鬼気迫る男性陣からの決死の逃亡を図ったコーネリア=バードウェイは無事に校外――第七学区への脱出に成功していた。
……と言っても別にやる事がある訳でもなく、しかも今は昼且つ授業日なので友人たちと時間を潰す事も不可能となっている。そもそも授業直前の学校から逃げ出してきているので、暇を潰すとかそういう以前の話なのだ。
人の姿がほとんどない第七学区を歩きながら、コーネリアは周囲を見渡す。
『バレンタイン記念! チョコ製品全品半額!』と書かれた幟を上げているコンビニが視線に入り、どうしようもなくイラッとした。やはり天下のバレンタインは他の記念日に比べて扱いが破格すぎるらしい。いいなぁ俺もチョコ欲しいなぁ、と思ってはみるが、残念ながら彼に(普通の)チョコレートを(普通に)恵んでくれる異性の存在は彼の記憶上確認されてはいない。
「そもそもの話、俺は誰からのチョコが欲しいんだろうか……」
バレンタインにて、自分以外の誰かにチョコレートをあげる行為は極々当然の事となっている。昔は女性が男性にチョコをあげる日だったのだが、今は友チョコやら義理チョコやら、取ってつけたような名前を持つチョコレートが増えてきたため、異性がどうのこうのという問題は端からなかった事として考えるべきだろう。
そう考えて、そう前置きして、改めて思考する。
俺は果たして、誰からのチョコレートを望んでいるのだろうか――という一つの疑問について、コーネリア=バードウェイは思考する。
まず、怖い方の妹――レイヴィニア=バードウェイ。
彼女は自他共に認める重度のブラコンであるため、必ずどんな手を使ってでもチョコレートを渡してくるに違いない。そのチョコレートの中に惚れ薬を入れたり何かしらの媚薬系魔術を放り込んでいたりしそうなのがとても怖いが、まぁチョコレートをくれる人と言う点では第一に挙げられる存在ではあるだろう。……まぁ、普通のチョコを普通に渡してくれる訳じゃあないので、本心としては断りたくて仕方がないのだが。
次に、大人しい方の妹――パトリシア=バードウェイ。
彼女は無自覚系のブラコンであるが、レイヴィニアに比べたらまだ良心的なブラコンである。しいて言うならヤンデレの才能が有りそうで鳥肌が止まらないのだが、バレンタインにチョコレートを渡すという行為だけで考えると危険度は比較的低いと思われる。普通のチョコレートを普通に渡してくれそうなので、チョコレートを渡してくれる人の中では最も信用できると言ってもいいかもしれない。
と、ここでコーネリアは気づいた。
誰からのチョコが欲しいか、という疑問を解決しようとしているのに、何故か、誰が普通のチョコをくれるのか、という疑問に思考がシフトしてしまっているという事に。
これはいけない。一つの事を考えている途中に他の事を考えてしまうのは俺の悪い癖だ。今はとにかく『誰からのチョコレートが欲しいのか』についての考えを巡らせることに集中しよう。
まずは、そうだな……俺の周囲の異性を挙げていく事から始めてみるとしようか。
俺と仲が良くて、且つ義理じゃなくて本命を貰いたいのは…………
照れながらチョコを差し出す、幕末剣客ロマン女の姿が頭に浮かび上がってきた。
「…………どうしてそこで神裂の顔が出てくるのかなぁ」
どうして、などと恍けるのは間違っているのだろうか? やはりこういうタイミングで彼女の顔が出てきてしまうという事は、やはりそういう事なのだろうか。
俺は、神裂からのチョコを求めているという事なのだろうか。
俺は、神裂の事を―――――という事なのだろうか。
そう考えた途端、コーネリアの胸元がチクリと痛んだ。それは彼女に対する感情への罪悪感か、それとも彼女に対する想いが引き起こした切なさが原因か。その答えはすぐには出せそうにないが、一つだけ言える事がある。
