因数分解探偵 早瀬ユウカの冷酷なる謎解き算術 ~えっちなのは死刑~   作:浅瀬ユウカ

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パジャマコユキ実装を願って初投稿です


容疑者X=?
(ユウカ+コーヒー)(紅茶+スクール水着) = ?


「ねぇ、ユウカ。ショタの『おねえさん』呼びの"核"となる部分は『おねえさん』の"えさん"部分の舌足らずプロナンシエーションによって、声色全てに可愛らしさが詰まっていることだと思うんだ。だから『おねショタ』よりも『えさんショタ』の方が()()()なんじゃないかな」

 

「先生!?!!?!?」

 

 

 ここはシャーレの一室。

 机の上には今にも崩れそうな程に積み重なった書類。

 残業に次ぐ残業。労働という名の迷宮(ラビリンス)に先生の精神は囚われ、蹂躙され、破壊されかけていた。

 先生の精神はもう完全に死んでいるも同然だ。

 窓から差し込む駘蕩とした光が、気付けば背中を暖かくしていた。時計をチラリと見ればもう時刻は10時。必要のなくなった掛け毛布を抱えると、早瀬(はやせ) ユウカは立ち上がった。

 

ねぇ、ユウカ。ハミルトニアンがπについて調和振動子的だからさ、磁場による量子閉じ込めによって角運動量は離散して、エネルギー準位が離散化すると考えられるよね

 

「ランダウ量子化? ……先生、コーヒー淹れますね」

 

うんうん、キーゼルバッハ部位は鼻中隔の入り口付近にあるんだね。偉いよ

 

 まともに会話が成り立っていない。しかし、軽く精神崩壊状態にあっても先生の書類をさばく手は止まらない。書類を終わらせなければ、という使命感が魂に刻まれているのだ。恐ろしい社畜魂である。

 

 コーヒーでも入れよう。

 大きく伸びをしながらユウカは戸棚の方へ向かった。身体が音を鳴らす。

 先生は()()()()()三徹目だが、シャーレの今日の当番のユウカはまだ一徹目。ここまで疲れながらも仕事を進めようとする先生の前で、眠気なんてものを理由に休めない。カフェインは睡魔のメタアイテムだ。

 掛け毛布を先生に優しく掛けた。ホワイトボードに貼り付けてある付箋によると、今日の予定はなし。爆速で仕事を片付けて先生に休息を与えなければならない。

 

「コーヒーミルはここで、豆は……まだありますね」

 

「満足したミカよりも不満足なナギサの方が良くて、満足したナギサよりも不満足なセイアの方が良いって言うんだけどね、私からしたらみんな大事な生徒だよ」

 

「J・S・ミル?」

 

 コーヒーミルに豆を投入して、ハンドルを高速で回転させる。ユウカは豆挽きを得意としていた。どっしりと安定感があるからだからだが、本人は自覚していない。ペーパーを少し濡らして固定。挽き終わった粉をぶち込んで、お湯を円を描く様に加えていく。

 

「ユウカ、誕生日おめでとう」

 

「えっ!? あっ、ありがとうございます……!」

 

 勿論、今日は誕生日ではない。

 

「先生、起きてますか?」

 

「宿敵両家の胎内より、星の巡り悪しき一組の恋人、世に生を受く……」

 

「ロミオとジュリエット……!?」

 

 溜息を吐きながらカップを戸棚から二つ取り出した。来客用のものと、先生がいつも使っているものだ。先生を横目で見た。先生がロミオとジュリエットを暗唱していることを確認する。寝ぼけた先生がこぼす危険性があるので、片方のカップにだけ注ぐ。そしてユウカは()()()()()()使()()()()()方のカップを手にして、そろりそろりと自分の席に戻った。

 

「実質的に間接キスと定義しても良いわよね。この命題は真……真……!」

 

 ゆっくりと口元に近付ける。

 湯気の温度を感じるごとに、ユウカの思考も温まっていく。

 カップと唇の距離が0に近付いていく。

 

キース! キース!

 

「あ、あなたは……私の中の悪魔!」

 

 ポン、とユウカの顔の横に悪魔が現れた。二頭身のユウカが三又の黒い槍を揺らしながら浮かんでいる。邪な感情を持つ悪魔は、ユウカに"悪い選択肢"を囁いた。

 

「間接キスいっちゃえ! いっちゃえ!」

 

「で、でも……流石に」

 

「じゃあ何で先生のカップにわざわざコーヒーを淹れたの?」

 

「うぐ……そ、それは……」

 

 悪魔の正論にユウカは屈した。

 そうだ。

 そもそも悪魔の囁きに抗えるようなら、はじめから来客用のカップにコーヒーを注いでいたハズだ。

 やってしまったものはしょうがない。後はユウカが覚悟を決めて飲むだけ。

 ユウカは一度深呼吸をすると、カップを唇の方へ持ち上げた。

 

ちょっと待つのですわ!

 

「あ、あなたは……」

 

そいつの囁きになんて屈しちゃダメですわ、私!

 

「私の中の天使……!?」

 

先生に一口与えてから飲むべきだわ!

 

「いや悪魔2号!!」

 

 ぽんっとユウカの顔の横側に現れたのは、悪魔2号だった。ゲヘナの生徒のように二本角が生えている。

 現れた仲魔に悪魔1号の口角が上がった。

 

「2号の言う通り! 間接キスをする絶好のチャンスなんだよ!」

 

「は? 私はお前に2号呼ばわりされる覚えはないんですわ?」

 

「2号は2号でしょ? 後から来といて偉そうなんだよ! それが"センパイ"への口の聞き方なのかなー?」

 

あ?

 

お?

 

本体差し置いて喧嘩しないで……

 

 突然ユウカ同士の不毛な争いが勃発。ユウカは頭を抱えた。

 ただでさえ一徹のせいで疲れているというのに、こんなものにまで憑かれるとは。

 平行線かに思えた口論だったが、しかしここで思わぬ事態が起こる。

 

「あーた達! うるさいピヨ!」

 

「誰なんだよ!?」

 

「誰ですの?」

 

「まだ増えるの……?」

 

 ぽんっと音を立てて、ユウカの横にまた一体。現れた二頭身のユウカの手には、闇色の槍。

 大体の展開を察しながらユウカは呟いた。

 

「あなたは……」

 

「もう先生にダイレクトキスしちゃいなピヨ!」

 

「悪魔V3ッ!!」

 

 果たしてこれも悪魔だった。緑と赤の独特なカラーリングの二頭身ユウカの登場に、本体のユウカは辟易した。 

 間接キスを求める声が、徹夜明けの頭に響く。三体の悪魔のキスコールにユウカの堪忍袋の緒が切れた。

 もう全部一気に飲み干してしまおう。コイツらの言葉に耳なんて貸すもんか。

 ユウカはカップを勢いよく傾けた。

 

「ぃあ"っつ"!!!」

 

 しかし勢いよく飲みにいったはいいものの、コーヒーは淹れ立て。熱すぎてユウカは思わずコーヒーをこぼしてしまった。

 唇で拒絶されたコーヒーは、そのまま自由落下。黒いスカートの上に染みが広がる。太股がジンジンする。カップを落とさなかったことだけは不幸中の幸いだろう。

 

「! ユウカっ!」

 

 ユウカの悲鳴に先生はコンマ1秒にも満たない速度で覚醒。掛け毛布を取り払って飛び起きると、ユウカの元へ駆け寄った。

 

「すみません。起こしてしまいましたか……?」

 

「いいよ。それより、すぐに拭いて冷やさないと!」

 

「え、あ。はい」

 

 確かにコーヒーは熱かったが、頑丈なキヴォトスの住民にとってはこの程度大したことはない。むしろ服が濡れてしまったことの不快感の方が、問題としては大きい。

 そう、コーヒーをこぼしてしまったことは、ユウカにとってはさしたる問題ではなかった。

 しかし、今目の前にとてつもない問題が生まれてしまった。

 

