コーネリア=バードウェイはバッキンガム宮殿近郊の街路にあるベンチで、青く晴れ渡った空をぼーっと見上げていた。
時は十月十七日の朝。
バッキンガム宮殿の関係者でも何でもないコーネリアがこんな所にいる理由は至って簡単で、ここの近くにある内務省に書類の開示を求めるという用件を任された神裂火織の付き添いに選ばれたからである。彼女一人で行くものと思って散歩に出かけようとしていた所を引きとめられ、「一緒に来てください……こ、恋人なのですし」と真っ赤な顔でぼそぼそと呟かれたときは羞恥心で心臓が爆発四散してしまうかと思ってしまったのは記憶に新しい。
「火織と恋人同士、か……うへ、うへへ、ぐへへへへへへへ」
ニヤァ、と気持ちの悪い笑顔を浮かべながら、気味の悪い笑い声を漏らす金髪女顔少年。近くを通りがかった親子が「お母さんあれなにー?」「しっ! 見ちゃいけません!」というお決まりのやり取りをしていたが、幸せの絶頂期にいるコーネリアは気づかない。
曝け出された右手の上に荊を生やし、ハート型の輪っかを作ってみる。その中に自分と神裂が唇を交わしている光景を嵌め込み、再びニヤニヤと頬をだらしなく緩ませる。ああ駄目だ、ニヤケ顔が抑えきれない――不幸な人生を耐えてきた末にようやく手に入れた小さな幸せを前に、コーネリアはただただ気持ち悪く笑っていた。
と。
不審者認定五秒前だったコーネリアがふと顔を上げた先に、二人の男女が立っていた。
一人は、彼をここまで連れてきた神裂火織その人だ。片袖を切り落としたジャケットと片裾を切り落としたジーンズという最高にロックな衣服を身に纏う少女を見間違う程、コーネリアは耄碌しちゃいない。というか、愛しの恋人なのだから分かって当然、考えるまでも無い事なのだが。
そしてもう一人は、見覚えのない人物だ。年齢は三十歳半ばぐらいだろうか、少し若作りをしている感が否めないが、流石に四十代という事はないと思われる。整った金髪と目鼻立ち、スーツの質や身に纏う雰囲気など、どこか常人とはかけ離れたフォーマットさを兼ね備えている様に見えるのは気のせいじゃないだろう。何と言うか、全体的にコーネリアとは住む世界が違う存在に見える。
神裂火織と、見覚えのない金髪紳士。
そんな二人が会話をしている光景を発見し、そしてコーネリアがまず最初に取った行動は二人の元まで歩み寄る事だった。
ぐいぐいと食い気味に話しかけている様子の金髪紳士の前にすいーっと流れるようにして移動し、苦笑を浮かべて対応していた神裂を背中に庇うようにして立つ。その姿はまさに美少女勇者さながらで、神裂は驚きながらも思わず小さく噴き出してしまっていた。
恋人の反応に悲しみを覚えつつも、コーネリアは金髪紳士の前に立ちはだかり、
「ふぁっきゅー!」
ブゴハァッ! と神裂は噴き出すも、間髪入れずに大馬鹿野郎の脳天に拳骨を叩き込んだ。
悲鳴を上げる暇もなく地面に叩き付けられたコーネリアの胸倉を掴み上げ、神裂は額の青筋をビキビキと痙攣させる。
「あ、あなたはバカですかぁあああああああああああっ!? 出会い頭に下世話な罵倒を浴びせかけるなんて、正気の沙汰とは思えません!?」
「だ、だってさぁ! このいけすかねえイケメン野郎が火織をナンパしやがるから……」
「騎士派のトップになんて事を言うんですか! せめて『声をかけてたから』ぐらいに抑えてください!」
「へ? 騎士派のトップ? 何の話?」
「くっそ無知かよ恍けるなよ可愛いですねえもう!」
可愛らしく首を傾げる彼氏をぎゅーっと抱き締める天草式の聖人さん。
