『騎士派』の進行は思っていたよりも素早く、そして強大なものだった。既にロンドン全域は『騎士派』の手に堕ちていて、街のあちらこちらから炎や煙が上がっている。夜のロンドンにしては騒がしいのも、騎士と民衆の争いによるものだろう。
そんな慌ただしいロンドンをとある民家の屋根から見下ろしながら、コーネリアはヒクヒクと頬を引き攣らせていた。
「甲冑纏った騎士様方がわらわらわらわら……凱旋パレードでも始める気かっての」
「そんな事より早くワタシの『鋼の手袋』を返してくれないかなぁ!? 丸腰なんだけど、丸腰!」
「背中に翼生えてんだから、それで戦えばいいんじゃね?」
「鳥が翼でライオンに勝てると思うなよ!」
隣で同じように寝転がってギャーギャー喚いているのは、事流れ的にコーネリアと行動を共にする事になった『新たなる光』のフロリスだ。先の戦いで『鋼の手袋』という霊装をコーネリアに奪われた彼女は単独行動をする訳にもいかず、こうして何度も返却願いを出しているのだが、コーネリアはそれを棄却。そんなやり取りがずるずると続き、今に至るという訳だ。
ゴッ! と拳で屋根を叩き、フロリスは目尻に涙を浮かべる。
「はぁ……こんな性格破綻者と一緒に居たら、命がいくつあっても足りないっての」
「言っとくが、お前を護れるだけの強さは持ち合わせてねえかんな? 自分の身は自分で守ってくれると助かる」
「その為の自衛手段を奪っといて偉そうに言うなよな!」
「別に返してもいいが、俺を攻撃するのはナシだからな?」
「………………ソ、ソンナコトシナイヨー?」
「よーし、フロリスミサイル装填準備ー」
「笑えない笑えない笑えない! 流石にそれはマジで笑えないってばー!」
「チッ!」
「舌打ち!?」
身体を担ぎ上げられて投擲される一歩手前のところで、コーネリアは彼女を解放する。撃破されたり重傷を負ったりと様々な逆境に晒されている『新たなる光』のメンバーの中でも、彼女は特に最悪な境遇に立たされているかもしれなかった。これなら普通に『騎士派』の奴らに捕まった方が何倍もマシだったのでは? と首を傾げてしまうのも致し方ない事かもしれない。
街を歩く騎士に「うへえ」と露骨に嫌そうな声を漏らしながら、フロリスはコーネリアに顔を向ける。
「それで、これからどうするのさ。首謀者である第二王女をぶっ飛ばすって言っても、何処にいるかも分からないんだからどうしようもないと思うんだけど?」
「そうだなぁ……とりあえず、こういう時だけ頼りになる妹にでも情報提供を求めてみるよ」
「妹? なに、アンタの妹は情報屋でもやってるの?」
「魔術結社『明け色の陽射し』のボス、って言ったら誰だかわかるな?」
「レイヴィニア=バードウェイ!?」
ズザザザッ! と距離を取るフロリスの首根っこをコーネリアは迷わず掴み、自分の傍まで引き戻した。
「うぐぶぅっ!」
「なに逃げてんだよコラ」
「れ、レイヴィニア=バードウェイが妹だって事は、アンタはあのコーネリア=バードウェイなんだろ!? そ、そんなヤツと一緒に行動なんてお断りだ! 世界一不幸な聖人原石は世界屈指の賞金首なんだからな!」
「オイ待てコラ待てちょっと待て。誰が世界屈指の賞金首だ! 俺は何も悪事なんて働いてねえぞ!?」
「存在自体が騒動の種なんだろが、アンタは!」
「ぐっ……」
図星も良い所だった。レイヴィニア=バードウェイの兄として生まれてきた時点で騒動の種だというのに、そこに聖人原石という不幸の象徴が合わさっているのだから、そりゃあ他人から嫌がられるというものだ。聖人は運勢的には幸運な方なのだが、そもそも生まれた時からの不幸者なので、おそらくは聖人としての幸運を純粋な不幸で跳ね除けてしまっているんだろう。
自身の悲しい境遇を再認識し、目尻に涙を浮かべるコーネリア。
そしてベルトに接続していた『鋼の手袋』を外し、フロリスにそれを差し出した。
「…………え?」
「何だよ。お前が返せっつったんだろうが。大人しく受け取れよ」
「い、いや、それはそうなんだけど……どういう風の吹き回しなの? さっきまであんなに頑なに返さないって言っていたのに……」
「俺と一緒に居たら騒動に巻き込まれるっつったのはお前だろ? キャーリサの共謀者であるお前を解放するのは気が引けるが、既にお前らの役目が終わっている以上、人質としての役割を果たせるとは思えねえ。そんなお前を俺の身勝手に付き合わせる気にもなれねえ。――だから、お前はこれから好きにしたらいい。国外に逃げるでも仲間を助けるでも、お前のやりてえ通りにやりゃあ良いよ」
