ラスト1ページの恋   作:東山章魚

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前編

 

 

 少女漫画――それも、学園が舞台になっているような王道少女漫画の第一話の流れは、大抵決まっている。

 

 主人公は、真面目で、頑張り屋で、誰にでも優しくて、だけど少しだけ不器用な普通の女の子。そして物語は、そんな彼女が何らかのトラブルに巻き込まれるところから始まる。

 

 トラブル、と一口にいっても様々な種類があるのだが、少女漫画に限った話でいえば、人間関係についてのものが多いだろうか。

 クラスの派閥争いのせいで居場所を失ったり、些細な行き違いから友人と距離ができたり、胸が締めつけられるような失恋をしたり……。

 

 それらは、学生にとってはありふれた出来事なのかもしれない。けれど、青春の真っただ中にいる主人公にとっては、どれも世界を揺るがす一大事だ。

 

 クラスメイトにも、友人にも頼れなくて、不安を誰にも打ち明けられなくて、一人で抱え込むしかなくて。

 

 でも、そんな絶体絶命のピンチに颯爽と現れ、主人公に手を差し伸べてくれる存在。

 それが、少女漫画におけるヒーロー、素敵なイケメンキャラなのである。

 

 もちろん、主人公だって出会った瞬間から恋に落ちるわけじゃない。というか、このイケメンキャラにもいくつかパターンがあって、それこそ王道なのは、無愛想というか、傍若無人というか、俺様系というか……人当たりの良くないタイプだから、出会い頭にデリカシーのない発言をしてぶつかり合うことも多い。

 

 でも、その冷たさの裏に垣間見える優しさや、核心を突く鋭い洞察力に、主人公は徐々に惹かれてゆく。そして最後の最後には、大胆な行動で見事に主人公を救ってくれる。

 

 物語のクライマックス。ラスト1ページは――そう。

 

 ありがとう、という主人公の言葉に、別に大したことないとクールに返すイケメンキャラ。背景すら消え去った二人きりの世界。紙面いっぱいに塗されたロマンティックなエフェクト。遠ざかる背中をただ見つけるだけの主人公――。

 

 そして、そこではじめて、彼女は自らの胸の内に芽生えた“恋”を知るのだ。

 

 ……それは、なんてキラキラした恋なんだろう。

 

 そんな恋が出来たらいいな、と思う。

 そんな恋は漫画の中だけなのかもしれない、とも思う。

 

 今この胸の中にある恋は、彼女たちの恋と、どれほど違うのだろう。

 水増しされて色が薄くなってないだろうか、欲望に黒ずんでないだろうか、ちゃんとキラキラしているだろうか。

 

 目的地へひた走る列車の中、そんなことばかりを()()()()と考えていた――。

 

 

………

…………

………

 

 

「まもなく、押上です。出口は右側です」

 

 駅への到着を告げるアナウンスが聞こえて、俺は、折り目がつかないよう腿の上で優しく開いていた少女漫画をそっと閉じた。

 

 他の巻と一緒にビニール袋にくるんでバッグの中へ入れ、ゴールしたランナーのように速度を緩めてゆく列車の中で、さっと立ち上がる。スマホの時刻表示を見やれば、待ち合わせの15分前。早くもなく遅くもないまさに理想の時間。たぶん、待ち合わせている相手のほうも、これ位の到着を目指しているはずだ。もしかすると、同じ電車で来ている可能性すらあるかもしれない。

 

 ドアチャイムと共に扉が開いて、冬の冷たい風が頬を叩く。地下鉄なので急に寒空の下に放り出されるわけではないが、暖房の効きすぎた車内との寒暖差にぶるりと身体が震えた。

 

 黒いダウンジャケットの前を閉めてから、首をすくめるようにして外へ出る。左右にざっと目を走らせるが、お目当ての相手はいない。

 

 待つことになるのか、待たせることになるのか。恐らくは後者だろうな、と思った。彼女の性格を考えると、もう一本くらい前の電車で来ていそうだ。

 

 待ち合わせ場所である改札に一人佇む彼女の姿が脳裏に浮かんで、自然と足が速くなる。

 

 エスカレーターを横目に階段を駆け上がり、複雑に入り組んだ駅構内のコーナーをきゅいきゅいと攻め、長い通路を一気に抜ける。

 

 そうしてようやくたどり着いた改札には、クリスマスということもあってか、それはもうわんさかと人が集まっていた。

 