完全に置いてけ堀をくらっている金髪紳士を手で示しながら、神裂は申し訳なさそうに溜め息を吐く。
「こちらは『騎士派』のトップ、
「そこまで大した男ではないが、まあそういうことだ。……ところで、この貴婦人は貴女の知り合いか?」
「貴婦人って……確かにこの人は美少女顔で華奢なのでそう見えてしまうのも分かりますが、これでも一応、正真正銘の男性なのですよ?」
「なんと! 何処からどう見ても貴婦人だったので、見間違えてしまっていたようだ。これは私に非があるな、本当に申し訳ない」
ペコリ、と何の躊躇いも無く頭を下げてくる騎士団長に対し、コーネリアはヒクヒクと頬を引き攣らせる。この顔に生まれてから何度も経験してきたやり取りではあるが、流石にそろそろ我慢の限界だ。恋人の目の前という体もあるし、ここは一つ、俺が男だという事実を知らしめてやることにしよう。
そうと決まれば何とやら。
仲介役として汗を流していた神裂を背中に隠し、コーネリアは騎士団長の瞳を真っ直ぐと見つめながら――こう言った。
「どーもどーも初めまして、神裂火織の『婚約者』でありますコーネリアですどうぞよろしく!」
「婚約者!?」
因みに、彼がファミリーネームを名乗っていないのは彼の実妹『レイヴィニア=バードウェイ』が少々問題のある人物だからだ。イギリス清教のブラックリストに堂々と名を刻んでいる可愛い小悪魔の名前はなるべく出さないようにする、という方針を取るようにしている訳だが、中々どうして違和感がありすぎる。やはりここは自信を持って名乗るべきなのだろうか……いや、後が面倒臭いからやめておこう。
コーネリアの爆弾発言に騎士団長は――彼にしては珍しい事に――驚きの声を上げる。
一方、二人のやり取りを見守る事となった神裂はというと――
「婚約者、ですか……うへ、うへへ、き、気持ちの良い響きですね、婚約者……け、結婚式は日本式で良いですかね?」
――だらしのない顔で夢の世界に旅立っていた。
白無垢に身を包んだ自分の姿を妄想してニヤケ顔を浮かべている恋人に顔を引き攣らせつつも、コーネリアは再び騎士団長に向き直る。
「騎士だか何だか知りませんけど、火織は俺の女です。あなたなんかに譲るつもりは毛頭ありませんから、そのつもりでお願いします!」
「いつの間に婚約者なんて……そんな話、私は初耳なのだが!?」
「いや、親戚でもねえアンタにわざわざ伝えるような話じゃねえと思うんだけど……」
「彼女に英国での立ち振る舞いを教えそびれていた事が今となって仇となったか……っ!」
「も、もしもーし? 騎士団長さーん? 俺の話、聞いてますー?」
「しかし、私はまだ諦めん、諦めんぞ! 私は騎士だ、騎士なら正々堂々決闘で物事を決着させるべきだ。そうは思わんかね!?」
「言いたい事はなんかわかった気がするけど、そもそも俺は騎士じゃねえ問題な訳ですがそれは!」
肩を掴まれてがくがくと前後に揺らされ、ちょっとした吐き気を覚えてしまう。流石は騎士派のトップと言ったところだろうか、簡単には振り解けない程の怪力だ。はっきり言って敵に回したくないタイプの人間である。
コーネリアが神裂の婚約者だったのが相当ショックだったのか、騎士団長はコーネリアの肩から手を離すや否や、ふらふらとよろめくように二、三歩程後退し、
「……今回は出直す事としよう。しかし、これで終わりと思うなよ、コーネリアとやら! 次はバッキンガム宮殿の庭園で貴様を討つ!」
