コーネリアは女子寮の食堂で食事を摂っていた。
女性しかいない大部屋で、何故か目の前には本気で美味しそうな料理がずらりと並んでいる。視界に入っている女性たち――九割方シスターである――は食事の前の神への祈りに集中していて、とりあえずコーネリアは驚くべきことにぽつねんと孤独を味わっている状態である。
テーブルの上に並べられた料理に訝しげな視線を向けながら、コーネリアは可愛らしく首を傾げる。
「………………え、なにこの状況。訳分からんのだが」
「遠路遥々この女子寮を訪れたあなたにオルソラが腕に寄りをかけて歓迎の料理を用意してくれたんですよ。それで、どうせ夕食の時間だからと女子寮の住人達が全員食堂に来た、という訳です。……ヨカッタデスネ、オンナノコガイッパイデ」
「もしもし神裂さん? そこで不機嫌になられるのはちょっと予想外ですよ?」
豊満な胸の前で両手を握りながらもこちらにジト目を向けてくる神裂に、コーネリアは思わず頬を引き攣らせる。
しかしまぁ、何だ。押しかけ女房も顔負けなぐらいの強行手段だった訳だが、ここまで大掛かりに歓迎されると無謀な手段を取った事にもちゃんと意味が見出せているようでなんだか嬉しくなってしまう。神裂の不機嫌そうな言葉を肯定する気はないが、やはり多くの女性から歓迎されるというのは男としてはかなーり嬉しいイベントだったりする。帰国したら上条に自慢してやろう。……そこから土御門に伝わって神裂が知って斬り殺される未来が見えたのでやっぱりやめておこう。
「にしても、凄ぇ美味そうだよな、この料理。上条から話には聞いてたが、オルソラって本当に料理が上手いんだな」
「料理スキルは女の子にとっての重要なアピールポイントなのでございますよー」
神へ祈りを捧げて終わったのか、コーネリアの向かいに座っていた金髪巨乳修道女ことオルソラ=アクィナスがニコニコ笑顔でそう言ってきた。その笑顔はまさに聖母の様で、年上好きであるコーネリアは思わず頬を赤らめてしまう。
直後。
コーネリアの爪先に激痛が走った。
「うぎゃぅ!?」
「??? どうかしたのでございますか、コーネリアさん?」
「い、いや、何でもねえよ……」
心配そうな顔つきのオルソラに虚勢を張りながら、コーネリアは加害者――神裂火織に小声で文句を垂れる。
「(オイ神裂、いきなり攻撃とかどういう了見だよ……)」
「(べっつにぃ。あなたが巨乳で金髪の美女相手に鼻の下を伸ばしていた事とか、全然気にしてませんしぃ)」
「(恋人でもねえくせにそんな事で怒んなよ……)」
何がそんなに気に障ったのか、鈍感なコーネリアは気づけない。神裂火織という少女に恋心を抱いている彼ではあるが、だからといってその少女の心境に鋭いという訳ではないらしい。こういう鈍い所が神裂を怒らせる原因となる事を、コーネリアが気づくのは果たしていつになるのだろうか。
食堂にいたシスターたちの儀式が終了したのか、徐々に食堂内に喧騒が浸透し始めた。それは敬虔なるシスターというよりも普通の女性たちの会話であり、それがまたコーネリアに妙な親近感を感じさせていた。早い話が、妙に話題が俗っぽいのだ。
「それじゃあまあ、いただきます」シスターたちとは違って儀式を短く済ませたコーネリアは用意されていた箸を取り、一番近くに並べられていた卵焼きを口に放り込む。何で外国人であるオルソラが用意した料理の中に日本食があるのかが非常に気になったが、大方、日本から来たコーネリアを気遣ってくれての選択だろう――とすぐに難しく考える事をやめた。
もっきゅもっきゅと卵焼きを咀嚼し、ごくんと呑み込む。
そして目をキラキラと輝かせ、コーネリアはオルソラに言った。
「すっげぇ美味い! オルソラって和食もイケるんだな!」
「その卵焼きを作ったのは私ではないのでございますよ」
「へ? でも、さっき神裂が『オルソラが腕に寄りをかけて用意した』って言ってたような……?」
「確かに私がほとんどの料理を用意させていただいたのは事実でございますが、その卵焼きだけは神裂さんのお手製なのでございます」
「神裂の!?」
思わず、隣の少女の方を見てしまう。
そこには、真っ赤になりながらもとても嬉しそうにニヤけている聖人の少女の姿があった。
「そ、そうですか……私の卵焼きは絶品ですか……くふふっ……うふふっ……ま、まぁ、私が本気を出せばこんなものですよ……」
(何ですかこれ何ですかこれ嬉しすぎてニヤケ顔が我慢できませんッッッ!!!)