「火傷には……なってないね。良かった」

 

「ぁ、う……」

 

「痛むの?」

 

「い、いいえっ!!」

 

 必死に振られるユウカの顔は真っ赤だ。

 それもそのはず。

 先生は今、ユウカのスカートを拭いているのだから。

 

「(せ、先生が……私のす、スカートを……!?)」

 

 先生は備え付けのティッシュとタオルを手に、コーヒーを拭いていた。

 普段なら、流石に心配性な先生もこんなことはしないだろう。だが、恐ろしく長い徹夜からなる疲労が、普段ならあり得ない状況を引き起こした。

 コーヒーよりも熱々に火照ったユウカの顔の横に、二頭身のユウカが近付いた。

 

「ま、まさか……本体が興奮してるんだよ! えっちなんだよ!」

 

「破廉恥ですわ! スカートの上にコーヒーをこぼして殿方を誘うなんて……」

 

「はぁ~……今時のRTAエロ漫画でももう少しマシな導入してるピヨ。先生にスカートをポンポンさせるなんてそんな性欲に対して中途半端な向き合い方しかできないから、いつまで経っても卑しい独りよがりの妄想のフォークダンスに夜な夜な明け暮れるしかないんだピヨ。脱げ。もう脱げ。はよ脱げや本体」

 

「う、うるさいわね……!」

 

 ユウカはおもむろに立ち上がった。かがんでいる先生を見下ろす。先生も無言で立ち上がったユウカを見上げた。何となく目を合わせるのが気まずくて、ユウカは目を逸らす。

 

「……あっち向いてて下さいね」

 

「ゆ、ユウカ?」

 

「脱ぎますから!」

 

「わっ! ごめん」

 

 先生だけが後ろを向けば良いのだが、ユウカも後ろを向いた。後ろを向かないと恥ずかしさで動けなかったのだ。ユウカがスカートに手をかけた。チラリと後ろを確認すると、当たり前だが先生は後ろを向いている。そればかりか手で顔を覆っていた。

 

「……かわいい」

 

 ユウカは口の中でそうこぼすと、スカートを一気に下げた。

 

「先生、まだですからね」

 

「うん、わかったよ」

 

 下着まで濡れているの改めて目で確認して溜め息をひとつ。

 机の横に置いてあるバッグに体操服が入っている。ひとまずそれに着替えよう。

 ユウカはバッグに手を伸ばした。

 

 

 

 

 

 

 

「先生、大変っす! 事件が───」

 

 

 

 

 

 

 ガチャ。

 

「……」

 

「…………」

 

「……………………」

 

 

 

 

「し、失礼しましたー」

 

 

 

 


 

 

「えー、こほん。先程はお楽しみ中のところ失礼したっす」

 

「いや別にやましいことをしていたわけでは……」

 

「大丈夫っす大丈夫っす。私は先生が早瀬さんと密室でビショビショになってた現場なんて見てないっすからね」

 

「語弊……!」

 

 誤解を招く言い方をしながら、仲正(なかまさ)イチカが髪を揺らした。

 ガタンゴトン、と座席のリズムに合わせてユウカの髪の毛も上下する。

 今、先生とユウカとイチカの三人はトリニティへと向かう電車に乗っていた。

 ハイランダーの車掌はイチカと先生と体操服姿のユウカを見て苦い顔をしたりしたが、切符を提示したら無言で通してくれた。日頃の行いや、過去の行いは大事だなと先生は思った。

 眼前に座るイチカの表情は笑顔だ。しかし、初めましてのユウカからすると、その笑顔が逆にそこはかとないプレッシャーを放っていた。それに、ユウカの数学的第六感もイチカに警鐘を鳴らしている。柔らかな印象とは裏腹に油断ならない相手だろうとユウカは推測した。

 

「それで、問題というのは?」

 

 咳払いをひとつして、ユウカが会話を軌道修正した。

 

「トリニティの一角で()()()()()()()()()()()()()()()()が見付かったんすよ。で、いじめにしてもあまりにも酷いし下品なんで現場の空気も悪くてっすね。もう茶で茶を洗う一触即発のティータイムって感じで……ちょっと別件もあって正義実現委員会から人員を割けないんっすよ」

 

「なんて?」

 

「ちょっと別件もあって正義実現委員会から人員を割けないんっすよ」

 

「いやもう少し前のところ」

 

先生が早瀬さんと密室でビショビショになってた現場なんて見てないっすからね」

 

「もう少し後のところ!」

 

 お決まりのやり取りの間に先生は事態を把握しようとする。だが、あまりにも情報が渋滞していて事態の把握はできなかった。ひとまず説明をもう少し聞こうと結論付けた。

 イチカが続ける。

 

「ほら、エデン条約の時の騒動もありましたし、万が一他の自治区が絡んでたら大変だってことで先生に助っ人の頼みが飛んで行ったんですよ」

 

「なるほど。本当のところは?」

 

「トリニティのとある生徒が『ロールケーキと先生を要求する!』って発砲しながら立てこもってて」

 

「ミカ?」

 

「……とある生徒っす」

 

「ミカ……」

 

 治安も良く、治安維持組織の武力も高いトリニティでそんな暴力的かつ衝動的な行動を取れるは聖園(みその) ミカしかいない。ミカも悪い娘ではないのだが、良くも悪くも力が強すぎるのが玉に瑕だ。物理的に。

 

「にしても暑いね」

 

「そうっすね。先生、飲み物持って来てるっすか?」

 

「いや、突然の要請だったから……」

 

「そうだと思って何本か予備を持ってきてるっす」

 

「ありがとう、イチカ」

 

 イチカが500mlペットボトルを出した。お礼を言って先生とユウカはそれぞれ一本ずつもらう。イチカ自身も水筒を取り出して一口飲んだ。

 ユウカが透明なペットボトルを見て言った。

 

「普通の水なんですね。てっきりトリニティの方なので紅茶でも渡してくるかと思ったのですが」

 

「トリニティでもこんな暑い日にまで紅茶を持ち歩いているのなんて、ティーパーティーの方々ぐらいっすよ」

 

「そうなんですか」

 

「そっちこそミレニアムっすけど、教科書とか参考書をいつも持ち歩いてはいないっすよね。

 トリニティだから。

 ミレニアムだから。

 結局のところ、そんなんは実体のないただの思い込みでしかないっす。

 自治区外のことは、結局のところ自治区外からじゃ全然わかんないもんっすよ」

 

「え、単語帳はいつも持ち歩きません……?

