妹が魔術結社のボスなせいで人生ハードモード   作:秋月月日

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Trial38 聖人

 死んでいないのが不思議なぐらいだった。

 アックアの冷酷で容赦のない金属棍棒による殴打を諸に喰らったコーネリアは、血だまりの中に沈んでいた。身体のあちらこちらの骨が折れていて、内臓のほとんどが損傷していてもおかしくないほどの重傷。既に虫の息であり、目には一切の力も篭っていない。

 彼は、インデックスに覆い被さるように崩れ落ちていた。

 この少女だけは護らねば、と。

 大切な後輩が大切にしているこの少女だけは絶対に護らねば、と。自分の身を挺して、絶対に避けられない攻撃からインデックスを護り通していた。

 ここで自分が倒れたら、攻撃がインデックスに届いてしまうかもしれない。そうなったが最後、この少女はボロ布のように呆気なく千切れ飛んでしまう。――それだけは、絶対に避けなければ。

 無残に叩き潰されたコーネリアの下で、純白の少女は「……ぇ?」とか細い疑問の声を漏らす。

 

「……コー、ネリア?」

 

「…………」

 

 返事はない。

 意識なんて、ほとんど無い様なものだった。

 人形のように動かないコーネリアの下から抜け出たインデックスは、もう一度彼の様子を上方向から確認する。

 そこにあったのは、今にも死んでしまいそうな友人の姿だった。

 そして、命がけで自分を護ってくれた、脇役(ヒーロー)の屍だった。

 

「う、そ……ねぇ、起きてよ。起きてってば、コーネリア……」

 

 血で汚れる事も厭わずに、少女は少年の身体を揺らす。――返事はない。そこにあるのは、瀕死の屍だけだった。

 少女は修道女であるが、そんな彼女に怪我人の傷を治す術はない。十万三千冊の魔導書という重荷を背負わされた少女は自分の魔力を用いた魔術を行使する事が出来ない。修道女と言っても、神に祈りを捧げるぐらいしか彼女にできる事はない。

 そんな事が今の状況では無駄だという事ぐらい、インデックスにも分かっている。神に祈ったところでこの少年の傷が治る訳じゃないし、この少年を瀕死にまで追い込んだローマ正教の魔術師を倒せるわけじゃない。

 でも、少女はそれだけしかできないから。

 神に祈る事しかできないから。

 胸の前で十字を切り、両手を合わせて目を閉じる。幻想(ラッキー)がこの少年に降り注ぐように、少女は無心に神に祈る。

 

「…………ふん」

 

 それを見ていたアックアは、つまらなそうに鼻を鳴らした。

 『聖人殺し』だの『レイヴィニア=バードウェイの実兄』だの『原石』だの、大層な肩書きを持っているにしては何と脆弱な事か。弱い、あまりにも弱すぎる。たった一度の攻撃で、もう動かなくなってしまった。

 

(やはり血は繋がっていようとも才能の壁には逆らえないのだな。優秀な妹に遠く及ばず、しかも普通の人間レベルの脆弱と来た。こんな事なら私ではなくもっと下の魔術師にでも相手をさせた方がマシだったのである)

 

 ローマ正教が最暗部。

 そう呼ばれる組織の一人であるアックアがわざわざ出向いたというのに、結局手に入れたのは虚しさと目的達成という誠につまらないものだった。

 いや、まだ、目的達成とは言えない。

 まだこの少年は、死んでいないのだから。

 

「『禁書目録』よ。貴様の命までを取ろうとまでは思ってはいない。この男を渡すというのなら、命だけは助けてやる」

 

「いやだ」

 

 即答だった。

 神に祈るしか能のない魔導書図書館は、涙をぽろぽろと流しながら、絶対に勝てない相手に向かって、それでも強気に拒否の姿勢を示していた。

 少女は言う。

 神への祈りを続行しながら、少女はこの状況を作り出した元凶に言う。

 

「コーネリアは私の友達なの。友達を見捨てるぐらいなら、ここで死んだ方が何倍もマシなんだよ」

 