果たし状なのか暗殺予告なのかよく分からない言葉を残し、騎士団長はバッキンガム宮殿の方へと走り去っていった。その際、後姿が非常に悲壮感に満ち溢れていたのはコーネリアの見間違いだろうか。ジェントルメンの象徴とも言える存在の騎士団長の悲しげな背中を見送りながら、少年は可愛らしく首を傾げる。
嵐のような修羅場を終え、ようやく二人の間にいつもの軽い空気が漂い始める。結局何だったんだろうあの人は、と思いながらも、コーネリアは妄想の世界にログイン中の神裂の頬をぺちぺちと叩き、彼女の意識を現実に強制的に帰還させた。
「――ハッ! 温泉近くに建設予定の我が新居は何処に!?」
「どんだけ飛躍した夢見てんだよテメェ」
結婚を通り過ぎて新生活がスタートしちゃってる神裂にコーネリアは苦笑する。
「おら、さっさと行くぞ」「あ、はい」何故だか最近妙に頼りない神裂と手を繋ぎ、コーネリアは街路をゆっくり歩き出した。勿論、手の繋ぎ方は指を絡めさせた、俗に言う『恋人繋ぎ』というヤツである。
「……今更ですが、コーネリアがイギリスにいるなんて夢のようですね」
「忘れてるかもしんねえけど、俺ってこれでもイギリス人だからね? イギリスに居ることに違和感なんてあるはずがないからね?」
「それは分かってます。私が言いたいのは、あなたと共にイギリスにいる事が信じられない、ということなのです」
「まあ、三日程度の旅行みてえなモンだけどな。お前と過ごしてレイヴィニアとパトリシアに顔出したら、学生としての生活に戻るさ」
「私としてはずっとここに居てほしいのですが……」
「流石にそうはいかんだろ。俺、これでも大学進学希望なんだぜ?」
「むぅ。それではあなたがイギリス清教に来るまで、少なくとも残り五年は待たないといけませんね」
「俺がイギリス清教に入るのは決定事項なんだ……」
「当然です。あの『明け色の陽射し』のボスに匹敵する程の魔術師で、世界に五十人程しか存在しない原石の一人で、同じく世界で二十人足らずしかいない聖人の一人でもある超希少な存在であるあなたをみすみす逃す程、最大主教は愚かではありません」
「して、本音は?」
「夫と同じ職場って憧れますよね」
「最近のお前は本当によくデレるよなあ」
しかも彼氏を飛び越えてまさかの夫だし。気分は既に恋人ではなく夫婦ってか、そうですかそりゃあ良かったです幸せですわ。それじゃあこの調子で夜の営みまでいっちゃう? あ、それはまだ早いって? そりゃあ残念。
新婚を彷彿とさせるバカップルっぷりを披露しながら、通勤・通学ラッシュの中を通っていく二人の聖人。聖人同士のカップルなんて稀少すぎて流石に笑えないのだが、こうして見ていると普通の少年少女にしか見えないから不思議である。
指を絡め合い、手を繋ぎ合い、幸せを享受し合う二人。長く苦しい戦いの末に手に入れた小さな小さな幸せを、二人は心の底から目いっぱい堪能する。
そんなバカップル然とした散歩デートを五分ほど続け、辿りついたとある公園。そこのベンチに腰を下ろし、照れ笑いを浮かべながらもキスを交わした後――神裂が持っていた封筒を指差しながら、コーネリアは怪訝な表情を浮かべた。
「結局、その封筒って何なんだ?」
「……普通は他言無用な事ですが、あなたは部外者でもないですし、特別に教えてあげましょう」
「絶対に他言しては駄目ですよ?」「分かってるって」お決まりのやり取りを交わし、神裂は五秒ほどの間を置く。
そして真剣な面持ちでコーネリアの目を真っ直ぐと見つめながら、天草式の聖人は封筒の面を指で軽く突き、
「今、イギリスはピンチなんですよ」
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次回もお楽しみに!