 

え……

 

 自治区外のことは、自治区外からではわからないものである。

 

「まぁ、詳しいことは現場担当の人員に聞いて下さいっす」

 

「そっちは?」

 

「アリウスの一部の過激派が何か企んでるみたいなので、そっちの調査っすね。別件ってのはこれのことっす」

 

 正義実現委員会が人手不足になるほど駆り出されている。それはトリニティを覆う空気がひりついていることの何よりの証明だった。

 会話の継ぎ目。ここでユウカが口を開いた。

 

「あの、一つ訊いて良いですか?」

 

「良いっすよ」

 

 ずっと笑顔が崩れないイチカに質問をぶつけた。

 

「どうして私も同行しているんですか?」

 

「来たくなかったっすか?」

 

 勿論、来たくないかと聞かれたらそんなことはない。先生と一緒にいられるというのなら、むしろ大歓迎だ。しかし、今回事が起こっているのはトリニティ。ミレニアムの……別の学区の生徒であるユウカが立ち入るのはあまりよろしくないのでは、と色々と考えてしまうところだ。

 イチカの問いにユウカは首を横に振った。

 

「いや、そんなことは……!」

 

「それが理由っす」

 

「!」

 

 思わずイチカの顔を凝視してしまう。だが、その表情は先程までと全く変わらない笑顔のままだった。

 

「ま、護衛は必要っすからね」

 

 先生は一般的なキヴォトスの住民よりも肉体の耐久力が低い。トリニティと言えど、護衛がいるに越したことはないだろう。

 

「先生のこと、頼んだっすよ」

 

「完璧にこなしてみせます」

 

 そんなことは文明以前の常識だ。

 ユウカは力強く頷いた。

 

「……何か?」

 

 が、イチカがそんなユウカをじぃっと見詰めていることに気が付いた。

 まだ何かあるのだろうか。

 

「シャーレは意外と音漏れするので気を付けた方が良いっすよ」

「余計なご忠告ありがとうございます!!」

 

 


 

 

「わたくしはトリニティ随一のエレガントクイーン……」

 

「は?」

 

「エレガンツ!!」

 

「うわビックリした」

 

 トリニティの保健室。

 真っ白なベッドに腰掛けるトリニティ生徒は叫んだ。

 ()()()()()()()()()が若干サイズの合っていないトリニティの制服に身を包んでいた。

 

「ゆくゆくはトリニティで最もエレガントな場所……ティーパーティーに入るというエレガントなエレガント野望をエレガントなわたくしはエレガントに持っているのですが」

 

「エレガントのインフレが凄い」

 

「それが……何という屈辱……ッ! ここまでわたくしのエレガントに傷を付けた人は初めてですわ!!」

 

「傷を付けられたの?」

 

「紅茶をかけた人は初めてですわ!!」

 

「だろうね」

 

 ベッド横の籠に濡れた体操服とスクール水着が鎮座している。紅茶の香りが鼻に届く度に、今回の事件の()()()を感じる。

 

「じゃあ、もう一回経緯をお願いしても良いですか?」

 

「ええ、あれはわたくしがエレガントにエレガントウォーキングをエレガンツしていた時ですわ───」

 

 エレガントな生徒はエレガントに話し始めた。

 

 


 

 

 わたくしは今朝、エレガントを保つための日課のエレガントウォーキングをエレガントしていましたわ。

 え? なぜエレガントウォーキングを日課しているかですかって?

 そんなのはひとつですわ。わたくしはティーパーティーに入ることが目標ですもの。

 そう! あのトリニティで一番のエレガントグループ……ティーパーティー!

 そのためには日々エレガントを重ね、そして一瞬でもエレガントが崩してはならないのですわ!

 

 それで、エレガントウォーキングを行っていたところ、急に背後から殴られたのですわ。

 ガツン、と火花が出るような痛みでしたわ。これはエレガントではないのですが、道端でわたくしは気絶してしまいましたの。そして、そして……!

 

 目が覚めたら全身が紅茶でビショビショになっていたのですわ!

 しかもわたくしは水着に着替えさせられていましたわ!

 その上、制服までも紅茶漬け!

 

 クソスク水野郎がッ! 死ねッ!

 

 ……おほん、エレガントエレガント。

 

 

 おクソスク水花子さんッ! 死ねですわッ!

 

 

 偶然にもわたくしと志を共にするエレガントな友人がわたくしを発見してくれましたわ。

 おかげさまで醜態を晒さずに済みましたの。

 保健室に来て事情を説明して、シャワーを貸してもらいましたわ。それで今は保健室備え付けの予備の制服を着ておりますの。紅茶をかけられた制服とスクール水着はあちらに置いてありますわ。

 それで、ナウですの。

 エレガントにナウですわ!

 

 


 

 

 話が一区切りした。

 先生がまとめる。

 

「なるほど、気が付いたらスクール水着に着替えさせられてた挙句、全身と制服を紅茶漬けにされていた……と」

 

「そうですわ。考えられませんわ。こんなノット……」

 

「エレガント?」

 

「……えぇ、そうですわ。こんなノットエレガントな行為。先生、是非とも犯人を見付けてくださいまし」

 

「うん。エレガントに任されたよ」

 

 先生が横でメモを取っているユウカの方を向いた。

 せっかくトリニティまで来たのだし、ユウカだってただの護衛に甘んじるつもりはない。ユウカは秀才の集うミレニアムでも上位の数学パワーを持っている。頭脳労働はお手の物だ。

 体操服のポッケに入るサイズのミニ手帳だ。

 

「メモは済んだ?」

 

「はい。エレガントに完了しました」

 

「では、次は事件の()()()達にエレガントに事情聴取しにいきましょうか」

 

「そうだね。エレガントに移動しよう」

 

 二人はエレガントにエレガント汚染されていた。

 

 


 

 

「フッ、ハッ! フッ、ハッ! なぜ変身しない!」

 

「チャッチャッチャ! 炎天下チャ~!」

 

「帰りたい……出来れば卵に孵りたい……」

 

 ずっと奇怪な声を上げながら腕立てをしている生徒。

 ペロロ様のキーホルダーが大量についたリュックサックを振り回す生徒。

 しゃがみ込んで地面に幾何学模様を延々と描きこんでいる生徒。

 現場は混沌としていた。

 

 ここは事件現場前。

 被害者は建物と建物の間、いわゆる建物の谷間に倒れているところを発見された。

 現場付近の道路はヒビ割れており、窓ガラスも割れているところが散見される。

 ユウカと先生が現着すると、事件現場に三人、奇妙な人物達がいた。

 

「君達が今回の事件の関係者だよね。お話を聞かせてもらってもいいかな?」

 

 先生の言葉に腕立て伏せをしている生徒が反応した。

 一瞬チラッと先生の方を見たかと思うと、すぐに腕立て伏せを再開する。

 

「俺に質問するな」

 

「えーっと……」

 

「俺に質問するな」

 

 腕立て伏せをしながらノールックで拒絶。どうやらまともに会話が行えないタイプの人種らしい。ユウカはそう結論付けると、左手に開いたメモ帳に書き加えた。

 

『脳筋』

 

 先生は続けてリュックサックを振り回している生徒に話しかけた。

 遠心力に従って残像を描くキーホルダーに気を付けながら近寄る。

 

「チャチャチャ~! コリオリのパワー!!」

 

「えーっと、ちょっと話を聞きたいんだけど、良いかな?」

 

「チャチャ、チャ……ぜぇ、はぁ、ちゃー……ちょっと……ちょっとタンマ……」

 

「……あぁ、うん。落ち着いたらまた聞くね」

 

 リュックサックを振り回していた生徒は流石に疲れたのか、汗を流しながら膝に両手をついた。普段はあまり運動をしていないのだろうか。どちらにせよわかったことはひとつある。ユウカはメモ帳に書き加えた。

 

『似非狂人』

 

 生徒は最後に残った生徒に話しかけた。地面に幾何学模様を描いていた生徒は、先生を見上げた。

 

「事件について話を聞きに来たんだ。良かったら事件について知っていることを教えてくれるかな?」

 

「……もう無理だ」

 

「え?」

 

「 人 生 お し ま い だ ーーーーっ! ! !」

 

「わっ」

 

 しゃがんでいた生徒が突如大きな声を出した。頭を両手で抱え込んでいる。

 何となく今後の展開を察しながらユウカがそろりと近寄った。

 

「あの……」

 

「無理です無理ですもう無理だ人生おしまいだもう私が犯人ですごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいおこめないですこうとうかおこめのこうとうかとどまることをしらないせかいのおんだんかげんしょうあのなつのひ…………」

 

「あの!」

 

「びゃぁああああ……!」

 

 ユウカが叫んで震え声に割り入った。ユウカの声にビクッと震えてた生徒は、仰向けになって腕と足を曲げて固まった。

 

「被暴力、服従の構えです……」

 

「降参したガンジー?」

 