 芯の通った声に、しかしアックアは表情を変えない。

 後方のアックアは、一切の容赦も油断もしない。

 殺す気はなかったが、仕方がない。この弱き少女が自分の前に立ちはだかるというのなら、全てを一撃の下に撲殺してやろう。

 苦しむ時間を少しでも短く。

 それが、瀕死の少年にアックアが手向ける事が出来る唯一の気遣いだ。

 

「……希少な才能をここで潰すのは気が引けるのだがな」

 

 しかし、踏みとどまる事はない。

 最も得意とする得物――金属棍棒を振り上げながら、アックアは修道女と少年をもう一度視線に収める。昔の記憶――とある王女と傭兵の物語が頭に浮かんだが、無駄な記憶だとアックアはすぐに意識を切り替えた。

 金属棍棒を握る手に力を込める。

 そして一切の容赦なく、その巨大な鈍器を弱者たちに向かって振り下ろした。

 ドゴォオオッ! とミサイルでも着弾したかのような轟音が鳴り響く。

 着弾地点を中心として、周囲に半径三十メートルほどのクレーターが構築され、学園都市が大きく揺れた。たった一人の魔術師による撲殺劇が繰り広げた被害にしてはあまりにも大きすぎるが、これがアックアという聖人の力なのだ。最強の聖人の名は伊達ではない。

 ――終わったか。

 流石に瀕死の重態で今の一撃を耐える事は不可能だろう。今まで何人も頑丈な人間を見てきたが、流石にあの状態では無理だ。自分が少年の立場だったとしても、あれを耐える事は出来ない。

 つまらなそうな表情で、金属棍棒を持ち上げる。

 しかし、地面に縫い付けられたかのように、アックアの鈍器は微動だにしなかった。

 「???」と後方のアックアの脳内に疑問符が浮かぶ。あまりにも激しい勢いで叩きつけたせいで地面に食い込んでしまったか、そんな疑問が浮かんだが、答えはすぐに彼に提示された。

 

「…………」

 

「なん……だと……ッ!?」

 

 全長五メートルを超える鈍器の下から、人間の息遣いが零れ出てきていた。

 絶対に有り得ないはずの現実にアックアは動揺を隠せず、絶対無敵の傭兵にしては珍しく、確固たる意志が揺らいでしまっていた。金属棍棒の下に拡がる光景を見たくない、という心までもが生まれて来てしまっている。

 しかし、アックアの動揺に関わらず、展開は進展を始める。

 ズズズ、と金属棍棒が僅かに動く。それは上から下への動きではなく、その逆――下から誰かが金属棍棒を持ち上げた事による動きだった。

 巨大な鈍器が動いた事で、アックアの視界にその下の光景が映り込む。

 そこには。

 金属棍棒の下に拡がっていたのは――

 

「……ぅ、ぁ……」

 

 ――コーネリア=バードウェイだった。

 全身血塗れで身体のあちらこちらの骨が折れていて、足なんかはがくがくと小刻みに痙攣を繰り返している。目の焦点は合っておらず、口もだらしなく開かれている。

 しかし、彼は立っていた。

 彼の中には、確かな芯が通っていた。

 足元で意識を失っている少女を護る様に、コーネリアは金属棍棒を両手で抑えつけていた。荊を駆使した訳じゃなく、何かの魔術を使用した訳じゃなく、年相応の太さの二本の腕でアックアの攻撃を真正面から受け止めていた。

 有り得ない。

 こんな事は、絶対に有り得ない。ただの少年が、一介の高校生風情が正面から受け止められるような一撃ではなかった。そんな事、攻撃を繰り出した本人であるアックアが最も理解している。聖人の本気の一撃を受け止められるなんて、それこそ聖人で無い事には――

 

(――待て、よ?)

 

 そういえば、この少年の能力は何だったか。

 『聖人の力を抑え込む荊を操る』という、そんな神の奇跡のような能力ではなかったか。

 もしも。

 あくまでも、もしもの話である。

 彼の能力で生み出される荊が、もしも、彼の本当の素質を抑え込んでしまっていたとしたら?

 もしも、荊を制御できなくなったと同時に、その素質が解放されてしまったとしたら?

