アックアは学園都市を上から見下ろしていた。
大怪我を負っているから、そう遠くまでは逃げきれまい。そんな判断を下してからの追撃を行っていた訳だが、アックアの予想に反し、未だにコーネリアを見つける事は出来ないでいた。流石は日々逃亡に明け暮れているだけの事はあるな、とアックアは楽しそうに口を歪める。
ビルから見下ろせる範囲に、標的の姿はない。
武器を持った黒づくめの集団や気絶した人々の姿はこれでもかという程に確認できるが、目的の少年の姿は驚く程に見つけられなかった。おそらくは路地裏や屋内を移動しているんだろう。上から広範囲を見渡しても姿が無いという事は、その可能性が極めて高いという事でもある。
「……歩いて探す方が無難であるか」
空気を切る音がした。
それはアックアが軽い調子でビルの屋上から飛び降りた音であり、凄まじい速度で落下した風切り音でもあった。
ドゴォオオッ! と轟音が鳴り響いた。
それと同時にビルの前に巨大なクレーターが構築され、その中心には膝を折り畳んだアックアの姿があった。落下の衝撃を吸収して見せた華麗な着地であるが、言うまでも無く、聖人で無ければ大怪我もしくは死亡していた。コンマ何秒の世界で戦ったり時には空中戦なんかもしちゃったりする聖人は、それほどまでに異常な存在なのだ。
ゆっくりと、アックアは立ち上がる。
コーネリアを叩き潰した金属棍棒は、影の中に収納している。移動の邪魔になるし、そもそも狭い所では何の役にも立たないからだ。無理やり薙ぎ払うという選択肢も無い訳ではないが、アックアとしては無駄な被害を出したくはない為、可能だとしてもその選択をする事はないのである。
降りしきる雨の中、最強の聖人は周囲を見渡す。
そして異常がないと判断して一歩踏み出した――
――まさにその瞬間。
コトッ、とアックアの目の前に手榴弾が放り込まれた。
「ッ!?」
突然の襲撃に目を見開くが、アックアが取った行動は至って冷静なものだった。手榴弾を掴み、空に向かって遠投する。ただそれだけの行動が終わると、学園都市の空に爆発という名の花が咲いた。
来たか――ッ!
敵の襲来に胸が躍り、身体に自然と力が入る。戦える状態ではないというのに再び自分の元に戻ってきた標的に、アックアは心の底から歓喜の感情を覚えていた。
手榴弾が飛んできた方向を瞬時に把握し、コンマ何秒の世界に身を投じる。聖人の天敵であるあの荊は厄介だが、要は少年の視界に入らなければよいのだ。常人が視認できないレベルで動きさえすれば、何の問題もない。
手榴弾が飛んできた方向――傍の路地裏に、アックアは文字通り目にも留まらぬ速さで移動する。
しかし、そこに標的の姿はなかった。
そこにあるのは、凄まじい速度で迫り来るワンボックスカーだけだった。
「ぬぅ、っ……ッ!」
アクセル全開で突っ込んでくるワンボックスカーを一撃で粉砕するアックア。常人だったら肉塊に変えられていたであろう攻撃を、しかしアックアは至って冷静に冷酷に残酷に鉄塊へと変貌させていた。
「……成程」
アックアの口が自然と緩む。
正面からでは勝てない。だからこそ、あの少年は隠れながら姑息で卑怯な手段でこのアックアと戦う道を選択した。車や武器をどこで調達したのかは知らないが、この短時間でしっかりと準備を終わらせる辺り、やはり戦い慣れしているようだ。
アックアはニィィと口角を上げ、瞬間移動に匹敵するほどの高速移動でその場を離れる。
速度に置いて行かれた声は、こんな言葉を紡いでいた。
「……面白い」
と。
☆☆☆
コーネリアは身を潜めていた。
彼が現在隠れているのは驚く事なかれ、実はアックアが立っていたビルの屋内である。持ち合わせのピッキングツールで電子ロックを無理やり解除し、アックアに気づかれないように徹底的に計らいながら安全地帯を確保する事に成功していたのだ。
コーネリアが入ったビルは、電子機械系の会社だった。
ドラム缶型の清掃ロボや駆動鎧なんかの電子回路を主に制作している会社であり、だからこそコーネリアはこの会社に目を付けたのだ。
ヴェントの『天罰術式』のおかげか、従業員たちは揃いも揃って気絶していた。何で屋内にいる彼らが『天罰術式』の被害に遭っているのかは甚だ疑問だが――という所で、コーネリアの目に点けっぱなしのテレビが映った。どうやらニュース番組を経由してヴェントの姿を見てしまったようだ。街の大型掲示板の前でも似たようなことが起きているようだし、屋内でこんな事案が発生していても何の違和感もない。
ご愁傷様、と他人事のように呟きながら、コーネリアは溜め息を吐く。
「流石にあれぐらいで倒せるとは思っていなかったが……あそこまで軽くあしらわれるってのも中々に悲しいんだがな」
予め手榴弾を飛ばす簡易的な装置をセットし、そこに向かってワンボックスカーをオート操縦で突っ込ませる――という戦術を取った訳だが、あの規格外れの聖人には全く持って通じなかった。能力で駄目なら科学技術を、と考えての戦法だったが、やはりあの程度の卑怯さでは怯ませることも不可能だった。
「……一応、装備だけは整えたんだがな」
そう言って、コーネリアは自分の身体を見下ろす。
現在、彼は『猟犬部隊』のシンボルである黒づくめの装備に包まれている。一応の防弾性や耐衝撃性能は搭載されている優れもので、しかもそれでいて中々に動き易いという側面も持っていた。ベルトの辺りに銃やナイフと言った武器を接続できるというのも高評価で、しかも全身を覆うタイプの装備であるので自身の荊で自傷するという間抜けな展開を迎える事もないと来た。