 果たしてこの人込みで待ち合わせ相手を見つけられるのだろうか。そんな不安を感じながら辺りを見回して――しかしすぐに俺の視線が、隅っこの壁に寄りかかりもせず立っている一人の少女へと吸い寄せられる。

 

 カプチーノみたいに重ねられた、ゆったりとした白いアラン模様のニットワンピースと、チェック柄の茶色のコート。タイツに守られてすらりと伸びる足と、その先で地に花咲くメリージェーンのお洒落なパンプス。

 いつも通りなはずのコーヒーブラウンのボブカットも、けれど、毛先がちょこんと外側に巻かれていて。今日は特別な日なんだよ、ということを教えてくれているようだった。

 

 柔らかい光を湛えた瞳は――まだこちらを見ていない。

 なんて声をかけよう、そう考えながら、ゆっくりと近づいてゆく。

 

 心臓がばくばくと飛び跳ねている。僅か数メートルの距離がひどく遠く感じる。まるで水中を歩いているかのようなもどかしい感覚に包まれる。

 

 行き交う人たちは、どうして平然と彼女の横を通り過ぎてゆくことができるのだろう。どうして振り返らずにいられるのだろう。どうして恋をせずにいられるのだろう。

 

 前日の夜に考えた第一声の案はすべて吹き飛んでいた。唾が異常なまでに分泌されているのに、口内はからからに渇いていた。

 

 中空をあてどなく彷徨っていた茶色の瞳がこちらの姿を捉える。その口元がふわりと緩む。

 

「おはよう」

 

 俺がこのクリスマスに待ち合わせた相手――羽沢つぐみは、そう言ってにこりと微笑んだ。

 

 

 無事合流に成功した俺たちは、早速、最初の目的地へ向かって並んで歩きだした。目指すはつぐみリクエストの、駅直結のショッピングモール内にある喫茶店。俺は全く知らなかったのだが、最近SNSで話題になっているお店らしい。つぐみ曰く「私よりひまりちゃんの方が盛り上がってたな」とのことだった。

 

「ごめんね、つき合わせちゃって」

 

 隣で申し訳なさそうに眉を下げるつぐみに、俺はつとめて明るく返す。

 

「全然気にしないでよ。そもそもこのショッピングモールを提案したのはこっちだし。それに俺、普段羽沢珈琲店にしか行かないからさ、ちょっと楽しみかも」

「え、そうなの!? もったいないよ! ……その、うちに来てくれるのは嬉しいんだけど、近くにも素敵なお店はたくさんあるし」

「う……うん」

 

 つぐみの意見を否定するわけにも、かといって、じゃあこれからは他のお店にも行くよとも言えず、曖昧な頷きで返事を濁す。

 

「……」

「……」

 

 通り過ぎる店々から流れてくるぶつ切りのメドレーがやけに大きく聞こえる。正面からやってくるカップルの会話が救急車のサイレンみたいに近づいては離れてゆく。迷子のアナウンスが通路にこだましている。

 

 ――やばい、会話が続かない。普段ならもっとスムーズに話題を取り出せているはずなのに。……いや、元からこんなもんか? 無言の時間ぐらい誰にでもあるはずで。過度に気にしすぎなだけ?

 

 ちら、とつぐみのほうを横目で盗み見る。

 黙したまま真っすぐ前を見て歩くその表情に、特に変わったところはない。

 

 嬉しいような、だけど、どことなく悔しいような。

 今日のデートに舞い上がっているのは、俺だけなのだろうか――。

 

「あ、ここ……かな?」

 

 ひとりどぎまぎしている俺をよそに、はたと立ち止まったつぐみが指し示したのは、黒を基調としたシックなコーヒースタンドだった。三方が開いていて、焼き菓子を用意していたり、ハンドドリップでコーヒーを抽出していたりと、忙しく働く店員さんたちがよく見えるような造りになっている。看板にある店名は英語で、その意味は――“よき友人たれ”? 都会の喫茶店は名前まで洒落ていると相場が決まっているらしい。

 

 「とりあえず並ぼっか」とつぐみに言われるがまま、列の最後尾へ。

 このお店はどうやらショッピングモールにありがちなイートイン形式のようで、買った後は近くのテーブルで食べてくださいというシステムになっているのだろうが、パッと見た限りでは、あいにく周囲の席はすべて埋まってしまっていた。

 

 

