突っ走っていった
幻影の癖に何故か心配そうな顔をしながら駆け寄ってきているが今の先生にとっては些細な問題である、それよりも今はその面に一発お見舞いしてやらなければ
「みつけたぞくそぼけー!わたしはこんなにしゅせんのことをあいしてるってのにそれをむししてほかの子とイチャイチャして……そんなおとこはこうしてやる!」
自分の身よりこれから襲ってくるであろう敵の事を案じている愛おしい幻影の肩に両手を乗せると、そのまま油断し切っている幻影を引き寄せ────勢いよく、目の前の口に口付けた
「んっ……♡」
確かに宣言通りキスはした……が、それは事前に宣言していた〝ぶっちゅー〟ではなく、むしろ無音で口を付け合う大人のキスだった
……これは彼女がどんなに酔い潰れていても根は乙女なのだという証明なのかもしれない
唖然としている幻影の口に舌を入れ、それでも尚動こうとしないから自分から幻影の舌に積極的に絡ませに行くと〝ぴちゃ〟と唾液同士が絡まる音が夜の帰路に溶け込まれた
「んぅ……ぷぁっ────はぁ……はぁ……………しゅせん」
酒気を帯びた顔で、乱れた髪で、酒だけのせいではない荒くなった息で
先生は憎き幻影の背に手を回して抱きついたまま微笑んだ
「だぁいすき」
佇む幻影、その反応を見た先生は笑みをより深くする
やりたかった事をやって勝手に満足したのか、力の抜け落ちた先生は幻影に体を預けるように前のめりに倒れた
「えへへぇ……しゅせんすきぃ……すきすきぃ……」
この後は幻影をすり抜けて地面に激突し、その痛みに悶えるだけの筈だった
しかし不思議な事にその痛みと衝撃はいつまで経っても襲って来る事はなく、代わりに先生が感じたのは心底安心させられる様な人の体温程の暖かさだった
「んぐ……ぐ……ぅお……いたたたたた……」
頭をガツン!と殴られた様な痛みと共に覚醒する先生の意識
一分と数十秒程呆けてから漸くスマホの電源を入れて時刻を確かめてみるとホーム画面には13:38と表示されていた
「うわぁ……今日が休みでよかったぁ……いや、そもそも次の日が休みじゃないと飲まないんだけどね」
それでも〝休日だからといって一日の半分以上を酔って寝てましたで済ませるのは大人としてどうなのか〟という念に駆られたが、即座に〝これは大人にだけ許される特権なのだから構わないだろう〟という謎の自己弁護が先生の中で浮かび上がる
それに後悔したところで時間が巻き戻る訳でもあるまいしと完全に開き直りモードに入り、その勢いで未だ酒臭い自身の口の中に天然水を流し込む
これを買った記憶は無いがペットボトルがここに置いてあるという事は帰る途中で自販機かコンビニでも寄ったのだろうと適当にあたりをつけながら
「んく……そういえば私、なんでシャーレに居るんだろ」
ペットボトルの蓋を絞めながら先生が辺りを見渡すとそこは見慣れた部屋だった
酔っ払い状態の自分が家まで帰るのを面倒臭がって途中でシャーレまで引き返し、そのままここで寝泊まりしてしまったのだろうか
我ながらだらしがない、しかもその癖にしっかりと毛布だけは被っている
そんな怠惰の為なら努力を怠らないもう一人の自分に呆れながら先生は先日の行動を思い返した
「確か昨日はユウカとノアに仮眠を取るように言われて、それでその後は確か……」
少し気分が良くなったので仕事を再開して、仕事が終わった後は電車に乗って、それで────
「……ぁ……あぁ……ぁあああああああああ!?」
そこで彼女は思い出した、昨日の夜の出来事は
あの時間、あそこで起きた事を、全て────
「どうしよう……柴大将にめっちゃダル絡みしちゃった……!」
────昨日の自分が、殆どただの迷惑客であった事を
閉店時間を伸ばしてまで愚痴に付き合ってくれた聖人店主様に詫び、そして誠意を示す為に急速で回転し始める先生の頭
何を手土産に持っていこうかと青ざめた顔で考えながら、先生はデスクの上に置かれていた多分きっと恐らく自分が酔い醒まし用に買ったであろう〝インスタントあさり風味味噌汁〟にお湯を注ぎに行った