昔々、あるところに一人の少女がいました
8歳の頃から〝かけっこ〟や〝ごっこあそび〟より本を読む事の方が好きだった少女はあまり同年代の子供達に混じらず、その日も揺れる草木の音を曲代わりにしながら文字の世界に没頭しようといつもの場所に向かいました
公園ごと遊具を囲む木々、その中でも一等大きな大木、子供達を見守るように聳え立っているその大木こそが少女の特等席
少女はこの公園に来ると決まってその大木の真下に座り込み、葉の影に覆われそよ風を浴びながら家から持ってきた本を読んでいました
しかし今回はどうやら先客が居たようで、少女は大木の前に誰かの姿を見て足を止めてしまいます
そこに座っていたのは少女と同い年くらいかの少年、なんと彼も少女と同じ様に大木の根本に腰掛けて本を読んでいるではありませんか
当時は人見知りだった……という訳ではありませんが、それでも自分から積極的に他者と関わろうとはしないタイプだった少女はただそれを遠くから眺めるだけ
もうすぐ読み終わるかな、早くあそこに座りたいな、そんな思考を読まれないように公園のベンチに座りながらチラリチラリと少年の様子を窺う少女
公園に着いてからギリギリ一時間に満たない頃、一冊の本を読み終えた少年が漸く本を閉じ……そのまま二冊目の本を読み出してしまいました
今日はもう特等席は空かないかもしれない、そう悟った少女はほんの少し気落ちしつつもひらがなだらけの子供用に読みやすくされた小説を開きました
別にあそこじゃないと本を読めない訳じゃない、今度来た時に座ればいいだけ
同年代の子と比べて大人びている方である少女は、自分のお気に入りの場所を盗られた事に対して子供特有の独占欲を抱くこともなく、一冊の小説を読み終えた後は静かにその場を去りました
そして間を空けぬまま次の日、少女は有言実行とばかりに大木の下まで駆けていきます
しかしこれまた視界に入ったのはあの時の少年、数冊の本を傍らに置き、穏やかな表情で本の世界に没頭する彼の姿を見て少女は足を止めてしまいました
一度ある事は二度ある、二度ある事は三度ある……その日から少女は度々少年の姿を見掛けるようになりました
ある日は自分が先に座っているのを見て帰ろうとした少年の姿を、別の日はまた先に座っていた少年の姿を、話し掛けるでもなくお互いにただ存在を認知しているだけ
友達でも何でもないその関係が一変したのはいつだったか
『……あ』
少しずつ夏の暑さが訪れてきた頃、少女は少年が読んでいる一冊の本に目が行きました
少年が読んでいたのは少女が興味を惹かれていた恋愛小説、最近発売されたその本は色んな書店でポスターと一緒に店頭に飾られている話題作でした
しかし興味が惹かれていると言っても少女はまだ8歳、この日彼女が持ってきた〝キヴォトス小学生文庫〟が出版している本と違い、難しい漢字が沢山載っているその本はまだまだ一人で読めそうにもありません
〝あんなむずかしい本、ひとりでよめるのかな〟と
恐らく年齢的にそこまで差は無いであろう少年をじっと見つめていると、なんと少女の存在に気付いた少年と偶々目が合ったではありませんか
『……!』
ジロジロ見てしまった事への罪悪感と目が合ってしまった事への気恥ずかしさから咄嗟に木の裏に姿を隠してしまう少女、そこから〝おこらせちゃったかな〟と恐る恐る顔だけ出して少年の様子を確認してみました
すると少年は少女が隠れた木の方をずっと見つめ続けており、一分も経たぬ間に再び目が合ってしまった少女はカチリと固まってしまいました
一方で少年の方はそんな少女を見て〝此方から話しかけてあげるべきか〟という考えに至ったのか、視線だけ向けてきて一向に近寄ってこない少女にちょいちょいと手招きしました
その手招きに応じてか、少女も右手と右足を同時に振って歩くという如何にも緊張した様子で少年の元へ歩み寄りました
少女が到着すると同時にゆったり立ち上がる少年、彼は固唾を飲む少女に優しい声色で語りかけました
『あー……こんにちは、照れ屋で素敵なお嬢さん』
『へっ?……あ……こ、こんにちは!』
『えっと……早速だけどこの木ってもしかして君のお気に入りの場所だったりする?』
『そ、そうだけど……どうしてそんな事を聞くの……?』
まるで大人が一回り年下の子供を相手する時の様な接し方をする少年、急に話しかけられた少女は少しだけ上擦った声で咄嗟に返事をしました