あくまでも平静を装おうと表情筋が抵抗するが、心の内から沸き起こる感情の奔流にはどうやら勝てていないようで。ひくひくと頬を引き攣らせているというのに顔に浮かぶのは何ともだらしないニヤケ顔だった。
だらしのない自分の顔を隠そうと茶碗に入った白飯をズガガガーッ! と口に流し込み始める神裂さん。それが彼女の照れ隠しであると分かっているコーネリアは、どんな言葉を掛けたら良いのかと頭を悩ませている始末。
そんなチグハグで微笑ましい二人を見ていたオルソラは「あらあら」とお節介好きのおばさんのように反応し、隣で静かに食事をしていたゴーレム使いことシェリー=クロムウェルの肩をツンツンと突きながら、何とものんびりとした声色でこう言った。
「シェリーさんシェリーさん。これが噂の『つんでれ』というものなのでございますか?」
「私に聞かれても困るんだけど……でもまぁ、日本のオタク文化によると、そういう事になるらしいぞ。流石は極東宗派と言ったところかしらね、日本の文化を既に自分のキャラクターに輸入済みとは恐ろしい」
少し離れたところでは、大小シスターコンビがコーネリアと神裂を見ながらわーわーぎゃーぎゃーと子供のように盛り上がっていた。
「し、シスター・ルチア! なんだか神裂さんとコーネリアさんのところから桃色のオーラが漂ってきています! ま、まさかこれが噂の『Love Comedy空間』というものなのでしょうか!」
「だから人を指で差してはならないと言っているでしょうシスター・アンジェレネ! それに、神への誓いを立てている神裂火織が恋愛の道に足を踏み入れるなど、絶対にあってはならない事なのです!」
「で、ですが、あのお方は神裂さんのボーイフレンドなのでしょう? それじゃあやっぱり神裂さんは恋をしているという事になるんじゃあ……」
「勝手な行いで物事を決めつけるのは許されない行いですよ、シスター・アンジェレネ」
「シスター・ルチアも気になっているって言ってたじゃないですか! 神裂さんはコーネリアさんとどこまで進展しているのか、毎日のように気にしていたじゃあないですか!」
「お黙りなさい! そのような事を私が考える訳がないでしょう!?」
「誤魔化さないでくださいよ~。ほら、今ならその謎が解けるかもしれませんよ? 何と言ったって神裂さんが今までにない程にデレデレなんですから!」
「そ、それは、確かにそうですが……」
でもなーここで流されちゃったら修道女的に不味い気がするんだよなーでも気になるなーうーんどうしよー、とシスター・ルチアはフォークとスプーンを握り締めながら一世一代の二択に歯噛みする。
騒がしい――というか、何とも平和で居心地の良過ぎる空気にコーネリアは思わず苦笑を浮かべる。日々過酷な争いに身を委ねている彼女達ではあるが、やはり内面は至って普通の女の子なのだ。恋愛事に興味があり、人並みに騒ぎたいお年頃。――それこそが、彼女たちの本当の姿なのだ。
神裂お手製の卵焼きをもぎゅもぎゅと食しながら、コーネリアは神裂を見る。
「ん?」と箸を咥えたまま(行儀が悪いがここは無視する)顔を向けてきた神裂に、コーネリアは清々しい笑顔を浮かべながらこう言った。
「……良い所だよな、此処って」
「はい。私の自慢の住居です」
そう返してきた神裂の顔には、純粋に嬉しそうな表情が浮かんでいた。
☆☆☆
夜のイタリアを、彼と彼女は歩いていた。
彼――無造作な銀髪とサファイアブルーの瞳、それと少しのそばかすが特徴の少年は、不思議と影の薄い印象を持っていた。そこに居るのにすぐに見失ってしまいそうな、そんな儚い存在感を持つ、不思議な少年だった。
彼女――長く美しい黒髪と青褪めた顔、そして小柄な体躯が特徴の少女は、感情の薄い灰色の瞳を前に向けたまま、一定のリズムで足を進めていた。吸血鬼と呼ばれる存在である少女の足元に影はなく、近くの川には少女の姿すら映っていなかった。
明らかに、日常とは逸脱した二人。
片や正体不明で、片や宵闇の帝王。
世界中の聖人を抹殺して、吸血鬼を世界最強の座に据える――そんな野望を持っている二人は夜空を見上げる事も無く、ただただ無言で歩いていた。
――と。
前を歩いていた少女が、ふと歩みを止めた。
「んー? どーした、嬢ちゃん? 突発的な腹痛がおめーを襲ったのかー?」
「……あそこ」
「んー?」
緊張感のない――というか、わざと緊張感を欠けさせているような声を出しながら、少年は少女が指差した方向に視線を向ける。
そこには、一人の女が倒れていた。近くに酒の瓶が転がっている事から、おそらくは酔っ払いなのだろう。街灯に照らされながらも穏やかな寝息を立てている。見た目は東洋系で、毎夜男で遊んでいるのか、その服装は大胆に肌を曝け出すようなデザインだった。
「いけない女だなー」少年はつまらなそうな顔で、しかし楽しそうな声を上げる。
「……四葉。お腹、減った」
「このタイミングでそんな事を言うとは、流石は物事の通りって奴を分かってるねー嬢ちゃん。よーっし、分かった。今日の嬢ちゃんの晩御飯はあそこのアバズレで決定だ!」
「……あばずれ?」
「あちゃー。そこを気にしちゃったら負けなんだぜ、嬢ちゃん。良い女ってのは小さなことを気にしないんだ」
「……よく分からないけど、四葉がそう言うならそうする」
「よしよし、嬢ちゃんはやっぱり良い子だなぁ」
四葉と呼ばれた少年はすぅぅ……と目を細め、
「――なるべく目立たないように済ませるんだぜ?」
「……分かった」
十分後。
川の傍の道を偶然歩いていたとあるイタリア人の男性が無残な肉塊を発見した時には、既に誰の姿も無かったという。
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次回もお楽しみに!