「このまま餓死しますので命だけは……」

 

「命すらも棄ててない?」

 

 ユウカは溜め息を吐きながらメモ帳に書き加えた。

 

『ビビり』

 

 チラリとメモ帳から顔を上げる。

 

「セリナは俺の母親になってくれるかもしれない女なんだ……ッ!」

 

「チャチャチャ~! 元気回復チャ~! ……はぁ、はぁ」

 

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいくろんじょーかーひーとめたるるなとりがーふぁんぐじょーかーえくすとりーむごーるでんえくすとりーむごめんなさいごめんなさいごめんなさい」

 

 ユウカは先生の肩を軽く触った。二人で肩を寄せて囁き合う。

 先生の顔が普段よりも間近にある。間近で見るといつもよりずっとマジ可愛い、とユウカはどうでも良いギャグを考えていた。ユウカの心臓が高鳴る。

 

「まともに話が聞けそうにないですね」

 

「でも、何とか皆からお話を聞き出さないとね。この三人しか犯人はありえないって話だったけど……」

 

「はい。周囲の防犯カメラの映像によると、事件が発生したと思われる時刻に現場付近に近付いたのはこの三人だけです」

 

「カメラに細工したとかは?」

 

「複数のカメラで確認されてますし、何よりカメラの情報が当てにならないとなると、容疑者の数が多すぎて手が付けられません」

 

「なるほど」

 

 先生は頷いた。そしてユウカに「もう一回お話を聞きにいってくるね」と呟いて、三人のトリニティ生徒達の方を向いた。

 腕立て伏せをしている生徒の真横に立った。腰を下ろす。ユウカは何をするのだろうかと怪訝な表情で見守っている。

 

「!?」

 

 そして突如先生は腕立て伏せを始めた。

 

「フッ、ハッ……!?」

 

「ふっ、ふっ、ふっ……」

 

 腕立て生徒が目を見開いて真横を向いた。自分の動きに合わせて腕立て伏せをする先生に驚いていた。そして何を思ったのか、先生から目を切ると、突然体をバネのように跳ね上げた。垂直にジャンプ。そして着地と同時に腕立ての構えに移行。

 ユウカは思わず叫んだ。

 

「あ、あれは……バーピーっ!?」

 

 腕立て伏せのような体勢から、足を蹴りあげて畳む。そして体を起こしてジャンプ。着地と同時にまたしゃがみこみ、腕立て伏せのような体勢に戻る。

 トリニティ生徒が突如始めたのは、バーピージャンプと呼ばれる激しい有酸素運動だ。

 

「ふっ、ふっ!」

 

「!」

 

 だが、置き去りにされることなく先生も滑らかにバーピーに動きを移した。二つの肉体が共鳴し、シンクロするかのように同時に跳ぶ。最早、言葉は不要だろう。ここで二人は互いの肉体を通じて会話を行っていた。

 筋肉の脈動が波動となり、肉体言語となり、互いの意思を伝え合う。

 

「やはりそういうことか。先生、あんたもまた戦士だったんだな……!」

 

「いいや、戦士なんて大層なものじゃないよ。私は先生。それ以上でもそれ以下でもない」

 

「フッ、ハッ! 良いだろう。そのバルクと強靭な精神に敬意を示して質問に答えよう」

 

「ありがとう!」

 

「よしラスト10回だ。ひとっ走り付き合え! 答えは聞いてないッ!」

 

「おー!」

 

 ラストの10回を終える。

 地面に大の字で転がり、達成感に満ちた表情をする先生をユウカは信じられないものを見るような目で見ていた。

 

「何もかもが理解不能……これだから理論もへったくれもない肉体派は!」

 

 日常生活において忘れられがちではあるが、『会話する』というのは想像以上に"重い"行為である。

 会話は相手のパーソナリティを知る一番の機会とも言われるように、会話というのは互いに互いの多くを曝け出す行為なのだ。

 会話には信頼がいる。

 何の目的もなく、道端で全く知らない人に話しかけに行く人はいないだろう。初対面の人とのビジネスライクな会話でさえも、公共の場という信頼の元でつつがなく行われているのだ。

 先生は生徒の心を開くことに長けている。圧倒的な観察眼と生徒を思いやる巨大な感情が、その生徒との心の距離を縮めるための最適解を見つけ出すのだ。今回の場合、それが横で一緒に筋トレをするということだっただけの話だ。そして今回はその会話が、お互いの筋肉を通じて行われた。ただそれだけのことである。

 

「話の前に水分補給でもしない? ほら、最近暑いし熱中症には気を付けないと」

 

「水分ぐらい、自分で摂れます……ッ!? しまった! 水筒が空だ……ッ!」

 

「えーっと、私のでよければどうかな」

 

 ピクーン!

 瞬間、ユウカの中のハヤセンサーが反応した。ハヤセンサーのことは説明するまでもないだろう。そして敢えて説明する必要もない程度のものでもある。

 ユウカの肩の上に乗っかる三人の二頭身ユウカが口々に喋った。

 

「あれは関節キスになるんだよ!」

 

「なんてラッキースケベですの!」

 

「羨ましいピヨ! 邪魔するピヨ!」

 

 ハヤセンサーとヘイローが高速で回転する。ケイデンスが上がるにつれ、ユウカの嗜好が鋭くなっていく。思考は反比例して鈍くなっているのだが、当の本人には気付きようがなかった。

 

「先生、私も喉が乾いたので……その、少し分けてもらえますか?」

 

「うん、良いよ」

 

「しゃあ!」

 

「ゆ、ユウカ!?」

 

「シャチホコ! シャチホコと言ったんです! 『飲み物を分けてくれてありがとうございます』との意の言葉で、我が早瀬の血筋に伝わる伝統の掛け声なんです」

 

「じゃあ私もイチカにシャチホコだね」

 

「……………………そうです」

 

 ユウカは先生からペットボトルを両手で受け取った。

 

「全部行くんだよ!」

 

「全部行ったら先生が飲めないですの」

 

「全部飲んだ上で先生に口移しするのが最適解ピヨ」

 

「うるさいわね……!」

 

 ゆっくりと、ゆっくりと、ペットボトルを口に近付ける。

 一瞬、躊躇して止まる。だが、ここでずっと止まっているのも不自然だ。ユウカは覚悟を決めて一気に飲んだ。

 

「x = {-b±√(b²-4ac)}/2a  (ax²+bx+c=0) ッッッ!!!」

 

 ボウン! と、音を立てて頭が爆発。

 先生との関節キスにユウカはショートした。

 ついでに肩の二頭身ユウカ達は吹き飛んだ。

 

「応答なし……応答なし……応答なし……」

 

 ユウカが応答なしになっている間、先生は筋トレ生徒から話を聞き出していた。

 

「被害者と面識は?」

 

「ない。トリニティは広大だからな。そして俺は筋肉においても頂点に立つ生徒だ」 

 

「事件現場付近に行ったのはどうして?」

 

「ランニングをしていた」

 

「いつもその道を通るの?」

 

「いや、先日は新しいコースを試していたところだ。普通のホモサピエンスでは完走できない厳しいコースをな」

 

「なるほど」

 

 先生がユウカの方を盗み見た。まだユウカは頭上で読み込みマークをぐるぐると回転させていた。

 

「被害者の姿は見えなかったのかな?」

 

「あぁ、その地点では水分補給とイクササイズを行っていたのだが……超デッドヒートしていたせいで、周囲の状態は目に入らなかった」

 

「うん、なるほど。ありがとう」

 

 話を聞き終える。

 先生が振り返ってユウカの状態を確認した。

 

「Kivtowsの準備をしています。本体の電源を切らないで下さい」

 

 ユウカは顔面を真っ青なブルースクリーンにして、プログラムを更新している途中だった。復帰にはまだ時間がかかりそうだ。

 そう結論付けると先生は、リュックサックを振り回していた生徒の方に向かった。

 