こんな素敵な場所を独り占めしてきた事を怒られるのかなと、不安気に少年の顔色を窺う少女、しかし彼女の予想とは裏腹に少年は申し訳なさそうに頭をかきました
『いや、だとしたら悪い事をしたかなって』
『……え?』
『だってここ、君が前から使ってた場所なんだろ?だとしたら俺が勝手にお邪魔しちゃってるって事になるからさ……今まで悪かったよ、これからはあっちのベンチで読むようにするから君は今まで通り何も気にせず座ってくれ』
伝えたい事だけ伝えてその度に立ち去ろうとする少年
喧嘩した訳でもないのだからそこまで遠慮せずとも……と考えたけど、その直後に一つの可能性が少女の中に過りました
〝もしかして私があんなにじろじろ見たせいで邪魔だと思われてるって勘違いさせちゃったのかな〟と
そう考えた少女は焦りながら手を引っ張って少年を引き留めました
『う、ううん!ぜんぜんわるくないよ!だってここ、みんなの公園だもん!』
『ん?許してくれるのか?』
『うん!だからあなたも……えっと……』
『折川酒泉』
『しゅせんくん!しゅせんくんもそこつかっていいから!』
『そうか……ありがとな、えっと……名前は……』
『さくらいミヨ!』
『おう、ありがとな桜井さん』
『う、うん……』
余裕を感じさせる落ち着いた雰囲気の少年の笑みを受け、照れ臭そうに微笑み返すミヨ
そんな自分の心情を誤魔化す為か、ミヨは酒泉に新しく話題を振りました
『と、ところでさ……しゅせんくんってその本よめるの?』
『ん?……ああ、この恋愛小説?読めるけどそれがどうかしたのか?』
『ほんと!?すごいなぁしゅせんくんは……そんなに難しい本がよめて……』
『俺の年齢なら別にふつ……あ……そ、そうか?まあ、人より漢字の勉強得意だったしな』
『やっぱりことばの意味とかもわかるの?』
『まあ、な』
『そうなんだ……いいなぁ、わたしもその本はやくよめるようになりたいなー』
いいなーすごいなー、と
目の前の男の子が大人達の仲間に片足を入れているような気がしたミヨはとても羨ましそうに繰り返しました
すると自分が持ってきた本に興味を持たれているのを知った酒泉は、恋愛小説をまじまじと見つめてくるミヨに一つの提案をしました
『……それならさ、俺がこの小説読んであげようか?』
『え?』
『この小説気になってんだろ?子供が内容を完璧に理解するにはちょっと難しいだろうけど……その辺は俺が子供でも分かりやすく訳すからさ』
『……い、いいの?』
お互いにお互いの存在を認識していたとはいえ、話したのは今日が初めての二人
しかしそんな他人への人見知りよりギリギリ好奇心の方が勝ったミヨは恐る恐る酒泉に訊ねると、酒泉は自分から言い出した事を後から取り消す筈もなく喜んで頷きました
『じゃあ……よ、よろしくおねがいします』
『おうよ、じゃあまずはプロローグから────』
この日からミヨは何度も酒泉と会うようになりました
それも会うだけではなく、会話もするように
二人で並んで座り、木陰で恋愛小説を読んだり
時には気分転換に他の子供達の様に冒険してみたり
酒泉が自分より年下である事を知ってお姉ちゃんらしいところを見せようとして失敗したり
お祭りの日に浴衣を褒められ、他の人達に褒められた時とはちょっぴり違う嬉しさに戸惑ったり
夏も変わらず読書に夢中になり、時間が経って生温くなってしまったラムネを飲んで揃って微妙な顔をしたり
冬も変わらず寒空の下で読書に夢中になり、他の子を迎えにきた大人達に呆れられたり
二人はいつまでも仲良く遊び続け────
『だーかーらー!俺はゲヘナに行って風紀委員になるんだって!危険なのも承知の上……理由?それは……言えないけど────は?〝私もゲヘナの風紀委員になる〟?』
『……いやいやいやいやいや、何言ってんだよ桜井さん。正気か?ゲヘナだぞ?犬もあるけば棒に当たるならぬ〝生徒歩けば事件起こす〟のゲヘナだぞ?やめとけって、マジで危ないから』
『俺?俺は別にいいんだよ、俺の身に何かあったところで大して影響が出る訳でも……〝絶対にゲヘナに行く〟?だーもう!なんでそうなるんだよ分からず屋!』
『なんでいっつもこういう時だけ頑固なんだよ桜井さんは!頼むから俺の事はマジで放っておいてくれ!暇が出来たら定期的に連絡だってするから!だから頼むよ!ミヨ!なあ!お願いだよミヨお姉ちゃん!……くっ、お姉ちゃん呼びでも駄目か!いつもはチョロい癖に……!』