 ここに来るまでの道中にもいくつか空いているベンチはあったし、買うだけ買って、座席探しの旅に出ればいいか――なんて思っていると、俺の目がその視界の端で、四人掛けのテーブルから一斉に立ち上がるグループの姿を捉えた。

 

「俺のぶん適当に頼んどいて!」

 

 「え?」と驚くつぐみを置いて列を抜ける。もしここが小学校の廊下であったならば間違いなく叱責が飛んでいるであろう限りなくダッシュに近い早歩きで、空きたてほやほやのテーブルに食らいついた。

 

 あまりの必死さに、席を立ったばかりのグループが若干引いている。俺も今更になって、ちょっとやりすぎかもと思ったが、背に腹は代えられない。人生時には図々しさも必要と、どっかり座って権利を主張する。

 

 さてつぐみはとコーヒースタンドの方を見ると、あちらもちょうど会計を終えて商品を受け取るところだった。二人分の飲み物と焼き菓子とをトレイに載せて運ぶ姿に、大丈夫かと俄かに心配になったが、そこは流石に珈琲屋の娘、見事なバランス感覚で危なげなくテーブルへと着地させた。

 

「もう、びっくりしたよ。急に飛び出して……」

「ごめんごめん。ここしかない! って思ってさ。……あ、いくらだった?」

 

 「えーっとね……」と取り出された領収書を受けとって自分の分を支払うと、それと入れ替わるようにして、つぐみがコーヒーを置いてくれる。

 

「はいこれ、ブラックで良かったよね?」

「うん、ばっちり。つぐみは?」

「私はミルクチャイ。うちでは出したことないし、参考になるかなと思って」

 

 つぐみが席に着くのを待ってから、二人でいただきますと軽く手を合わせる。持ち帰りも可能な厚い紙の容器に口をつけずずと飲んでみると、まるで交響曲かのような複雑な味わいが舌にどっと押し寄せてきた。フードペアリングが必要ないくらい深いコク。しかもその後味にはほのかに甘さがあって。まぁ、要するにすごく――

 

「美味しい……」

「ふふ、よかった」

 

 思わず零れ落ちた俺の感想に、くすりと笑うつぐみ。そのまま店内をぐるりと見回して「すごいなぁ」と感嘆をもらした。

 

「……このお店、ドリップコーヒーを全部プアオーバー……手作業で抽出してるんだって」

「ん? 羽沢珈琲店もそうじゃないの?」

「もちろん、うちもそうだけど、お客さんの数が全然違うし……」

「そんな違うんだ?」

「うん。多分、10倍くらい違うんじゃないかな……。特に今日はクリスマスだしもっと来てるかも。この規模のお店でドリップマシーンを使ってないのはすごいよ。オペレーションがしっかりしてるんだと思う」

 

 そのまま、つぐみの喫茶店談義をスコーンをつまみながらふんふんと聞く。気がつけば、今日の初めに感じていた変な気負いはすっかり消え失せていた。もしかすると、喫茶店という環境が俺をいつも通りに戻してくれたのかもしれない。

 

 話が一段落したところで、そういえばと俺はバッグの中から少女漫画を取り出した。

 

「これ、忘れないうちに返しとくよ」

「もう読んでくれたんだ。……どうだった?」

「いやー、めちゃくちゃ面白かったね。今までのやつはさ、全部女性主人公だったじゃん? それもそれでよかったんだけど、この漫画は男性視点で話が進んでゆくから、すごい自然に読めたわ」

「だよねっ! 少女漫画だと男の子が主人公の作品は少ないし、私もすっごく新鮮だったよ」

「やっぱりそうなんだ。作者は女性なんだよね? 妙に男心が分かってるというか……いや、こういう感情は立場の違いはあれど、性別の違いってないのかな?」

 

 俺の疑問に、うーんと首をひねって考え込むつぐみ。

 

 その返事を待っていると、急に後ろから「あの――」と声をかけられた。

 振り向くと、声の主は20代中盤くらいの爽やかな男性だった。隣には同年代くらいの女性も立っている。

 

「その……横の席って空いてたりしますか? もう他が埋まっちゃってて……」

 

 相席、ということだろうか。とりあえずはつぐみに聞いてみて――というところで、俺が口を開くよりも早く「大丈夫ですよ!」とつぐみが朗らかに答えた。

 

 ね? と差し向けられる視線に頷き返して、俺もどうぞどうぞと席を勧める。その男女ペアは、「ありがとうございます」と会釈してから、女のほうは席に座って、男のほうはコーヒースタンドへと向かっていった。