「落ち着いた?」

 

「あ、はい」

 

「…………」

 

「あ……チャチャチャ~! お、落ち着いたっチャ~! お茶ぶっかけタイム! オスイチメスイチココイチ! ピロロロロロロロ!!」

 

 生徒がリュックサックを振り回した。キーホルダーが顔に当たって涙目になっている。痛そうだった。

 先生は先程の生徒に訊いたのと同じように質問をぶつけた。

 

「被害者の娘と面識は?」

 

「エレガントな友人チャ~。一緒にティーパーティーを目指す仲なのチャ~。倒れているところもチャーが発見したんだチャ」

 

「なるほど。どんな感じに発見したの?」

 

「え、えーっと、たまたま通りかかった時に見付けました」

 

「………………」

 

「……と、通りかかった時に見付けたっチャ~! チャチャチャ~! そぅれ、お茶お茶ずんずんぶち転がしー!!」

 

「どんな感じだった?」

 

「えーっと……何か全身が紅茶で濡れてて、制服もビチョビチョになってて、酷い格好だったからタオルで拭いて……それで、えーっと……あ! 水着! 水着を着てました!」

 

「……………………」

 

「え、あの……今の証言にどこか変なところでもありました?」

 

「……いや、何にもないよ」

 

「そしたら、今あそこの地面に転がっている人が来ちゃって、『ぎゃぁぁああっ!』って悲鳴が上がって、人がいっぱい集まって……えーっと、それで『もうこれは許せないなぁ』ってその友達と言って、んで絶対犯人見付けようねってなって……えぇと……あ、以上ですはい」

 

「なるほど。ありがとうね」

 

 先生が話を聞き終えた。ちょうどそのタイミングで後ろからユウカが近付いてきた。

 復帰してきたユウカに、先生は軽く手を挙げた。

 

「すみません、先生。体感時間で4ヶ月程寝てしまいました」

 

「体感しすぎじゃないかな」

 

「どこまで進みました?」

 

「後はあの生徒にはお話を訊くだけだね」

 

「良かった。じゃあ私が見た『先生が上裸でソーラン節を踊りながらネギをむしゃむしゃする』光景はただの夢だったんですね。安心しました……」

 

「安心できないよ!? ただの悪夢だよそれは」

 

「あっ、メモは寝ている間に取ったので大丈夫です」

 

「私が上裸でソーラン節を踊りながらネギをむしゃむしゃする光景を見ていた人のメモに安心できる要素ある?」

 

「大丈夫です。睡眠学習なんてコユキの手を捻って投げ飛ばすぐらい簡単ですから」

 

「優しくしてあげてね……」

 

 先生とユウカは残る一人に質問をしに行った。

 地面に仰向けに転がっている生徒の傍らにユウカはしゃがみこんだ。

 

「あの」

 

「腹を切ります……」

 

「判断が早い!」

 

「というか切腹は本来武士の誉れだよね」

 

 仰向けになりながらブルブルとバイブレーション機能でも付いているかのように震えている。どうやらこのまま話を聞くしかなさそうだ。

 ユウカは先程まで先生がやっていたのと同じように質問をぶつけていった。

   

「被害者と面識は?」

 

「あ、あっ、にゃい……です」

 

「どうして事件現場に?」

 

「ふぇぇ……にっ、二階からぼた餅ですぅ!」

 

「偶然、と」

 

「ぼた餅は結構痛そうだけど」

 

「そ、そんなことないですよ。意外と美味しいです……うぇへへへ……」

 

「あっ実体験なんだ」

 

「味は美味しいわよそれは」

 

 ユウカはメモ帳に書き込みながら質問を続ける。

 

「被害者の姿は見ましたか?」

 

「由緒正しき正三角形っ、ただし鈍角三角形っ……みたいな感じです……」

 

「驚いて大声を上げてしまった、と」

 

「本当にその翻訳合ってる?」

 

「今日はプールの授業がなかったのでその翻訳で合ってます……うぇへへへ……あっわたしごときが訂正なんてしてごめんなさいごめんなさいごめんなさい……」

 

「プールの有無で意味が変わるの難解すぎでは?」

 

 メモを書いていたユウカの手が止まる。

 先程の発言にちょっと引っかかりを覚えたのだ。

 

「ん? あなた自覚的にその謎コミュニケーションしてたんですか?」

 

「うぇへへへ……そうとも言えるしそうでないとも言えます……」

 

「は?」

 

「わたしが自覚的かどうかはわたしが決めることにするよ」

 

「……あの、ちゃんと喋れるならちゃんと喋ってもらえます?」

 

「ちゃんと喋るかどうかはわたしが決めることにしますよ。うぇへへへ、結論を急ぎ過ぎないで下さい。まだまだ心眼が足りませんね。心眼とは"心の眼"……この世に絶対はない。ティーパーティー曰く『ユスティナ聖徒会のノウハウを全部ブチ込んでいるので順当に行けばユスティナ聖徒会を越える組織になるはず!』『うぉおおお!』『ナギサ……!』。ジェリコの古則にはそう書かれていました。あなたにもいずれ分かる時が来ますよ……やっと"らしく"なってきましたね。うぇへへへ」

 

「今! わかるように話して下さい!」

 

「それを説明するには今のキヴォトスの状況を理解する必要がある……少し長くなりますよ。待って下さい。あなたは結論を急ぎ過ぎる。この世に絶対はない。あなたにはまだまだ心眼が足りません。心眼とは"心の眼"……大切なものは目に見えません。まやかしに惑わされ真なる敵を見逃してしまうが故に、あなたには眼はあれど見る目はなくてですね……しかし、早瀬八。わたしはあなたの中に"ユウ"を見ました。ワクワクしかしねー、ですっ。半分は当たってますよね、耳が痛いですよね。でもそうやって真実を見落としてしまうあなたの愚かな姿、わたしにとっては一番セミナーらしく見えますよ。うぇへへへ……どうせ爆発して死ぬのに? 意味ないんですけどね、うぇへへへ……」

 

「123456ッ!!」

 

 ユウカは叫んだ。

 シックスカウントは怒りを抑えるアンガーマネジメントだ。

 生徒はユウカの叫び声に更に震えて、仰向けに転がったまま身体をくねらせた。

 

「先生! この生徒、私達をからかってますよ!」

 

「わたしのはねる! 体操服の詰め寄り! 効果はないようだ……」

 

「ほら! 確信犯!」

 

「うぇへへへ……だから何ですか?」

 

「先生もうこいつが犯人でいいですよねもう!」

 

「ユウカ、落ち着いて……」

 

「……はい、すみません」

 

「先生のメロメロ! ユウカはメロメロになった!」

 

「57ッッッ」

 

「ユウカが素数を数えてる……」

 

 先生は生徒に話を聞いたお礼を言いながらユウカを強引に引きずった。

 銃を振り回すユウカの額には青筋が走っている。

 6分後。

 シックスカウントが数えられ、ユウカの怒りはようやく収まった。

 とりあえず現在の進捗としては、容疑者である三人からは話を聞き終えたところだ。

 

「どう、ユウカ?」

 

「どうと言われましても……」

 

 ユウカはメモ帳を開いて情報を整理した。改めて見るとマトモな情報が全く記されていない。

 ユウカは眉間に皺を寄せた。

 

「脳筋は事件当日に限っていつもと違うランニングルートを通っていたというのが怪しいです。

 似非狂人は被害者と面識があるというのがひとつポイントカードですね。

 奴は犯人です」

 

「私怨……」

 

「どちらにせよ今の情報だけでは犯人は絞れませんがあいつが犯人です」

 

「ワンセンテンスでパラドクックス」

 