コーネリア=バードウェイの人生に神裂を巻き込む訳にはいかない――という事が。
自分で言うのもなんだが、コーネリア=バードウェイと言うのは全ての試練から逃げる事を信条としている存在だ。この世界でこれから起きる事を知っているが故の判断ではあるが、結局は臆病な選択をしているという事に変わりはない。
そんな逃げの人生に、敗者の人生に、正直で勝者で可愛らしいあの聖人の少女を付き合わせるわけにはいかない。彼女にはもっと自由に生きていてもらいたい。原作上での彼女よりももっと自由に、重い責任に、無駄な重荷に縛られずに自由気ままに生きていてもらいたい――そう、コーネリアは考えている。
だから、彼女に心を置く訳にはいかない。
だが、どうしても、彼女の事を考えてしまう。
これは、この感情は、この気持ちは、やはり―――
「……あー、やめよやめよ。複雑な事を考えてたら頭ァ痛くなってきた。とりあえずは家に帰ろう。そして今日という日が――バレンタインデーとかいうクソ退屈なイベントが終わるまで寝て過ごす事にしよう」
よーっし、今日は惰眠デーだー。
自虐的で逃避的な選択をし、コーネリアは自宅である学生寮へと歩を進め始める。
しかし、世界はあくまでも彼に試練を与える。
「や、やっと追い付きましたよ、コーネリア=バードウェイ……ッ!」
背後からの、突然の呼びかけ。
そしてその声は、コーネリアの心を大きく揺さぶった。
それは、『とある少女』に酷似した声だった。
いや、酷似と言うレベルではない。――それは、その『少女』当人の声だった。
思わず、背後を振り返る。
そこにいたのは、極めて異質な魅力を持つ少女だった。
ポニーテールにしても尚、地面に届きそうな程に長い黒髪。
物語のお姫様のように整った、小さな顔。
冬場だというのに片袖が切り落とされた、ジーンズ生地のジャケット。
痴女かよと言われんばかりに大胆に片足が露出された、ブルージーンズ。
一昔前のカウボーイが履いていたものと同じ見た目の、ウエスタンブーツ。
どうやって扱うのかが甚だ不思議な、二メートル級の日本刀。
どこからどう見ても――上から下まで見下ろしても異質で異様で異常な少女が、コーネリア=バードウェイの背後に立っていた。
何故か、荒い呼吸を繰り返しながら。
「…………何でこの街にいるのかっつー野暮なツッコミは今更しねえけど……お前、何で息が荒れてんの? 今ってフルマラソンの時期だっけ?」
「相変わらず焦点の外れた感想ですね、あなたは……」
乱れていた呼吸をすぐさま整え、少女――神裂火織はコーネリアに向き直る。
「今日はあなたに用があってきました」
「――――――、え?」
求めては、いけない。
考えては、いけない。
求めれば求める程、考えれば考える程、自分の意志が揺らいでしまうから。
ここで自分をしっかりと確立しなければ、ここで自分をしっかりと律さなければ、もう後戻りはできなくなる。
神裂火織と言う無関係な少女に、心を許してしまう事になる。
だから、言わなければならない。
俺は、この無垢な少女に、責任感に溺れやすい少女に、俺は伝えなければならない。
「……ごめん。俺、ちょっと急いでるから」
「聞こえません」
ぐいっ、と腕が引っ張られた。
コーネリアは立ち止まってしまうも、再び彼女に告げる。
「これから用事があんだよ。だから、すまねえけど、またの機会って事にしよう」
「聞こえません」
神裂は、拒絶する。
コーネリアの拒絶を、神裂は拒絶する。
「何でだよ……駄目なんだよ、俺に関わっちゃ、ダメなんだよ……」
「聞こえません」
「俺はお前にとって害にしかならねえ。俺は、お前の人生の邪魔にしかならねえんだ」
「聞こえません!」
神裂は、叫ぶ。
自分の方を振り向いてくれないイレギュラーの少年に、聖人の少女はあらん限りの叫びをぶつける。