『……はぁ、分かった。降参だ降参、流石に桜井さん巻き込んでまでゲヘナに行く気にはならんからな……分かった、俺もワイルドハントに行くよ、学年違うから一緒に入学は無理だけど……まあ、一足先に待っててくれ』
『おう、約束だ約束。……大丈夫だって、俺は出会ってから一度も桜井さんに嘘吐いたことないだろ?』
『卒業したら必ずワイルドハントに行くから……頼む、俺を信じてくれ────ミヨ』
『………………許してくれ、とは言わないさ』
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「私ね、ずっと酒泉君のことを助けてあげたかったんだ」
目の前の俺に思い遣るかの様な笑顔を向けるミヨ、しかし俺はそんな彼女と数枚の書類を前にしてただ苦笑いする事しかできない
そんな自分自身を情けなく思うも〝要りません〟とキッパリ断る事はしない、俺だって命は惜しい
「酒泉君、ゲヘナでずっと辛い思いしてきたでしょ?だからどうにかしてゲヘナから解放してあげられないかなって」
いや確かに辛い思いはしてきたけど、それどころか二度目の死を迎えそうな時もあったけど
だからってこれは急すぎるだろ……それだけミヨが真剣に俺を心配してくれていたという事でもあるのだろうが
「酒泉君の個人情報は私の方で調べて予め書いておいたから後は判子を押すだけだよ」
「……ぇ」
「寮監隊の人にお願いしてお部屋も用意してもらってるんだ……あ、勿論私の部屋のすぐ近くだからね?ワイルドハントに来て暫くの間は勝手とか分からないだろうけど、慣れるまでは私が色々お世話するからそこは安心してね」
なんとか視線だけでも動かして書類を確認すると、そこにはびっしりと正確に書き記された俺の個人情報が
……まるで模写したかのように書体まで俺に似ているのは気のせいだと思いたい
「散々待たせちゃってごめんね?……でも、もう大丈夫だから!これからは危険なお仕事も物騒な人達の相手もしなくていいんだよ」
平常時の清楚で大人しそうなそうな文学少女の姿とは反対に、嘗てのあどけなさを感じさせるような笑みで胸を張るミヨ
だというのに心臓を握られているようなこの空気を醸し出してくるのは相変わらず、この状態の彼女は目のハイライトが消えやすいので言葉選びには気を付けなければ
「あ……あの、さ……気持ちは嬉しいんだけどさ」
「うん?」
「俺、転校する気は無いというか……」
断られるとは1ミリも思っていなかったのか、笑顔のままピタリと固まるミヨの体
前々から遠回しに転校を勧められていたが、こうしてハッキリと行動に移されたのは今回が初めての事だった。余程俺を説得出来る自信があったのだろうか
「えっと……ごめん、聞き間違いかな?今〝転校する気は無い〟って聞こえたんだけど……」
「いや、それで合ってるよ」
「…………一応、理由を聞かせてもらってもいい?」
笑顔は崩さず、しかし冷たい声色で訊ねられる
「今の繋がりを大切にしたいっていうか……やっぱり皆と離れるのは寂しいし」
「……」
「確かにゲヘナにはどうしようもない奴等が沢山居るけど、でも良い人達だって沢山居るんだよ。俺はそういう皆と馬鹿やって遊んだり一緒に戦ったりしたいからさ」
銀鏡さんは実力は申し分無いけどすぐ挑発に乗ったりして罠に掛かりやすいからな、俺が隣でサポートしてあげないと
天雨さんは空崎さんが絡むと暴走する変態だから俺が止めてやらないといけないし、それに火宮さんには怪我の心配されて〝定期的に身体を見せにこい〟って言われてるし
……それと、空崎さんとの約束だってまだまだ継続中だ
便利屋や美食研はちょっと目を離すだけですぐ事件起こす、温泉開発部は俺や空崎さんを見てビビる癖に次の日にはけろっと元通りになってる
万魔殿には常に釘を刺しておかないと、給食部にも守りたい人達がいる
「……まあ、だから……さ。もう少し頑張ってみようかなーって」
もう少し、というよりは頑張れるだけというのが正しいか
少なくとも誰かに必要とされている限りは、それと俺が在学中に問題児共が暴れ続ける限りは風紀委員会から離れるつもりはない
「ふーん、そっか」
張り付いた様な笑顔が崩れ、細目で見つめてくるミヨ
恐る恐る顔色を窺おうとしたタイミングで、丁度良く目が合ってしまった
「酒泉君はその人達を優先したいんだね」
「い、いや……優先とかじゃなくて……」
「ううん、いいの……実はね、ちょっとだけ安心したんだ」
「……え?安心?」