「とにもかくにも飛車にも、情報が足りません。先生、次はどうします?」

 

「うーん、そうだね。ひとまず保健室に戻ろっか。あの娘からもう一度お話を聞きたい」

 

 ひとまず保健室に戻ろう、という運びになった。

 ユウカと先生が並んで歩く。

 

「ところで先生! 毎日、日焼けサロンとスーパー銭湯に通っているなんて初めて知りましたよ! ただでさえ財政も事務仕事の量も苦しいのに……」

 

「夢の私の肉体意識高くない?」

 

「今度は私も付いていきますからね。背中とか流しますよ」

 

「男湯……」

 

「ちゃんと胸元もタオルで隠して下さいね」

 

「女湯!?」

 

 


 

 

 保健室は相も変わらず、紅茶の匂いが漂っていた。

 真っ白いベッドに、今回の事件の被害者が座っている。

 

「それで犯人は見付かりましたの?」

 

「ごめんね。まだなんだ」

 

「素直な謝罪、エレガントですわッ」

 

「それでもう少しお話を聞きたくて」

 

「柔らかな物言いもエレガントッ」

 

「もう何か全部褒めてくれますねこの人。Vtuberのリスナーですか?」

 

「わたくしをあのような下賤の者共と一緒にしないで下さいまし! 赤スパで大量のオヤジギャグを送り付けますわよ!」

 

「投げ銭の者!?」

 

 質問フェーズに入ろう。

 ユウカはメモ帳を開いた。

 軽いジャブのような質問から入っていく。

 

「そもそも何で犯人はあなたに紅茶をかけたんでしょう。紅茶漬けにされる心当たりはありますか?」

 

「わたくしがエレガントすぎることかしら……」

 

「心の当たり判定大きくないですか?」 

 

「わたくしって呼吸をするだけでエレガント粒子を放出していますし」

 

「環境汚染の類い?」

 

「確かにわたくしにぶっかけるにあたって、紅茶というエレガントな飲み物をセレクトしたのは実にエレガントなチョイスですけど」

 

「ちなみにどんな種類の紅茶だったとかわかります?」

 

「アッサムですわ」

 

「うわっ、本当にわかるんだ」

 

「まぁ、わたくしの水筒に入っていたものをぶっかけられたわけですし、わかるのは当然ですわよ」

 

「じゃあ何でチョイスがどうのとかいう話をしたんですか。自画自賛?」

 

「自画自賛ですわ」

 

「うわっ、本当に自画自賛だった」

 

 ユウカはメモ帳に『自画自賛』と書き加えた。相手のパーソナリティも重要な情報のひとかけらだ。

 そしてユウカがエレガントな応酬を繰り広げている横で、先生は件の制服を調べていた。籠から取り出して観察する。

 紅茶でビショビショにされた制服からは強い紅茶の匂いがする。随分と多くの紅茶がかけられたみたいだ。しかし、よく見てみると濡れているのは主に下半身側。つまり、スカートからお腹にかけてだった。襟元辺りは意外と濡れていない。

 先生は呟いた。

 

「……良い匂いだ」

 

「!? 変態ですわっ!?」

 

「いっ! い、いやあのそういう意味じゃなくてね? 女子生徒の制服の匂いに対して良い匂いだとか言ったわけじゃなく」

 

「ではわたくしが臭いと!?」

 

「何でそうなるの? 因果関係がバグってるよ」

 

「わたくし本体の方が100倍良い匂いしますわっ!」

 

「え、そこ張り合ってくるんだ」

 

「嘘ですわ。ちょっと盛りましたの……99.9倍ぐらい……ですわ」

 

「何その微妙なサバ読み。アルコール除菌率?」

 

「せ、先生! 私の制服も……ここにありますよ……?」

 

「えっ、待って。ユウカまで参戦してくるの」

 

「わたくしとわたくしの制服、どっちが大切なんですの!?」

 

「浮気してないのに亭主気分」

 

「先生! 私と私の制服と私の体操服、どれが一番良い匂いだと思ってるんですか?」

 

「三択にするなら正答を用意して欲しい……!」

 

「そこまで駄々をこねるなら……下着もありますわ! 籠から除いておいただけでまだありますわよ!」

 

「何で!? お願いだからしまって!?」

 

「わ、私だって下着は因数分解してありますけど? 展開しましょうか展開!」

 

「しまって! それが解だから!」

 

「ふんですわっ! どうです、これが下着の匂いですわ! どうぞお好きなだけ嗅いで下さいまし!」

 

「……こ、こっち見ないで下さいよ! 匂いだけですから! 匂いだけ!」

 

「あわわわ……二人とも落ち着いて!? もし今誰か入ってきたりしたら───」

 

 

 

 

 

「先生大変っす! ミカさんが───」

 

 

 

 

 

 

 

 ガチャ。

 

 

「……」

 

 

「………………」

 

 

「…………………………」

 

 

「………………………………………………」

 

 

 

「し、失礼しました~」

 

 

 


 

 

 

 

「えー、こほん。先程はお楽しみ中のところ失礼したっす」

 

「いや別にやましいことをしていたわけでは……」

 

「大丈夫っす大丈夫っす。私は先生が保健室で生徒二人を脱がせてた現場なんて見てないっすからね」

 

「誤解……!」

 

「誤解ですわ! その殿方はエレガントな匂いが好きなだけですわ!」

 

「誤解!!!」

 

 デジャヴしか感じないやり取り。

 咳払いをひとつしてユウカが脱線しかけた話を戻した。

 

「それで、大変なことになったというのは?」

 

「トリニティのとある生徒が脱獄しまして」

 

「ミカ?」

 

「……とある生徒っす」

 

「ミカ……」

 

 イチカはどこからともなくタブレットを取り出した。

 どうやらニュースで中継がされているらしい。

 

『今、トリニティでは大変なことが起こっています!』

 

『トリニティ生徒が道端で大量に気絶しています……』

 

『い、いったい何があったんでしょうか!』

 

 中継先の光景はさながら地獄だった。

 地面にはヒビが入り、建物の窓ガラスはところどころ割れている。

 周囲にはトリニティの生徒が倒れていた。

 まるで"怪物"が通ったかのようだ。

 ユウカは何となく「今回の事件現場に似ているな」と感じた。

 

『現場は───』

 

 その時、突然カメラの視界が揺れた。破裂音と何かが割れる音。カメラマンがその場に倒れ、足だけが映っていた。現場のカメラのレンズにヒビが入ったのだろうか。画面に線が走っている。 

 

『あ、いたいた』

 

「この声は……!」

 

 倒れたカメラが持ち上げられる。画面にピンク色の顔が大きく映った。

 

『あはっ……☆』

 

「ミカ!」

 

「聖園ミカ!?」

 

「元ティーパーティーの聖園ミカ!?」

 

「元ティーパーティーで脱獄犯のエレガントミカさんですの!?」

 

『先生の匂いを辿ってすぐ行くから待っててね』

 

 ガツン!