「聞こえません聞こえません聞こえません! あなたの泣き言なんて聞こえません! あなたの弱音なんて聞こえません! あなたの拒絶なんて聞こえません!」
「…………」
「どうして、あなたはいつもそうなのですか? 全てを自分で抱え込んで、全てを自分に押し付けて! 他の人たちに放って置かれたくないくせに、深く関わろうとする者を全力で拒絶しようとする……そんなの、私は我慢できません!」
握られた手に、力が籠められる。
彼女が叫ぶ度に、コーネリアの手に痛みが走る。
「あなたが何を抱え込んでいるのかなんて、私には分かりません。だって、それは、あなたが私に何も押し付けてくれないから……私は……私は……もっとあなたの力になりたい!」
「だから、やめろって言ってんだろ……お前だけは、嫌なんだよ……」
「私は、あなたに拒絶される事が一番嫌です!」
「ッ!?」
顔は、見えない。
顔は、見ない。
ただ、声だけで分かった。
彼女の声は、どうしようもなく震えていた。震えていたからこそ、彼女が今どんな状態なのか、背中を向けていてもすぐに判断できた。
神裂は続ける。
自分勝手な少年に、神裂火織は我儘を続ける。
「私の人生がどうなったって構わない! 私に不幸が訪れたって構わない!」
神裂は、少年を自分に振り返らせる。
涙がいっぱいに浮かんだ目を彼に向け、彼女は精一杯にこう叫んだ。
「私はあなたと共に在りたい! だから、どうか、どうか……私を拒絶しないでください……ッ!」
「……ッ!」
少年の肩が震え、頬を暖かな水滴が伝う。
もう、後戻りはできない。
彼女の気持ちを知ってしまったから、彼女の願いを聞いてしまったから、彼はもう元の道には戻れない。
だけど――だけど―――だけど。
何故だろう。
頬を伝う涙の感触は、不思議と嫌悪感の欠片もない。
「何で、俺なんだよ……バカじゃねえの、お前……」
「バカですよ……バカだからこそ、あなたを選んでしまったんです……」
不運な少年と幸運な少女は互いに泣きじゃくりながら、互いを強く抱きしめる。
そして二人は顔を見合わせ―――
☆☆☆
「結局、物語と言うものはどんなものにだって変わる事が出来るのさ」
そこに、人は一人しかいない。
そこにいるのは、金髪で小柄な少女と、巨大なビーカーの中に入った男が一人。……いや、『彼』は男なのか女なのかの判別がつきにくい外見をしていた。男なのか女なのか、子供なのか大人なのか、怒っているのか笑っているのか、全ての判別が曖昧な――そんな外見をしていた。
そんな異様な『彼』に、金髪の少女は続ける。
「有り得ない話――いや、有り得たかもしれない物語は、結果としてこの世界にやって来る。それは『もしも』の話だが、
『……興味深い話ではあるが、生産性に欠ける話でもあるな。「もしも」についての論議を醸したところで我々には何の得もない。「もしも」はあくまでも「もしも」でしかないのだからね』
「そう。『もしも』というのはあくまでも『もしも』でしかない。――だが、だからこそ通常では考えられない程に強大な魅力を持って生まれて来てしまう」
そう言って、金髪の少女は『彼』に背を向ける。
そんな少女の背中に、『彼』は声をぶつける。
『そんな「もしも」が「もし」存在したとして、君はどう動くんだ?』
「なーに、それは簡単な話だよ」
少女は、言う。
『彼』に見えない位置で邪悪な笑みを浮かべた少女は、当然の事だと言わんばかりに言い放つ。
「私の思い描く『もしも』に改編する。――ただそれだけだよ」
二月十四日。
聖バレンタインデー。
それは、存在するはずのない愛の物語を生産する、たった一つの特別な記念日である―――。
次回から本編に戻ります。
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