この装備、貰えねえかな。――興味本位という訳ではなく、有用性を鑑みて、コーネリアは呟きを漏らす。
とりあえずサブマシンガンを腰から外し、安全装置を解除して両手で抱える。
ここからは、卑怯と姑息のオンパレードだ。能力だろうが凶器だろうがなんだって使ってやる。あの聖人を倒す――とまではいかないにしても、撃退できるまでには展開を運びたい。
というのも、コーネリアには一つの確信があった。
それは、アックアが絶対に撤退するタイミングに関する確信だ。
(ヒューズ=カザキリの出現。そしてその後のヴェントの敗北。それまで何とか生き延びりゃあ、この戦いを終わらせることはできるはずだ)
学園都市の最終兵器に全てを委ねるのは気が引けるが、だからといってそれ以外にこの戦いを脱する方法がある訳ではない。原石と聖人、そして天才的な魔術師の才能を持ち合わせるコーネリアだが、その正体は最悪の噛み合わせにより普通の常人レベルにまで才能が落ちぶれている不幸者なのだ。あんな純粋な強者に長時間生き残れると思う程、彼はおめでたい人間ではない。
とりあえずは、アックアに気付かれるまでここに待機して時間を稼ごう。その間に何とか作戦をまとめるしかない。
それが、コーネリアのとりあえずの判断だった。
判断だった、はずだった。
それは、何の前触れもなくやってきた。
「隠れる事には長けていても、どうやら気配を消す技量までは身に着けていないようだな」
「ッ!?」
声は、空間の入り口側から聞こえてきていた。
デスクの影で目を白黒させながら、コーネリアは思わず舌打ちする。
(もうバレた!? クソッタレが……流石に早すぎんだろ!)
アックアを視界に収めれば再び逃走できるが、それは相手も警戒している事だ。そう簡単に能力を当てる事は出来ないだろう。無数の薔薇で空間を支配する事も考えたが、またあの金属棍棒で蹂躙されてはたまらない。あの攻撃だけは、もう二度と喰らう訳にはいかない。
コーネリアは、動かない。
しかし、アックアは言葉を紡ぐ。
「私が派手な立ち回りしかできないとでも思っていたか? これでも私は傭兵でな、隠密行動もお手の物なのだよ」
「…………」
知ってるよ、とは言わない。まだ、自分の居場所を暴露する訳にはいかない。
その代わりとして、コーネリアは携帯電話を取り出し、画面を静かにタッチした。
『起爆』と表示されていた画面を、コーネリアはタッチした。
キュガッ! と耳を劈く爆音が空間を支配する。アックアが立っていたエリア――つまりはこの部屋の入口付近には予め遠隔操作式の爆弾をセットしてある。それを爆破させたのだから、アックアに少なからずダメージは与えたはずだ。いくら聖人と言えども、この狭い空間内で超至近距離の爆発から逃れる術はないはずだ。だからこそ、コーネリアは近場の中からこの場所を選んだのだから。
(逃げるなら今しかねえ)
奇跡的にも、ここはビルの二階だ。この大怪我で飛び降りるのは些か気が引けるが、まぁ死なないで済む高さではある。
チャンスは一瞬。迷っている暇はない。
爆発が鳴り止むのを待つことも無く、コーネリアはデスクの陰から飛び出す。窓までの距離はおよそ十メートル。自力での破壊は難しいだろうが、サブマシンガンで窓を破壊すれば外への脱出も可能になるはずだ。
迷う事無く、サブマシンガンの引き金を引く。発砲による反動が襲い掛かってきたが、コーネリアは根性でそれを耐え切った。ここでこんなものに負けているようでは、あの最強に勝つ事は出来ない――そんな意地だけで、コーネリアは激痛に耐えていた。
流石に防弾ガラスではなかったのか、窓はあっさりと破壊できた。銃を投げ捨てる事も無く、コーネリアはぶっ壊れた窓へと走り出す。
目論み通り、窓から外へ出る事は出来た。
しかし、それはコーネリアの計画に反し、無傷での脱出とはいかなかった。
「いい加減、鬼ごっこにも飽きたのである」
超至近距離、しかも背後から、そんな凶悪な声が聞こえてきていた。
振り返る暇なんて、彼には残されていなかった。アックアを視界に収める余裕など、そこには存在しなかった。
「――ん、な」
「あのような奇跡が起こられても困るのでな。……少々手荒に打ち飛ばさせてもらうぞ」
コーネリアは見えていなかったが、アックアの手には例の金属棍棒が握られていた。
見えてない位置から、コーネリアに恐るべき一撃が放たれた。鋼鉄で作られた棍棒が横薙ぎに振るわれ、コーネリアの背中に直撃する。メギメギメギィッ! と黒の装備越しに衝撃が浸透し、コーネリアの呼吸が完全に止まった。
それは、野球のバッティングのように呆気なかった。
それは、最早漫画としか思えない程に異常な光景だった。
空気を薙ぐ音、骨が軋む音、肉が裂ける音。
ありとあらゆる破壊音が鳴り響いた直後、コーネリアの身体がゴルフボールの様に宙を飛んだ。
今度こそ完璧に意識の消えた少年の身体が、夜の学園都市に放たれる。着地したところで確実に死亡してしまうであろう高さまで打ち上げられた少年は、もしかしたら既に死んでいるかもしれなかった。
勝負にすらならない。
それを改めて認識した時には既に、コーネリア=バードウェイの戦意は完全に喪失していた。
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