 カメラの映像がブラックアウトした。

 恐らくミカがカメラを投げ捨てて走り出したのだろう。風圧でカメラは破壊された。

 

「(先生の匂い!? 何でカメラ越しに先生を知覚できてるのよ!?)」

 

「……ちょっとこれはヤバそうっすね」

 

「あれが"エレガントオブバイオレンス"……エレガントミカさんですのね」

 

 イチカが立ち上がった。他の面々も何も言わずに立ち上がる。

 全員、考えることは同じだった。

 

「逃げるっすよ」

 

 このままでは保健室が破壊されかねない。

 戦闘感のあるイチカらしい判断だった。

 

「うん、そうだね。とりあえず周りに何もないところまで行こう」

 

 レイドボスを前に四人の心は団結していた。

 

 


 

 

「念のため走るっす!」

 

「エレガント散歩をこなしているわたくしは余裕ですわ!」

 

「毎日コユキを追い回してる経験がこんなところで……!」

 

「ぜぇ、はぁ、ちょ、ちょっと待って……」

 

 四人は保健室を出るや否や、とてつもない悪寒に襲われた。

 ちんたら歩いていたらミカによる人間ミサイルで爆撃されてしまうだろう。

 行き先は公園。

 周囲に建物がない場所でならミカを迎え撃てる。

 

「先生、こんな時に言うことじゃないかもしれないんですけど!」

 

「ユウカ、どうしたの?」

 

()()()()()()()()()()()()()

 

「! それって……」

 

「事件の謎が解けたということです」

 

「はっ、はっ、できれば止まって聞きたかったかな……! はぁっ、ぜっ、はっ」

 

「私がおんぶします!」

 

「う、うおっ」

 

 ひょいっとユウカが先生を抱えた。

 おんぶと言いながらその抱え方はお姫様抱っこ。

 ユウカの脳には運動によってアドレナリンが過剰分泌されていた。普段ならできないような大胆な行動も行えてしまう。二頭身のユウカも肩の上で驚愕の表情をしていた。

 

「まず今回の事件は"狂言紅茶漬け"です!」

 

「ど、どういうことなんだよ本体!」

 

「本体、ちゃんと説明して下さい! 全くわからないんですの!」

 

「えっ、同じ私なのに何で分かってないの……?」

 

 先生は息を切らしていて相槌を打つだけで精一杯だった。

 二頭身のユウカにほっぺを小突かれて、先を促される。ユウカは仕方なく肩に向かって話始めた。

 

「被害者は自分で水着に着替えて、自分で制服と全身を紅茶漬けにしたのよ」

 

「何でわたくしがそんなことする必要があるんですの?」

 

「本人参戦しちゃった」

 

 エレガントにユウカの横を並走してくる。

 エレガント散歩をしているだけあって、息一つ切らしていない。

 

「制服の違和感です。制服の濡れ方は不自然でした」

 

「はっ、ふう……確かに、下半身側だけが濡れていたよね。覚えているよ」

 

「この殿方は匂いフェチじゃなくて制服フェチなのですね。エレガントに勘違いしておりましたわ」

 

「違うよ!? "先生"でそれは冗談じゃなくなっちゃうから!」

 

 ユウカは今後は色んな服装を試していくことを決めた。やっぱり体操服では少し味気ないかもしれない。

 でももしかしたら先生が体操服に並々ならぬ情欲を抱いている可能性もある。今度色々とテストをしなければならない。ユウカのTo Doタスクがまたひとつ増えた。

 

「下半身側だけ濡れているのは『下半身側を濡らしたかったから』……もっと言うと、スカートを濡らしたかったから」

 

「でも肝心の何で紅茶をぶっかけるのかが分かってないピヨ!」

 

()()()()()()()()()

 

「!」

 

 ユウカは隣をエレガントに並走する生徒に視線をやった。

 エレガントな表情が少し崩れている。

 ()()()

 ユウカの視線が鋭くなる。

 

「先程の聖園ミカの中継映像を見て気付きました。聖園ミカが通った後、そこにいた生徒は気絶してしまう」

 

「えっ、それ前提で行くんだ」

 

「そしてエレガントを心情に掲げるあなたにとって、決して許容できないことが起こってしまった……」

 

 肩の上の二頭身のユウカ達がざわめいた。三人おれば何とやらだ。

 

「本体……大分怪しいんだよ!」

 

「本体、この推理で本当に大丈夫ですの?」

 

「本体! ちょっと大分雲行きがヤバいピヨ。これもう推理じゃない感じがするピヨ」

 

 二頭身のユウカが口々に言葉を発する。ユウカは先生をお姫様抱っこしているため、肩の上の三体を手で振り払えないもどかしさを感じていた。代わりに息を吹きかけておいた。

 

「あなたは()()()()をしてしまったんですよ!!」

 

「な、何だってーだよ!」

 

「本体がやらかしやがりましたの!」

 

「最悪ピヨ! 名誉毀損で訴えられるピヨ!」

 

「な、なぜそれを……ッッッ!!!!」

 

 

「何で当たってんだピヨ!?!!?!?」

 

 

 ユウカは「フッ……」とドヤ顔をしながら語り続けた。

 イチカは既に聞き流しモードに入っていた。

 

「ティーパーティー入りを目標にしているエレガントなあなたにそれは到底許容できることではなかった。だから第一発見者の友人と一緒に、今回の狂言を実行したんです。誰かに紅茶をかけられたという狂言を!」

 

「何か無から全てを生やそうとしてるんだよ?」

 

「本体にはノーモーションで解決編を聞かされてるこっちの身になって欲しいですの」

 

「もう多分これ以降聞かなくても良いタイプの奴ピヨ。具体的にはわざわざ地の文を挿入されず鍵括弧ひとつで処理されるタイプの台詞ピヨ」

 

「ふぅー!」

 

 ユウカは肩の上からの野次を息で吹き飛ばした。

 ユウカのハヤセンサーが高速で回転する。ユウカの推理はエンドレスだった。

 

「暑いので当然制服は蒸れます。お漏らししてなおかつ蒸れた制服を着用しながら保健室まで移動する……それはあなたにとっては嫌なことだったのでしょう。エレガント傷付ける行為として。あなたは何としてでも汚れを処理したかった。処理というのは、綺麗にするということと、他の人から隠すという二つをひっくるめて完了です。だからあなたは紅茶で汚い部分を()()()()()。まぁ、そのために一回服は脱いだでしょうね。そして、紅茶で洗い流したあとスクール水着に着替えたんです。勿論、下半身だけ濡れているのは不自然なので、スクール水着の全身が濡れるように紅茶をかけた。でもここで誤算がありました。あなたの300ml水筒では、制服まで濡らしきれなかった。結果として、絶対に濡らしたい下半身側に紅茶が集中してしまった。そして誤算はもうひとつ。あなたと友人が処理をしている最中か処理直後に、生徒が一人通りがかってしまったことです。本来は今回の事はこんな大事にする予定はなかったのでしょう。しかし、あなたの友人は咄嗟のアドリブに弱い。だから何か色々あってこんな形になってしまったんです。そう、全ては偶然と必然がガウス平面上で複雑に交差したが故に描かれた幾何学模様……しかし、このミレニアムはセミナーの会計"冷酷な算術使い"たる私にかかれば、単なる二次曲線でしかなかったですけどね! ね! 先生聞いてますか!」

 

「もうどっから突っ込んだら良いかわかんないんだよ!」

 

「アドリブに弱いこととかどうでも良いことだけは回収するんですのね……」

 

「『何か色々あって』とかもう推理パートに出てきていい言葉じゃなさすぎるピヨ。あと最後の語りが驕りすぎてとんでもなくウザいピヨ。思い出したかのように理系匂わせしなくていいピヨ。もう誰も本体のこと理系だとか思ってないピヨから」

 

 ユウカの隣を並走していた生徒はエレガントな表情を完全に脱ぎ去った。

 

「クッ! ここまでバレたら仕方ありませんわ! あなたの頭をぶん殴って記憶喪失にしてやりますわッ!」

 

「しまった! 先生を抱っこしながらじゃ微分不可能! 戦えない……っ!?」

 

「サスペンスでよくある犯人の足掻きパートなんだよ!?」

 

「導入が力技すぎるですの……」

 

「いや先生降ろしたら良いだけピヨ」

 

 ユウカの足が止まった。

 それと同時にノットエレガントな生徒はノットエレガントに銃を発砲。銃弾はユウカの髪の毛を僅かに掠めた。

 

「エレガントに記憶喪失させてやりますわ!」

 

「積分ができません! 先生……先生のことは死んでも離しませんからね!」

 

「降ろして? 多分その方が安全だから。あと死んだらダメだよ、ユウカ」

 

「え、自分もこれ参加した方が良い感じっすか?」

 

 ザッ……!