「……アンタ、本当に純粋な馬鹿なんだな」
「生憎と、周りに馬鹿ばっかりが集まってたもんでね」
類は友を呼ぶ、とは少し違うかもしれないけれど、おそらくは影響されてしまったんだと思う。誰よりもヒーローな上条当麻や誰よりも優しい神裂火織という馬鹿に、心の芯から変えられてしまったんだろう。
屋根に手を付き、ゆっくりと立ち上がる。眼下には未だに複数の騎士が見受けられ、ここから動くだけでも見つかってしまうことは自明の理、火を見るよりも明らかな事実だった。
そんな状況にも拘らず、コーネリアはフロリスに邪気のない笑顔を向ける。
「俺はもう行くよ。だからお前も、死なねえように頑張れな」
「あ、オイ、待っ――」
フロリスの制止を無視し、コーネリアは屋根から下へと飛び降りた。フロリスが慌てて下を覗き込むと、そこには十人以上の騎士から逃げる金髪の女顔少年の姿があった。
割とあっさり返却された『鋼の手袋』を胸に抱き、フロリスは僅かに口を尖らせる。
「……何なんだよ、アイツ」
そう呟く彼女の顔は、困惑と興味、二つの色を含んでいた。
☆☆☆
騎士の追跡は割と簡単に撒く事が出来ていた。
いくら『天使』の力を部分的に扱えると言っても、相手はただの人間だ。音速での行動を可能とする聖人が本気を出せば、振り切る事ぐらい朝飯前である。先程はフロリスというお荷物を抱えていたから本気を出せなかっただけで、両手が空いている今のコーネリアならば目で捉えられない速度で街を駆け抜けることは容易な事だった。
まぁ、本気で駆け抜けた結果、街を外れて暗い森の中へと迷い込んでしまっているのだが。
「ま、参ったなぁ。まさか急停止に失敗して、こんな所に辿りついちまうとは……マジで早く聖人の力を制御できるようにならんと、まともに戦うことすら難しいぞ」
力の加減はともかくとしても、運動速度ぐらいは手中に収めなければ。移動の度に停止地点が百メートル以上ズレるなんて笑い話にもなりはしない。神裂にこれ以上の迷惑と心配を掛けないようにするためにも、出来るだけ早く制御を完璧にしなければならないだろう。
と。
ジーンズのポケットから、けたたましい着信音が鳴り響いた。
森の中なのに圏外じゃねえのな、とどうでも良い事を呟きながら、コーネリアは通話ボタンを押し、携帯電話を耳に当てる。
「はい、もしもし、コーネリアですけど」
『お前の大好きなレイヴィニアだよ、この愚兄』
「……お前から電話を掛けてくるとか嫌な予感しかしねえんだが」
『人に頼る事が大好きなお前のことだから、私に何かを頼むだろうと思っての電話だったんだが……その様子だと必要なさそうだな。それじゃあ、あとは一人で頑張りたまえ』
「ちょっ!? 必要だよ、マジ必要! お兄ちゃん、レイヴィニアの助けを借りたいなあ!」
『そうかそうか、お兄ちゃんは私がいないと本当に駄目なんだからなあ、もう!』
レイヴィニアの嬉しそうな声を聴きながら、コーネリアは傍に生えていた木を殴り倒していた。まさか妹のワザとらしい甘えた声でここまでイラつこうとは……いかんいかん、怒りを収めて話に集中せねば。
深呼吸で憤怒を霧散させ、コーネリアは落ち着いた口調で彼女に言う。
「イギリスが今どんな状況なのか、大体は把握してるよな?」
『我儘姫が強い玩具を手に入れて調子に乗っている、という事ぐらいはな。ったく、あの王冠ババァが。娘を甘やかしてばかりいるからあのような我儘女に育つんだろうが……』
お前が言うな。
「そ、そうか。状況を理解してんなら話は早い。その我儘姫の居場所を教えてくれねえか?」
『その前に、一つ聞かせてもらうぞ。まさかとは思うが、お前は一人でこの事件を解決しようとしているんじゃあないだろうな?』
「……どういう意味だ?」
『もし本当にそうなのだとしたら、やめておけ。いくらお前が聖人だからと言っても、あの我儘姫には――いや、カーテナ=オリジナルを手にしたキャーリサには勝てないよ』
冷たく、それでいて現実味のある言葉だった。
一瞬だけ、本当に一瞬だけ言葉を失うも、すぐに我を取り戻し、コーネリアはレイヴィニアに抗議の声を上げる。
「そ……そんなの、やってみなけりゃ分かんねえだろ。前までの俺じゃねえんだ、もしかしたらキャーリサを倒しちまって、そのまま今回の事件を終わらせる事が出来るかもしれねえだろ」
『無理だよ。神裂火織やウィリアム=オルウェルならともかくとしても、お前では無理だ。挑むだけ無駄だ、試すだけ無謀だ。大人しく尻尾を巻いて蚊帳の外まで逃げ帰る事をお勧めするよ』