 

 このテーブル自体、席さえあれば6人は座れそうな位に広いし、問題ないといえば問題ないのだが、腰を据えてわいわいお喋りする、という環境でもなくなってしまった。もう20分くらいは経っているしそろそろ出るかという意味も込めて、俺は「次どこ行く?」と話題を切り替える。

 

「そうだね。何となく雑貨とか、服とかのお店を見て回れればと思ってたけど……展望台の予約、何時だったっけ」

「一応、4時から5時までの間だったらいつでも入場可能だよっていうチケットを取ってるけど、日の入りが大体4時半くらいだから、4時ぴったしに入ったほうがいいかな~」

「じゃあ、あと1時間半ぐらいだね」

 

 いつの間にやら入手していたのか、つぐみがテーブルの上にフロアマップを広げてくれる。どこに行こうか、と二人でうんうん悩んでいると、隣の席の男性が帰ってきていた。

 

 トレイの上に載っているのは、飲み物とかなり大きめのワッフルがひとつ。

 女性がナイフで一口分を切り分けて――いや一口にしてはかなりデカいな!? なんて思っていると、そのままフォークで刺してから、男性にあーんと食べさせていた。

 

 慌ててバッと視線を正面に戻す。フロアマップに目を落としているつぐみは気づかなかったようだ。

 

 

 何となく見てはいけないものを見たような気がして目を背けてしまったが、でもまぁ、世のカップルは普通こんなもんなんだろう。あーんして食べさせるなんて、イチャイチャABCのAにも満たないに違いない。

 落ち着いて周りを見渡してみれば、どこもかしこもカップルだらけ。デートスポットということもあり、もともと客層にはカップルが多いのだろうが、それにしたってここまで偏っているのはクリスマスだからだろう。

 

 それに比べて俺とつぐみは――口が裂けてもカップルだなんて言えない。俺たちはどこまでいっても同じ商店街の子供としての関係でしかなくて、友人でしかなくて。

 

 でも、そんな関係を変えるために、俺はクリスマスという今日この日にデートに誘ったのだ。

 

 きっかけは、さっき話題に出たつぐみに借りた少女漫画だった。

 

 実写映画化も決定している大人気漫画、通称『恋俺』は、少女漫画には珍しく、第一話のラスト1ページが男性主人公の失恋で終わる。

 

 話の流れはこうだ。

 中学からの親友である男子Aと男子Bが通う学校に、転勤で離れていた男子Aの幼馴染であるヒロインが転校してくる。男子Aとヒロインの仲の良さもあり、自然と遊ぶようになる三人。その中で、徐々にヒロインに惹かれてゆく男子B。そして、ついに男子Bはヒロインへと告白し、付き合うことになる。

 だが、実はその告白の裏で、ひそかに男子Aも同じ相手に告白をしようとしていたのだ。男子Bとヒロインが付き合うことを知って、男子Aは告白を諦める。幸せそうな二人の背後で俯く男子Aのコマでその第一話は終わる――。

 

 2週間前、初めてその漫画を読んだとき、俺はぞっとした。

 告白を、思いを伝えるのを躊躇う男子Aの気持ちが痛いほどよく分かったから。

 躊躇わずに伝えた男子Bの勇気が痛いほど眩しかったから。

 

 そして、何もしないで見ているだけだった男子Aの失恋が、俺の未来と重なったから。

 

 だから、俺は言ったのだ。

 クリスマスに出かけませんかと声をかけたのだ。

 

 まだ、好きだとは伝えられていない。

 だけど正直、クリスマスに誘うその行為自体、ほぼ告白みたいなものだと思う。

 当然つぐみだって、俺の想いには気がついているだろう。

 

 デートの誘いを受けてくれたということは、つぐみも俺のことを好きでいてくれているということなのだろうか。

 今日のデートの結果次第で決めようと考えているのだろうか。

 フるつもりではあるけれど、温情で最後に付き合ってくれているだけなのだろうか。

 

 今はまだ分からない。

 それを知ることができるのは、今日のデートの最後。俺が告白をしたときだ。

 

 コーヒーの入ったカップを手に取る。側面に張られたラベルには、今日のブレンドについての情報が書かれている。

 

 ノエル――意味はクリスマス。

 

 底の方にわずかにたまっていたその残りを、俺はぐいと一気に飲み干した。

 

 

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