 彼の荊の効果を受ける対象は、唯一、聖人の力だけだ。

 つまり、ここから生まれる方程式から導き出される解答は、自然に一つに絞られる。

 

「聖人だと、言うのか……この少年が、私と同じ、聖人であると……?」

 

 あくまでも推測にすぎない。

 推測にすぎないが、そうでもないと今の状況は有り得ない。聖人であるアックアの一撃をコーネリアが素手で受け止めたというこの信じられない状況は、『コーネリア=バードウェイが聖人である』という推測が無いと成り立たない。

 しかも、アックアの一撃を受け止められるという事は、聖人の中でもトップクラスの力を持っているという事になる。

 聖人と聖母。その二つの性質を持ち合わせるアックアは通常の聖人の実力の比ではない。そんな男の攻撃を、しかも武器を駆使した一撃を受け止められる。――それは、コーネリアの聖人としての力が底知れない事を顕著に表しているのではないか?

 金属棍棒を腕力と握力と全身の力で抑えつけていたコーネリアは、意識が無いのかあるのか、ふらふらと瞳を彷徨わせながら一歩前に踏み出した。

 

「ッ」

 

 思わず、一歩後ずさってしまった。

 どんな戦場においても逃亡という選択肢を取る事なんて無かったアックアが、ありとあらゆる戦乱を駆け抜けてきたウィリアム=オルウェルが、一人の少年に気圧されていた。

 

「…………面白い」

 

 その一言は、心の底から出たものだった。

 そして、ずっと表情を変えなかった怪物は、心の底から楽しそうに笑っていた。

 

「面白い!」

 

 コーネリアの手から金属棍棒を引き剥がし、遥か後方へと放り投げる。

 最良の敵と認識した一人の少年に、武器は必要ない。相手が素手で来る以上、こちらもそれ相応の装備で対応する!

 砲弾のような拳を握り、筋骨隆々な剛腕と共に振り上げる。後はこのまま拳を振り下ろせば、楽しい楽しい戦闘が開始される。そうなれば、ずっと胸に燻っていた退屈さも消し飛ぶはずだ。何かを期待してこの街に来たわけではないが、これは想定外の贈り物を貰ってしまった。

 

(このアックアと対等にやり合えるだけの素質、試させてもらうぞ!)

 

 言葉はない。

 ただ、ありとあらゆるものを捻り潰す拳を振り下ろす。

 それだけだった。

 それだけの、はずだった。

 

「―――、?」

 

 最初に感じたのは、違和感だった。

 次に感じたのは、拘束感だった。

 最後に感じたのは、脱力感だった。

 何かがおかしい。身体に異常がある訳ではないが、何かが変だ。身体の芯から力が抜けたというか、元々持ち合わせていた力を抑え込まれたというか―――ッ!?

 そこまで考えたところで、アックアは気づいた。

 自分の衣服から生えた荊が、自身の身体に絡みついている事に。

 

「……ぬぅ、っ!」

 

 がくん、と身体から力が抜け、地に膝をついてしまう。

 聖人だけでなく聖母としての素質も持っているアックアは、通常の聖人よりも遥かに『聖人の弱点』に弱い側面を持つ。それはつまり、対聖人の戦術に対して、アックアが滅法弱いという事だ。

 コーネリアとの戦いの最中に、アックアは言った。――触れなければどうという事はない、と。

 その一言が示す答えはただ一つ。

 荊に触れさえすれば、アックアの力を抑え込める、という事だ。

 地に膝をついて動けなくなっているアックアを、コーネリアはボロボロの状態で見下ろす。まだ意識は戻っていないのか、その視線は怖ろしい程に虚ろだ。

 だが、コーネリアが取った行動は至って的確なものだった。

 気絶しているインデックスを抱え上げ、コーネリアは後退する。アックアを視線から外さないように気を付けながら、コーネリアは敵との距離を取る。

 コーネリアの姿をアックアが見失ったのは、それから約十分後の事だった。

 ようやく消滅した荊と、回帰し始めた聖人と聖母の力に調子を崩しつつも、アックアはコーネリアが去って行った方角を真っ直ぐと眺め、

 

「コーネリア=バードウェイであるか。その名前、確かに我が胸に刻んだぞ」

 

 その言葉を合図とし、アックアは夜の学園都市に跳躍した。

 最高の敵と戦うために、最強の傭兵は胸躍る追撃を始めた。

 

 




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 次回もお楽しみに!

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