 イチカも一応足を止めた。万が一があってはいけないため、銃を構えて臨戦体勢。

 四者四様の構え。位置取りを結んだら、綺麗な正三角形が出来上がる位置。誰からでも仕掛けられるし、誰も動けないポジショニングでもある。

 だが、均衡というのは破られるために存在する。

 三角形の外から、飛来物がお出ましした。

 

「!? ()()()()()!?」

 

「気を付けるっす!」

 

「ユウカ、降りるよっ!」

 

「ちょ、こっちに落ちて───」

 

 

 

「せ・ん・せ・いーっ!!!」 

 

 

 

 ドーン!

 最早、何が起こったのか語るまでもないだろう。

 隕石のように聖園ミカが飛来してきた。

 砂ぼこりが晴れる。こんなに暴れまわっているにも関わらず、背中の羽は汚れ一つない純白。

 ティーパーティーで唯一の物理担当だった生徒、聖園ミカが軽く手を振っていた。

 

「あれ、何か踏んじゃったかな。まっ、いっか☆」

 

 ゆっくりとミカは先生に近付いて来る。

 

「先生、会いたかったよ」

 

「久し振り、ミカ」

 

 二人が相対した。

 ユウカとイチカは警戒しながら二人のことを見守っている。

 金色の瞳がまっすぐ先生を貫いた。先生以外は完全に眼中にないようだ。

 存在するだけで周囲に並々ならぬプレッシャーを与えている。ユウカの額に一筋の汗が流れた。

 

「ねぇ、今から劇を見に行かない?」

 

「……劇?」

 

 ミカの口から予想だにしなかった単語が呟かれた。

 劇、とは。

 イチカが溜息を吐いた。

 

「あー……そうっすか」

 

「イチカは知ってるの? 劇のこと」

 

 イチカが頷いた。

 ミカがさらに先生に近寄った。もう手を伸ばせば届く距離。ミカの致死圏内(キルゾーン)だ。

 

「アリウスの生徒がどうたら~みたいな話、覚えてるっすか?」

 

 ユウカがメモ帳を開いた。

 確かに最初の方に『正義実現委員会 過激派アリウス制圧のため人手不足』と走り書きが残っていた。

 イチカらは今日はその対処でかかりきりのはずだったが。

 

「あれ、どうやら『歌劇派アリウス生徒』だったらしくてっすね……はい」

 

 過激派。

 かげきは。

 歌劇派。

 つまるところもなく、そういうことだった。

 イチカから何やら疲れたオーラを感じるのも無理はないだろう。

 

 ユウカは地面に倒れて動かなくなっているエレガント生徒を見た。

 隕石ミカに直撃したのだ。もう当分は動けないはず。幸いなのかどうかはわからないが、ミカに直撃した際にエレガント生徒の銃は壊れてしまったようだった。仮に目を覚ましても、もう危険性はほとんどない。

 イチカに視線をやると、イチカは軽く頷いた。

 笑顔は保っているが、その顔からは隠し切れない疲れが伺えた。

 

「とりあえず暴力未遂ってことで一旦拘束するっすね」

 

 何とも言えない沈黙が場を支配した。

 事件という事件は全て解決してしまったようだった。

 事件は解決したが問題は残っている。聖園ミカだ。

 

「にしてもミカが演劇なんて意外だね」

 

「そうかな? でも、今回の劇は私と先生が主演だから」

 

「へー、私とミカが主演なんだ…………

 

「キスシーンもあるんだよっ」

 

「いやちょ───」

 

「行くよ!」

 

「ミカ!?!!?!?」

 

「せ、先生ーーーー!?」

 

 ミカが先生を抱えて消えた。

 目にも止まらぬ速さなんて次元ではなかった。それは目にも映らない速さだった。

 ユウカは手を伸ばすことすらできなかった。

 それ程までに、刹那。

 彼女の真髄と脅威性は、その素早さにあるのだ。

 話には聞いていたがまさかここまでとは。

 ユウカは悔しさに打ち震えた。

 

「ま、まぁ劇に出るだけなら、大丈夫っすよね……は、早瀬さん?」

 

「……じ!」

 

「……じ?」

 

事件発生!!

 

「事件発生!?」

 

「先生誘拐事件よ! 事件は現場で起こっているんじゃない! ここで起こっているのよ!」

 

「ここが現場っす……」

 

 先生の休みは一体、いつ来るのだろうか。

 走り出したユウカをイチカは溜息を吐きながら追いかけた。

 

 


 

 

 後日談。というか、今回のオチ───

 

「やっぱり疲れましたよね、先生」

 

 シャーレの一室。

 気付けば窓の外も橙色に染まっていた。カップの中の鏡面は揺れることなく世界を反射している。

 夕暮れの色は一日のどんな色よりも強く空を彩る。ふと目を向けた窓の外の空は、自らの知らぬ間に一瞬にして塗り替えられていた。いつもと同じ景色なのに、まるで異世界に迷い込んだかの様な感覚。重たくなった瞼を閉じると、夕焼けの残像が微かに黒色に重なった。

 疲れが閉じた瞼の裏を通って上へ上へと浄化されていくみたいに流れて薄れていく。

 身体は今この瞬間もここにあるのに、思考が、意識が、心だけがどこか別の場所へと飛ぶ。今日のことなのに、思い返す記憶と溢れ出る感覚は、ノスタルジックに少しずつグラデーションしていた。懐古に変容していく記憶がちょっと寂しかった。

 眼を開いた。

 ぼやけた視界が一瞬で元通りのクリアな光景になる。そのぼやけた瞬間を何だか捉えてみたくなって、何回か瞬きをしてみた。疲労を再確認するだけの作業だった。馬鹿馬鹿しくなって自嘲的な笑みが零れる。

 視界のピントが合う。先生は机の上に半身を委ねて居眠りをしていた。グレーのスーツはところどころに擦れた汚れが見える。窓から差し込む緋色の光が影を作っている。

 世界の中で、この二人きりの空間だけが、茜色の領域の進攻から外れているみたいに感じられた。

 秒針の単調な音だけがこの空間に時間を与えていた。

 だが逆にその単調なリズムが、この空間に流れる時間を引き延ばしているみたいだった。

 空間は連続して時間になる。変化のないこの部屋の中では、刹那が永遠にも、永遠が刹那にもなる。

 だが、永遠は無限ではない。限りなく延長されたこの現在も過去となり離れていく。0が1になる、決して観測できない瞬間を"現在"として人は生きているのだから。

 ずっとこのままでいられたら。

 そんな思いと矛盾して、ユウカは思わず呟いていた。

 

「……先生」

 

 

 

 

 

「本体が感傷に浸ってるんだよ!!」

 

 

「n×2^n-1 ッッッ!!!」*1

 

 ポンっとユウカの肩から悪魔1号の顔がのぞいた。

 二人きりの神聖な空間というか()()()、というか。

 ムードを台無しにされたユウカは本能のままにコーヒーカップを掴んでいた。

 シックスカウントを数えてコーヒーを勢いよく煽る。

 

「あっ、本体! それは……」

 

「思い出すピヨ! そのコーヒーは……!」

 

 

 

「あ"っつ"!!!」

 

 

 

 先生の休みは、遠かった。

*1
第2種カレン数




・早瀬 ユウカ

 ミレニアムサイエンススクール所属、生徒会「セミナー」の会計。
 理系生徒の比率が高いミレニアムでも指折りの数学の鬼才で、ミレニアムの予算周りの管理を統括している。
 特技は算盤で、複雑なことに悩まされていたり、葛藤している時などに算盤を弾いて落ち着かせる癖がある。
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