「――――――、な」
今度こそ、何も言えなかった。
実の妹に、五歳も年が離れている幼い少女を相手に、コーネリアは完全に言葉を失っていた。
電話の向こうでレイヴィニアは小さく溜め息を吐き、
『お前は自分が特別な存在になったとでも思っているようだが、それは全くの間違いだよ。確かにお前は世界に二十人といない聖人だが、何も特別な訳じゃない。――聖人である。ただそれだけの、至って普通の無力な人間でしかないんだ』
「ただの聖人でしかない、無力な人間……?」
『手に入れた強大な力に溺れるなよ、一般市民。お前は無力だ、お前は平凡だ。ただ、聖人としての体質を持って生まれ、ただ、原石としての体質を持って生まれてきた。ただそれだけの、大した力も持っていない、無力で平凡な一般市民なんだよ、お前は。今までのお前と何ら変わらない。レイヴィニア=バードウェイの兄でしかない、コーネリア=バードウェイ。世界屈指の実力者でも世界最強の魔術師でもない。――レイヴィニアの兄である。それがお前の存在価値なんだ』
コーネリア=バードウェイは、特別でも何でもない。
その言葉が胸に深く突き刺さり、彼の肉体に激しい脱力感を与えていた。胸にぽっかり穴が開いたようで、呼吸をするのも苦しくて仕方がない。特別でも何でもない、そんな言葉を告げられただけで、何故こうも頭痛が止まらなくなるのか。
『今までの様に、私に頼れよ。頼って縋って依存して――それがお前にはお似合いだよ、お兄ちゃん』
それがトドメだった。
不快な言葉を発する携帯電話を握り潰し、地面に投げ捨て踏み躙る。踏んで踏んで踏んで踏んで、中の機械が土に埋まって見えなくなるまで、地面を蹴り続けた。
もしかしたら彼女は、コーネリアを気遣ってあんな事を言ったのかもしれない。大切な兄を死地に送り込みたくないから、あんな辛辣な言葉を吐いたのかもしれない。
だが、そんな『もしかしたら』の本心は、コーネリアには届かない。
「俺が、俺が終わらせるんだ……だって、この物語の主人公は俺なんだから。俺がやらなくちゃ、他の誰でもねえ、この俺が、この事件を解決しなくちゃならねえんだ……」
譫言の様に呟く彼の顔は、何かに憑りつかれたかのように霞んでいた。爪が皮膚に食い込む程に握り締められた拳から血が流れ出ている事にも気づかない程に、彼の心は酷く傷ついていた。
そんな彼に追い打ちをかける様に、物語は先へと進む。
何かが、彼の目の前を横切っていった。
「――――――、え?」
それは、コーネリアの前を通り過ぎると、人形のように地面を転がった。
それは、ポニーテールと奇抜な衣服が特徴的な少女だった。
それは、コーネリアが世界で一番愛している、神裂火織と呼ばれる少女だった。
「――――――、え?」
間抜けな、それでいて呆けた声がコーネリアの口から漏れる。予想だにしない光景を前に、身体は一ミリたりとも動かなかった。
そんな彼の視界の外から、男の声が聞こえてきた。
「聖人と言っても、こんなものか」
酷く、酷くつまらなそうな声だった。
声がした方を向くと、そこにはスーツを纏った金髪の男が立っていた。三十代ぐらいだろうか、やや若作りをしている、凛々しい顔立ちの男の姿がそこには在った。
その男が『
だが、そんな事はどうでも良かった。彼がどんな存在かなんて、コーネリアにとっては些細な事でしかなかった。
コイツが、火織を痛めつけたのか。
コイツが、火織を傷つけたのか。
コイツが、コイツが、コイツがコイツがコイツがコイツがコイツがコイツが――――――ッ!
「…………許さ、ねえ」
「うん? 貴様は、あの時の……」
「許さねえ。許さねえ! 許さねえッッッ!」
ボゴォッ! と地面が大きく歪み、その下から無数の荊が姿を現す。
実の妹に無力を嘲笑われ、大切な少女を傷つけられた少年の顔は、純粋な憤怒の色に染め上げられていた。
握られた拳は鉄塊の如く、食い縛られた歯は野獣の如く。
世界で五十人といない原石でありながら、世界で二十人といない聖人でもあるコーネリア=バードウェイは地面に転がる一人の聖人を背後に庇うようにして仁王立ちし、喉が枯れる事も厭わずにあらん限りの叫びを上げる。
「顔が潰れるまで殴り倒してやる! 俺が、この俺が、他の誰でもない、コーネリア=バードウェイが、テメェを殴り殺してやるから覚悟しやがれ!」
冷静さに欠ける暴力的な言葉は、彼がどれだけ怒っているかを顕著に表していた。
感想・批評・評価など、お待ちしております。
次回もお楽しみに!