一瞬空気が怪しくなった感じがしたがそれは気のせいだったらしく、ミヨはほっと一息ついて静かに目を閉じた
「酒泉君、頑なに転校の話を拒むからゲヘナで物騒な人達に脅されてるんじゃないかって思って……」
「それだけはない、むしろ俺が脅してる側だ……でも、心配してくれてありがとな」
ミヨが安堵した理由を知ってより心が痛んだ、俺はこの人に大きな嘘を吐いてしまっただけでなく心労まで掛けてしまっていたとは
……ただ、それを未然に知っていたとしてもあの頃の俺はミヨを騙してゲヘナに行く道を選んでいたと思う
そんな最低な俺をこの人はこの人なりに助けようとしてくれたんだ、その救いの手を再びはね除けてしまう事を心苦しく思う
「でも、そっか……酒泉君、大切な人が沢山出来たんだね」
「……悪い」
「……ね、ねえ!もしかしてさ、酒泉君ってその大切な人達の中に好きな人とかいるの?」
「え?いやまあ、全員好きな人達だけど……」
「そ、そうじゃなくて……恋愛的な意味で好きな人とかさ」
「あ、ああ……そういう……」
恋愛的な意味でか……確かに皆魅力的な人達ばかりだしドキッとさせられる事もあるにはあるけど……でも、今のところ恋をした事は無いな
友愛とか恋慕とか尊敬とかそういうの一切考えずに全部纏めて決めるなら多分空崎さんへの〝好き〟が一番大きいだろうけど……
「……うん、そういう意味での好きな人はまだいないな」
「ほ、ほんと?」
「おう、強いて言うなら今は仕事が恋人だな」
「そ、そうなんだ……」
同情してくれるどころか本人すら聞こえてるのか怪しい声量で〝よかった〟と呟くミヨ
これはあれだろうか、ざまあみろ的な意味での〝よかった〟なのだろうか……だとしたら俺に提案を跳ね除けられたのが相当ご立腹なようだ
「……てか、なんで急にそんな事を聞いてきたんだ?」
「その、もしかしたら好きな人がいるからゲヘナから離れられないのかなって……もしそうなら、私のやってる事ってその人と酒泉君を引き離そうとしてるだけになっちゃうから……」
先程までの威圧感は何処へやら、ミヨは申し訳なさそうに俺の顔を見つめてきた
普段は気弱な性格してる癖して、時折自分じゃ抑えが利かなくなるくらい強気になったり、その癖後から自制心が働いて一気に落ち込んだり
こういうところは昔から何一つ変わっていないな……まあ、それが逆に安心するんだが
「それにしても……酒泉君、ちゃんと私との約束守ってくれてるんだね」
「約束?」
「ほ、ほら……えっと……あ、あの約束……した……よね?確かに子供の頃約束したはず……だよ、ね?ね?」
「いや、そんな事言われても……子供の頃の約束なんていっぱいあるし……」
主に俺が根負けして渋々交わしただけの大量の約束だけどな
タイプライターで手紙を打って文通するとか、卒業したらあの大木の下でお互いどれだけ大きくなったか比べるとか、その辺の約束事ならば可愛いもんだ
だが、大人になってもずっと一緒にいようねとか、同じ街で暮らそうねとか、そういう将来に関わる約束だけは曖昧にしようとし………じわじわと涙目になっていく幼き頃のミヨに勝てず……けっきょく……やくそく、させられた……ことも……あった…な……
「……やっぱり忘れてたんだ」
もしや……その中のどれかだろうか……特に印象に残ってるのは…………駄目だ、心当たりが……おおすぎ、て……なんも…………おもい……うか……
「あーあ、せっかく正直に白状するチャンスをあげたのに……本当はゲヘナに好きな人がいるんでしょ?そうじゃないと私との約束を破ってまでその人の為に命を懸けたりしないもんね?」
やくそく……どれ……あ……もしかし……て……
────わたし、この人みたいなステキな■■■■になれるかな……?────
────じゃ、じゃあ……もしわたしの〝しゅじんこう〟が出てこなかったら……そのときはしゅせん君が〝しゅじんこう〟になってね……?────
────ほ、ほんと?やくそくだよ?ぜったいにわたしをヒ■■■にしてね……?────
────ぜ、ぜったいだよ?ほかにヒ■イ■つくっちゃだめだからね?うそついたらバチがあたるからね?────
「嘘つき」
このクソボケ、目がめっちゃいいから御手洗い中に危ないもんを食事に仕込まれても帰ってきてすぐ違和感に気づけるんですよ
でもそれはそれとして人間的にはチョロ川君なんで心の底から信頼している人の前で大好きな甘味を摂る時はクソバカになります